第25話 「隠れていても、小物はニオイでわかりまするぞ」
階段で二階まで下りたところで、違和感を察知した。
誰もいないハズのフロアに、何者かが潜んでいる気配がある。
そして皮膚や背筋には、微小のトゲが刺さったような、神経に障る感覚が。
護衛の任務で、最も警戒していたのは待ち伏せだ。
周到な罠が張り巡らされた場所に踏み込んでしまい、危うく死にかけたのは十回では収まらない。
経験を積むと共に回避や探知の能力も上がったので、こうも殺気を撒き散らしている相手ならば瞬時に把握できるが――
「隠れていても、小物はニオイでわかりまするぞ」
二つのバッグを肩から下ろし、公家っぽく言い放ってみる。
ネタが通じたのかはわからないが、木箱やら何やらがゴチャゴチャ積まれた物陰から、見覚えのある男が姿を現した。
三階でブッ飛ばした連中の中にいた、ヒョロっとした体型のメガネだ。
一発殴って一回投げただけで、トドメの一撃を入れなかったのがマズかったか。
落下の衝撃で割れたのか、右のレンズには盛大にヒビが走っている。
どうやって拘束を抜け出したのか――の疑問は、手首や指がボロボロなので大体は解決した。
「待ってたぜ、オイ……」
さっき組み合った段階で、このヒビメガネの格闘能力は見当がついている。
警戒の必要は特にない、一山いくらの雑魚キャラだ。
しかし今は、右の手に刃渡り七十センチほどの凶器――日本刀を提げているので、無警戒ではいられない。
拵の雰囲気からして、名刀や古刀の類ではなさそうだ。
とはいえ、一応の手入れはされているようなので、普通に斬れるだろう。
前回の対戦とは打って変わって、やけに好戦的な気配を発しているのも気になる。
どうせ武器を手にして気が大きくなっているだけだろうが、剣術を齧っている可能性もゼロではない。
まずは、最も気になる点を確認するために質問を投げた。
「門崎の娘たちと、嶋谷はどうした」
「あぁ? んなモン知るかよ!」
OK、ヒビメガネが阿呆で助かった。
嶋谷はさて措き、瑠佳と汐璃が人質になっていないなら、気にせず戦うことができる。
「一人だけかよ。他の連中は全員バックレたか?」
「オメェのせいだろがクソァ! まともに動けるのはオレだけだかんよぉ! 仇討ちするしかねぇだろうが、あぁん⁉」
引き続き、欲しい情報を半自動でタレ流してくれて助かる。
森内たちは手足は自由になっているにしても、まだ戦闘に堪えるコンディションではないらしい。
ということで、本日三回目か四回目になる、多対一の乱闘は回避できるようだ。
「仲間想いなのも結構だがな、お前は明日から失業者だぞ」
「あぁ? 何だぁ、そりゃあ」
「言葉の通りだ。上に大損害を与えたんでな、この会社も貞包も、もう終わりだ。早くトンズラしないと、お前もケジメをつけるハメになる」
「はぁ⁉ さっきから、ワケわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ!」
ヒビメガネが、刀を持ち上げて切先を俺に向けてきた。
元からよろしくない頭の回転が、興奮で更に鈍くなっているのか。
俺からの忠告が、まったく響いていないことに愕然とする。
メガネなのに底抜けの馬鹿なのはちょっと面白い……が、今はこんなのと遊んでる場合じゃない。
「まったく……人が折角、死亡フラグの避け方を教えてやってるのに」
「だから、ワケわからんことグチャグチャ言ってんなっ!」
焦れてきた様子のヒビメガネが、コチラとの距離を無造作に詰めてくる。
その動きは達人ならではの軽さではなく、単なるド素人の足運び。
つまりコイツは、剣道も剣術も身に着けていない、デカい凶器を装備してテンションが上がっているだけの、壊れかけのメガネだ。
「ふぅうっ――りゃっ!」
片手だとまともに振れない、と判断できる程度の頭はあったらしい。
刀を両手持ちにしたヒビメガネが、コチラの胴を裂かんとする大振りを放つ。
体幹はグラグラ、軌道はブレブレなので、避けるまでもなく届かない。
「クッ――んふぁああっ!」
ゴリゴリと廊下を削った切先を持ち上げ、更に踏み込んで斬り上げてくる。
これは攻撃の届く範囲だが、残念ながら一跳びあれば躱せてしまう。
段々と面倒になってきたので、もう終わりにさせてもらおう。
「ハイ、そこまで」
三メートルほど距離を置いて、ベルトに挟んでおいたトカレフを抜く。
この拳銃の存在を知っているのか、ヒビメガネはピタリと動きを停止した。
銀ダラの狙いを頭部に合わせ、相手に向かって一歩前に出る。
「おまっ――それっ――」
「黙れ。刀を捨てて、手を頭の後ろで組んで跪け」
銃口を顔に向けたまま、アメリカンポリス的な指示を出しながら二歩、三歩とヒビメガネに歩み寄る。
この期に及んでも、ヒビメガネは逆らうか従うか迷っている様子。
唇の端が細かく痙攣し、刀の刃先は情けなく彷徨う。
しかし四歩、五歩と更に無言で距離を詰めていくと、ダランと肩の力が抜けて刀が地面に転がった。
それを足で踏んでから遠くに滑らせ、棒立ちのままのヒビメガネの口腔に銃身を捻じ込んだ。
「うぉご、ふぉおぉぼぅ、こっも――」
「だから、黙れ。この程度の命令は柴犬でも聞くぞ」
上下の歯にぶつけてカチカチ銃を鳴らすと、ヒビメガネは涙を浮かべて黙り、手を頭の後ろで組んで跪いた。
口の中で発砲されたら即死する、と理解できる程度の知能はあるようだ。
とはいえ、こんな会社の下働きな時点で、判断力も思考力も最底辺なのだが。
「サッサと逃げろってアドバイスを無視するから、こうなる」
「ぉぼ、ぷゃ」
「それでもって、こういうことにもなる」
「んげぇうっ――おぅっ! はぉっ!」
口から銃を引き抜き、無防備な腹に踵から前蹴りを突き入れる。
そして俯せに潰れた、ヒビメガネの脇腹を蹴り飛ばす。
その勢いで仰向けに転がった、ヒビメガネの脇腹を蹴り飛ばし――
「んおぁっ……やめっ……っ!」
這って逃げようとするのを踏みつけ、ベルトを掴んで階段下へと投げ捨てた。
眼鏡がどっか行ったヒビメガネは、踊り場で血ヘドを吐いて丸まりピクリとも動かなくなる。
バッグを回収してから元ヒビメガネを一階まで蹴り落とし、血腥すぎるビルを後にした。
「やっと終わり、か……」
ビルの四階辺りを眺め、長かった放課後の出来事に思いを馳せる。
色々とあったが、俺の選択はたぶん間違っていない――と、信じたい。
これが現実の過去だとしたら、理不尽な悲劇や不合理な災難に巻き込まれるしかなかった、瑠佳と汐璃の未来は変えられたハズだ。
その反動で、貞包や木下やその手下どもは惨憺たる状況になるだろうが、そこはまぁ諦めてもらうしかない。
むしろ、悪行の咎でシッカリと酷い目に遭え、というのが正直なところだ。
善人が報われて悪人が挫かれる勧善懲悪の物語が好まれるのは、社会がそんな公正さからは程遠いから、だしな。
「法で救えなかったり、法で裁けなかったり……そんなのばっかりだからな」




