第4話 「大丈夫って顔か、それが」
瑠佳が入っていたドアの上には『ライクライブ』と書かれた看板。
客として行ったことはないが、盾を食われそうな店名は記憶に残っていた。
今からすると来年――俺が高校二年の時に起きた惨劇の舞台として、ここは悪い意味で有名になる。
不良ぶって背伸びをしたのか、単純に迷い込んだのか、詳しい事情はわからない。
三駅ほど離れた地域に住む女子中学生が、夜の赤地蔵エリアをウロついて、地元の不良たちに目をつけられてしまった。
強引なナンパ、というか半ば脅迫されてこの店に連れ込まれたその子は、大量に酒を飲まされた状態で輪姦され、その最中に急性アルコール中毒で死亡する。
「どうにもこうにも……胸糞悪い話だったな」
犯人たちが驚異的にアホだったせいで、ここから事件は超展開を繰り広げる。
被害者が息をしてないと気付いたレイプ犯どもは、当然ながら119に連絡することもなく、証拠隠滅のための悪足掻きを開始。
誰彼構わず知り合いに電話をかけ、状況を説明しつつ何とかしてくれそうな相手を探し回った末に、ある人物にまで辿り着く。
犯人たちのリーダーの先輩の友人、という遠い間柄だが「山に埋めれば行方不明にできる」と考えたその先輩が、ユンボを使える土建屋に声をかけて話をつけたのだ。
死体遺棄の共犯にされるのに、男は警察に通報せず現場へと向かう。
会ったこともない犯人たちや、友人への義理立てをしたワケではない。
被害者の名前を聞かされた瞬間から、選択の余地は全て消滅していた。
全速力で商売道具のトラックを走らせ、連絡を受けてから一時間で店に到着。
そこで男は、殺されたのが同姓同名の他人ではなく、自分の妹だと知る。
吐瀉物で窒息し、下半身裸で床に転がされた少女の死体を見せられて。
しばらく呆然とした男は、黙って外に出るとトラックへ乗り込む。
そしてアクセルを全力で踏み込んで、『ライクライブ』に突っ込んだ。
不意を突かれた犯人たちは、一人はタイヤで轢き潰され、一人は壁とトラックの間で圧し潰される。
他の連中は全員、顔の形がわからなくなるまで執拗に、バールのようなもので徹底的に殴り壊された。
この復讐劇で、店内にいた六人中の四人はその場で殺害され、重傷の一人は搬送先の病院で死亡。
唯一の生存者は脳と運動機能に深刻な障害が残り、会話も歩行も排泄も不可能になったという。
壮絶な大量殺人だが、事情が事情なので土建屋への同情の声は多かった。
一方で殺された連中に対する世間の反応は「ざまぁ」「死んで当然」といった冷淡なものが殆どで、週刊誌などで過去の悪事がバラされる追い討ちも発生。
結局この件は死刑になったのか、それとも情状酌量で無期懲役だったか――
そんなことを考えつつ店の様子を窺うが、ドアの型ガラスからは内部が見えず、ピコピコドコドコうるさい音楽が邪魔で、会話なども聞き取れない。
客のフリして踏み込むべきかどうか検討していると、BGMを押し退ける女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
十中八九、瑠佳の発したものだろう。
「あいつが怒鳴ったり叫んだりするのは、あんまり想像できないが……」
そもそも、こんな所に来ること自体、違和感しかないのだ。
瑠佳は優等生というワケでもないが、こういう澱んだ空気の漂う盛り場との親和性が乏しすぎる。
何かとんでもなく不自然な流れに巻き込まれているような、そんな気配があった。
ともあれ、放って置ける状況でもないので、そろそろ助けに入るとしよう。
CLOSEDのプレートを無視してドアを開ければ、バカげたボリュームのクソダサ電子音楽に鼓膜が震える。
続けて濃厚なヤニ臭さの煙たい空気が鼻腔に刺さり、帰りたい気分は早くも最高潮だ。
意外と広い店内だが、どうにもならない垢抜けなさが居座っていて、客層のしょうもなさを予感させた。
各種ティンサインや古い映画のポスターなどを飾り、アメリカンなテイストを出そうとするもセンスが悪くてしくじっている、何とも懐かしい風景だ。
