第73話 「任務完了……でいいのか、これは」
※今回は沼端 (ヒヨコのおっさん)視点になります
「くおぁああぁ、クソッ! 痛ぇんだってよ、ったくよぉおおっ!」
黙って歩いてたら、意識が丸ごと痛覚に持ってかれそうだ。
そんな気配があったんで、悪態を吐き散らしながら屋敷の方へと戻る。
いいのを一発もらった右目の上もズキズキ痛むが、それより左膝の状態が本格的にマズいな。
『劇場』に転がってた木刀を杖代わりにしているが、一歩ごとに脂汗が増産されて止まりゃしない。
「ぬぅぐっ、あ痛っ……何だ、ってんだあの小僧……ああ、畜生が!」
まさか、ここまでの重傷を負わされるとは予想外だった。
というか、あんなのを相手するなんて、予想できてたまるか。
普通の高校生にしか見えないのに、普通じゃない動きはどういうワケだ。
仮に、おれと似たような技術を身につけてるとしても、体格が不自然すぎる。
居残られると面倒だからサッサと逃がしたが、薮上にもっと詳しい話を訊いとくべきだったかな――などと思い返し、騒然としている屋敷へと入っていく。
「なぁ、会長はっ!? 会長はどちらにっ!?」
「百軒さんはダメっすね、掛見さんはドコへ――」
「ああもうっ、どうなってんですかっ!」
「怪我して人たち、とりあえず広間に集めるのでよかったですか」
雑用兼巡回警備の連中や、和装っぽい衣装の女性職員たちが、絵に描いたようなドタバタぶりで右往左往している。
指示を出す人間が不在のようで、異変に対処しきれず半ばパニック状態だ。
おれと目が合った太い三つ編みの秘書見習いが、ホッとした様子で話しかけてきた。
「ああ、沼端さん! 何とかしてくださいよ、もぉ!」
「いきなり丸投げか。何とかって……何をどうしようってんだい」
「えっと、えっと、まずは会長への報告と、怪我人の治療と、警察への連絡と、不審者への対処と、被害の確認と、それとあと……なんでしょう?」
どうにもダメそうだ。
話をするのも億劫だが、放置もできんので助言はしておく。
「まず、が多いな……会長、んー、会長には掛見がついてるだろうから、心配いらん……かな。警察や救急への連絡は、やめとけ……あー、怪我人は直接、いつもの病院まで連れてく……とりあえず、応急処置だけしとけぇ」
「ハイッ! それはたぶん、あっちの広間でやってます」
「んぉ、そうか……」
そこ行けば、鎮痛剤もあるか――こんな膝の状態だと、考えもロクにまとまりゃしない。
怪我人共は、いつもの大土手クリニックまで連れてけば、大体はどうにかなるハズだ。
院長の名前はヤブを通り越してる感あるが、少なくとも外科の腕前は悪くない。
不審死の処理や表に出せない怪我人の治療を強要されてる辺り、何かしらの弱味を握られる程度に素行は悪いんだろうが。
指示待ち顔でまだコチラを見ている秘書見習いに、真面目な顔を作って小声で告げる。
「たぶん……いや、間違いなく今回の、この……この騒動は、厄介なことになる。巻き込まれたく、なかったら……サッサと逃げろ」
「ふぇ? で、でも、逃げるって、何で? ドコに?」
「どこでもいい……とにかく、屋敷に残るな。今月の給料はまぁ……諦めんだな。他の下働きにも、言っとけ……会長は、雪枩力生は、もう終わりだ」
おれが雇い主を呼び捨てると、見習いは驚いた様子でフラフラと頭を振る。
言われたことを拒絶してるのではなく、ただただ戸惑っている様子だ。
理解しなくていいから動け、との意味を込めて肩をポンポンと軽く叩き、広間の方へと足を引きずって向かう。
「おぅおぅ、野戦病院だな……」
辿り着いた先では、八人の男女が転がされている。
ベッドも布団もなく、畳の上に敷かれた青いビニールシートが寝床だ。
あの小僧一人を相手に、よくもまぁボロ負けしたモンだな。
斯く言うおれも、こいつらと大差ない立場ではあるんだが。
負傷者の様子を確認し、死にそうなダメージの奴はいなそうだ、と判断したところで鼻の潰れた掛見の部下が声をかけてきた。
「あっ、沼端サン! お疲れ様っス」
「おぅ……お前が仕切ってるのか、ここ」
「えぇ、掛見サンに言われて。ボーのやつぁ、怪我人の回収に出てるっス」
ボーってのは、掛見の下についてる南房って眉のない坊主頭か。
コイツも南房もここ一月ほどに雇われた新顔だから、どんな人間性なのかはよくわからん。
ただ、言われたことはキチンとこなす程度の能力はあるようだ。
「痛み止め、何かあるかい」
「強いの弱いの、どっちっスか」
「一番強いのだ」
そう注文すると、潰れ鼻は床に転がっている銀色の小箱を漁る。
そして、白い錠剤をいくつか抓んで渡してきた。
「えぇと、オキシなんとかってので、めちゃ強っス」
「ん……助かる」
念のため、シート裏に英語で書かれた薬の名前を確認。
オキシコドン系か――確か、モルヒネに近いキツめの効果がある。
