第117話 「足元がお留守になってますよっ、と」
ダイビング、というかフライングヘッドバットを顔面で受け止める荏柄。
流石に大きくグラついたが、そのまま倒れるようなこともなく、床で受身をとっていた俺の方へと向き直る。
犬猫コンビのネコにインスパイアされた一撃だったが、だいぶ効いたな。
鼻骨が砕けたようで、両の鼻の穴から中々の勢いで流血していた。
この絵面だけを切り抜けば、完全にギャグ漫画の一シーンだ。
「ぐっ、ぞぉえぁっ!」
大声で喚きながら、デカいモーションで右脚を蹴り込んでくる。
強制的な鼻声とブチキレ状態の相乗効果で、何を言ってるかわからない。
まぁ通常の状態でも、クスリのせいでどこまで正気かわからんのだが。
そんなことを考えつつ、ポケットに手を入れて素早く中身を引き出す。
「ふっ――ハッ!」
殺意高めな前蹴りを左回転で躱し、その途中で刃を出したナイフを一閃。
アキレス腱を狙っての攻撃は、確実にヒットしたハズだが手応えが微妙。
どういうことだ、と見れば血が付いてない――ナマクラで斬れなかったのか。
ガラクタを持ち込むなボケが、と持ち主を小一時間説教したい気分だが、当然ながらそれどころじゃない。
「んだオラッ! ぐだばりゃぁああっ、ごぞぉおおおっ!」
たぶん「くたばれ、小僧」と吼えながら、追撃の蹴りを放ってくる。
また右のサッカーボールキックで、何とも単調というか芸がないというか。
全力でもって人の頭を蹴ろうとする、その見境のなさは強力な武器だが。
呆れ七割、感心三割で評しながら、今度は右に転がってやり過ごす。
数十センチ離れても風圧が伝わってくるのは大したモンだが、当たらなければ大型扇風機と大差ない。
「おっ――」
倒れ込んだ体勢のまま、踵落としの要領で軸足を薙ぎ払う。
俺からの反撃が命中すると同時に、撒き散らされていた騒音が途切れた。
何の抵抗もなく荏柄は引っくり返って、豪快に尻餅を搗く。
やはり、コチラの行動が「視えて」いても、その全てに反応できるワケじゃない。
だったら、いくらでもやりようがあるし、必要以上の警戒もいらんな。
「足元がお留守になってますよっ、と」
有名アドバイスと共に、クソの役にも立たなかったナイフを投げる。
結構な速度で飛ばしたが、丸めた紙を弾くように軽々叩き落された。
こちらは投擲の直後に、屈んだ状態から低く跳ねている。
間を詰められた荏柄は、身を起こせないまま左右の拳を乱雑に振り回す。
見た目は無様だが、迎撃だけを考えるならそう間違ってない。
問題は、俺を相手にそんなシンプルな戦法を採用したことだ。
「ざっでぇえええんだらっ、がぎゃぁあああああっ!」
鼻と口から血を噴きながら、また無意味に何事か喚いている。
うざってぇんだ、ガキが――と言っているようだ。
クスリの副作用で、思考能力にも悪影響が出てるんだろうか。
唐突に米丸をブン投げた時点で、だいぶ故障してる気がしなくもないが。
相手を観察してみると、目線は的確に俺の挙動を追っていた。
他の効能は知らんが、戦闘に関しては動体視力と反応速度を向上させ、力加減と痛覚のスイッチを切っている、みたいな感じだな。
「殴る蹴るじゃ、止まんねぇな」
口の中で呟きつつ、考えナシに繰り出された右フックを捕獲。
ここで肘や肩を極めたところで、たぶん関節を壊す前に反撃される。
首を狙って絞め落とすのは、強引に振り解かれる可能性が高い。
既に俺をぶら下げた状態で立ち上がり、床に叩きつける予備動作が始まっていた。
だからといって一旦バラし、仕切り直すってのもキリがない。
「ばぁああああああああああっ!」
原始的な叫びを吐き出し、掴まってる俺ごと右腕を高々と上げる荏柄。
傍目から見れば、勝利の雄叫びと思われているかも知れない。
だが、コチラにしてみれば、行動の起点を報せてくれる合図だ。
一時停止したタイミングで掴んだ手を放し、素早く背面へと取りつく。
そこから透かさず、左右の人差し指と中指を、両の眼窩に深く潜らせた。
生温い肉に包まれる不快な感触が、四本の指から伝わってくる。
「ぬぁっ!? おぉ、おっ、おっ、ほぉおぉん?」
ガンッ――と音を鳴らして着地し、指先を払ってネトつく水滴を飛ばす。
相手は痛覚を遮断しているせいで、何が起きたのかわかってない様子。
殺すと後始末が面倒だって意識が強くなりすぎ、ヌルい攻撃ばかり選択するようになっていたのは、今回の反省点だな。
