第67話 「残りは一発だ……好きに使え」
開けたままのドアから駆け込んできたのは、上の『劇場』からいつの間にかバックレていた傷面男と、初めて見る黒いスーツが二人。
無警戒に突っ込んできた黒服は、鼻が潰れた方は黒っぽい木刀、眉のない坊主頭の方は何かの瓶を手にしている。
それに続いた傷面男は、小型の拳銃を握っているようだ。
俺は入口脇の壁際に貼り付き、三人をやり過ごした後で傷面男の背後に回り、首筋に短刀を添えた。
「武器を捨てろ。両手は頭の上だ」
前にもこんなんやったな、と思いつつアメリカンポリスめいた警告をするが、三人の闖入者は動かない。
傷面男が動けないのはわかるが、黒服コンビはどうするべきか判断できないようで、俺と上司と力生の間で視線を移動させまくる。
短い膠着状態を破ったのは、拳銃が床に落ちる音だった。
ワルサーPPKに似ているが微妙に違う――ルーマニアのカルパティだろうか。
変な銃ばっかり使ってるな、と思いつつ蹴り上げて空中でキャッチして回収。
「クソが!」
「チッ……」
無言のまま目顔で諭す傷面男に従って、潰れ鼻は毒吐きながら木刀を投げ、眉ナシは舌打ちして瓶を置く。
よくよく見れば、瓶の口に捻じ込まれた布には火が点いている。
屋内で火炎瓶を持ち出してくるとは、脅しに使うにしても頭が悪いというか、頭がオカシいというか。
「てっきり逃げたかと思ったが、ワザワザ戻ってくるとは御苦労さん」
「……会長は無事か」
「無事じゃないが、まだ生きてるぞ。残念ながら」
俺の言葉を聞きながら、傷面男は白目を剥いて転がっている力生を見据える。
その顔付きからして、どうやらコイツも沼端らと同じく、複雑な事情を抱えながら手下をやっているようだ。
他の二人は単純に金で雇われているだけのようで、ボロボロの力生よりも異様な室内に気を取られていた。
「もう終わりにしないか? アンタらがどんだけ忠誠を尽くしても、待ってるのは最悪の結果だ」
「クッ……最悪の状況に追い込んだのは、テメェだろうが」
「おいおい、今はまだ途中でしかないんだが。そして、ココから何がどうなろうと、お前らが辿り着くのは行き止まりで確定だ……たとえ俺を殺しても」
そう告げて刃を首から離せば、傷面男は間合いを取って訝しげに俺を睨む。
自分らが詰んでいるのが、どうも本気で理解できてないらしい。
「あのなぁ……ちょっとは頭を使え。想像力に仕事させろ。いいか? 自分が力生の立場だったとして、だ。変なガキを相手に揃ってボロ負けして、オマケに主人の安全も守れなかった無能な護衛をどうする? 説教や減俸で終わるか? クビにしておしまいか?」
そこまで言うと、黒服たちの雰囲気があからさまに変わった。
もしかすると以前に、高遠が受けていたような過剰な処罰を目撃しているのかもしれない。
傷面男はより深刻な事態を想像したのか、コチラに聴こえるほど動悸が早く大きくなる。
力生のようなヤツは、自分に屈辱を与えた相手は勿論、その原因を作った相手も許さない――いや、許せない。
「ぷぶっ、ほぁあぅ……グフッ、オボッ――ェブンッ!」
その力生が、意識を回復して派手に咳込む。
話の流れを読んだらしい桐子が、倒れた力生の背中を蹴りまくって強制的に覚醒させた結果だ。
しばらく焦点の合わない目でアチコチを見回した後、見覚えのある手下の姿を認めた力生は、途端に凶相に転じて吼える。
「ごっ、殺っせぇええええええっ! そのガキぃいいい、今すぐっ! ブッ殺ぉおおおおおおおおおっ!」
咽喉に溜まっているのであろう血が、力生の言葉をデス声に変換する。
