第116話 「アンタの死に様をダーウィン賞にノミネートしとく」
「んー、オメーが相手なのか? ヒョロスケのチビスケじゃん」
小馬鹿にした感じでほざく、荏柄の目付きは異常だ。
両の瞳孔が過剰に開き、瞳は小刻みに揺れている。
キメている薬に、ケタミンでも混ざっているのだろうか。
反論はせずに、左方向から浅く弧を描く軌道で相手へと接近。
「ほぉん、スピード勝負かよ」
「ゥラッ!」
緊張感なく呟く相手に向かって、半ば跳び込む形で仕掛けた。
右手に握った鉄パイプは、顔面を狙って突き出している。
それと同時に、浮かせ気味に踏み込んだ右足が、膝か脛を蹴り潰す。
どちらかを防がれても一発は入る、そう見込んでの先制攻撃だったが――
「おっ――つぁ!?」
「うひー、危ない危ない」
言葉とは裏腹に危なげなく突きを躱し、右足を蹴り返してくる荏柄。
予想外の反撃に軽くフラつくと、得物を掴まれてグィッと引かれる。
マズい、と頭は判断しているが、固く握り締めすぎて手を離せない。
左足一本では抵抗しきれず、そのまま体ごと引き寄せられてしまう。
「遅いなぁ、遅い。こいつぁ残念賞だ」
「あぐっ! ふっ――がぁっ!」
一発、二発と硬く重たい膝が鳩尾の付近を突き上げる。
激痛が弾け、胃液が逆流してくるが、耐えられない程じゃない。
三発目が来る寸前に右手が離れたので、膝を避けつつ左フックで牽制。
死角からだったのに、アッサリ右腕で受け止められ、返す刀で平手打ちが来た。
「ぐぅっ――」
「まぁだ遅い。全部が見えてんだよ、間抜けぃ!」
「おぁっ!」
横っ面を猛然とビンタされ、熱さと共に左耳から聴覚が消える。
鼓膜は無事か、と湧き上がった不安は、追撃の前蹴りで強制消去。
左拳が命中する前提の挙動だから、左右にも後ろにも回避できない。
勢いを減殺するには――咄嗟に前方に体を投げ出す。
荏柄の右足は必要な間合いを失い、半端なタイミングで俺の胸を捉える。
そして、蹴るというか強引に押し出すように、ドンッと撥ね飛ばした。
「ぶぉへっ!」
どれだけ飛ばされたのか、背中を強打して肺の空気を全放出。
床ではなく、落下防止用の鉄柵にぶつかったようだ。
左耳はまだ「ぐゎん、ごゎん」と妙な音が鳴っているが、それ以外の音も聞こえる。
半ば空中にハミ出した体勢を立て直し、各部を動かして状態を確かめた。
首、肩、肘、手首、腰、膝、足首――アチコチ痛むが、動くは動く。
骨までいってるダメージがなければ、大した問題じゃない。
「いよっほー、見た目より頑丈じゃん! 気に入ったぜ、オメー」
鉄パイプを捨てた荏柄は、縦長ケースから四角いタブレットを口に放り込む。
このタイミングでペッツを食うのもアレだし、たぶん似た形の錠剤だろう。
ゴリゴリと噛み砕いた後、痙攣するように全身を大きく震わせている。
薬の効果がすぐに切れるのか、単に過剰摂取しているのか、どっちなんだ。
震えが収まったかと思えば、今度は短いゲップのようなものを繰り返す。
十数秒で発作めいた珍妙な動きを鎮めると、俺を指差しながら言う。
「ふぃーっ、あと二発耐えたら新記録だぜぇ? ギネスに申請してやんよ」
「そいつは助かる……代わりにコッチは、アンタの死に様をダーウィン賞にノミネートしとく」
俺の返しがピンと来なかったのか、荏柄は黙って目を細めた。
もしかすると、この世界ではダーウィン賞が存在しないのかも。
いや、まだ賞そのものが発足する前って可能性もあるな。
そこで思考を切り替えて、この腐れジャンキーをどう始末するかを検討。
仮にドーピングで能力がハネ上がろうと、肉体的なダメージは残るはず。
だから、打撃で弱らせてから何ヵ所か折れば……と思ってたんだが。
「殴り殺されるのと蹴り殺されるの、どっちがいい?」
「究極の選択とは懐かしい。ついでに十回クイズもやっとくか?」
ガッツリとキマっているだろうに、何故だか足取りはシッカリしていた。
リミッターを外したり痛覚を無視したりのメリットと引き換えに、反応が鈍くなるとか行動が雑になるとかのデメリットがある、みたいなタイプじゃないらしい。
