第42話 「ほーら痛いの痛いの、飛んでくっ!」
体勢を低くした、ガードを固めながらの突進。
奇襲としては、スピードもスタイルも申し分ない。
後退しようにも左右に跳ぼうにも、大きく動けば周囲の手下に阻止される。
半端に避ける程度では、雪枩の射程圏内から逃れられない。
反撃を試みたって、俺の筋力ではガードに弾かれる。
かといって、正面から受け止めようとするのは論外だ。
となれば、奇襲には奇策で対抗するしかないだろう。
そう判断した俺は、弾みをつけて地面に滑り込む。
「フンッ!」
「おっと……ヌルい、なっ!」
サッカーなら一発レッドなスライディングを放つが、苦し紛れ感は否めない。
予備動作が大きかったせいか空中に躱され、そのまま雪枩の膝が降ってきた。
体を捻って外そうとするも間に合わず、浅くではあるが腿への打撲ダメージが入る。
「ぅがっ――」
「避けんじゃねぇクソがぁ!」
無理な注文をしてくる雪枩が立ち上がらない内に、俺は寝転がった状態でアリキックめいた低いローを撃ち込む。
予期されたのか偶然なのか、雪枩は屈んだままトトッと前方へ移動して距離を詰め、コチラの攻撃を無効化。
「猪木かよ、オルァ! ナメてんなっ、このボケッ、クソボケがぁっ!」
体勢を立て直した雪枩は、上体は起こしたが地面に尻をつけたままの俺に、貧しい語彙で吼えながら連続して蹴りを放ってくる。
脚に、腰に、肩に、次々に到来する衝撃。
ベースにあるのは空手、だろうか。
ただ、かなり独自のアレンジが加わっているようだ。
連打を目的とした速度重視の攻撃だから、一発一発に大した威力はない。
しかし今の俺の肉体では、この程度でも短時間しか耐えられそうになかった。
雪枩の放ってくる蹴りは、上へ上へと移動してきている。
ならば次はココだろう、と見当をつけてトドメの来るのを待つ。
「口だけじゃねぇか、あぁ⁉ その口をブッ壊して――」
小馬鹿にした感じを滲ませながら、雪枩がペラペラ喋っていた。
一方的に暴力を振るう状況に酔っている……コイツも所詮はこの程度か。
右脚が大きく引かれ、さっきまでとは桁違いの一撃が顔面を襲うのを予感させる。
いや、予感させたらダメなんだって、マヌケが。
「やるっ――あぉほっ⁉」
どこに来るかが予測できる攻撃など、いくらでも対処ができる。
仰向けに倒れ込んで蹴りを素通りさせ、ベルトから引き抜いた特殊警棒で雪枩の脛を力一杯に引っ叩く。
奇声を発してよろける雪枩に追撃すべく立ち上がるが、腕を振る距離が足りずに有効打が入れられない。
「俺の口をどうするって? 熱いキスで塞ぎたいのか?」
「クソがっ! あぁあ痛ってぇ! クソッタレがぁああっ!」
「おいおい、大丈夫かよ坊ちゃん。ほーら痛いの痛いの、飛んでくっ!」
「ぐぁっ――ふっ、うあっ」
警棒をジャッと縮め、蹴りのお返しとばかりに顔面を狙ってブン投げる。
武器を平然と捨てる行動は不意を突けたようで、スチール製の筒が雪枩の額にクリーンヒット。
地味に血飛沫が散って、二センチほどの裂傷からは鮮やかな赤が滴る。
デコに手をやって自身の流血に気付いた雪枩は、信じられないものを見たかのように表情筋を麻痺させ、赤く濡れた指先を小刻みに震わせる。
「何をプルプルしてんだ? 甘やかされすぎて、自分の血を見るのも初めてか」
「ありえねぇ……オレが、こんな……ありえねぇって、なぁ!」
「現実を受け止めろ。貴様はカッコつけて余裕ぶっこきまくった挙句、笑えねぇ無様を晒してる真っ最中なんだよ」
