第38話 「こいつらは怖いの範疇に入ってない」
「誰だか知らねぇが……今日がテメェの命日になるぞ」
「ブフッ――真顔でギャグは腹筋に悪いわ、センパイ」
ドスを効かせた羽瀬のショボい脅しが、危うくツボに入りかけて吹く。
わざとらしく笑い飛ばして挑発するつもりが、演技するまでもなく笑わされるとは。
ただ、途中経過はさて措いて、目的はキッチリ果たせたようだ。
逆上して冷静さを失った羽瀬は、双眸を血走らせ、口の端を引き攣らせ、ポケットから銀色の何かを抜き出す。
「ハッタリと思ってんだろ? オレはなぁ……もう三人、刺してんだよ」
言いながら、手の中の銀色をカシャカシャと振り回す。
ああ、懐かしいな――バタフライナイフだ。
不良少年のマストアイテムだったのは、もう少し後の時代な気もするが。
まぁまぁ華麗に扱っているようだが、ワザワザこの動作を練習したのかと思うと、それもじわじわ面白くなってくる。
「まだ笑ってやがんのか……ビビッてねえぞアピールかよ?」
「いやぁ、センパイが急にオモチャで遊び始めるから、頭オカシくなったのかと」
「あぁ⁉」
「実際、頭の形はオカシくなってるけどな。超デコっぱちだぞ、今のアンタ」
羽瀬はさっき強打した額へと手を伸ばし、己に起きた異変に気付く。
笑えるくらいボッコリと膨れていて、乱れたリーゼントとの相乗効果で完全に「昭和のマンガに出てくる喧嘩に負けた不良」の佇まいだ。
かなり痛みがあるだろうに、アドレナリンが掻き消しているのだろうか。
「上等だわ……テメェも、桐子も、マジ……ぶち殺してやるからなぁ!」
ハイ今からキレまーす、ってくらいの素直さで顔を紅潮させる羽瀬。
ヨタヨタとこちらに接近しながら、ナイフを持った右手をスッと後ろに引く。
目の焦点が合わず、歯を食い縛った面相は、半ば狂気に落ち込んでいるようだ。
荒事に不慣れだと、こういう尋常ならざる姿に脅威を感じるのだろう。
だが、ここまで単細胞なキレっぷりを晒してくれると、俺としてはラクで仕方ない。
「ヒヒッ、ィヒヒヒッ」
緊張のせいか興奮のせいか、羽瀬の口から奇怪な笑い声が漏れる。
色々と能書きを垂れていたが、やはり素人丸出しの振る舞いだ。
その次の動作も予測が簡単すぎて、逆に何かあるのかと思わせるレベル。
やはり、何のフェイントも入れず真っ直ぐに腹を狙う、シンプルな刺突だった。
来るとわかっていて動きもトロければ、そんな攻撃など当たりようがない。
「シャォラーッ!」
謎の奇声と共に、殺意に塗れた一撃が向けられた。
にしても、名前も知らない相手とのトラブルで、躊躇なく致死性の攻撃がカマせるものだろうか。
この時代のヤンキーの血の気の多さを勘案しても、あんまりなキレっぷりに思える。
俺の煽りが何かしらの地雷を踏んだのか、或いは単にヤバいくらい羽瀬がイカレてるのか、もしくは何が起きてもどうとでもなるレベルで雪枩がヤバいのか。
様々な可能性を考えつつ、左に体を躱して刃先に空を切らせ、伸びきった羽瀬の腕を取る。
「あ⁉ ――ぁだだだだだだだだっ!」
握った羽瀬の手首を捻り、右腕を固めて背中側へと加減なく折り曲げる。
カシャン、とナイフが床に落ちた音が聞こえたが、力は緩めない。
純粋な筋力での勝負ならば、おそらく羽瀬の方が有利だろう。
だが関節を極められた痛みで、ロクな抵抗もできず藻掻くばかりだ。
「ぅおっ、ちょっ……ギブギブギブギブッ!」
「急に新ルールを生やすな」
「くぉ、マジでマジで! やめっ――」
全てを聞き流して圧をかけ続けていると、「ゴグッ」と鈍い音が鳴った。
音の出所は、羽瀬の右肩の内部から。
伝わってきた感触からして、狙い通りに関節が外せたようだ。
「ふぁっ――ああああああああああああああああ」
「やかましいっ」
「ああああぁぶにっ――」
後頭部の髪を掴み、フェイスクラッシャーの要領で床に叩きつけると、羽瀬は瞬時に静かになった。
ビクビクと痙攣する羽瀬の背中を踏みつけて乗り越え、フレーメン反応を起こした猫みたいな顔をしている桐子の元へと向かう。
「大丈夫……じゃないだろうが、本気でマズそうな怪我は?」
「たぶん、してない……っと、ありがと」
俺の差し出した手を取って、桐子が便所の床からゆるゆると身を起こす。
好き放題に蹴られていた痛みのせいか、短い動作の中で何度も顔を顰めた。
そして桐子は、便所に転がされた黒Tシャツと赤タオルと羽瀬の姿を順繰りに見て、それから俺に目を向ける。
「言いたいことがあるなら、ロシア語で頼む」
「ボルシチとピロシキとサラートストリーチヌィくらいしか知らないよ」
「おう……いや待て、最後のは何だ?」
「ロシアのポテトサラダ、みたいなやつ」
ヘラッと笑う様子からして、桐子にそこまで深刻なダメージはないようだ。
とはいえ、流血もあって見た目は結構なボロボロ具合だ。
よく見れば、シャツのボタンは飛んでいるし、ズボンの膝も破れている。
バランスが取れてない気がしたので、俯せになったまま動かない羽瀬のズボンのケツをナイフで切り、尻を丸出しの状態にしておく。
「怖いもの知らず、なんだね……薮上君」
「どうかな。とりあえず、こいつらは怖いの範疇に入ってない」
「ははっ……まぁ、そうだよね。三人を相手に、まったく無傷なんだし」
「そんなことより、だ。どうしてこんな場所で、ボコられるハメになったんだよ」
訊かれた桐子は、痛みへの反応とは違った感じで表情を歪め、視線を逸らす。
その態度には、言いたいけど言うべきじゃない、みたいな葛藤が透けている。
自分の抱えたトラブルに俺を巻き込みたくない、との思いもあるのだろう。
しかし、ここまでガッツリと関わってしまった後では、事情を知っておかないと今後の対処に困ってしまう。
「こいつらをブチのめした時点で、俺も完全に関係者なんだよ、桐子」
「でも、これは僕の問題で……」
「確かに、ボコられてたのはお前の事情が原因かもな。だけど、それを止めようと思ったのも、羽瀬とその手下をブッ飛ばしたのも、羽瀬がケツ丸出しになってるのも、全部が俺の選択だ。だからもう、俺の問題でもある」
そう告げた後、無言でしばらく反応を待つ。
やがて、フッと肩の力を抜いた桐子が、諦めの気配を滲ませて口を開いた。
「とりあえず、場所……変えよっか」




