第61話 「心配いらん、半生程度には仕上げてある」
傷面男が、自棄になって仕掛けてくるのを警戒する。
だが、立ち塞がっても瞬時に排除されるのを悟ったか、素直に道を空けた。
いや、ゴリゴリにガンを垂れているので、素直とは言い切れない。
「ぬぅああぁ、××××んんっ! てんめぇだけぁ××××っ! ××××だらぁ! ××××××××ぉあああああぁん!? ××ってんのかゴルァ!」
「いいからっ! とりあえず落ち着けっ!」
大輔は半ば聞き取り不能の雑言をフルボリュームで垂れ流しているが、百軒がキレながら羽交い絞めにしているので、コチラに突撃してくる心配はないだろう。
そして沼端の様子を見れば、ジャケットを脱いで煙草を燻らせている。
「劇場内は禁煙だろ、オッサン」
「そんな上等な場所じゃない……構わんさ」
ステージへの階段を上りながら言えば、ダルそうな声で応じてくる。
グレーのTシャツに黒のスラックス、足元はたぶんデッキシューズ。
そんな普通な恰好の沼端だが、筋肉の盛り上がりは中々にエグい。
初対面の時点でそんな気はしていたが、コイツは本格的な鍛え方をしている。
ボディビルダーとは違う、殴って、蹴って、投げて、締める――闘うための筋肉だ。
「ルールは?」
「特にない。しょっぱい展開になっても、アチラの機嫌を損ねるってだけだ」
答えながら、力生らがいる桟敷の方へアゴをしゃくる沼端。
薄々感じていたが、どうもこのオッサンは忠誠心が低いようだ。
説得で戦闘を回避できそうな雰囲気もあるが、桐子のように人質かそれに類するものを押さえられているようにも思える。
「アンタは雪枩の手下か? それとも金で雇われた用心棒?」
「どちらでもない……が、何にしても今、ここでお前とやり合うのは確定だ」
「ルール無用の残虐ファイトで、か」
「気に入らんなら、二つ三つならルールを呑んでやるぞ。金的、目潰し、噛みつき禁止にでもしておくか」
「……なら道具の使用はナシ、ってことで」
言いながら、手放した六角棒をステージ下に蹴落とし、ハンマーを背後に投げる。
沼端も、尻ポケットに入れてあったらしい、金属製の何かをヒョイと投げ捨てた。
遠くてよくわからないが、折り畳みナイフか寸鉄あたりだろうか。
相手が何をしてくるかわからない状況で、下手に武器に頼るのは危険だ。
そんな考えからの提案だったが、目的以上の収穫が得られたのは運がいい。
「面倒だが、そろそろ始めるか」
「安心しろ、オッサン……すぐに終わる」
軽く挑発してみるが、沼端は少し目を細めるだけで反応が薄い。
そんな表情をしていると、ますます生まれたてのヒヨコみたいだ。
ムハーッと思い切り煙を噴き出し、指の間からセブンスターを無造作に落とす。
それから、当然のように靴底で踏み躙る。
いくら何でも雑過ぎるだろ――と呆れる俺の視界から沼端の姿が消えた。
「――ォラァ!」
予想通りの展開に、思わず勝利の雄叫び的な声が出た。
相手が提案してきた禁止事項は、どれも大体の格闘技で禁じ手となっている。
ただ、それを三点セットでまとめて出されると、まず連想するのは総合格闘技だ。
ともあれ、沼端がその方面の出身である可能性は高まった。
そして案の定、低い体勢から飛び込んでくるタックルが繰り出される。
普通に切ってもいいが、たぶん俺が対抗してくるとは考えてないだろう。
それなら、カウンターも綺麗に決まってくれるに違いない。
そう判断した俺は、下がって潰しにかかるセオリーを無視し、前に出て沼端の顔面に膝を合わせていく。
「ぐぅ、ふっ――」
ゴンッ、と人体からあまり出ないタイプの音が響き、低い呻き声が続く。
顔の中心にクリーンヒットするタイミングだと思ったが、寸前にズラされて額に当てる流れになったらしい。
膝に結構な衝撃が残ったけれど、沼端には会心の一撃が入っているハズ。
