第72話 「そいつはコッチも得意分野だ、付き合うぜ」
※今回は71話の続きで、芦名(貞包の用心棒)視点になります
『――ピン、ピンポーン、ピン、ピピピピンピン、ピンポーン、ピン、ピピピピンピン、ピンポーン、ピン、ピピピピンピン、ピンポーン』
リズミカルに連打されるチャイムの音で、畳の上に転がっていた体を起こす。
何時になった――時計を確認しようとするが、室内が暗くてよく見えない。
衣川が来たのが昼過ぎだったから、どうやらガッツリ寝てしまったようだ。
お陰で酒は半ば抜けているが、床の堅さに負けて体のアチコチが軋んでいる。
寝起きの頭に優しくないので、まずはチャイムを連打してるアホを止めるか。
「うるせぇな、聞こえてるよ」
「だったらサッサと出ろ、芦名将」
怒鳴るようにフルネームを呼ばれ、イラつきながら蛍光灯のヒモを引き、解錠してノブを捻る。
それと同時に勢い良くドアを開けて入ってきたのは、パッと見は普通のスーツ姿だが、よくよく見ると堅気じゃない気配が漂っている、咥え煙草の男。
歳は三十代の半ば、中肉中背でテラついたオールバック、細い目に薄い眉に厚い唇。
似顔絵の描きやすそうな顔だな、と思っていると相手はパパッと手を払って言う。
「おぅ、どいてろデカブツ」
逆らうのも面倒なことになりそうなので、黙ってドアを離れる。
すると、男は土足のまま上がり込んできて、更に三人がそれに続く。
白と黒のジャージを着た二人は、量産型のチンピラという雰囲気。
もう一人は、いかにも何かやってそうな気配を纏った、Tシャツが筋肉でピチピチになっているオッサンだ。
出迎えにしては妙な雰囲気だが――俺は警戒心を高めつつ確認する。
「アンタら……泗水会の人か?」
「そんなんよぉ、ドアを開ける前に確かめるモンだろ、芦名クン」
厚い唇を歪めた男は、煙草を捨てて畳の上で踏み躙った。
名前の言い方も、小馬鹿にしている感がたっぷり混入してんな。
この二点からして、悪意と敵意がバッチリと伝わってくる。
誰の意向で動いてるか知らんが、コイツらが敵なのは間違いなさそうだ。
「まぁ、何だ……ゆっくり話せるとこ、行こうじゃねえの。車は出してやんよ」
「俺としては、ココで構わねぇけど」
「ハッ……デブだけに出不精かよ。まぁ、このアパート今お前しかいねぇし、多少ドタバタしても構わんが」
安普請なのに生活音がしないのは謎だったが、誰も住んでなかったか。
そんな状況を知ってるなら、コイツらは俺の事情も把握してるってことになる。
それはつまり洪知会に売られたか、泗水会に切り捨てられたかの二択。
リュータが描いた絵図か、相手側の独断なのかは知らんが、とにかくこの場をどうにかしないとな。
武器になりそうなのを探して目線を滑らせると、男が半笑いで言い放つ。
「おいおい、大人しくしとけよ、芦名クン? でねぇと『またネズミが死ぬぞ』」
その一言が脳に染み渡り、心臓が大きく跳ねて頭に一気に血が上る。
だが、数秒間の血圧急上昇の後に感情が凪いでいく。
いきなり俺のブレーキを壊すキーワードを持ち出すとか、どういうつもりだ。
「ふうぅっ、うぅうううぅ……」
深々と息を吐いて気持ちを落ち着けていると、相手はコチラを凝視してくる。
ガンをつけているというより、困惑して何かを探っているような目線だ。
何とも言えない無言の睨み合いが続く中、白ジャージが質問で沈黙を破った。
「……カブさん、どうなってんです?」
「いや、どうもこうも……この一言で、コイツをコントロールできるって話だったが」
リュータが適当な説明をしたのか、もしくはカブと呼ばれたこの男がアホなのか。
俺の過去話を知った貞包が発明したキーワードは、俺が躊躇なく凶暴性を発揮するためのスイッチであって、俺の心身を操る魔法の言葉ってワケじゃない。
ちょっと考えればわかりそうなモンだが、ちっとも考えてないのだろう。
しかし、スイッチとしても機能しなくなってるが、キレた状態であのガキに惨敗したのが影響してるんだろうか――何にしても、まずはこの四人の排除だな。
