第56話 「痛むのは片腹だけだわ」
次の行動に迷っていると、沼端が俺を一瞥してから、練武場へと入っていく。
「わざわざ連れて来て、不意討ち騙し討ちってなぁ如何なもんかと」
「あの程度を退けられんなら、儂の前に立つ資格がない」
沼端に応じる男の声は、威厳があるというか迫力があるというか、己の力を微塵も疑っていないヤツに特有の自信に満ちていた。
おそらく、コイツが全ての元凶――雪枩力生だ。
とりあえず、その面を拝んでやりたい気分だが、ここでイヤな事実に気付く。
開けた扉の先から、魚屋の店先にも似た血腥さが漂っている。
「あーあー……まだガキでしょうに、ここまでせんでも」
「誰であろうと、儂の命に背いたからには、それなりの咎めを与えねばな」
老人でもないのに、一人称がワシの人間と遭遇するのは久々だ。
それはさて措き、聞こえてくる力生の言葉には、やはりブレがまるでない。
誰かに命令することも、誰かを罰することも、当然の権利だと思っている。
会話の一つも交わしていないが、俺はもう既に力生への嫌悪を募らせていた。
あの大輔の父親なのだから、好感の持てる人物であるハズもなかったが。
「姿を見せろ、薮上荊斗」
力生から、フルネームで名指しされた。
色々と調べられて、コチラの情報を把握されているとわかってはいる。
とはいえ、偉そうに呼び付けられるのは、気分のいいものではない。
やっぱりムカつくな、との思いを新たにしながら、建物の中へと踏み込む。
五十畳くらいの広さがある屋内は、板張りの床と装飾のない壁に囲まれていた。
奥の壁にも出入口があり、開け放たれた扉の前に数人の姿が見える。
「ふん……お前がそうか」
剣道着に似た和装の男――力生が、つまらなそうに言い捨てた。
見た感じ四十過ぎくらいで、伸ばした黒髪を後ろで括っている。
身長は百七十台の後半、それなりに鍛えているが少し腹が出ているな。
顔立ちは息子と重なるものの、表情に険がありすぎて言われないとわからない。
どれだけロクでもない人生を送れば、こんな『凶相』に成り果てるのか。
右手にはギラついた白銀の刀が握られ、刃先からは濁った何かが滴る。
「だいぶ、好き勝手やってくれたそうだな」
「アンタのやりたい放題には敵わない」
半笑いで言うと、力生の左右に侍っている黒スーツがピクッと反応する。
指示もないのに行動に移らない辺り、番犬として躾はできているようだ。
どちらもデカく、「得意科目は暴力です」と問わず語りしてくる佇まい。
左は昔のバスケ選手みたいな髪型の、角ばって薄いサングラスをしたアフリカ系。
右がテカテカのスキンヘッドで、丸くて濃いサングラスを着用しているアジア系。
そんな三人の陰に隠れるように、小柄な若い女がいる。
服装も含めた雰囲気が、さっきダウンさせた槍使い似ている気がした。
手にしているのは、和弓ではなく妙にゴテゴテした印象の弓だ。
アーチェリーなんかで使うタイプ、なのだろうか。
そして、力生の前では見覚えのある男が蹲っている。
血の臭いから、何が進行しているのかは大体予想していたが――
「おやまぁ……随分と趣味のいいことで」
「人の話をまともに聞けんのだ。これは要らんだろう」
「んぉおんんんんぶぅ――んんぉんんぐぅんんっ!」
両手両足を縛られた高遠の叫びは、猿轡で封じられて解析不能だ。
逃げずに戻ったら、こうなることはわかっていただろうに。
力生はそんな高遠の右耳を摘み、手にした刀で根元からスパッと切り取った。
「んんんんんんんんんんんんんっ!」
生々しい肉色の断面から赤い粒が湧き、それがいくつもの雫となって頬から首を流れて肩に落ちる。
