第58話 「そういやコレ、買ってから人しか殴ってないな」
ここまで追い詰めたら、最後は大技でのKOをキメたい。
そんな欲求がチラついたのを、俺が見逃してやるハズもなく。
コチラに背を向けた瞬間、何をしてくるかの予想は確信に変わった。
跳び後ろ回し蹴り――素早く右回転したハゲの体が浮き、腰の捻りで右脚が猛然と繰り出される。
「ヌゥンッ!」
「だよなっ!」
距離を測って俺を見据えるハゲと視線を合わせながら、右手を首から離す。
ド派手な攻撃だが、当然ながらモーションが大きい――使える場面はかなり限定されるだろう。
だが相手が完全に隙だらけなら、コイツで勝負を終わらせたくなる気持ちはわかる。
とはいえ終わらせられる側としては、黙って衝撃を待つのは御免被りたいワケで。
「んごぁ――」
中型の蛙を噛み潰したような声が発せられ、人体が床に衝突する音が響く。
倒れたのは俺ではなく、ハンマーの釘抜きが脹脛に突き刺さったハゲだ。
右ポケットに忍ばせたコイツを握り、飛んでくる蹴りに合わせて振り抜いてやった。
全く予想外の反撃、というか何が起きたのか把握していないらしく、ハゲはキョトンとした顔でアチコチ見回している。
「なっ、なっ――なぬぅ?」
「なぬー、じゃねえんだわ」
右脚からハンマーを引き抜くと、バックハンドでアッパー気味にアゴを弾く。
脳を激しく揺らされたハゲは、両目の瞳を消すと今度は顔面から床に衝突した。
血の滴るハンマーを縦に素振りすれば、板の間に赤い水玉が列を作る。
「あ……『劇場』ってのがどこだか、訊くの忘れた」
いかにも金持ちっぽい道楽で作った、シアタールームみたいなモンだろうか。
何にせよ、どうせそこら中に使用人がいるだろうし、誰かに訊けば済むな。
そう思考を切り替えつつ、モゾモゾ蠕動しているドニと、ピクリとも動かないハゲを眺める。
二人とも戦意喪失しているだろうが、死兵となって挑んでくる可能性がなくもない。
「もうちょい念入りに、戦闘力を奪っとくか……」
小声で呟き、どんな手段を選ぼうかと考える。
死にはしないが、まともに動けなくなる方法がいい。
そんなことを考えつつドニの方へと近付けば、ポケットの中でチャラチャラと金属音が鳴った。
そして手には、誂え向きのアイテムが――ここはコイツらの出番かな。
「そういやコレ、買ってから人しか殴ってないな」
というワケで、金槌としてのアイデンティティを回復してやるため、釘を打つ機能を初めて使用する。
打ち込もうとしている場所に、若干の問題があるような気もするが。
俯せで蠢くドニを引っくり返し、革靴の上に釘先を宛てがうと、間髪を入れずにハンマーの打面を振り下ろす。
「ヒッ――ノォオオオオォッン! オオォオオォオオォッ!」
聞くに堪えない悲鳴を聞き流し、ドニの両足の甲に二本ずつを打ち込む。
足の裏を貫通し、文字通り床に釘づけにしておいたので、流石に次はないだろう。
ハゲにも同じ非人道的なDIYを急いで施し、赤く湿ったハンマーを黒スーツで拭ってからポケットに収納する。
「さて……リーチのある武器がいるかな」
手持ちの凶器では、日本刀を相手にするには相性が悪い。
それに、アーチェリー女の存在も気になる。
練武場を見回してみると、使えそうなものがいくつか確認できた。
達筆すぎて読めない三文字が書かれた扁額の下に、長さのマチマチな何本かの木刀が飾られるように壁に並んでいる。
その近くには、鍛錬に使われているであろう金属製の六角棒が。
「片手だと厳しいが、まぁイケるか」
六角棒を振り回し、重量感や使い勝手を確かめてみる。
長さはたぶん三尺(90センチ前後)サイズで、太さは木刀と同程度。
重さは4キロ近いようだが、長時間の連続使用でなければ問題ない。
グリップ部分は丸く加工され革紐が巻いてあり、スッポ抜ける危険は少なそうだ。
これならば、日本刀が相手でも打ち負ける心配もない。
「まさか斬鉄剣ってこともないだろうしな」
そんなフザケた性能の刀だったとしても、あのオッサンには扱えないハズだ。
俺は六角棒を引きずりながら、喚いたり呻いたりしている二人を残して練武場を出た。
