第11話 「おっさん同士でイチャイチャしてんな」
短い廊下の先に、『HST総合管理』と書かれたドアが見える。
その前まで来たところで、嶋谷が「開けるぞ?」と言いたげな顔で振り向いてきたので、コチラも無言で頷き返した。
「はーい、どうもー」
ドアを開けた嶋谷は、売れない芸人のような挨拶と共に中へ入っていく。
少し躊躇っている様子の瑠佳の背中を押て、俺たちもそれに続く。
複数の不躾な視線が、一斉にコチラに向けられる。
不審や警戒といった感情の混ざった気配に、僅かに心拍数が高まる。
だがそれも、すぐに霧散して緩んだ空気に入れ替わった。
そして、スーツが似合わない三十過ぎの男が、億劫そうな足取りで近づいてくる。
「何だよ、シマちゃんが来たの? ノムたちは? そいつ誰?」
「あ、はい。あいつらは別件あるとかで、オレが代わりに。こいつは、野々村んとこの新入りっすわ。おい、こちら森内さん、な」
「ウス、よろしくっス」
「おう。それで、これが門崎の上の娘か……似てないな」
深々と頭を下げる俺を軽く流し、森内は瑠佳を注視する。
遠慮のない視線だが、さっきのパンチとは違いスケベ心はあまり感じられない。
これは多分、商品としての女を見慣れている態度だ。
カンザキ、ってのは瑠佳の元父親の名字だろうか。
とりあえず、クソ親父から下の娘――汐璃を奪回しなければ。
姉妹の安全を確保したら、この会社を壊滅させる方法を検討しよう。
「それで、門崎のヤツはどこです?」
「今ちょうど木下さん来てるんで、上で色々と話してるみたいだ」
「えぇと……下の娘も一緒、ですかね」
「ん? 上の事務所にいるんじゃねえの。ていうか、お前が気にすることじゃないだろ」
「それはまぁ、そうですけど――」
「俺が気にしてんだよ」
嶋谷の言葉を遮って前に出ると、森内の目がスッと細められる。
この手のアウトロー気取りは、いつの時代もスイッチの切り替えがわかりやすい。
「おいクソガキ、上のモンが話してる時は口を挟まない、って程度の常識もねぇのか?」
「社会に必要ないゴミカスを上位存在と認識する、イカレた常識は残念ながら――」
持ち合わせてない、と続けようとしたところで、右のミドルキックが飛んでくる。
加減のない鋭い蹴りではあるが、半ば予期できたリアクションだ。
俺は瑠佳を抱えると、足の届かない位置へと跳び退く。
「おぅぐっ――」
巻き添えを食らった嶋谷がケツを蹴り飛ばされ、近くのスチール机に倒れ込んでファイルや電話機を床にぶち撒ける。
その騒音で、それぞれに作業をしていた他の連中が、トラブルの発生を察知してこちらの様子を窺い始めた。
「どういうつもりだ、クソガキ。何を調子こいてんだか知らんが、お前だけじゃなくて仲間もタダじゃ済まねぇぞ?」
「野々村とその手下なら、そいつの店で泡吹いて転がってるぞ」
「へぇ、まさかのカチコミか……どうなってんの、シマちゃん?」
不意に話を振られた店員は、倒れたままでビクッと全身を跳ねさせて、しどろもどろに応じる。
「いやっ⁉ あのっ、オレも脅されちゃってまして、はいぃ……」
「こんな学生サンにビビってんのか……迷惑料は高くつくぜぇ、シマちゃん」
「おっさん同士でイチャイチャしてんな。お前の相手は俺だろうが」
チンピラトークを強制終了させた頃には、森内の背後に緑ジャージの男二人が待機していた。
そして俺と瑠佳の退路を塞ぐように、黒ジャケットと和柄の開襟シャツの二人が立つ。
俺の前と後ろ、どちらにも行ける位置には、木刀を持ったオールバックが陣取る。
念のため逃げ道を確認しておくと、入ってきたドアの前には喧嘩が得意じゃなさそうなヒョロいメガネと、いかにもヤンチャしてますという雰囲気の赤髪が。
