第55話 「世間的には、俺だって子供だろ」
それから二十分ほど走ったゴルフは、目的地らしい場所へと辿り着いた。
鬱蒼とした森に一本道が作られ、その先に大きな和風の建物があるのが見える。
中学生の頃、自転車で目的もなくウロウロした末にココを発見して、「何だこりゃ」と困惑した覚えがある。
当時は寺か何かだと思っていたが、どうやら雪枩の屋敷だったらしい。
「逃げるなら、今が最後の最後のタイミングだが」
「クドいぞ、おっさん」
ヒヨコみたいなおっさんの言葉は、親切心からの忠告なのだろう。
しかし、力生と面会して、今回のゴタゴタの清算と桐子の解放を求めたい俺としては、ここで退場する理由がない。
にべもない返事で諦めたのか、森の入口に設置されたゲート手前で停車していたヒヨコは、小さく頭を振ってからアクセルを踏んだ。
「沼端さん、お疲れ様です……そちらは?」
いかにも警備員のような服装の初老の男が、ゲート脇の詰所からヒヨコに声を掛け、俺のいる後部座席を覗き込んでくる。
「例の、大輔さんと揉めた相手だ」
ヒヨコのおっさんこと沼端が答えると、警備員はスッと表情を消して俺から目を逸らした。
「あぁ……では、西の庭から練武場の方に」
「了解だ。百軒たちは、もう?」
「ええ。既にお戻りになってます」
警備員が言うと同時にゲートが開かれ、ゴルフはゆっくりと森の中の道を進む。
短い距離の間に複数の監視カメラがあり、道の端には車止めの柵が用意してあるのが確認できる。
防犯意識が高い――というか、襲撃を想定しての防備なのだろう。
壁に囲まれた敷地をグルッと大回りした先に、やはり警備員がいる車用の出入口が現れた。
ウチもまぁまぁ広いと思っていたが、雪枩邸はちょっと次元が違うようだ。
第二ゲートの警備員は、だいぶ屈強な印象のある三十前くらいの男。
ちょっと強面すぎる気がしなくもないが、ココから警戒レベルが上がるのを周知させる役目があるのかもしれない。
さっきと同じようなやり取りの後、俺たちを乗せた車は漸く壁の内部へと入り、スーパーカーから軽トラまでが雑多に並んだ屋根付きの駐車場に停まった。
「いちいち悪フザケみたいなデカさだな、ココんちは」
「名家とか旧家ってな、こういうもんだ……逃げなかったの、後悔してるか」
「だからクドいぞ、おっさん」
俺の言葉に苦笑いだけを返し、沼端はゴルフのキーを抜いた。
車外に出れば、薄っすらと季節外れの冷気が肌に触れ、腕が軽く粟立つ。
実際に気温が低いワケではなく、殺意や悪意といった悪感情を察知しての反応だ。
沼端も似たような気配を捉えているのか、何かを探すようにキョロキョロしている。
「練武場、ってのは道場か?」
「まぁ、そんなところだ。ここの会長は、剣術をやるから」
「剣道じゃなく、剣術なんだな」
確認するように言った俺に答えず、沼端は手招きを一つして歩き出す。
金持ちの道楽なのか本格派の武術家なのか、どちらか不明だが真剣が出てくるのは間違いなさそうだ。
実際に人を斬ったことがあるヤツだと、太刀筋に迷いがないんでやりづらいんだよな……
そんなことを考えつつ、周囲に目を配りながら沼端に数歩遅れてついていくと、白い小粒の玉砂利が敷き詰められた庭が見えてきた。
ザリザリと音を立て、敷石も飛び石もない場所を進んでいると、右手にある池に掛かった石橋の上に人影が。
剣道着や弓道着のような和風の装束だが、力生にしては若いような――
ザッ、ザ、ザ、ザ、ザッ、ザ、ザ
棒状の何かを手にした誰かが、騒々しい足音を鳴らして駆けてくる。
