第107話 「ロクでもないイベント発生の予感しかないが」
「一発も殴らずに済むとか、下浦が素直で助かったわ」
「代わりにボコられてんのが三人ほどいたけどなー」
右拳に巻いたタオルを解き、血痕で斑に染まったそれをシンクに放る奥戸。
二階で行った下浦の尋問を終え、今は一階のキッチンで情報整理の時間だ。
アルジェントの手下三人に、綾子へのストーキングという「遊び」の代金を体で支払わせる様子を見せながら質問すれば、下浦は全てに即答してきた。
いつものことだが、他人を甚振って楽しむ癖があるヤツほど、自分の痛みには耐性がゼロなのが腹立たしい。
「しかしなぁ……あからさまに怪しいヤツが黒幕でした、って真相はどうもシックリこないんだが」
「映画とか漫画なら裏にもう一枚あって当然だけどよー、現実ってのはワリとシンプルだぜー? 番長はいても、裏番なんて普通いねーだろー?」
「リアル番長すら見たことねぇが」
下浦が言うには、原因に心当たりがないのに、最近は干され気味だったらしい。
アルジェントからの補足によれば、各種やらかしを重ねて業界内で悪名が広まり、芸能関連の仕事が回ってこなくなっただけ、とのことだが。
ともあれ、そんな状況で救いの手を差し伸べてきたのが、『テールラリウム』のマネージャー米丸美茉だった。
彼女は結構な額の報酬と、近い将来にOTRから発注する大きな仕事を提示し、下浦を個人的に雇い入れたのだそうだ。
「徹底的に追い詰めたいレベルで、綾子に恨みを募らせてたのかね」
「事情は知らんけどー、可愛さ余って菊座拡大ってパターンかもなー」
「憎さ百倍な。ケツに何を入れてくれてんだよ」
富田を脅して操ったり、綾子の私生活を監視して盗撮を繰り返したり、そうして撮った写真や米丸から提供された情報をSATに流したりと、下浦は今回のストーカー事件で中心的な役割を果たしていたようだ。
本人は「自分は頼まれた仕事をやっただけ」と罪悪感ゼロなのが腹立たしい。
このアホはとりあえず措いといて、米丸はどういうつもりなんだろうか。
「いくら脱退した元メンバーでも、綾子に何かありゃテールラリウムも無傷じゃ終わらないし、マネージャーの関与がバレたら大騒動になるだろうに」
「そこら辺はまー、現地で締め上げて訊き出せばいんじゃねー?」
「栃木の廃工場か……ロクでもないイベント発生の予感しかないが」
「だよなー。下浦も何すんのかよく知らねーとか、マジ嘘くせー」
米丸から「夜中に騒いでも問題ない人里離れた田舎の物件」を用意しろと指示され、以前に撮影で利用した廃工場を借りた、と下浦は述べる。
だが、使用目的については「わからない」「何かの撮影だとか」と曖昧だ。
だから、何か隠しているのではと疑いたくもなるのだが――
「両手の指を一本ずつヘシ折られてる『フェニックス一揆』が目の前にいて、それでも隠し通せるほど根性ねえだろ、あいつ」
「あー……演技であんだけビビれるなら、逆にスゲーってのもあるなー」
苛烈な暴力を超アリーナ席で観賞させられながら、次から次に質問される異常なシチュに耐えられなかったのか、下浦は二回ゲロを吐いて小便も漏らした。
真っ白な顔色になりながら最後までダウンせずにいたアルジェントの方が、強靭なメンタルの持ち主と言えそうだ。
部下を庇う動きは見せず完璧に見捨てているので、単に性格が根本から畜生な可能性も否めないが。
それにしても、躊躇なく人を殴る蹴るしながら、脳や内臓に深刻なダメージが残りそうな攻撃は避ける、奥戸の「暴力に馴染みきっている」雰囲気には、よからぬ事情の存在が透けて見る。
表面上の暢気さに糊塗された、過去の生活の荒み具合を想像してしまうのだが、その内に詳しく聞いといた方がいいんだろうか。
そんな気懸りを覚えつつ、現在の問題を解決するために思考を切り替えた。
「何が起きるか知らんが、俺らもその工場に行くべきなんだろうな」
「そこで黒幕をとっ捕まえて終了、だとラクなんだがー」
「状況がわからんから、ちょっと戦力を追加したい感がある」
「んー? 桐子や瑠佳は喧嘩に向かねーだろー」
「あいつらじゃなくて、パワー系の隠し玉が一人いるんだ」
ただ、芦名を呼び出す場合は綾子と鵄夜子をどうするかが問題だ。
誰かの家に匿ってもらうか、セキュリティがまともなホテルに避難させるか。
そういえば、SATの資料を回収しておきたい、ってのもあるな。
まずは自宅に戻って、直接相談してからココに帰ってくるとしよう。
そんな考えを告げると、両手に染みた赤色を落としながら奥戸は応じる。
「了解だー、行ってこーい」
