第3話 「質問に質問で返すな」
「……あったように、見える?」
「見えるから訊いてんだ。あと質問に質問で返すな」
ハンカチで目元を拭っていた少女は、俺の言葉で動きを止めた。
また泣くのかと警戒したが、潤んだ瞳でこちらをジッと見据えてくる。
まるで、小さな子供が手品や珍獣を初めて目にした時のような、そんな反応だ。
と、そこで少女の姿が別の記憶――この時点より数年前のものと交錯する。
泣きじゃくっている女の子を、どうにか泣き止ませようと四苦八苦している自分。
そうだ、こいつは小学生時代の数年間、近所に住んでいた村雨だ。
下の名前は、確か……瑠佳、だったな。
そこまで思い出すと、彼女にまつわる様々な記憶が蘇ってくる。
ついでに綽名も思い出したが、それで呼ぶのはヤメておこう。
「薮上くん、何ていうか……キャラ変わった?」
「質問に質問で返すな、って言ってんのに更に質問を重ねんな」
「えっ? あっ、ゴメン……でも何だろ、やっぱりちょっと……」
「俺のことはいいから、村雨の話だよ。何もないのにマジ泣きするとか、情緒不安定にも限度があるだろ」
瑠佳はさっきみたいに反論せず、少し首を傾げて俺を見詰めている。
こちらを値踏みしているような、心情を読み取ろうとしているような、そんな様子だ。
当然ながら、こういう場面で相手を煙に巻く程度は、俺にとっては容易い。
しかし、今ここでやるべきなのは、瑠佳に素直に事情を語らせることだろう。
そう判断した俺は「昔からの知り合いを心配している少年」をそれっぽく演じる。
シリアスな雰囲気は避けながら、本気で相談されたらそこそこ真摯な対応をするつもり、くらいの匙加減で。
「で、何があったんだ」
「何って、それは、えぇと……」
「言ってもどうにもならんことだろうと、誰かに話せば気は晴れるんじゃないか」
「そう、かな……そうかもね」
「俺でよければ、相談に乗ってやらんでもない。料金はファンタ一本」
瑠佳はしばらく視線を彷徨わせ、コチラに向き直って何かを言いかけた。
だが、すぐに唇をきつく引き結んでしまい、小さく頭を振る。
そして嘘くさい笑顔を作ると、こちらの肩をポフポフ叩きながら言う。
「あー……やっぱ、やめとく。その内にね、気が向いたらお願いしようかな、うん」
「今日を逃すと、次回の相談料は5リットルのペットボトルになるが?」
「どこで売ってるの、そんなサイズ」
その言葉を最後に話を終わらせた瑠佳は、俺に背を向けてロッカーから鞄を取り出し、振り向きざまにヒラヒラと手を振る。
笑顔からは嘘っぽさが薄れているが、同時に朗らかさとは懸け離れたものが滲んでいる。
これまでの人生で、何度も見てきた感情ではある。
けれど、女子高生の表情に読み取れるのはレアかもしれない。
彼女が囚われているのは――「絶望」だ。
「村雨……お前、本当に大丈夫なのか?」
「あぁもう、平気平気! さっきのは別に、まぁ、大したことじゃないから!」
「ワリと深刻な雰囲気だったんだが」
「あはは……ありがと、心配してくれて。でもホントにホント、大丈夫だから……じゃあ私は用事あるから行くね、薮上くん」
引き留めるための言葉を探しながら、会話を続けようとした。
しかし瑠佳は話を強引に打ち切り、早足で教室から出て行ってしまう。
小走りに離れていく足音は、やはり焦燥感に囚われた乱れ方だ。
走馬灯の中にいても、長年の仕事で培った「表情や動作から対象の感情を読み取る」技能は、精度そのままに使えるらしい。
それはそうと、大丈夫と言い張っていた瑠佳が、全然大丈夫じゃないのは確実だ。
「……どうしたモンかな」
独り言ちながら、何故に自分がココにいるのかを考える。
この日、この時、この場所が選ばれたからには、それなりの理由があるはずだ。