これが夢の続きだとすると、己の脳内の90年代解像度が高くてちょっと笑える。
しかし、頭も育ちも素行も悪そうな四人のニヤけた男に瑠佳が囲まれている目の前の光景は、笑い事から程遠い。
俺に気付いた瑠佳は「は⁉」と言いたげな顔で固まり、チーマーとヤンキーを中途半端に合成した雰囲気の男たちは、粘ついた視線を揃ってコチラに向けてくる。
「あぁん?」
「何だぁ、テメェは?」
粗暴さを全開にした二十歳前後の男たち――俺の感覚からするとクソガキどもが、テンプレ通りの反応でわかりやすく威嚇してくる。
いつの時代も、こういうコミュニケーションには呆れるほど変化がない。
それをシカトして、俺は店内の人と物の配置を素早く確認していく。
バブルの頃に流行ったプールバーとして作られた店なのか、バーカウンターがあって背後の棚には酒瓶が並んでいた。
カウンター内には、ハイネケンの缶を手にした店員らしい三十前くらいの男。
ウェーブのかかった長めの金髪を頭の後ろでまとめ、他の連中と同様にネットリした視線で俺を見据えてくる。
手前に丸いテーブルとスツールのセットが3、奥にビリヤード台が4。
瑠佳と男たちは、その間の空間に集まっている。
右の壁際に旧式のゲーム筐体が2――コレはおそらく賭博用のポーカーゲームで、その近くには両替機。
入口の他にドアはトイレとスタッフルーム、窓や階段や裏口は見当たらない。
左の壁には貸し出し用のキューが並ぶラックがあり、ビリヤード台には球が転がったままで、数本のキューも台上に放り出してある。
数秒で一通りの確認を終えると、アンプをいじって音量を半分くらいにした店員が、ダルそうに声をかけてきた。
「んだぁ、オォイ? まだオープン前だよ、入ってくんなボケ」
「つうか、今日はオレらの貸し切りだからよ。ホラ、サッサと帰れ」
やる気ゼロの店員に続いて、リーダー格らしい背の高い茶髪の男が、犬を追い払うような「シッシッ」という手付きと共に告げてくる。
心の底からコチラをナメくさっている表情と態度は、人を怒らせるためにワザとやっているのなら中々の完成度だ。
他の三人は俺への興味を失くしたのか、瑠佳にタバコの煙を吹き付けたり、ポニーテールの毛先を軽く引っ張ったりしている。
ここまでイキった空気を纏える理由は、こいつらがヤバいか、バックにヤバいのがいるか、単なる勘違い野郎かの三択だろうが、この場合はどれになるのか。
「わっ、私はっ、大丈夫だから! 心配して、来てくれたんだろうけど……ホントに、用事が終わったら、すぐ家に帰るから……だから、ね? ホントもう、気にしないでいいから……何もそんな、変なことじゃなくて、話し合いをするだけで……大丈夫、だよ」
十秒ほど続いた沈黙を破って、瑠佳が早口で捲し立ててくる。
無理して明るい雰囲気を出そうとしているが、最初から最後まで声が震えている時点で大失敗と言うしかない。
加えて、俺の名前を呼ばない配慮からして、この件に関わると面倒なことになるのだと言外に伝えていた。
「大丈夫って顔か、それが」
半ば無意識に、苦さを含んだ言葉が口を衝く。
距離があるのと、まだまだ喧しい音楽のせいで、瑠佳には届かない。
「この子も言ってる通り、オレたちは大事な話し合いをすんの。わかるぅ?」
「ぶはははっ……人生変えちゃうような、突っ込んだオハナシなんだよなぁ」
小太りで短い髪を立てているヤツと、似合わないサングラスをかけたヤツが、下世話さを隠そうともせずに汚らしく笑いながらほざく。
それに何のリアクションもせずにいると、四人の中で最も筋肉質なミリタリー系の服装をした男が、ダルそうに歩いてきて俺の前に立ち塞がった。
身長は俺より少し低くて170ないくらいだが、手足の太さと胸板の厚さが相当な威圧感を醸し出してくる。
迷彩柄のシャツにオリーブドラブのカーゴパンツに黒のコンバットブーツ、という統一感あるコーディネートも、あまり関わり合いになりたくないタイプだ。
さて、弱体化している今の俺は、どの程度まで動けるだろうか――