進行方向からして、どうやら狙いは俺のようだ。
握っているのはたぶん、二メートルほどの槍。
どういうことなのか、沼端の方をチラ見して読み取ろうとすが、おっさんは首を竦めるだけで、自然な動作で俺から離れた。
伏兵に襲撃させる罠か――
この場この時の意味は――
単独で仕掛ける理由も――
様々な疑問が脳内を駆け巡るが、正解らしいものは見えてこない。
とりあえず、突撃を阻止してから改めて考えるとしよう。
「ハァイッ!」
気合と共に、銀鼠の刃が迫る。
思ったより声が高く、背は低い。
ショートカットの女か子供――いや、その両方。
速さがあっても、力に乏しいようだ。
「おっ、と」
穂先を躱し、空を切らせる。
突きには圧が感じられず、印象としてはただただ軽い。
伸びたままの柄を握り、一気にグイッと捻った。
「うぁっ!?」
やはり、筋力や握力が足りていない。
相手が簡単に手を放したので、そのまま槍は地面に投げ捨てる。
使い慣れない武器は振り回すのも一苦労だから、俺には必要ない。
得物を失い、唖然としながら前方によろめいた少女。
その左脇腹に、加減せずに右のミドルキックを叩き込んだ。
「おびゅん――」
短い奇声を発し、少女は白目を剥いて玉砂利の中に沈む。
感触からして肋骨が数本イッてるだろうが、たぶん死にはしない。
接敵の直前に離れた沼端が、また戻って来て少女の様子を窺っている。
「おぅおぅ、女子供にも容赦ない」
「世間的には、俺だって子供だろ」
「かも知れんが、女への暴力に躊躇がないのは、どうなんだ」
「どうなのか考えるのは、まず槍持って突撃してくる状況からにしてくれ」
「それはまぁ、そうだな」
「咄嗟の反撃だったのに、顔を潰すのを避けたのも評価してくれ」
「基本が顔面狙いか……」
呆れているようで、沼端はボソッと「正しい」と付け足した。
体格と挙動で想像はついていたが、この男はかなり動けるタイプだ。
何度も逃がそうとしてきたのは、俺の始末を命じられるとわかっていたから、なのかもしれない。
このオッサンと対戦しても負ける気はしないし、負けるつもりもない。
だが、貞包の護衛だった芦名と同等か、それ以上に面倒な相手という予感がする。
「で、この女は何なんだ?」
「……何なんだろうな?」
「訊いてるのは俺だが」
「屋敷の警護に雇ったのか、秘書か何かにシャレで武器を持たせたのか……あの会長のやるこたぁ、よくわからん」
構えと動きからして、それなりの心得はあったように思える。
しかし、前回の人生でも槍だの薙刀だのを使ってくる相手との戦闘経験が少なくて、コイツがどの程度のレベルなのか判別できない。
「俺を襲ってきたのは、力生の命令か」
「どうだかな……まぁ、行けばわかるんじゃないか」
トボケているのか本気で知らないのか、沼端の態度からは読み取れない。
ともあれ、行けばわかるってのも確かにその通りだろう。
俺は砂利を鳴らして庭を突っ切り、練武場らしき建物の扉に手をかけた。
勢い任せに開けそうになるが、さっきの槍女みたいなのが飛び出してきても困る。
なので引き戸を横から蹴って開け、中からの応答を待つことに。
十秒ほど待っても何の動きもないので、屋内に向かおうとした瞬間。
ヒュバッ――
細い何かが、目の前を猛スピードで飛び去った。
半秒くらい経過して、見たものの正体を脳が伝えてくる――矢だ。
待ち伏せだとすれば、こちらの姿を敢えて晒してもう一射させ、次を番える前に距離を詰めるしかない。
射手が複数潜んでいた場合、かなりのリスクを負うことになるが、どうしたものか。




