第16話 「で……アンタらはどうする?」
たった数歩、二秒もあれば簡単に届く距離。
それを移動する間に、強烈な殺意を撒き散らしているスギ。
大した遺恨もない相手に対して、一瞬で殺害を目的とした行動を選択できるのは、ある種の異能と言っていい。
惜しむらくは、兵隊やチンピラにしか実用性がない才能ってことだ。
「死ねクソがぁあああああああっ!」
絶叫しながらの突進は、まるで東映ヤクザ映画の一シーンのようだ。
俺が逃げもせずにストン、と床に腰を落とすとスギがニチャッと嗤う。
ビビッて腰が抜けたとでも思い、勝利を確信したのだろうが――
「ヌルい」
映画と実戦の違いは、狙われた相手は普通に避け、反撃もしてくるって点だ。
急迫するスギが刃を握った右手を引くと同時に、俺は両手を後ろにつける。
その姿はきっと、後退りして逃げようとする醜態に見えるハズ。
「おぅるぁあああああああああっ!」
案の定、スギは無警戒に突進してきた。
あまりにチョロくて、申し訳なさにも似た謎の感情が湧いてくる。
だが、それはそれとして退場はしてもらわねば。
まずは身を竦めるように脚を縮め、次にそれを解放してスギの右膝を正面から蹴り抜いた。
「あっ――ぐひぃっ⁉」
狙い澄ました一閃は膝を曲げ砕き、スギの体は勢い余って軽く宙を舞う。
絨毯の敷かれた床に、顔面からスライディングを決めるスギ。
何が起きたのかを把握する隙を与えず、俺はスギの背中に跨る。
そして拳を固めると、無防備な後頭部に連続して鉄槌を落とした。
「うっ! んぶっ! げぱぅ……」
五発ほどで反応がなくなったので、転がっている短刀を回収して立ち上がる。
その刃先を貞包、芦名、門崎の順に向けてから、爽やかな笑顔を浮かべて問いを投げる。
「で……アンタらはどうする?」
門崎は首を勢いよく左右に振っていて、あからさまに怯えている様子だ。
芦名は貞包を守るような位置取りをしているが、どうリアクションするべきかは判断できないのか、その表情に困惑を貼り付けている。
残る貞包は、芦名と似たような困惑を感じているようだが、一方で俺に対する興味のようなものが滲んでいた。
ヤクザの手下とはいえ、若くして会社を経営するようなヤツは、どうやら神経の太さも一味違っているらしい。
その貞包が、笑顔の俺に対抗するような薄笑いで訊いてくる。
「どうするもこうするも……大体だな、テメェの目的は何なんだ?」
「簡単な話だ。そこの姉妹とそこのバカの縁を切る。それで借金がどうとかの、下らない用件に二度と関わらせない」
「そんなん言われて、コッチが『ハイそうですか、気を付けてお帰りください』って応じると思うか?」
「そこまで夢見がちじゃない。だから、こうやって一人一人、丁寧に《《説得》》してる」
「フハッ! 中々に強めの説得力じゃねぇの。その若さで、そのイカレぶり……ブッ殺すにはちょいと勿体ないな」
ということはつまり、惜しいけどもブッ殺す、との意思表示だろう。
完全に降伏して詫びを入れれば、半殺しにされた後で部下として登用される、そんなルートもあるのかも。
だけど、誰かに使われ続ける人生をまた選ぶほど酔狂じゃない。
表情を引き締めた俺は、村雨姉妹を指しながら言う。
「巻き込みたくないから、あの二人は部屋の外で待たせていいか」
「あー……チビの方はいいが、姉はダメだ。おいチビガキ、一人で逃げたら姉ちゃんと親父が死ぬからな? 大人しく待ってろ」
貞包の返事に、瑠佳と汐璃と門崎が揃って顔を引き攣らせる。
「社長、木下さんは」
「チッ! 放っとけ、と言いたいがそうもいかねぇな。隣にでも運んどけ……騒ぐと面倒くせぇから、起こさなくていい」
姉に促されて汐璃はノロノロと部屋を出て、芦名に両脇を抱えられた木下は隣の部屋へと消えていく。
退散する機会を失った門崎は、予期せぬ処刑宣告に愕然としていた。
オタオタする姿を見せられ、ついつい笑いの発作が起きかけるが、ギリギリのところで堪えて貞包に話を振る。
「再確認するが……アンタらはどうする? オススメはコッチは諦めて、そこのオッサンを変態に売ったり、バラしてパーツ取ったりで金に換えるコースだ」