沼端が仰向けに倒れた想定で、追撃をかけようとするが――
「おっ、たっ――ぼぁっ!」
沼端はダウンせず、僅かに動きを止めただけで反撃に転じてきた。
逆に不意を衝かれる形になり、左、右、左と連続で放たれるフックに対処させられるハメに。
洗練からは遠い大振りだが、速さと重さは只事ではない。
まともに食らえば、一発KOも十分にあり得る破壊力だろう。
三発目を肩に受け、床に転がされた俺が言うのだから、信憑性はパーフェクトだ。
「軽いんだ、お前」
諭すように言いながら、転がった俺に跨ってマウントを取る沼端。
筋力と体重が足りてない自覚はあったが、痛打をカマした相手から指摘されるのは、中々に心理的ダメージがデカい。
見下ろしてくる顔は妙に歪んでいるが、笑っているのではなく痛みを堪えているのだろう。
膝を叩き付けた右眉の上あたりが、不気味にボッコリと膨らんできている。
「前歯全部折れたら、終わりにしてやる」
「そいつぁお優しいこったっ!」
沼端の宣告に怒鳴り返すと、矢継ぎ早にパウンドが落ちてくる。
両腕でガードを固めて直撃を防ぐが、四発目ぐらいで早くも限界に思えてきた。
喧しく警報を鳴らしてくる痛覚に溺れかけながら、反撃の方法を検討。
流しきれなかった五発目が左耳あたりに結構な勢いで入り、視界の半ばが白に染まった。
「んまっ、がっ――」
どうにか耐えた、意識は飛んでない。
強めの耳鳴りがあるが、まだ大丈夫。
「らぁあああああああっ!」
六発目を落とそうと前のめりになった、沼端の鼻を狙って頭をカチ上げる。
しかし、予備動作が大きすぎたか気合の怒声で察知されたか、スイッと身を引いて躱されてしまう。
ここからどうする?
密着しての噛みつき?
腕を取って関節を極める?
どちらも失敗の予感しかしない。
ならば回避で体を浮かせたことで、胴締めが緩んだのを利用するとか――
とはいえ俺の現状で、二十キロ以上の体重差をハネ返せるだろうか。
ここでしくじれば次はない、ってこともないが不利な状況はだいぶ悪化する。
動かなければガードを崩され、歯を十本くらい失った後で何もかも失う。
分の悪い賭けでも、ここはやるしかないし、やるなら今しかない。
「ふぎゅっ!」
食い縛った歯の間から、ややマヌケな声が漏れた。
半端に浮いた腰をブリッジで更に持ち上げ、沼端を巻き込みつつ体を捻る。
そのままポジションを交換できるのが理想だったが、そう上手くもいかない。
イレギュラーな展開に流されるのを嫌ったらしい沼端は、足裏で俺の腹を押すように蹴飛ばし、組み合った状態を一旦バラしにかかった。
「……どうして知ってる」
お互いに立ち上がり距離を取っていると、何気ない調子でそんな質問が。
抜けている主語は「総合での闘い方を」だろうか。
遠洋漁業に強制従事させられてた数年間、各種格闘技をミックスした胡乱な戦法を駆使する、チャクラという男のスパーリング相手を続けていた。
だからもう、知っているというか染み付いているレベルだ。
「むしろ、これしか知らん」
俺の返事を聞いて、沼端が味わい深い表情を見せた。
困っているような、悩んでいるような、何とも言えない渋面だ。
今は格闘技ブームが始まりつつある時期っぽいが、たぶんあの一族が脚光を浴びる少し前。
なのに、総合の動きを理解している高校生がいるってのは、沼端にしてみたら意味不明にも程があるかもしれない。
「生兵法は大ケガの元だぞ」
「心配いらん、半生程度には仕上げてある」
警告をスルーすると同時に、沼端の纏った雰囲気が一変。
ヒヨコから猛禽へと切り替わり、ジリジリと間合いを詰めてきた。
スタンディングでもグラウンドでも、正面からぶつかるのは圧倒的に不利だ。
ここからの組み立てを考えながら、踏み込んでいくタイミングを図る――




