第108話 「畑で育つ作物が餃子と干瓢だけの地方」
混濁した状況を単純化して、無数にある選択肢を少数に絞り、提示した中に正解があると思わせ、コチラに都合のいい「正解」を選ぶよう誘導。
追い詰められた人間に対して結構な頻度で使っていた手口なのだが、この二周目でも変わらず効果的なので助かっている。
教えてくれたのは詐欺師だったか、胡散臭い自称霊能者だったか。
遠い記憶を浚っていると、アルジェントが呻くように言う。
「少し……考えさせてもらえない、かな」
「言っておくが、そんなに待てないぞ。雪枩の件は、断片的な噂だけにせよアリスにまで届いてたんだ。となればアチラの業界じゃ既に周知の事実で、もう動き出してる連中もいるハズ……報復対象のリストに入れられてれば、いつ何があってもおかしくない」
「ボクもマズい立場なんだろね、やっぱり」
「さぁな。どこまで雪枩と関わったのか知らんが、アレに弱味を握られてたヤツにしてみりゃ、関係者は残らず消したいのが本音じゃないか」
信号待ちの最中、運転手は落ち着かない様子で貧乏揺すりをし、ピアノをデタラメに弾くようにハンドルを指先で繰り返し叩く。
トタタッ、トタタッと刻まれるリズムが、信号が変わると同時に止まった。
アルジェントは顰めっ面で深々と溜息を吐くと、ゆっくりとアクセルを踏みながら訊いてくる。
「どれか選んでから、やっぱ別のにする……ってのはアリ?」
「人生に慎重さが必要な場面は多いが、今は違うな」
わざわざ説明しないが、俺の下で働く以外のルートを選んだら、綾子へのストーキングに対する対価を払ってもらう。
この場合でも俺のために働かせることになるし、仕事内容は今と大差ない。
ただ、労働条件が劣悪になり、落とし前として就業前に半殺しになるだけだ。
ここで「正解」を回避するタイプは使い勝手が悪いだろうから、そこらへんを矯正するための工程でもある。
「仮にキミに使われる立場になったら……『はーるーま』はどうなる?」
「続けたければ、続けても構わない。だけど、新人アイドルのつまらんスキャンダルなんかはNGだし、コッチの指定したネタを扱ってもらう場合もあるかもな」
「うーん……たとえば?」
「現状では未定だが、俺の手元には雪枩の所から持ち出した資料が色々と――」
俺の言葉を遮って、アルジェントが勢いのある奇声を発する。
「ふひょうぇあっ! マジで!? 雪枩コレクションの実物っ!?」
「お、おう。ビデオとか写真とか、調査情報の詰まったファイルとか、そういうのが十数人分ある。それを使って、告発記事なんかを作ってもらおうか、ってのも考えてる」
覚えている名前を何人か挙げると、先程のドロッとしたものとは異なる、陶然とした感じの吐息を漏らした。
「マジか。うーゎはー、マジでか……それボクが見ても大丈夫なの?」
「勝手に流出させたりはナシだが、基本的にはどう扱っても構わんぞ」
「そっかぁ……日本の闇が詰まってる、あのコレクションが……」
そんな大層なモンでもなかろうに、と思わなくもなかったが、アルジェントは感動しているようなので水は差さずにおく。
時々忘れそうになるが、ネットが一般化してない時代の「特殊な情報や知識」「レアな映像や音源」の価値は極めて高い。
二十年もすれば数十秒で検索できる殺人映像も、この頃には都市伝説的な幻のアイテム扱いで、それを題材に何本も映画が作られたりする程だ。
「そろそろ目的地に近い……決心はついたか、アリス」
「うん……キミのとこで働かせてもらおう、かな」
「歯切れ悪いな。だがまぁ、歓迎する。報酬とかの条件は追々決めよう」
「えっ、給料出るの?」
「奴隷募集とは言ってねぇよ」
ウチの手前まで戻ってきたので、車から降りてスライド式の門扉を開く。
そして庭に停めるようハイゼットを誘導していたら、鵄夜子と芦名が家から文字通り飛び出してきた。
血相を変えて、という表現が似つかわしい二人の様子に、ロクでもない状況になっているのを確信させられる。
「荊斗! アヤちゃんが消えたの!」
「消えたの、じゃないが」
「二日酔いで具合悪そうだったから、綾子さんには留守番してもらって、俺らでスーパーまで買い物に行ったんだが……家を空けたのは三十分か四十分だ」
「強引に拉致されたような痕跡は」
俺の質問に、二人は揃って首を横に振る。
「玄関は鍵かかってたし、窓が破られてもなくて。あとこんなメモが!」
