第45話 「何もなくても因縁つけてくるのがヤンキーだろ」
週明けの月曜、雪枩からの更なる報復があるのを覚悟し、校内でも自宅でも登下校でも警戒しながら過ごしていたのだが、何もないまま一日が終わった。
火曜も水曜も同じような何もなさで、校内で雪枩の手下を見かけても絡んでくることもなく、外出時に監視されている気配はあってもそれ以上は起こらない。
「関わっても損するだけ、と判断してくれたかな」
木曜の朝、駅を出て学校への道を歩きながら、小声で呟いてみる。
日曜深夜に自宅に侵入してきた二人には死にはしないが数ヶ月は病院暮らしになる程度のダメージを与え、乗ってきたシーマの中に詰め込んでおいた。
ついでに、ポリタンクの中身は一滴残らず車内にブリ撒いてやったので、たぶんもう乗れたモンじゃないだろう。
この過剰な反撃で、俺とやり合う不毛さに気付いてくれたらいいんだが。
まぁ、雪枩から手を出してこなくなっても、桐子の問題をどうにかしようと思えば、またカチ合ってしまう可能性は高い。
本人には現状を変えたくない、もしくは変えられない事情があるようだが、無理に無理を重ねているのは確実なので、あの生活には遠からず破綻が訪れる。
問題は、どうやって桐子に事情を吐き出させるか、なのだが――
「なぁ、薮上」
「おう……どうした?」
見覚えはあるが名前は憶えていない、ちょっと太めな同じクラスの男子が、何か言いたげな様子で俺の隣に寄ってきた。
なので「何か用か」という意味で訊き返したのだが、相手は目線を合わせず言おうか言うまいか逡巡を続けている。
重ねてもう一度訊こうか、と口を開きかけたところで、相手は俺を見ながら言う。
「お前さぁ……一体、何やらかしたの」
「何、と言われてもな……それこそ、何の話だ?」
「とにかく、ヤバいって。雪枩先輩たち、薮上をマジでシメるって話になってる」
「あー、そうなの? そりゃおっかねえ」
雪枩にしてみたら当然だな、と思いつつ軽く返せば、呆れ顔の最上級みたいな表情を見せられた。
「いやいや……そんな余裕ぶっこいてる場合か?」
「でもなぁ。こっちは別に何もしてないし」
袋叩きの阻止とヤキ入れへの反撃だけなので、それを恨まれても困る。
というか、裁判になってもたぶん8:2くらいで俺が勝つ。
「とにかく、しばらく注意して……いや、落ち着くまで学校休んだ方がいいかも。あの先輩、だいぶイカレてるって噂だし」
「まぁ……心配してくれて、ありがとな」
「ヤンキーの集団とか、まともな理屈が通じないから。とにかく逃げた方がいいぜ」
「ああ、真面目に考えとく。それより、俺と話してるとこ、あんまり見られない方がよくないか」
俺の言葉に、ハッとした様子で周りに視線を巡らせ、クラスメイトは気まずそうに離れていった。
放って置けば自分は安全なのに、わざわざ危険を知らせてくれるとは、中々にいい人というか人がいいというか。
今は関わると迷惑になるだろうから、この騒動が終わったらメシでも奢ってやろう。
改めて観察してみると、自分に向けられる視線には敵意や悪意だけでなく、興味や同情や憐憫や嘲笑といった多種多様なものが含まれていた。
知らない相手とやけに目が合うのは、俺を見ている人間が多いということ。
そして昨日や一昨日より、明らかに自分に向けられた目が増えている。
おそらく雪枩たちが、俺を的にかけていると宣伝しているのだろう。
多少の悪評が流れたり、一部で嫌われる程度なら構わない。
しかし、校内の有名人として悪目立ちするのは問題だ。
何をするにも注目されてしまうし、そこから違和感を持たれる危険も増える。