指示がないのに素早く動いた点だけでも、コイツらがビリヤード屋でボコったアホ共よりは手強いのがわかる。
「女を救いに来たヒーロー気取りか? カッコイイなぁ、オイ」
「フッヒッヒッヒ、マジでウケるんだわ」
「漫画の読みすぎなんだよなぁ、ボクちゃん」
それこそ昭和の漫画の悪役チックな、テンプレな台詞が周囲から飛んでくる。
怯えた瑠佳にしがみつかれると、ちょっと動きづらくなるかもしれない。
そんな計算もしていたが、覚悟を決めたのか俺を信頼しているのか、瑠佳は震えたり固まったりすることもなく、チンピラ連中の視線を正面から受け止めていた。
ゴチャゴチャうるさい声が飛び交う中、彼女の耳元に顔を寄せて囁く。
(左手、机の下)
始まったらそこに退避しろ、という意味でボソッと伝えた。
意図を理解してくれたのか、瑠佳は小さくアゴを引きフンッと短く鼻息を吹く。
女子高生らしからぬ行動に少し笑いそうになるが、気を抜いていい場面ではないと我に返って森内に向き直る。
「さて、クソガキ……格闘技でも齧ってて、それでイキがってんのかもしれんがな……ウチらみたいなモンを相手にするって意味、わかってんのか?」
「まず確認しておきたいんだが……ウチらみたいなモンってのは、ヤクザの下請け業者としてセコく稼いでる情けねぇコバンザメ、って理解で合ってる?」
「ってめっ! ザケてんじゃ――」
煽り返したところで、黒ジャケットが背後から突っ込んでくる。
手近なキャスター付きのスチール椅子を蹴って、黒ジャケットに向けて転がす。
昔ながらの重たい椅子は、狙い通りに標的に衝突して足を縺れさせた。
「おわっ、ぷぁっ――まぅ!」
ゴンッ、と鈍い音を立てて顔から床にぶつかる黒ジャケット。
手をついて起き上がろうとするその後頭部に、速やかに踵を落として床との再会をサポートしてやる。
十秒足らずで一人が戦闘不能になったことで、場の空気が瞬時に張り詰めた。
ぼぶぅううううううぅううぅ……ぷっ
ピクリとも動かない黒ジャケットから、緊張感を粉砕する放屁音が鳴る。
気絶して全身の力が抜けたせいで、肛門まで弛緩したようだ。
どうにも締まらない雰囲気になっているが、第二ラウンドは有耶無耶に始まろうとしていた。
大きく溜息を吐いた森内が、顰め面で煙草に火を点けてから言う。
「まったく、面倒くせぇ……いいか! とにかく一斉に掛かって、そのガキを動けねぇようにしろ!」
森内の指示はシンプルだが、アホ共を動かすならこのくらいが丁度いい。
少しだけ感心しながら、前後の三人がどう動くかに注意を払う。
前は嶋谷がひっくり返ったままで、後ろには黒ジャケットが俯せ寝。
どちらも、それなりの障害物として機能してくれるハズだ。
瑠佳にはまぁ、状況が動くと同時に机に潜る程度は期待していいだろう。
ダメならダメで、その時にまた次の手を考えればいいだけだ。
「まぁ、アレだ……大人しくしときゃ、すぐ終わる」
「運が良ければよ、ボコボコの後で奴隷になって、命は助かるかもなぁ」
ジャージの二人が、ニヤけた面を晒しながら距離を詰めてくる。
開襟シャツは、ポケットから伸縮式の特殊警棒を取り出し、一振りしてセッティングを終える。
「オスガキの方がイイっていう、頭のおかしい野郎もいるからな……死ぬよりはマシだろうから、お前は感謝しながらケツを掘られとけや」
流石は前世紀、様々な配慮が大幅に欠けている発言だ。
チラと視界に入れるが、木刀持ちと入口前の二人は動く気配がない。
どこかからの増援がやってくる様子も、とりあえずはない。
飛び道具を出してくる危険も、まずないと思っていいだろう。
じゃあ、ここらで始めるとするか――