力生たちが出て行ったのがコッチだから、方向的には合っているだろう。
無駄に広い屋敷だと、移動するのも一苦労になるな。
ガリガリ、ゴリゴリと廊下を削って歩いていると、その音に反応したのかドアが開く。
顔を出した二十歳前後の女性は、俺のことを上から下まで二往復眺めた後で固まった。
太い三つ編みを一本にまとめていて、手には何冊かのバインダーを抱えている。
槍使いや弓使いと同じタイプの和装だったので、反射的に攻撃態勢に入るが――
「ヒッ!? あっ、えんっ――なななん何ですっ!?」
三つ編みはだいぶ混乱しているようで、バインダーをボロボロと落とした後、ドアを半端に開けたり閉めたりしながら、わたわたと奇怪な動きを見せる。
無害さを擬態してからの奇襲、みたいな展開もあり得なくないだろうが、それにしては殺気が伝わってこない。
戦闘員と従業員に共通の女性用制服なんだろうか、この変な和服が。
「俺は見ての通り客だよ、客。劇場まで来いって言われてんだけど、どこなんだ?」
「こっ、こここここを真っ直ぐ行って……みぐっ、右に曲がったつき突き当たりの、階段をししし下……ですがぁ」
見ての通りだと、顔や手に少々返り血を浴びて、凶器を手に徘徊している不審者だ。
だが三つ編みは身の危険を察したのか、或いは危機感が元々ないのか、混乱しつつも躊躇うことはなく質問に答えてくれた。
「そうか……今日はきっと、もう仕事にならない。早退した方がいい」
お礼の代わりにアドバイスを告げ、ドアを閉めてから下りの階段を目指す。
屋内を警備の人間がウロウロしてるのを予想していたが、さっきの三つ編みの他には誰とも会わなかった。
思ったよりセキュリティ意識が緩い――というか、侵入への防備をガチガチに固めているから、その先は必要ないと考えているのかも。
何にせよ、無駄な戦闘で体力を使わされないで済むのは助かる。
真っ直ぐ行って右に曲がって突き当たり、と言われた通りのコースを進むと、階下に続く階段へと辿り着いた。
不気味に薄暗かったりすることもなく、白々と蛍光灯に照らされている。
耳を澄ませば、複数の人間が騒いでいるような声が聞こえた。
宴会でもしながら、ボコボコの俺がデリバリーされるのを待っているのか。
油断しているのなら、室内に踊り込むと同時に六角棒をブン回す、雑な奇襲も有効的かもしれない。
『キャハハハハハッ、やだぁ――』
静かに長い階段を降りていくと、若い女の嬌声が漏れてきた。
弓使いの女はこんな感じで笑いそうもないから、新キャラが投入されているのか。
映画館の出入口に似た両開きの扉に耳をつけ、中の様子を窺うがどうなっているのかは判別不能。
随分と賑やかな雰囲気ではあるが、雪枩力生という男はこんなノリを好むだろうか。
「スカしてるけど実は下品、ってのはありそうだが」
セクキャバ的な店でハシャいでいる力生を想像し、軽く笑いが込み上げる。
それを噛み潰し、扉を蹴破りつつ中に突入できるかを検討するが、重すぎて無理との結論が出た。
仕方ないので、逆に待ち伏せ攻撃を受けないよう、屈んだ姿勢でゆっくりと扉を開けていくと――
『こんなのさぁ、みんなやってるから。ユンケルの高いのと一緒だよォ、ホーント』
矢だのナイフだのが飛んでくることもなく、ただ賑やかな音が出迎えられる。
そう、聞こえていたのは『声』ではなく、スピーカーからの『音』。
地下とは思えない天井の高さがある空間、その一方に掛かった大きなスクリーン。
そこには、異様なテンションの男女数人が映し出されていた。
半裸もいれば全裸もいて、酩酊してフラついていたり、タバコではなさそうな煙を吐いていたりと、わかりやすい乱痴気騒ぎのクライマックスだ。
カメラがアゴ髭で白フレーム眼鏡の男にフォーカスし、丸めたドル札で白い粉のラインを吸い込む様子がアップになる。
どこかで見覚えがある気がするが、コイツは誰だっけか。
この髭メガネにしつこく促されて、だいぶ酔っ払って声がデカくなっている、まだ少女というべき年代の女が、さっきよりも細く仕上げた粉のラインの前に座る。
こっちも見覚えが、というかコレは誰もが知っている、あの――