「残念ながら、ウチにはそのコースは用意されてねぇ……てぇか、その娘を御指名で予約が入ってるんで、キャンセル不可能なんだわ」
「なるほど、ねぇ……想像以上に複雑な舞台裏があるらしいな」
瑠佳を買おうとしているヤツも、正体を調べておく必要があるな。
そんなことを考えていると、貞包が芦名の肩を妙なリズムで叩いて、耳元でもって何事かを囁いた。
その瞬間、芦名の表情に劇的な変化が生じ、粗暴な圧力が膨張する。
芦名のやつ、凶暴そうな見た目に反して血の気が乏しいキャラと思いきや、スイッチを他人に預けてるタイプだったのか。
こういう二重人格的なヤツには、以前にも何度か遭遇したことがある。
能力はピンキリだが、高確率でブレーキがついてないのが厄介なんだ。
「へぇ……結構な仕上がりじゃないか。どうやったんだ……薬物? 調教?」
「こいつはナチュラルだ。イジメられっ子だった小学生の頃、飼っていたハムスターを殺されて犯人共を病院送りにした後、色々あってこうなった」
「タイソンのパクリじゃねえか」
「フン……芦名には蹴りもあるから、タイソンより手強いぞ」
マイク・タイソンが飼っていたハトを殺されてブチキレ覚醒した、なんてのは今となっては誰も覚えてないエピソードだが、この時代ならそれなりに有名だ。
にしても、芦名の戦闘スタイルを事前に教えてくれるとは、どうにも貞包は口が軽すぎるな。
自分を大物だと思っているからこその鷹揚さなのか、単に迂闊な性格ってだけなのか。
「ふーっ、ぷふーっ、ふーっ、ふぅーっ、ふーっ」
「すげぇ過呼吸だな。そのまま変身でもしそうな勢いだ」
コチラの煽りに応じず、芦名は据わった眼で俺をジッと睨む。
ゴングを待つボクサーに似た気配を漂わせ、ただ無言で見据えてくる。
短刀の刃先を向けているのに、まるで動じた様子がない。
表情から伝わってくるのは、純粋な破壊衝動だけだ。
武器を持った相手との戦闘にも、ある程度は慣れているのかも。
どこまで効くかわからないが、多少は攪乱を目的に布石をしておくべきか。
いくつか方法を考えた末、短刀を床に放り捨ててから、呆けている瑠佳に声をかける。
「おい、サメ子!」
「んぇっ⁉ な、何ですのっ?」
「どこのお嬢様だよ。そんなことより、そこに転がってるカメラあるだろ」
「えっ……あっ、うん!」
「それでな、俺がコイツらをブチのめすシーン、撮影してくれ」
瑠佳は言われた通りにカメラを手にするが、俺に向ける視線には不安と心配が山盛りに含有されていた。
ここまでの戦闘を見てきた後でも、芦名の魁偉ぶりは動揺を誘うのに十分すぎる迫力らしい。
そんな俺たちのやりとりに、貞包が薄ら笑いを崩さないまま口を挟んでくる。
「ブチのめされんのかよ、おっかねぇ。しかしまぁ、アレだ。学生にしちゃ腕も度胸もあるようだが……ウチらみたいなのを敵に回す意味、本当にわかってんのか?」
「ボランティアで害虫退治をする社会貢献かな。ちなみにだが、あんたの言う『ウチら』な、もうアンタとそのデブしか残ってないぞ」
「はぁ? どういうフカシだよ……おい」
「大マジだ。嶋谷の案内もあったんで、森内も油断したんだろ。三階にいた七人は、全員ボコって戦闘不能だ。何なら電話してみろ……誰も出ないから」
嶋谷や森内の名前を出したことで信憑性が上がったようで、貞包の目の色にジワリと焦燥が滲む。
だが、数秒で「そんな馬鹿なことがあるわけない」と全否定するのに成功したようで、再び余裕の表情に『嗜虐』の情動を立ち昇らせる。
「クックックッ……まぁ、そのビデオはいい記念品になるかもな。顔の輪郭が変わるくらい殴られて、泣きながら全裸で土下座するシーンを葬式で流せば、きっと爆笑モンだぜ」
「ホントに品がなくてつまらんセンスだな……まぁそういうのが好みなら、アンタの号泣全裸脱糞土下座はキッチリ収録して、親類縁者に無料配布してやるよ」
俺の返答に薄笑いを引っ込めた貞包は、芦名の耳元で再び何かを囁く。
それからすぐに離れると、「パンッ」と一つ柏手を鳴らす。
乾いた音が響くと同時に、芦名は大きく息を吸いながら向かってきた。