「うぅ、う……そんなワケ、あるかよ。マグレだ、こんなん……あぁ! マグレだっ、クソァ!」
雪枩の息が荒くなり、目つきがオカシくなっていく。
未体験の屈辱感と危機感に圧迫され、心の安定を大幅に欠いている様子。
ここまで追い込めたなら、詰ませるのも時間の問題だだろう。
問題は手下たちの横槍だが、二人か三人ならどうとでもなる。
そろそろ終わらせるか――と、コチラから仕掛けようとしたタイミングで、何者かが駆けてくる気配が。
「おぉいっ! やめろ、大輔っ!」
「あぁん⁉ すっこんでろ高遠ぉ!」
俺と雪枩の間に、高遠と呼ばれた男が割って入る。
かなり慌てている様子だが、視線をずっと俺から切らないあたり、こういう状況に慣れているようだ。
「いいから、落ち着け!」
「お前が落ち着けってんだよっ、あぁ⁉ 今はオレとコイツのタイマンだるぉ⁉ 邪魔ぁすんじゃねぇって!」
「深呼吸だ、大輔。キレすぎてるから、一旦落ち着け」
ダイスケ、オチツケで韻を踏んでるな、と思いつつ乱入者を観察する。
雪枩と同じくらいの身長で、パッと見は少女漫画に登場しそうな顔のいい優男。
なのに、金髪のツーブロックと首元に見えるタトゥーが、その雰囲気を軽やかにブチ壊している。
ボンヤリとした記憶しかないが、雪枩の取り巻きの一人だったような。
「このガキャ、絶対マジで殺すんだからよっ!」
「何言ってんだ、ここ学校だぞ! 流石に揉み消せねぇから」
俺が目の前にいるのに、俺の死体処理の話をするな。
そうツッコミたいところだが、泳がせておいた方が面白い話を聞けそうな気配があったので、黙って推移を見守る。
「見ろよ高遠、この傷をよぉ! 汚ねぇマネしやがって、このクソがぁああっ!」
「ああ……とにかく今はマズいし、ここでもマズい。わかるだろ? わかれよ。コイツ一人くらい、どうにでもなる……まずは傷の手当だ」
「おっ、おぅ……そうか、そうだな」
「あいつらも、引き上げさせるぞ。次は徹底的にやっていい。でも、今はナシだ」
「チッ――」
舌打ちしながらも高遠の言葉に頷いた雪枩は、額の傷を押さえながら取り巻きに「撤収」らしきジェスチャーを示す。
ヤンキーたちは一様に困惑の面持ちを浮かべ、倒れて動かない稲妻坊主を回収。
去り際に俺を睨んできた雪枩の表情は、殺意レベルに高まった憎悪に満ちていた。
一方で、この騒動を止めた高遠は、俺を一瞥もせず去っていった。
興味がない、というか高遠にとっての俺は奴の言葉の通り、いつでも処理できる有象無象でしかないのだろう。
この集団の名目上のリーダーは雪枩だが、実質的にはおそらく高遠。
いや、リーダーというよりも、父親がつけた護衛と相談役を合わせた存在か。
実家パワーでも誤魔化せないレベルの犯罪行為を止める、イザという時のブレーキ役を兼任させられてそうな気配もある。
「ご苦労なこった」
体育館裏から撤収していく馬鹿共を見送り、草や土に塗れた制服をパタパタと払いながら呟く。
高遠も同情するしかない面倒な役回りだが、俺にとっては障害物でしかない。
そんなことより、近い将来に本気で仕掛けてくるであろう、雪枩たちへの対処法を考えておかねば。
「準備を急ぐ必要がありそうだ……」
桐子から貰った、防犯用品店のショップカードを財布から取り出して眺める。
だいぶ無駄金を使わされそうな気もするが、そのツケは利息をたっぷりつけて雪枩家から回収するとしよう。




