第37話 「新種のカマドウマかと思った」
「おいおい、見てわかんねぇか一年? ココは今、使用中だ」
「ウンコ漏れかけて泣きそうなら隣を使えよ、一年」
坊主と茶髪が、二人揃ってニヤニヤ笑いながら言ってくる。
茶髪が指差している「隣」にあるのは女子トイレだ。
しかし一年一年一年と、うるせぇったらありゃしない。
不良ってのは大体のルールを破りたがるくせに、どうして先輩後輩の関係性だけ異様に拘るのか。
「おっと、喋れるのかよ」
「あぁん⁉」
「悪ぃ悪ぃ……キモいのが便所の周りにいるんで、新種のカマドウマかと思った」
「オウオウオウオウ⁉ んだぁ、おまっ――」
ちょっとばかり煽ってみたら、光の速さで坊主が爆釣。
オットセイめいた威嚇の声を発しながら、ボンタンのポケットに両手を突っ込んで、肩を怒らせてズイッと顔を寄せてきた。
そんな稲妻坊主の左右の耳に、同時に平手を叩きつける。
「んおっ⁉ ほっ、ほうっ」
鼓膜にダメージを受け、坊主は奇声を発して転がる。
「うぉ、お、おおぉ……?」
そんな相棒を見て、茶髪は呻きながら固まって動かない。
その表情からは、どうして自分らが後輩から攻撃を受けているのか、本気で困惑しているのが伝わってくる。
喧嘩上等で生きていれば、こんなトラブル日常茶飯事だろうに。
「てめぇ、何しやっ――えっ? ぁがっ!」
気を取り直した茶髪は、俺の胸倉に右手を伸ばしてくる。
ヤンキーの間でそういう格闘術マニュアルが流通してんのか、ってくらいお馴染みのパターンだ。
それを左手の甲で打ち払い、右手で茶髪を鷲掴むと、背後の壁に後頭部を衝突させた。
そのまま間を置かず、続けて二回、三回とコンクリに打ち付ける。
「まっ! ふぁっ、へぇえぅ……」
腑抜けた声と共に意識を飛ばした茶髪は、膝から崩れて床に蜷局を巻いた。
指に絡んだ長い毛を振り捨てながら、もう一人の様子を横目で確認。
坊主の方は、自分が何をされたかも把握できてないようで、床に倒れたままバタバタと無意味な動きを繰り返している。
「はぅ、びぁ――んぐっ」
不規則に奇声を発する坊主の顔を蹴り飛ばし、速やかに黙らせた。
トイレの中からはイキり散らした怒声と、それに被さる笑い声が聞こえてくる。
見張りの二人が蹴散らされても、中の連中が気付いている様子はない。
ロクでもない光景との対面を予想しながら、俺は忍び足でトイレ内へと潜り込む。
「そんなよぉ、難しいこと言ってるかぁ? なぁなぁ、どうなんだよ、オイ! 桐子クンよぉ、ど、う、な、ん、だ、って訊いてんだ、ろっ!」
「うっ――くっ――」
入口の壁に隠れて奥を窺うと、こちらに背を向ける位置で、三人の男が倒れた相手を囲んでいるのが見えた。
リーゼントっぽい髪型のヤツが、倒れた相手の腹に何発も蹴りを入れている。
その左右では、黒のロングTシャツのメガネと、赤いタオルを頭に巻いたのが、ヘラヘラしながら煙草を吹かしている。
「ぶはははははっ! 羽瀬よぉ、そんな蹴られてたら、何も言えねぇって」
「羽瀬っち、マジ加減を知らねぇな! 桐子も可哀想に」
やはり、ここでボコられているのは桐子のようだ。
雰囲気からしてこの三人、いつも桐子と一緒にいる連中っぽいのだが。
細かい事情はわからないものの、まずはアホ共を鎮圧するべきだな。
静かに大きく一呼吸した後で、俺は羽瀬と呼ばれていたリーゼントに向かって走る。
二歩、三歩と床を蹴るが、気付かれた様子はない。
五歩、六歩と距離を詰めると、黒Tシャツがコチラに振り向いた。
でも遅い――遅すぎる。
「お前よぉ、何か言ったるぉあっ――ぷがぅ!」
丁度、桐子を踏もうとしたところで、羽瀬の背中に俺の右膝が衝突。
片足のバランス悪さもあって、羽瀬の体はフワッと宙を舞って――
そのまま結構な距離を空中移動して、デコから便所の床に墜落した。
ゴコッ、という人体からあまり出ないタイプの、硬質な音が響く。
赤タオルは咥えていた煙草を落とし、黒Tシャツは目を見開いて俺と羽瀬を交互に見ている。
「なっ……?」
「はっ⁉ だっ? へっ⁉」
取り巻きの二人は、唐突な俺の出現に対処できていないようだ。
まずは近い方から潰すと決め、呆けている黒Tのアホ面に左の裏拳を放つ。
「んがっ――」
手の甲に鼻の骨をヘシ折った確かな感触が伝わる。
セルフレームの眼鏡はブリッジがヘシ折れ、AパーツとBパーツに分離して飛んでいく。
黒Tが背後に倒れかけたので、胸骨あたりに左のヒジを突き入れ、倒れるまでの時短をサポートしてやった。
このあたりで赤タオルからの攻撃が来る、と予測して間合いを取ろうとしたが、相手は何故かポカンとしたままコチラを見ているだけだ。
マヌケのフリで油断させ、不用意な攻撃を誘ってカウンターを狙っているのか、それともシンプルにクソマヌケなのか――
「フッ!」
「んほっ――」
僅かな逡巡の後、こいつは後者だろうと判断した俺は、間合いを詰めて急所に前蹴りを見舞う。
赤タオルは回避も防御もせず股間への一撃を愚直に受け止めると、味わい深い表情を見せながら崩れ落ちた。
「や、ぶがみ……くん? どう、して……」
シャツを靴跡だらけにした桐子が、不思議そうに俺を見上げてきた。
髪は乱れ放題で、頬に擦り傷があって、口の端も切れて血が滲んでいる。
美少年が汚され傷ついている様子は、特殊な趣味の人間には堪らないかもしれないが、個人的な感覚ではまぁ見てられない。
「悪いが、そういう話は後だ」
「うぅう、ぐぅ……ふっ、ふざけやがっ、て」
さっき膝蹴りで吹き飛ばした羽瀬が、額を押さえてヨロッと起き上がり、恨み言を発している。
まずはコイツを完全に沈黙させて、それから改めて桐子に何事が起きたのかを確かめるとしよう。