見せてきた紙には「すぐ戻る 心配しないで」と走り書きの二行。
せめて行き先ぐらい残してくれ、と言いたくなるが本人も知らなかった可能性はある。
呼び出されたか、迎えに来たか――何にせよ、最大限に警戒しているであろう綾子が拒絶しない相手、となると大体の想像はつく。
「やけに落ち着いてるな、ケイ」
「まぁな。面倒は増えたが、行き先はわかる。栃木だ」
「栃木って……あの栃木?」
「何種類あるか知らんが、畑で育つ作物が餃子と干瓢だけの地方」
「そこはあたしの知らない異界なんだけど」
困惑気味な二人に下浦から訊き出した情報を伝え、栃木の廃工場でロクでもないイベントが準備されているらしい、というのも手短に説明。
ともあれ、慌てて綾子を探しに出たりせず、自宅に連絡が来るか俺が戻るかを待つ、を選んでくれたのは不幸中の幸いだ。
そこにのたのた歩いてきたアルジェントを指差し、姉さんが訊いてくる。
「んと……その子は何なの」
「コイツはアリス、アリスティド・アルジェントさんじゅうご歳」
「えっ、外国人? 十五歳? 性別は? 運転させて大丈夫?」
「イタリア系の日本人で、三十五歳になるオッサンだ。免許もある」
アルジェントが差し出した免許証を確認し、鵄夜子と芦名がさっきの俺と似たような反応を見せている。
「三十五のおじさん……何で肌がスベスベなの」
「嘘だろ……この見た目で歳がケイより二十も上、だと……」
「うぇっ? あんた高校生なのかよ!?」
「ああ、薮上荊斗さん十五歳だ。今後ともよろしく」
ついでに、アルジェントが俺の年齢に驚いていたりもした。
さて、芦名を戦力に加えるとすると、姉さんとアルジェントをどうするか。
少し考えて、置いていく不安より連れていく危険の方がマシ、と判断。
「よし、綾子を奪還しに行くぞ。全員、急いで支度しな」
「四十秒で?」
「三分くらいは待ってやる」
そんな会話の五分後、準備を終えた一同でラルゴに乗り込む。
運転は芦名、助手席に鵄夜子、まだ信用性の低いアルジェントは後部座席で、俺が隣について警戒。
服装はチンピラのコスプレから変なTシャツとカーゴパンツ、それに安全靴を履いた戦闘仕様に切り替えてある。
それにしても、シャツにプリントしてある「デカいアシカが芸を披露する人間に魚を食わせてる」主従逆転イラストは何なんだ。
「とりあえず、綾子のマンション近くまで」
「おう。他に寄る場所があれば、言ってくれ」
道中に特にトラブルはなく、アルジェントとその手下が何をやらかしたのか、などを説明している内に、車は偽装電波屋敷へと到着。
しかし、家の前から下浦が乗ってきたパジェロが消えている。
猛烈に嫌な予感がするが、調べないわけにもいかない。
芦名を伴い、人の気配がない屋内を見て回るが、やはり家はカラッポだ。
下浦も、アルジェントの不快な仲間たちも、奥戸も姿が見えなかった。
「……誰もいないな」
「オクまで消えてるから、回収に来た連中に拉致られたかな」
あいつが素直に攫われるとも思えないし、綾子を人質に脅されたのか。
そうでなければ、俺が指示しておいた通り逃げたって可能性もあるが。
ただ、問題の廃工場までの道を知っている、下浦が消えたのは少々厄介だ。
尋問の中でヤツが口にした大まかな住所は覚えているものの、土地鑑のない場所をカーナビもナシに目指すのはまぁまぁ骨が折れる。
そんなことを考えつつ、芦名と共に二階の窓から外を眺めていると、隣家の庭にある物置の陰から銀色の何かがチラチラと――
「んぁん?」
芦名が不審の声を漏らすと、それで気付いたらしい奥戸が姿を現し、暢気に手を振りながら言う。
「一足遅かったなー、ヤブー。下浦らは連れてかれたみてーだー」
「何で他人事感が漂ってんだよ……」
家から出ると、奥戸もブロック塀を乗り越えて戻ってきた。
何があったのかを訊けば、車数台でやって来た集団が、チャイムも鳴らさず乗り込んできたので、二階にいた奥戸は遭遇する前に窓から脱出したらしい。
頼もしい判断の速さだ、と思いつつ初対面の挨拶を交わしている奥戸と芦名に告げる。
「モタモタしてると、何があるかわからん。例の工場に急ぐぞ」
「おー、下浦のヤツに詳しく聞いといたから、道案内は任せろー」
「でかした、オク! 帰りは好きなだけしもつかれ食っていいぞ」
「罰ゲームかなー?」




