第78話 「そっちでも、ストルガツキー兄弟の原作でもない」
「やっぱさぁ、引っ越すべきじゃないの、アヤちゃん」
「できるなら、そうしたいんだけど……でも実家は頼れないし、マルさんにもこれ以上は迷惑かけらんないし……」
「そうは言っても、こっから更にヒドくなったらどうすんの? もうさぁ、電話とか手紙とかで終わらないで、ウチまで来たりゴミ盗んだりになってんだよ!?」
「それはそう、なんだけど……でもね、前に似たようなことあった時は、急にパッと終わったんだよね。だから今回のも、そろそろ飽きるかも……」
「だーかーらー、希望的観測じゃなくてさ、絶望的予測でいかないと! 何とかなるでしょでテキトーやって、やっぱダメでしたってなったら最悪じゃん」
鵄夜子がかなり真剣に説得しているが、綾子はデモデモダッテで受け流してしまって、イマイチ本気にしてない様子。
この危機感のなさは、俺からすると迂闊とかそんな域を楽勝で突破した油断ぶりだ。
だが、この時代の認識ってのは、こんなモンだったかもしれない。
なので綾子には、どういう相手に狙われているのかを説明しておくべき、だな。
「この一連の出来事は恐らく、ストーカーの仕業だ」
「すとー、かー?」
初めて聞く言葉だったらしく、綾子は首を傾げて復唱する。
「何、それ。タルコフスキーの映画?」
「そっちでも、ストルガツキー兄弟の原作でもない。元々は獲物を密かに追い掛け、追い詰めて仕留める猟師のことを意味していた。だが今では、獲物と定めた人間に対して執拗な監視や尾行、過剰な脅迫や攻撃を繰り返す連中が、欧米でストーカーと呼ばれるようになってるらしい」
そして犯人の典型的な行動を列挙し、ストーカーについて二人に語っていく。
つきまとい、待ち伏せ、生活の監視、一方的な連絡、自宅への来訪、器物損壊、中傷の拡散――その他、原動力が好意でも悪意でも迷惑でしかない、相手の事情を無視した干渉や接触と、それによる心身の束縛や支配。
ザックリとした説明を一段落させると、綾子は眉根を寄せて黙り込んでしまい、鵄夜子は似たような渋面で訊いてくる。
「うん……確かに、それに当て嵌まりそうだね。にしても荊斗、そんな話どこで知ったの。新聞とかTVでやってた?」
「いや、サブカル系の雑誌に載ってた記事、友達んトコで読んだ」
「しっかし……ヤバいヤツとは思ってたけど、予想以上だね。あたしじゃ役不足かもしれないから、サークルの男たちにボディガードでも頼もうか」
役不足を誤用しながら言う鵄夜子に、綾子はブンブンと両手の平と頭を振って応じた。
「や、や、や、それはマズいって! あんまり大事になるのも困るし、学校で変な噂になるのも困るし、男の人が出入りするのも困るし!」
「俺も男の人なんだけど、大丈夫かな」
「弟くんは……まぁ……ギリギリセーフ?」
色々な角度から俺を眺めた綾子は、そんなジャッジを下してくる。
「いや疑問形で言われても。とはいえ、対象に恋人がいるのを知ったストーカーが凶暴化するってケースもあるらしいんで、チャラい学生の召喚はヤメといた方がいいかも」
「大学生への偏見が透けてるなぁ。でも、凶暴化とかそんなんあるなら、避けておくのが無難か……犯人はアヤちゃんの熱烈なファンな可能性もあるし」
「あー、学校でファンクラブとか作られてるタイプ?」
「ううん、オフィシャルのファンクラブが存在してたタイプ。アヤちゃん、荊斗が気付いてないっぽいから、変身解いてあげて」
「それやっても気付かれないと、ちょっとショックなんだけど……」
鵄夜子のフリに、綾子はまずダテ眼鏡を外し、イモジャージの上を脱いで空色のシャツ一枚になり、長い髪を頭の左右で握ってツインテールのように――
「おぉ、何か見たことある人だ」
「リアクション薄いな! あの『テールラリウム』のキツネ担当、佐久真珠萌じゃんか」
「あぁ、そうそう。そんな風なアレだった」
テールラリウムというのは、尻尾のある動物モチーフの衣装と、ポニーテールやツインテールの髪型が特徴の五人組アイドルで、メンバーそれぞれが歌・ダンス・演技・グラビア・文筆で一芸特化しているのがウリになっている。
自分が過去に戻ったらしいと知った後、状況を知るため色々と調べる中で発見した「一周目の知識にはない」存在の一つだ。
キツネ担当の珠萌こと綾子は確か文筆担当だったが、去年末に脱退していたハズ。
「テールは辞めたけど、まだ事務所には所属してるから……異性関係は気を付けなきゃで。スキャンダルになったら、マルさんも社長もブチキレそうだし」
髪型を元に戻した綾子は、手櫛で梳きながら溜息を吐く。
