第19話 「三年後に諏訪湖に沈めてくれ」
応接室と比べると、だいぶ小ぢんまりとしたサイズの部屋だった。
壁際には、書類やらダンボール箱やらが詰め込まれた棚が並んでいるが、そこにCDやビデオや酒瓶も混ざっている。
他には中型の冷蔵庫、大型のブラウン管TV、無駄にでかいステレオコンポなど。
左右の壁にドアが見える――左はおそらく廊下につながっているが、右は不明だ。
そして、大きめの机が一つと、普通サイズの机が一つ。
普通サイズの方には、ゴチャゴチャとコードが繋がったモニターが置かれている。
おそらくはコレで、監視カメラのチェックをしているのだろう。
その脇には木下が転がっている――ビンタ一発でここまで目を覚まさないとは、どんだけロングスリーパーなのか。
大きめの机の方では貞包が天板の上に腰を掛け、暗いけれど熱気を孕んだ視線を俺に向けてくる。
そこに含まれているのは各種マイナス感情のカクテルだが、主原料が憤怒なのは想像に難くない。
「ちょっと見ない間に、随分とイイ顔になったな、シャチョさん」
「テメェ……マジ何なんだよ、俺らを何だと思って……」
「ヤクザのパシリをしながら、逮捕されるリスクだけ背負わされて、儲けた金の大部分を吸い上げられてる、頭の弱いミツグ君だろ」
バブル崩壊から数年経ってるし、もしかして死語だったか。
そんな懸念もありつつ暴言を放ってみたが、貞包の表情が凶悪化しているので、それなりに効いているようだ。
「やたらと裏の住人をナメてるが……本気で痛い目に合わないとわからんか」
「それの返事は、やれるモンならやってみろ、だよクソボケ」
「あぁん⁉」
「あんたらの得意分野は暴力、なんだろ。なのにココに来てから、俺にまともに一撃入れられたのは、あんたのボディガードだけだぞ。つうかガードもできてないな。何なの、お前ら? 恥ずかしくないの? 馬鹿じゃねえの? いや、馬鹿だな? バーカバーカ」
相手の冷静さを奪う目的で、敢えて小学生レベルの次元で煽ってみる。
フゥゥゥゥーッ、と溜息だか威嚇だか判別のつかないものが、貞包から長々と吐き出された。
間違いなくブチキレているだろうが、短絡的に殴りかかって来ないだけ、手下のボンクラ共よりはマシな知能を所有しているらしい。
「そこまで言われたら……こっちも、それなりの対処をするしかなくなる」
「やれるモンならやってみろ、だよアホが。何度も同じこと言わせんな」
「まったく、ナメやがって……だがな、これを見ても同じことが言えるか?」
背後に消えた貞包の右手が再び現れると、そこにはギラギラと輝く銃が握られていた。
旧ソ連製の自動拳銃、トカレフ――の中国産コピー品だ。
粗悪な作りを誤魔化すための銀メッキが施された『銀ダラ』と呼ばれるシロモノ。
頑丈さと安価さが主なセールスポイントだが、その他に弾丸の貫通力が異様に高いという厄介な特徴もある。
一時期は、日本のヤクザの標準装備ってくらいに出回っていた記憶があるが、それが丁度この頃だったか。
「……ケバケバしいオモチャが出てきたな」
「オモチャかどうか、自分の体で確かめてみるか」
「何なら、ロシアンルーレットにも付き合ってやるぞ。アンタの先攻なら」
「銃口を向けられてんのに、態度が変わらねぇ度胸は大したモンだが……命知らずも度が過ぎれば、単なる自殺志願者だ」
「あんたこそ、俺と心中する気か? ヤクザもどきが未成年者を拳銃で射殺、とか確実にポリスが本気出す大事件だぞ」
俺の言葉に、貞包は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。
感情を読み取るまでもなく、陰鬱な喜びがタレ流し状態だ。
「誰も知らなければ、事件は存在しない。証拠がなければ、事件は存在しない。死体がなければ、事件は存在しない……わかるだろ?」
「……わかりたくもない、けどな」
「山と海、どっちがいい」
「どうせなら、三年後に諏訪湖に沈めてくれ」
戦国時代に詳しくないのか、貞包は僅かに眉を顰めるだけで返事をしない。