単に俺をビビらせるのが目的なんだろうが、今回の件はズバ抜けて厄介だった。
ウンザリしながら学校に辿り着き、重たい溜息を吐きつつ教室のドアを開ければ、いつも通りに奥戸が物理的に絡んでくる。
「よー、ヤブ! 雪枩と揉めて狙われてるらしいなー!」
「知らねぇし、苦しいし、声でけぇし」
「いーだだだだだだだだっ!」
ヘッドロックしてきた右手の甲を抓み、ガチャポンを回すくらいの勢いでグニッと捻る。
奥戸は相変わらずコミュニケーションの方向性が粗暴な小学生なので、矯正のために毎回キツめのリアクションで出迎えることにしていた。
「しかしよー、あんな連中に狙われるとか、何したんだー?」
「何もなくても因縁つけてくるのがヤンキーだろ」
「あー、いやー……それもそうかー」
気の利いた反論をしたかったようだが、納得してしまい頷く奥戸。
そんな俺たちを見る周囲の視線は、やはりいつもよりも感情多めで湿度が高い。
俺がトラブルに巻き込まれてるのは、周知の事実になっているようだ。
瑠佳だけはいつも通りというか、「何してんのアンタは」と言いたげな呆れ半分の気配を漂わせている。
「まぁ、どうってことないから気にすんな、オク」
「ヤブほどの男がそう言うなら、そうなんだろうけどよー」
「俺の評価やけに高いな!」
俺が怯えたりテンパったりしてないのに安心したのか、教室に入った瞬間から漂っていたピリついた気配が少し和らいだ。
やはり人は、平穏な日常が脅かされる状況を本能的に嫌う。
中でも死の気配、それを想起させる暴力の気配は、特に感情を逆撫でする。
それを利用するのに長けているのが反社連中なのだが、基本的には同類だった俺にはほぼ効果がない。
にしても、ここまで俺とのトラブルを広めてどうするつもりなのか。
先日の放火未遂からすると、全力で殺しに来るまではないとしても、死んでも構わないとは考えているハズだ。
そして実際に俺が死ねば、犯人は雪枩かその関係者だと誰もが知る状態に。
絶対に警察沙汰にはならない自信があるのか、でなければ――俺が消えたのに裁かれなかった事実でもって、雪枩をアンタッチャブルな存在へと押し上げるとか。
「本気でヤバかったら言えよー? 聞くだけは聞くからなー」
「聞いたら何かしろよ。どういうスタンスなんだ」
「でもホラ、悩み事は誰かに話すだけでも心が軽くなるしー」
「そんなレベルじゃねえだろ」
奥戸とそんな話をしている内に予鈴が鳴り、今日も授業が始まる。
その後は見覚えがある上級生に追跡されたり、知らんヤツが噂を聞いて「薮上ってどいつ?」と見物に来たりと、感じの悪いイベントをこなしつつ昼休みに。
さて、俺がいると教室内の空気が微妙になりそうだし、どうしたモンかな――と軽く悩んでいたら、不意にクラスの女子から名前を呼ばれた。
「薮上くん、何か……呼んでる人いるけど」
「ん? ああ、そうなの」
指差す方を見れば、知らない女子生徒が困り顔で佇んでいる。
雪枩からの御指名かと身構えたのに、ちょっとズッコケる気分だ。
「えぇと、何?」
「あの……これ渡してくれって、頼まれたの」
「誰に?」
「桐子くん。早退しちゃったから、それで」
それだけ言って畳んだ紙を押し付けると、相手は隣のクラスに戻っていった。
どういうことだ、と思いつつ人目を避けるためにベランダへ移動。
そして中身を確認しようとすると、奥戸が背後から圧し掛かってくる。
「なんだよヤブー、ラブラブレターもらったー?」
「ラブ一個多いだろ」
雑にノートを破った紙の折り目を開けば、一行だけの走り書きが記されていた。
『家に帰るな どこかに隠れろ』