となると、どういう組み立てで対処するべきなんだろうか。
ゆっくり近付いてくる相手を見据えながら、次の一手を考える。
『んぃいいいいいいいいいいいいいいいいっ!』
誰が発したのか、悲鳴だか何だかわからない奇声が響く。
それがスタートの合図だったかのように、荏柄の動きが軽くなる。
受け身のままだと、体格差で押し切られる可能性が高い。
リーチでも負けてるし、何かないか――と、ポケットを探れば指に触れる。
そういえば、伸縮式の特殊警棒とバタフライナイフを回収していた。
この場面ではコレだろうな、と黒いスチール警棒を掴み出して一振り。
「オモチャなんざ、卒業しろっ!」
「テメェの手下の、愛用品だっ!」
放たれたのは、格闘技の経験を感じさせない力任せな右ストレート。
素材の味だけで勝負するヤツは、何をしてくるかわからない怖さがある。
なので回避でもカウンターでもなく、五十センチ程に伸ばした武器を使う。
突き込んでくる拳を狙い、上から引っ叩く形で警棒を一閃。
確かな手応えが返ってくる――が、荏柄はまるで怯まずに突進を継続。
「ぅざってんだよっ! クソァッ!」
「っと――フンッ!」
右が叩き落されたんで、今度は左拳を使おうとする荏柄。
右手の指は何本か変な形に捻じれているが、効いてる気配はゼロだ。
素人丸出しのテレフォンパンチだが、当たればそこで終わりかねない。
身を屈めて左前方に跳び、擦れ違いざまに右脛を薙ぎ払っていく。
だが攻撃意図を察知され、命中する前に警棒を握った手を蹴り飛ばされる。
「ぬぁ、だっ!」
金属製の網状になっている床を警棒が転がり、耳障りな音を鳴らす。
武器を失ったと同時に、右手首にもダメージを貰ってしまった。
追撃が来る前に、間合いを詰めて殴る蹴るを封じたい、のだが――
「チョロチョロ、すんなっ!」
「おんっ――」
俺の反応よりも早く、というか信じ難い速度で左の爪先が飛んできた。
何の工夫もない、ボールを蹴るような一撃を右の脇腹に食らう。
思わず呼吸と動きが止まってしまうと、追撃が頭部を狙って繰り出される。
モロに受けたら意識が消える、と反射的に伏せて素通りさせ、床を転がって距離を作ろうとするが――
「コゥラッ! オイッ! アザラシッ! ゴッコかっ!?」
吠え散らしながら追ってくる荏柄が、連続で足裏を落としてくる。
これでは間合いも取れないし、体を起こすタイミングもない。
鉄柵の近くまで転がり続けて、そこでどうにかするしかないのか。
とはいえ、柵の安全性が甘そうだから、どうなるか不透明だ。
最悪の場合、垂直落下式セルフブレーンバスターの炸裂も覚悟せねば。
「ふぐっ」
目が回りかけた状態で肩に衝撃が来て、つい変な声が漏れる。
幅広の格子になっている柵を掴んで体を起こすと、ムカつく笑い声。
「んははははははっ! 六発も耐えるかよ、マジでスッゲーな!」
「あぁ……まぁまぁ、ナマクラだな……クスリ抜いて、鍛え直せ」
横転しすぎて視界が揺れ、だいぶ息も切れてるが、とりあえず煽る。
限界が近いのに強がってる、と判断したのか音量のデカい笑いは止まらない。
「ぬはっ、ぅははははははっ! オメーみたいなの、嫌いじゃねぇけどな……ここまで来たらもう、カタァつけるしかねぇから」
グンッと右腕を引き絞ってから、掬い上げるような打撃。
腹なのか顎なのか、狙いが定かじゃないけど、たぶんアッパーだ。
避けられなくはないが、避けてもすぐに次が、そしてその次も来る。
しかも、連続攻撃を耐えるには、ポジション取りが最悪に近い。
「オラッ! 七発目、終われっ!」
KO予告を聞き流しながら縦に跳び、柵の上に一瞬だけ着地する。
間髪を容れずに柵を蹴り、急接近してくる右拳の上を平行に飛ぶ。
直後、視界にド派手な火花が散る――ヘッドバットの命中で荏柄の顔面に結構なダメージが行ったハズだが、こっちの頚椎もオカシくなりそうだ。
俺の動きが見えてるのか予測してるのか、だったとしても。
反応が間に合わなければ、何もわからんのと同じことだろう――




