第71話 「全部が夢ってオチになんねぇかな」
※今回は芦名(貞包の用心棒)視点になります
あれからもう二週間なのか、まだ二週間なのか。
壁に掛かったカレンダーを眺めながら、薄く濁った頭でボンヤリと考える。
TVではワイドショーが流れ、芸能人の不倫騒動で盛り上がっている様子。
そしてあの日の出来事は、相変わらずニュースになる気配もない。
現場では拳銃も押収され、洪知会の木下も捕まったらしい。
なのに、まるっきり報道されないってのは、一体どういうカラクリなんだ。
「だったら、全部が夢ってオチになんねぇかな」
軽く血が滲んだ包帯の下の、抜糸されていない傷口を擦りながら呟く。
殆ど人と話していないせいか、日に日に独り言が増えている気がする。
絶対ここから動くなと言われてるから、医者に診せたのは刺された当日だけで、薬はもう品切れ。
右脛を貫通された痛みを紛らわせようと、鎮痛剤替わりに飲み続けている甲類のせいで、どうにも意識がグラつきっぱなしだ。
「貞包社長なら、どんな薬でもパパッと調達してくんだろうが……」
リュータ――黒川龍太には、そんな心配りは期待できない。
あいつもそのツレも暴走族上がりで、得意なのは暴力と単車の運転だけ。
こうして隠れ家を用意してくれたのは、奇跡に近いレベルの気の回し方だ。
まぁ、得意分野の少なさに関しては、俺もアイツらをどうこう言えない。
どうにもならんから、江戸川の近くとしかわからん場所にあるカビくさいアパートの一室で、ただウダウダと寝るか飲むかしかない毎日を送っている。
「社長は無事だろうが……あそこで何人捕まったんだ」
半分ほど残った湯呑みを乾して、長い溜息を吐く。
妙なガキが、『HST総合管理』の事務所にカチコミをかけてきた、あの日。
俺は用心棒としてラクな作業をこなすつもりが、ものの見事に敗北した。
腕力も体格もコチラが上だし、戦闘経験だって桁が違ってるハズ。
なのに俺はあの高校生に翻弄され、みっともなく気絶させられて――
「目が覚めたら、何もかもが終わりってな。何だそりゃ」
あのガキも門崎の娘たちも消えていて、門崎もどこかにバックレていた。
木下とその舎弟は、生きてんだか死んでんだかの状態で転がってて。
HSTの社員たちは、どいつもこいつも半死半生の有様で、アチコチで引っくり返っている。
バスルームで見つけた血塗れの貞包は、起こしても半狂乱になっていて話が通じない。
どうにか落ち着かせても「早く逃げろ」「ここはマズい」「もう終わりだ」を繰り返すばっかりで、やっぱり話にならん。
「そんでも一緒に逃げるべき、だったのか……?」
空の湯呑みに焼酎を注ぎながら自問するが、答えは出てこない。
俺よりも重傷に見えた貞包は、アチコチに血痕を散らしながら荷物をまとめると、「お前も早く逃げろ」とだけ言い残して姿を晦ませた。
それを呆然と見送った後、痛む足を引きずりながらあの場を逃げて車を出し、何度か使ったことのある怪しげな病院で治療を受ける。
金さえ払えば何も聞かずに診てくれるんで、死にかけたヤツを何度か運んだことがあったが、まさか自分が世話になるとは――
『ピン、ピピピピンピン、ピンポーン』
フザケたチャイムの音で、回想は寸断される。
このリズムは、リュータと打ち合わせしておいた仲間の合図だ。
覗き窓から一応確認すると、見覚えのある顔が見えた。
チェーンを外して鍵を開け、ドアを開くと季節を無視した革ジャンの男が現れる。
こいつは確か、リュータの下についてる衣川、だったか。
飲食物の詰まったコンビニの袋を差し出しながら、半笑いの衣川が訊いてくる。
「ウィッス……どうすか、調子は」
「いいワケねぇだろ。傷は痛むし、外には出られない。いつまでココにいろってんだ」
「ま、もうすぐっすよ。もうすぐ。リュータさんが色々と動いて話つけてんで、来週には自由の身っすわ」
「ふん……で、他のHSTの連中はどうなった」
自分のことで手一杯だったんで、あの場からは一人も連れ出せなかった。
緊急事態だと判断して、勝手に逃げてくれてればいいのだが。
「あー、ウチら以外は軒並みアウトっすね。社長は無事にフケたっぽいすけど、森内さんも他の人らも、全員引っ張られたみたいで」
「ぬぅ……そういや、この件が全然ニュースにならんのは、どういうこった?」
「さぁ、わかんねっす。木下さんも逮捕されたみたいだし、そのへんの裏取引とかあるんすかね、ヤクザとポリの」
「洪知会なら、ありそうだけどよぉ……」
そこまで法の外にある存在だと、そこを相手に下手こいた貞包は本当にヤバそうだ。
ついでに、その貞包と常に行動を共にしていたせいで、忠臣だと思われてる可能性が高い俺もヤバい。
金払いの良さに釣られて、ズルズルと用心棒を続けた結果がこのザマだ。
逃げてから二日、自宅マンションに籠もっていたが、リュータから警告の電話を受けて慌てて移動し、今はここで次の展開待ちをしている。
「ま、アレっすわ。リュータさんが言うには、洪知会とは反目のとこ……えぇと、泗水会っすか? 香港だか中国だかと関係ある、あっこ。あの傘下の団体に預かってもらう、みたいな流れとか何とか」
「そんな話になってるのか。つうとアレか? 俺もヤクザになんのか」
「どっすかね……詳しいことわかんねっすけど、沈んだり埋まったりよりはマシって思うしかないっすわ、もう」
「そりゃあ、そうかもしれんがなぁ……」
投げ遣りな衣川の口ぶりに、若干イラッとするが苦笑に紛らわせる。
ここでキレてもどうにもならないし、見捨てられればそこでおしまいだ。
しかし、上手いこと深入りを避けていたつもりだったのに、とうとうヤクザか。
裏社会と関わりながら生きるってのは、やっぱりロクなことにならんな。
「ま、近い内に……上手くすりゃ今日にも、迎えが来るっすから。いつでも出られるように、準備をヨロシクっす」
「荷物もないし、三秒後でも問題ねぇよ」
「ハハハ……んじゃま、もうちょいの我慢っすよ。黙ってココからバックレるとか、マジ勘弁っすよ」
「わかってるって。じゃあ、リュータによろしくな」
衣川が出て行ったドアを眺めながら、改めて自分のこの先を考える。
ヤクザの生活は華々しい印象だが、下っ端になると奴隷と同じだ。
ひたすら上からカネを要求され、それを納めるために無茶な商いを余儀なくされ、当然トラブって刑務所行きに、ってのが標準的な未来予想図。
そんなルートを回避するだけの才覚は、たぶん俺にはない。
アホではないと思いたいが、人より優れていると断言できるのは暴力だけ。
「いや、それも大したことないか……」
クソガキに惨敗する程度の腕っぷしなんて、自慢のしようがない。
役に立たないウドの大木には、ヤクザ程度がお似合いかもしれん。
無限に湧き上がる自嘲にウンザリしながら、焼酎を追加して黙々と血中アルコール濃度を高めていく。
衣川の差し入れもあるし、今日はそれをツマミに酔い潰れて寝てしまおう――