口に放り込んで噛み砕き、潰れ鼻が渡してきた缶ビールで流し込む。
人心地がついたところで、缶を返しながら訊いておく。
「大土手に、連絡は?」
「してないっス。あー、した方がいいっスかね?」
「そうだな……これから何人運んで、怪我の程度はどんなモンか、そのくらい……うん、そのくらい伝えといた方が、いいだろ」
「ういっス、ボーが戻ってきたら、電話しとくっス」
そろそろ自分の仕事をするか、と広間を出ようとしたところで違和感が。
いるとしたらココだろ、と思ってたヤツの姿が見えない。
そういやアイツ、これといって怪我をしてなかった気がしてきた――
「おい……大輔は、どうした」
「えぇと、大輔サンなら下まで行ったみたいっス」
「くぁ……そりゃ一人で、なのか?」
「たぶん、誰かついてったんじゃないスかね」
半ば無意識に、チッと舌打ちが漏れた。
急な不機嫌に反応した潰れ鼻が、怪訝そうに見てくる。
何でもねぇよ、というように軽く手を振って背を向け、現状の最大速度で地下を目指す。
あの小便たれの糞ボンボン、能無しの癖に無駄にフットワークが軽い。
ここまで来て、おれの仕事が邪魔されるようなオチになるんじゃ、笑うに笑えないし泣くに泣けん。
「死んでくれてんのが、一番ラクなんだが……」
口の中で呟いてみるが、これは期待できんだろう。
おそらくだが、薮上には力生を殺めるような動機がない。
大輔とのやりとりや、桐子とのアレコレからして、ほぼ部外者だ。
状況に巻き込まれただけで、あそこまで暴れられるのも空恐ろしいと言えるが――
「ぬぉ、これは……」
人気のない劇場には、目が痛くなる煙たい空気と、鼻に刺さる焦げ臭さが充満していた。
辺りに火元は見当たらない――ということは、この更に下が燃えているのか。
想像以上に面倒なことになっている危険も当然あるが、出入りを禁じられた区域に踏み込むチャンスでもある。
おれの「真の任務」を終わらせるなら、ここは行くしかなさそうだ。
苦痛が和らいできたのを感じながら、桟敷への階段を上がっていく。
「まったく……何で請けちまったかなぁ」
古くからの義理もあったし、心を動かされる報酬もあった。
それでも、断ることは不可能じゃないし、リスクを考えれば断るべきだった。
おれは何でも屋みたいなモンだが、大部分は『掃除屋』としての依頼だ。
痕跡を消し、死体を消し、凶器を消し、証拠を消し――その他にも色々と消す。
出来事そのものが消失すれば、何があろうと何もなかったことになる。
「正義感、じゃねえだろうなぁ」
そんな感情は、とっくの昔に摩滅し尽くしている。
なのに、発覚のリスクが高い長期の潜入任務を請け負ったのは何故か。
改めて考えてみると、雪枩らの「在り方」に莫大な嫌悪感があったから、かもしれん。
殺人者も脅迫者も見慣れたし、反社集団も外道商売も見飽きている。
だが力生の見境なさ、中でもガキを嬉々として餌食にする下劣さは、似たようなカス共と比べても腐臭がドギツい。
「おぅおぅ、本格的な火事……の後だな」
リフトを使って降下し、暗い通路を抜けて薄緑の部屋に出ると、歌が聴こえてきた。
雨音――スプリンクラーの水音と楽し気な笑い声に混ざった、調子外れな『雨に唄えば』。
歌声の主はコチラに背を向けたまま、床に転がる大輔の横腹に爪先をメリ込ませる。
その傍らでは誰だかわからん黒服の男が、くの字に俯せてピクリとも動かない。
二発、三発と続けて大輔に蹴りを入れると、掛見は見たことのない笑顔で振り返った。
デカい傷痕の走る濡れた顔は紅潮し、歓喜の一色で染め上げられているようだ。
何らかの屈託があるとは察していたが、ここまで深刻なレベルだったか。
「随分とまぁ、楽しそうじゃないの」
「あぁ! やっと……きぃひひひひひひっ、ぅひひひひぃ、やっとだっ!」
「ところで、それの親父はどうした」
「隣の部屋でもって、黒焦げ危機一発だ」
何だよその新商品は、と思いつつ水の撒かれている通路を抜け、ドアの開け放たれた部屋を覗き込む。
これがあの、悪名高い雪枩の秘密情報コレクション――の、成れの果てか。
黒煙が薄く残り、六面全てを煤けさせた部屋は、変な酸味のある悪臭で満ちていて、一呼吸ごとに咳が誘発される。
力生の姿が見えないが、もしや天井にへばりついてる赤黒い塊がそうだろうか。
元はビデオやフィルムだと思われる残骸は、焼け溶けてゴミの小山になっていた。
「任務完了……でいいのか、これは」
依頼はコレクションを利用不能にするか、もしくは力生を再起不能にするか。
何だかよくわからんが、掛見がその両方を代わりに終わらせてくれたようだ。
しかし、流石にこの状況を掃除するのは無理だし、する理由もないな。
そう判断したおれは、安全に行方を晦ませる算段をしながら、まずは地上を目指すことにした。