「じゃあ、運転させるからアリス連れてくわ」
「オレの方で、何かやっとくことあるかー?」
奥戸に問われ、しばらく考えるが重要度の低いものしか浮かばない。
「これといってない、が……下浦と雑談でもして、役に立ちそうなネタがあれば後で教えてくれ。それと、予想外のアクシデントが起きたら迷わず逃げろ」
「予想外ってーと、どんなだー」
「アクセル全開で車が家に突っ込んでくるとか」
「そんな無茶するヤツいねーだろー」
「目の前にいるんだよなぁ……」
そんなこんなで、アルジェントにハイゼットの運転を任せ、妄言だらけの看板で迷彩されたアジトを離れた。
二階から降ろしたパソコンも、ちゃんと積み込んである。
荷物がギチギチなんで、バックミラーが機能してないのが少々不安だ。
ただ、アルジェントの運転は見た目によらず危なげない――と感心しかけたが、コイツくらいの体格は女なら結構いるな、と気付いてどうでもよくなった。
「事故るなよ」
「……わかってる」
「隠蔽が面倒だからな」
「バックレ前提なんだ」
車内にはキツいヤニ臭が残留していて、どうにも居心地が悪い。
この時代は喫煙者だらけだったな、と思い出しながら窓を下ろす。
隣のアルジェントから、何か言いたげな視線がチラチラ飛んでくる。
動揺でミスられても困るな、と判断して俺から話題を振った。
「アリスはどうするんだ、これから」
「それを訊きたいのはボクの方っていうか……どうするつもりなの、実際」
「まぁ、手下が全員半殺しになるのを見物したら、ちょっと不安になるよな」
「ちょっとどころじゃない、っていうか……見てよホラ、この手汗ぇ!」
コチラに向けた左の掌が、笑えないほどビチャビチャで笑ってしまう。
あまり脅すと本当に事故りそうだが、早めに立場を自覚させる意味でも、伝えておかなきゃならない話がある。
「まず確認しときたいんだが……雪枩力生からの依頼で仕事をしたことは」
「そっ、それならある! 何度もある! お得意さん、と言っていいかも」
「そうか……残念なお報せなんだが、力生は本人も組織も再起不能になってる。それっぽい噂、流れてきてないか」
「えぇと、自宅にカチコミがあったとか、そういうのなら」
「そいつはマジだ」
「……どこ情報?」
「突撃した本人から、つまり俺情報――おい、コッチ見んな! 前見ろ、前!」
頭を引っ叩いたらハンドルを握り直したが、さっきよりも激しいチラリズムを発揮し、様子を窺ってくるアルジェント。
本来なら鼻で笑っておしまいな信憑性だろうが、実際の俺の動きを見ているせいで判断に迷っているようだ。
疑心暗鬼を大量生産させるため、力生の関係者も片っ端から報復の対象になる、という予想を尤もらしく語ったが、それでもまだ反論してくる。
「いや、でも……雪枩コレクションがあれば、誰も手出しは……」
「それも流出しただろうから、誰にどう使われるかわからん。それに、力生が抱え込んだネタは総じて破壊力抜群だが、強烈すぎて使いどころが難しい。出すタイミングや使うメディアを慎重に選ばないと失敗するし、大物が相手だとマスコミに接触した段階で消されかねん。どんな強力な爆弾も、リモコンやらタイマーやらを用意しなければ、最初に吹っ飛ぶのは起爆スイッチを押したヤツだろ」
ネタ元の名簿も持ち出されてる、とか跡継ぎはボンクラだから巻き返しも不可能、とかの追加情報を出していくと、アルジェントの挙動不審は激化していく。
この感じだと、こいつらのバックに権力や権威のある団体は存在しない。
裏社会の浅瀬をウロチョロしながら、周囲との利害関係でポジションを確保し、多少のトラブルは自力で切り抜けてきた、有象無象の反社会的小集団の一つだ。
底も見えてきたので、そろそろトドメを刺すとしよう。
「とりあえず、今の環境での生活は諦めろ。雪枩の関係者ってことで標的にされるだろうし、今回のオチ次第では普通に逮捕されるし、正体が割れたら報復もある。それと、犯罪者でもない芸能人スキャンダルで稼ごうとするのは、俺が許さん。マッハで潰す」
「だけど、ボクにはこれしか……」
「選択肢なら、三つほどある。まずは、全てを捨てて逃げる。生き延びるだけなら、これが一番確実だ。次は、匿名のライターとして業界に居残る。これはバレなければ食っていけるかもだが、取引先に売られたら終わる。お前はそれなりに有名人だろうから、賞金付きで手配されたら即終了だな」
呼吸が乱れてきたアルジェントが、鼻の頭に浮いた汗を拭いながら訊く。
「……最後のは、どんな」
「俺の下について働く。やることは、今とあんまり変わらん」