半世紀前の高校時代には、瑠佳との絡みが皆無だったように思える。
いくら昔の俺が地味キャラにしても、一年間も同じクラスで過ごしていたなら、何かしらのイベントがあるのでは――
と、そこまで考えてから微妙な引っ掛かりを覚えた。
その理由をしばらく探っていると、不意に謎は解ける。
俺はこのクラスで、瑠佳との一年を過ごしていない。
GWが明けても休んでるんで、最初は「あいつだけ連休延長かよ」と皆が冗談半分で笑っていた。
しかし、瑠佳の欠席が積み重なって五日連続になる頃には、笑い事じゃない空気が流れ始めた。
そしてそのまま、瑠佳は二度と登校しなかったのだ。
教師に頼まれて瑠佳の家を訪れた生徒は「家に誰もいなかった」「郵便受けに新聞がめっちゃ溜まってた」と言っていた。
担任からの説明は特になく、夏休みが明けたと同時に「村雨は退学した」との素っ気ない話があったのみ。
結局、どういう事情があったのかサッパリわからないまま、瑠佳は俺たちの前から永遠に姿を消したのだった。
「すっかり忘れてたが……実は心残りだった、のか?」
唐突に消えてしまった幼馴染の存在は、無意識の部分で深い傷になっていたのかも。
だとすると、走馬灯が見せる過去として、この日が選ばれたのも何となく腑に落ちる。
現実では悲惨な運命を辿った瑠佳に、仮初でもいいから救済をもたらす――きっとそれが、俺のとるべき行動なのだろう。
ならばまずは、どこかへと走っていった瑠佳を追いかけなければ。
行き先は学校の中か、それとも外か。
その確認のため瑠佳の靴箱をチェックすると、上履きが収まっている。
となると、既に学校外に出てしまっているだろうが、あいつはドコに向かったのか。
用事があるってのが嘘じゃなければ、とりあえず駅方面に向かった可能性が高い。
そう判断した俺は、最寄り駅までの距離が一番短いルートを思い出しつつ走った。
チラホラと見える神楠の制服の中から、瑠佳に似た後ろ姿を探す。
全速力で走り続けたのでもなければ、まだ駅には辿り着いてないと思われるのだが。
電車に乗られると面倒だし、途中で寄り道されていても厄介だ。
にしても、何でこんな都合の悪い展開なんだ、この走馬灯は。
頭の中でそんな文句をタレている内に、早足で歩いている瑠佳を発見した。
俯き加減で背中が丸まっていて、歩調は軽いのにあからさまに元気がない。
どうするべきか迷ったが、コチラからは声をかけずに、少し距離をおいて追跡。
探偵や刑事の真似事も、何度となくこなしてきた経験がある俺だ。
気配を悟られずに、テンションの低い女子高生を尾行するくらいは楽勝すぎる。
程なくして駅舎が見えてきたが、瑠佳は駅前の商店街へと向かうらしい。
誰かに会うなら駅周辺は店が多くて都合がいいし、喫茶店かファミレスにでも行くのだろうか。
そんな俺の予想を裏切って、瑠佳は商店街を抜けた先にある、あまり治安のよろしくない地域へと足を踏み入れていった。
居酒屋やスナックなどの密集した辺りを超えれば、その先は地元で最もヤバいと噂される「赤地蔵」エリアだ。
名前の由来である、赤茶けた石に彫られた地蔵を過ぎると、途端に空気が変わる。
表向きは質屋の故売屋、怪しげなビデオ屋、看板の出ていない風俗店。
タイヤとドアのない軽自動車、無人のまま朽ちかけたビル、蹴り壊された自販機。
普通は街中で見かけない諸々が、当たり前の顔をして景色に溶け込んでいた。
瑠佳は異様な空気をものともせずに、相変わらずの猫背でスタスタ進んでいく。
もしかすると、周りを気にする余裕すら失っているのかもしれない。
不意に足を止めた瑠佳は、ビリヤード場らしい店の入口をジッと睨みつける。
店に入るか引き返すか、一分ほど逡巡を続けた後で、瑠佳は大きく溜息を吐いてドアを開けた。