にしても、山に埋めるか海に沈めるか、みたいな本格派な死体処理までしているとは、コイツらは想定よりも少々危険なようだ。
「そうやって、何人を消してきたんだ?」
「あんまりイキがってると……お前より先に一人消える」
貞包がの構えた銃が、スッと右に逸れる。
後ろを振り返ると、いつの間にかドア付近まで来ていた瑠佳が、当たり前のようにカメラを回していた。
「おい、サメ子……もうちょっと危機感をだな」
「いやいやいや、でもっ⁉ まさかピストル出てくるとは、思わないじゃん!」
「黙ってろ。で、わかってると思うが……動くと撃つ」
「プハッ――」
リアルでは中々聞かない脅し文句が出てきて、無意識に失笑が漏れた。
タクシーで「運転手さん、前の車を追って下さい」って言うのと同じくらい、普通の人生で出てこないセリフだ。
それをまた「ナメられてる」と受け取ったのか、銃爪に指をかけている貞包の右手がカクカク震える。
ともあれ、勢い任せに撃たれてしまうと、俺はともかくとして瑠佳が危ない。
素人の射撃、しかも拳銃ならまず当たらないが、万一ということがある。
なので、ここで第一の目標に設定すべきは、あの銀ダラを使わせないことだ。
「お次は何だ? 手を挙げろ? で、言われた通りにしたら、動いたってイチャモンつけて撃つのか? やべぇな、マジカル頭脳プレーだわ」
「黙ってろ、って言ってんだろうが! ブッ殺されてぇのか!」
「いやーん、こわーい、ころされゆー」
ゆるゆるな棒読みで応じると、貞包は正気を失ったかのような表情に転じた。
眦は吊り上がり、唇は汚らしく歪み、表情筋はアチコチが痙攣している。
これが漫画だったら、間違いなく「ブチブチッ!」と描き文字の擬音が付けられているであろう、完璧なまでのブチキレっぷりだ。
「お前、マジ……じゃあな、やってやんよ! あぁ⁉ こうしてやってな、どうだ? ん? オォイ、聞こえねぇのかぁ⁉」
机から降りた貞包は、面白いほど血走った双眸をギラつかせ、俺の方へと大股で詰め寄ってくる。
動かずにそれを待っていると、銃口を眉間に突きつけられた。
冷たい金属の感触が、肌から脳へと染み込んで生命の危機を伝えてくる。
「こんなんなるのは、どうだ⁉ おい、どうなのか訊いてんだろっ、コルァ!」
「ヒァッ――」
胸倉を掴んだ貞包が、今度は左のこめかみへと銃口を押し付け、グリングリンと抉ってきた。
短い悲鳴が上がって途切れるが、その出所は俺じゃなくて瑠佳だ。
怒鳴られる度に至近距離から唾の飛沫を浴びるハメになり、不快指数も急上昇。
しかし、そんな気持ちは内に秘めたまま、貞包の挙動を黙々と追い続ける。
「それでもまだ調子こけんのか、どうなんだよ⁉ おぉう⁉ こ・た・え・て・み・ろ・よっ――このっ、クソガキがっ、よぉ!」
スタッカート気味に吐き出される言葉と共に、銃口で強めに頭部を突かれる。
それから銃把の底で、額を二度三度と殴ってくる貞包。
銃を扱いなれていないせいか、握りが緩くて痛みらしい痛みも伝わってこない。
そんなことより、待っていたのは銃口が俺からも瑠佳から外れる、このタイミングだ。
「まだまだ、こんなモンじゃ――」
「どんなモンだ」
「あ? えっ? はぼぁっ!」
スライドを掴んで捻り、貞包の手から銀ダラをもぎ取った。
半秒も経たない間に、拳銃の所有権は速やかに移動する。
そして膝蹴りで貞包との距離を取ろうとするが、胃の辺りに一発入っただけで潰れて蹲ってしまった。
「うううぁ、ううううぅ……」
「おいおい……この銃、安全装置かかったままだぞ。素人か? ド素人なのか? ヤクザごっこでもやってんのか、お前?」
安全装置を外しながら、銃口を素早く斜め下へと向けた。
オリジナルには安全装置がないけれど、輸出版やコピー品には装備されている。
前にも何度か使ったが、改めて見ても命を預けたくないチャチな銃だ。
貞包はこちらを見ようともせず、腹を押さえて呻き声を上げるばかり。
こいつらは本当に何なんだ、どいつもこいつもアホしかいないのか――
そんな思いで呆れていると、廊下につながっているらしいドアが、蹴破るような勢いで開かれた。