潰れ鼻と眉ナシはビクッと肩を跳ね上げ、捨てた武器を拾うかどうか迷う素振りだ。
傷面男は、赤い唾を飛ばして怒鳴り散らす力生を、力生以上に凄味のある顔で凝視していた。
俺の言葉が深々と刺さり、「この後」について考えているのだろう。
「俺を殺したら、特別ボーナスでも出してやるのか?」
「あぁるがぁあっ、ぞんなんっ! こぉの役立たず共ぁ、気合の入れ直しに決まっどろぉがっ!」
「ほうほう……ココで俺をブッ殺せば、お前らには半殺しか皆殺しの御褒美が待ってるらしいぞ? やったね!」
朗らかに言い放てば、三人はギャグマンガでしか見ないタイプの顔で固まる。
力生の背後に控えている桐子は、TV通販の驚き役みたいなポーズをカマしていた。
ここに来てだいぶ素の性格が出ているが、力生の方も丸出しになっているようだ。
度重なる頭部の強打のせいか、喋りが覚束なくなっている力生は、舌を噛みながら命令を喚く。
「グゥズグズ、ししっ、どるなぁっ! やぁるんだっ、殺ぶるぅぇえぺっ! 早くせんと、おぉ前らがらっぷぁ、がぅ!」
キレすぎている力生は、単純な嘘で手下を丸め込む余裕すら失っていた。
後々で処罰や処刑を考えているにしても、今それをバラすのは悪手にも限度がある。
我慢とか配慮とかと無縁の生活を長年続けた結果、感情のブレーキってのが機能してないらしい。
強張った表情のまま動かず、未知の珍獣に向ける目で雇い主を観察している三人の背中を押すべく、俺はテンション高めに質問を投げる。
「ホラ、早くしないと俺より先にお前らを殺すってさ……で、どうするんだ?」
「どう、って……」
「どうオチをつけるのか、って話だよ。俺とやるか、諦めて逃げるか、それ以外か」
短刀を鞘に納め、替わりにさっき奪取したカルパティを構える。
左右に揺れる銃口を目で追いながら、眉ナシが質問を搾り出した。
「……それ以外ってのぁ、何だ」
「おいおい、引き算すらできんのか。ここにいるのは俺ら二人と、お前ら三人と、あとは誰だ?」
考えている、想像している――自分らに出来るのか、やった後にどうするのか。
しかし、こういうのは考えてしまったら、そこで終わりだ。
修羅場でテンパって、頭に血が上っている時に「生き残り」を考えたら十中八九、最短距離のラクな道を選ぶ。
「……やる、しかない」
傷面男の重々しい声の決断に、他の二人は戸惑いながらも頷く。
三人の視線は、俺ではなく力生の姿を捉えている。
異様な空気が漲りつつあるが、力生はそれを察知できずにガーギャーがなっていた。
コイツはコイツで、命の危険を面前にして頭の性能がガタ落ちのようだ。
「見届けるまでもない、か」
俺は呼吸が荒くなっている三人の横を抜け、虎皮で包んだ荷物を担ぐ。
トランクを提げた桐子が、問題ないと言うようにフッと目を細める。
力生はコチラに血や汁に塗れた手を伸ばしてくるが、それを躱して背を向けた。
入口の方に戻っていくと、三人は何か言いたげな様子を全開にしている。
しかし、励ましの言葉も慰めの言葉も、くれてやる気になれない。
桐子を先に行かせてから室内を振り返り、しつこく喚いているカスの名を呼んだ。
「……雪枩力生」
「まっ、待ぁてっぇ、ゴゥルァ!」
「お前はもう終わりだが、終わり方を選ばせてやる」
「ななっ、なばっ――あぁ!?」
ザスタバの方を抜き出し、サイドスローで力生に放り投げる。
空中を回転しながら飛んだ拳銃は、狙い通り目標の手前に着地した。
何をパスしたかを理解した傷面男が、唖然としながら見てくるのをスルーし、使用上の注意を告げておく。