同じことは既に左耳でも行われていて、高遠の半身を禍々しい迷彩色へと染め変えていた。
「ほら、これはお前にやる」
「いらんわボケ」
ヒョイと投げられた右耳は、左に一歩ズレて避ける。
高遠は苦しげに呻きながら、床に転がる自分の一部に悲しげな瞳を向けていた。
「お前がここに来た責任をとって、このガキは罰を受けている……胸が痛まんか」
「痛むのは片腹だけだわ。そんなことより、息子の尻穴の痛みを心配してやれ」
力生の妄言に軽口を返すと、纏っている気配がフッと切り替わる。
大物然とした余裕のある雰囲気から、いつでも斬り込める臨戦態勢へと一瞬で。
この変化の速さは、ヤクザのそれと通じるものがある――というかほぼ同一だ。
商売的にも精神的にも、コイツは裏稼業に軸足を置いているに違いない。
「あいつは少しばかり、甘やかしてしまったかも知れんなぁ」
「そのせいで、噛み癖バリバリの座敷犬に育ってるぞ」
俺の言葉を無視し、力生は刀についた血を高遠の背で拭う。
「ただ、な……甘ったれでもボンクラでも、アレは雪枩家の一員であり、儂の息子でもある。それに手を出したからには……覚悟は出来ているのだろう?」
「勿論だ。お前らをブッ潰しに、ワザワザ来てやってる」
力生は笑いもしなければ怒り出しもせず、生温い眼差しを俺に向けてくる。
呆れと憐れみを主成分に、多少の興味を混ぜたような感じだろうか。
それこそ、チワワがティラノサウルスに噛みついてきた、くらいの気分で見ているのかもしれない。
逆らったり歯向かったりしてくる相手との遭遇が久々、ってのもありそうだが。
「予想よりトンパチだな……とりあえず、話ができるように大人しくさせろ」
力生が言うと、黒スーツの二人が頷いて俺との距離を詰めてくる。
「沼端、そこのゴミを片付けろ」
「ハイハイ……床の掃除は別料金ですぜ」
「そこまでは必要ない」
肩をすくめた沼端は、小声で呻き続けている高遠の襟首を掴み、引きずって練武場から去っていく。
「終わったら『劇場』まで連れてこい」
「オス」
「ウィー」
黒スーツ共が短く応じ、俺に熱のない視線を向けてくる。
刀を納めた力生は大股で出て行き、弓女はその後を小走りで追う。
俺も流れで退場できないかな、と思ってみたがそういうワケにはいかなそうだ。
「なぁドニ、大人しくさせるって、どの程度だ?」
「ワカンネー。イキテリャイイダロ」
丸グラサンのハゲに訊かれ、バスケ選手っぽい方が応じる。
ややイントネーションが独特だが、日常会話は通じるようだ。
名前がデニスのフランス読みだし、アメリカではなくヨーロッパ出身なのか。
そんなことを考えながら、ポケットから引っ張り出した革手袋を素早く装着。
貞包の事務所で見つけた品だが、何だか妙に手に馴染む。
「ムズいんだよなぁ、手加減」
「シンダラシンダデ、ショーガネー」
いかにもパワー系なセリフを吐きながら、二人はそれぞれに構える。
ハゲは流派は不明だが空手の類、ドニはボクシングらしい。
無駄にバラエティ感を出さずに統一してこい、と文句を言いたい気分だ。
どっちが先に来る、と左のドニと右のハゲの双方を素早く観察。
右だな――と判断すると同時に、トンッと床を蹴ってハゲが前に出た。
「秒で終わらせる」
カッコイイことを言いながら、軽く腰を落とすハゲ。
ここから殴ってくるか、蹴ってくるか。
その動きに合わせて対応するつもり、だったが――
「ハッ!」
ハゲは不意に宙を舞い、短く強く息を吐いた音を聞く。
デカい体が似合わない高さに浮いて、何事かと集中を乱された。
そこから半瞬後には畳まれた脚が蹴りの形となり、俺の顔面へと急迫する。