強化した視覚を駆使する荏柄には、目潰しは効果抜群だろう――まぁ誰が相手でも大ダメージになる急所攻撃だが。
「どうした、薬の追加はナシか」
三、四歩離れた場所から煽ると、デタラメに両腕を振り回す。
ダブルラリアットが空振りしたところで、視力を奪えていると確信。
投げ捨てられた鉄パイプを回収し、荏柄の左膝へとフルスイング。
「んぃごっ――」
曲がらない方向に関節が曲がり、直後に体勢を崩して床に潰れる。
倒れたところで右膝を三回殴って変な形にすると、パイプがヘシ折れた。
両肩も可動域を遥かに超えた位置まで捻り、折るか外すかしておく。
いくら苦痛や恐怖を感じなくとも、物理的に壊れたらもう動けない。
かつて、薬や洗脳で狂戦士状態なヤツを止める時、採用していた方法がこれだ。
「道具も品切れだし、自前でやるか。ついでに十回クイズも」
ヒザ、ヒザ、ヒザ、ヒザと繰り返しながら連続してドレッド頭にニードロップ。
最後に「ココは?」と訊きつつエルボードロップでフィニッシュする予定だったが、五回蹴ったところで荏柄が何かを口走った。
「ぱぃ……ぬ」
不正解な謎の単語だけを遺し、そのままピクリとも動かなくなった。
脳を盛大に揺らしたので、意識が戻ってもしばらくは動けないはずだ。
これで最大の脅威は排除できたっぽいが、面倒なのはもう二人いる。
あいつらが終わらせてくれてるといいんだが、どうなってるだろうか。
「おー、珍しく苦戦してたなー。どうしたヤブー?」
奥戸がいそうな方を窺うと目が合って、いつもの調子で話しかけてきた。
誰かの口に手を突っ込み、顎を掴んで持ち上げている――これは外狩か。
いつの間にか復活して、いつの間にかまた退治されてるとは御愁傷様だ。
「あー……あの野郎、ドーピングで俺の動きを予測できてたっぽいんだわ。要するにチートだ」
「中華料理で使う、しょぺえのかー?」
「そりゃ豆鼓な。ズルだよ、ズル」
伝わったのか伝わってないのか、奥戸は曖昧な表情で外狩を捨てる。
既に半死半生な気配だが、階下に落とされないだけマシだな。
「ショットガン持ちのアイツはどうした」
「あー、弾切れの銃で脅してくる一人コントがしばらく続いたわー」
「二発しか入らんのに撃ち尽くしたのは、中々のサプライズだったな」
奥戸の話によれば、ハットの男は銃を使った格闘戦を挑んできたらしい。
本職の軍人ならともかく、素人の真似事が奥戸に通じるワケもなく。
あっという間にショットガンを奪取し、相手はその反動で落下したという。
確認してみれば、「シェー」の出来損ないなポーズで倒れている。
「その後でパチンコマンが復活してよ―、ちょっとやり合ってた感じだー」
「飛び道具以外もイケたのか」
「どうだろうなー。人を殴り慣れてるって感じはするがよー、オレとやるには640光年ばかし早ーな」
「光年は時間じゃなくて距離だぞ」
そしてその数字は、地球からベテルギウスまでの距離だな。
未来の調査でもって、もう少し近いと修正された気もするが。
芦名はどんなんだ――と様子を見れば、守鶴の拘束を解除中だ。
サンキチが綾子に刃物を突き付けたままだと、かなり対処が面倒になる。
なので膠着状態が続くかもと予想したが、一応は片付いているらしい。
「おー、アッシナー。あの変態はどーしたー?」
「変態ばっかで、どいつだかわかんねぇよ。三吉ってのなら、そこに転がしてある」
指差す方を見ると、首ってここまで回るんだっけ、というレベルで捻じれているサンキチが、白目を剥いて横向きに倒れている。
縛られた両の親指は紫に変色し、股間周辺は何かで湿っているようだ。
何かやらかしたのか単に巻き込まれたのか、下浦もブッ倒れている。
少し離れた場所では、綾子が虚ろな表情でへたり込んでいた。
半ばショック状態らしく、俺たちの姿を認識できているかも怪しい。
「何ともまぁ、グチャグチャだけど……とりあえず終わったか」
「後始末を考えないなら、ここで終わりでも構わねぇけどよ」
芦名がまた、見た目によらない常識人ぶりを発揮して応じる。
警察も救急も使えないし、カス共のために更に苦労をするのは御免だ。
ならば、今回の騒動がバレると人生終了で、それが理解できる程度に正気を残しているヤツに、全てを背負ってもらおう。
そう決めた俺は、下浦を強引に立たせて守鶴を縛り付けていた椅子に座らせ、頬をペンペンと十回ほど叩いて意識を呼び戻す。
「おぁ……う、うぶっ……んぁ?」
「寝起きから悪いがな、下浦。お前にはやってもらうことが山盛りある」