グループを辞めても引退してないなら、もっと大事にされても良さそうなものだが。
「マネージャーのマルさんにお願いして、事務所の方から誰か来てもらったりは?」
「脱退までに結構バタバタしちゃったし、そもそも抜けるのもコッチの都合だったし、アッチで用意してくれてた寮からも出ちゃって……それで助けを求めるってのも、ね」
「気まずいのはわかるけどさ、もうそこらへん拘ってる場合じゃなくない? 荊斗が言うようなストーカーってのだったら、いつ何があってもオカシくないんだよ?」
煮え切らない綾子に、真顔で説得を続ける鵄夜子だが、あまり響いている様子がない。
親しい人間からの忠告は、中々に響きづらいってのはある。
とはいえ、コイツはちょっとばかり鈍感すぎるな。
横で聞いていて焦れてきた俺は、綾子に危機感を自覚させることにした。
「ストーカーには、身近な人間がなることが多いんだ。元恋人とか、離婚や別居に至ったパートナー、友人知人に同僚にご近所さん。接客業だと、常連客が勘違いや思い込みで感情を拗らせて……みたいなパターンもある」
「あー……女の子が接客してる店だと、疑似恋愛をさせて金をバンバン落とさせる、みたいなの多そうだしね。本物の恋人になろうと踏み込んでくるのを上手く捌けないと、危ない展開になるかも」
いい具合に鵄夜子が拾ってくれたので、綾子を指差して話を続ける。
「そう、綾子さんの現状はそれと似ていて、熱狂的なファンがストーカーになってる可能性がある。芸能人や有名人が標的になる場合、普通は自分が何者であるかを最初に明かして交流を始め、その後に一ファンとして以上の待遇を求めてくる、ってのがセオリーなんだけど……」
「誰がやってるのか、全然わかんないんだけど」
綾子の言葉に頷いた俺は、テーブルの下に転がっていたノートとペンを使って、ラフな図を描きながら説明する。
「そこが問題なんだ。動機のベースになってるのは愛情や執着っぽいんだが……手紙の内容からして、犯人の感情が別物に変質してる気配がある」
「変質者だけに」
「姉さんはちょっと黙れ。つまるところ、行動が常軌を逸し始めてるのは、目的が変わったからなのかもしれない」
「えっと……可愛さ余って憎さ百倍、とかそんな?」
文筆担当だけあってか、綾子の理解は中々に早い。
「そういう風に、自分の愛を理解しない綾子さんに罰を与えたい、みたいな思考になっている可能性もある。しかし俺としては、より危なっかしい可能性を警戒するべきじゃないか、と思ってる」
「危なっかしいって……どんな?」
「標的を傷つけることで、相手にとって特別な存在になる……或いは、有名人への攻撃によって自分も有名になって、標的との関係性を永遠にする」
「あぁ……ジョン・レノンとか、レーガン大統領とか」
鵄夜子の補足に乗っかって、綾子に事件の概要を簡単に説明する。
レノン殺害犯は、無名で無能な自分を特別な存在へと押し上げようと、世界的スターに銃爪を引いた。
レーガンを撃った男は、ジョディ・フォスターへのストーキングの果てに、彼女に比肩する有名人になるべく、大統領暗殺を試みた。
「日本だと、美空ひばりがファンに塩酸ぶっかけられた事件が典型だな。憧憬と嫉妬と尊敬と承認欲求と自己嫌悪がグチャグチャにミックスされて、やらかした当人にも真の動機が理解できてなさそうな、そんな」
「うぁ、う……」
ファン心理の暴走、では片付けられない惨劇の数々に、綾子の顔色が真っ白になった。
危険性は十分に自覚できたと思われるが、俺の予想が正しければダメ押しがまだある。
「ストーカーのヤバさと、そんなのに狙われてるかもしれない自分の状況、理解してもらえたかな」
「イヤになるほど、ね……事務所に頭下げて、何とかしてもらうべきかな……」
「その前に一つ、確認しておきたいんだけど。この部屋に出入りした人間のこと、どのくらい憶えてる?」
何でそんなこと訊くの、と言いたげな表情を浮かべる綾子。
しかし疑問は飲み込んで、指折りカウントしながら思い出していく。
「どうだろ……えぇと、今年の一月にココに来てからは、マルさんと、みんみん――あ、テールのタヌキの子ね。それと鵄夜子に弟くん。他には不動産屋さんと、引っ越しを手伝ってくれた事務所の人たち、くらいかな」
「なるほど、ありがとう。あと、ラジオはあるかな。電池式で、FMが聴けるやつ」
「ある、けど……音楽なんて聴きたい気分じゃないなぁ」
「流れるのはたぶん、音楽じゃないから安心していい」
俺の言葉への不安と不審を丸出しにしつつ、綾子はソファから腰を上げた。