「残りは一発だ……好きに使え」
そう言い残して身を翻し、桐子を追い越しながら小走りで保管庫を離れる。
処刑場に繋がる通路で目にした、格子のシャッターが消えていた。
照明のついた通路の先には、上階に通じているであろう螺旋階段が。
劇場から来た時のリフトは、下りだけの一方通行な可能性もある。
なので、あの三人が使ったであろう階段で地下を脱するのを選ぶ。
「……銃声、聴こえなかったね」
長い階段の途中で、桐子がポツリと言った。
足を止めた俺はポケットに手を突っ込み、指先に挟んだモノを桐子の鼻先に突き出す。
「残りの一発が装填されてるとは言ってない」
「あっ……そうかぁ、そういうこと……」
「自分に向けたか相手に向けたか……どっちにしても、銃爪を引いても弾が出ないと悟った瞬間は、アイツの芸術ゴッコの産物のどれよりも芸術品だったハズだ」
「ホントにイイ性格してるね、薮上君」
「環境に恵まれてるからな」
言いながら弾丸を手放せば、カンコンと鳴らしながら階段を転がり落ちる。
どこかで空中に飛び出したか、数秒の間を置いてから金属音が小さく響いた。
再び上り始めると、程なくして何もない小部屋のような場所へと到着。
開いたままのスライドドアの先を窺うと、雑多な物が詰め込まれた倉庫になっている。
あの地下施設の存在は一部の人間しか知らず、この階段も隠されていて非常時にしか使われないのだろう。
「警備は……いないな」
「どうする?」
「とりあえず駐車場まで行こう。鍵はなくても、まぁどうにかなる」
この時代の車ならな、というのを飲み込みながら倉庫の外を確認。
どこだかわからんが、屋敷の見え方からして、大体の位置は想像がついた。
屋内から発せられる怒声や警報音などを聞き流しながら進めば、想定通りに駐車場が見えてくる。
しかし、ヒヨコっぽい頭のおっさんが待ち構えているのは想定外だ。
「ヒザが終わってんのに無理すんな、おっさん」
「終わらせた本人が、言うんじゃねぇ……ホラ」
脂汗がダラダラな沼端が、何かをヒョイと投げてくる。
俺まで届かずコンクリの地面に跳ねたのは、茶色い革製のキーホルダーだ。
「奥に、悪趣味な色のポルシェのカブリオレがある……乗り回してるのが大輔だと知られてるから、轢き逃げでもしなけりゃ警察も止めん」
「腐ってやがんなぁ……ともあれ、助かる」
「運転、できるか」
「半年ぶりくらいだが、まぁ大丈夫だ」
「半年前は中学生じゃないの」
桐子からのツッコミを曖昧な笑顔で誤魔化し、鍵を拾って車に向かう。
南米のカエルみたいなカラーリングに怯みつつ、左のドアを開いて荷物を座席の後ろに放り、桐子が乗り込むのを待ってエンジンを始動。
沼端を拾っていくべきかな、とも考えたが「サッサと行け」という感じのジェスチャーをしているので、構わず置いていくことに。
「こういうドタバタも、いずれ一初夏の思い出になるのかね」
「知らない日本語だ……というか、ドタバタで済ましていいの? これ」
苦笑いしながら、疲れた表情の桐子が返してくる。
全部が終わった気がしているが、桐子はここからが始まりだな。
瑠佳と汐璃を救出した時のことを思い出しつつ、「終わったら電話して」と言われていたのも思い出す。
反射的にポケットに手を伸ばしたが、そこにはスマホではなく東欧製の拳銃が。
そろそろ不便さに慣れないとな、と自戒しつつ警備員の消えたゲートを抜け、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
第2章は今回で終了となります。