「何が死ぬって? ……お前か? それとも、お前かっ!?」
白ジャージを指差してから、黒ジャージの方へと二歩踏み込んで左フック。
まったく身構えてなかった黒は、空中を一回転半してから砂壁に背中を衝突させ、半秒後に畳に顔面を打ち付ける。
カブと白はアホ面で俺を見て、それから俯せに折れ曲がった黒を見て、また俺を見るという無駄に揃った動きを披露。
一方で、荒事に慣れている様子のピチピチTシャツおやじは、カブを庇うような位置取りで前に出て威嚇してくる。
「ハシャぐな、ガキが……逃げ隠れしても無駄ってのは、わかってんだろ」
「すまんな、物分かりが悪ぃんだ」
「言ってもわからんなら、力ずくってことになるが?」
「そいつはコッチも得意分野だ、付き合うぜ」
黒を殴り飛ばした左の手首を回しながら応じれば、ピチTは部屋の中心に陣取っている炬燵テーブルを掴み、俺に向かって横投げにブン投げてきた。
こういう派手な攻撃は、素人さんを委縮させるにゃ丁度いいが、俺にカマしてくるのはちょっとナメすぎだ。
「ヌンッ!」
「あぅんっ――」
天板を引っくり返せば麻雀卓にもなる炬燵は、俺の蹴りで軌道を変えられて白ジャージに追突。
予期せぬタイミングでの流れ弾、もとい流れテーブルに下腹を直撃された白は、蹲ってプルプルと震えながら呻く。
そんな犠牲を気にする様子もなく、ピチTはズンズン俺との間合いを詰めてくる。
この迷いのなさは、潜ってきた修羅場の多さを想像させるのだが。
「多けりゃいいってモンじゃねぇ」
口の中で呟いて、伸ばされた右手を払い、左手を自分の左手で受け止める。
腕の太さは同じくらいだが、そこまでの圧は伝わってこない。
指が組み合った状態で外側にグイッと捻れば、これといった抵抗もなくアッサリ極まった。
「あばっ――ぃたたたたたたっ!」
「ウソだろ、おい」
ついつい、反射的にツッコんでしまう。
あまりの見掛け倒しっぷりに、そういう演技かと思って更に圧を加える。
だがピチTは有効な反撃を選択せず、されるがままに悲鳴を漏らす。
どうやらコイツは、筋肉の発する威圧感だけで世渡りしてきたタイプらしい。
とはいえ、放置するのも危険なので退場はさせておこう。
「フッ――せぃっ!」
組んだ左手を勢いよく引っ張り、ピチTの体をコチラに引き寄せる。
そして、足を縺れさせて体勢を崩した相手の鼻を狙い、気合の声と共に横殴り気味でヘッドバットを叩き込む。
「ほんっ」
顔面の中心で弾けた衝撃に、くんにゃりと崩れていくピチT。
その崩落の途中で、顎に向けて右膝を繰り出すと、ガチンッと派手な音が鳴る。
「ぶぇえっ――」
前歯の破片を散らしながら、ピチTは受け身もとらず仰向けに引っくり返る。
転がっていたポットに後頭部を打ち付け横転し、飴色の畳の上で大の字ならぬKの字っぽく固まった。
不意に、右の脛に鋭い痛みが走る――今の一撃で、傷口が開いたか。
小さく舌打ちしつつ、額の返り血を拭い、一人残ったカブを見据えて言う。
「あー……カブさん、だっけ? とりあえず、何がどうなってんのか説明してくれ」
俺の言葉が聞こえているのかいないのか、カブは放心状態でポケッとしている。
この後でどんな説明があろうとも、ここから逃げる必要はありそうだ。
しかし、逃げると言っても一体どこへ行けばいいのか。
北海道や九州なら、洪知会や泗水会の勢力圏外だが、懸賞金でもかけられたら詰む。
そもそも、終わりのない潜伏生活に耐えられる気がまるでしない。
「ま、まぁ落ち着けや、芦名……オレらの間には誤解がある。なぁ、そうだろ?」
落ち着きから程遠い、震えた声で抜かしてくるカブに冷えた目を向ける。
コイツを半殺しにしても、俺の気が晴れるだけでヤバい状況はそのまま。
じゃあどうすんだ、と考えを巡らせてみるが、上手い解決法は思い付かない。
何かないか、誰かいないか――片っ端から可能性がありそうなのを探ってみたら、二度と会いたくないヤツの憎たらしい顔が思い浮かんでしまった。