第106話 「そういう素直さは嫌いじゃない」
下浦という男の名は、この件に関わってから何度か聞いた。
綾子からは、ストーカーの容疑者もしくは協力者として。
蓼下からは、綾子らのグループ『テールラリウム』の専属かと思うほど重用されていたのに、急に使われなくなったカメラマンとして。
ついでに、富田からも下浦が何かやらかした疑惑が出ていたな。
あまりに怪しいんで、逆に何もないって可能性もあったが――
「ココに現れた時点で、重要参考人と確定だな」
「するってーと、緊急逮捕かー?」
「平和的に話を進めるには、KOしちまった人数が多すぎるからな……ちょっと行ってくるから、オッサンらは一応縛っといてくれ」
「あいよー」
声を抑えての会話の後、奥戸はコードやケーブルの塊に目を留めた。
部屋の隅にあるそこから何本か引き抜き、アルジェントやその手下を拘束していく。
「あががががっ! おぁっ、てめっ! 何のつもっ――」
奥戸が力を入れすぎたのか、スチール棚に潰されたハデなTシャツのチンピラ風が、意識を回復して騒ぎ出す。
すぐに殴って黙らせたが、階下の下浦には異変を察知されただろう。
さて、どうするか――奇襲は無理だから、強襲で制圧するか。
逃げられると、相手の顔もわからないし面倒なことになりそうだ。
車やバイクを使われたら、ハイゼットで追うハメになるが、あの過積載ぶりではスピードにまったく期待できない。
「なぁにゴタゴタしてんだ、っての。次の予定もあんだから、五時には出られるようにしといてくれって、そう言ったよなぁ!」
どうやら下浦は、二階で異常事態が発生中と気付いてない様子。
普段からアルジェントらが時間にルーズだったり、落ち着きが足りなかったりとポンコツぶっこいていたのが、下浦の危機センサーを鈍らせているようだ。
「おぅアル、今どんな感じだぁっ!?」
無駄に偉そうな雰囲気を撒き散らし、下浦が訊いてくる。
呼ばれたアルジェントに視線を向ければ、「どうすればいい?」とのメッセージを込めた表情で見返してきた。
身を挺して相手に危険を報せるほど、いい関係性ではないらしい。
「……来させろ」
ボソッと告げれば、アルジェントは泣きそうな顔に転じた。
それはニ、三秒で全てを諦めた雰囲気に転じ、後ろ手に縛られたまま立ち上がると、変声期を忘れてそうな声でもって怒鳴る。
「積み込みは、大体終わった! けど残ってるパソコンが、クッソ重い……こいつを下に運んでくれぃ!」
「ったく……客を働かすなよ、客をよぉ」
文句を言いながらも、頼みに応じて下浦が階段を上ってくる。
八段目、九段目、十段目、と進んだところで動きが止まった。
「おいアル。誰か、怪我してんのか」
「えっ、ケガって……はぅん?」
妙なタイミングでの質問に、アルジェントが怪しすぎる反応を見せる。
下浦の鼻がいいのか、こちらが腥さに慣れすぎてしまったのか、血の臭いで異変を察知されたらしい。
ドドドッ、と階段を駆け下りる音が響くので、どうやら待ち伏せは失敗だ。
ヤバいと感じたら即座に逃げる、その判断の速さは大したものだが――
「もう手遅れだ」
開いたままの襖の先で、逃げていく男の背中が遠ざかる。
普通に追っても間に合いそうだが、仲間が家の外にいる可能性も。
なので、まずはコイツを行動不能にしておくべきだろう。
そう判断した俺は、全段飛ばしコースで階段を移動することに。
「フッ!」
「ぉうあぉっ!?」
短く強く息を吐き、最上段を思い切り蹴り、前傾姿勢で宙を舞う。
あと二歩で一階に戻るところだった下浦に追突し、髪を掴んで顔から床に落とす。
雪崩式カーフ・ブランディングもどき、とでも名付けるべき勢い任せの攻撃だ。
何が起きたかわかってない様子の下浦は額を強打し、俯せに押し潰されながらジタバタと藻掻き、色々と喚いている。
「ふぉががんがっ、ぃづぁああああああああっ!」
「うるせぇ!」
耳障りだったんで、モジャついたパーマ髪を再度掴み、顎から床に落とす。
これで脳を盛大に揺らした結果、下浦は意識を飛ばして静かになった。
指に絡んだ髪を振り捨て、スーツに着いた埃をパパッと払う。
一階はさっきまでと変わらず、人がいる気配は感じられない。
ここまで派手にドタバタやって誰も来ないなら、玄関先で仲間が待機してるパターンもなさそうだが、念の為に外を確認しておく。
「パジェロ……二代目か」
発売は去年か一昨年だから、たぶん新車で買ったものだろう。
確か三百万ぐらい、だったな……ローンを組んだにしても、若手のフリーカメラマンには中々の買い物だ。
実家が太いのか、仕事が調子いいのか、何らかの副収入があるのか。
車内に人影がないのを確認し、家の中に戻って二階へと小走りで駆け上がる。
「終わったかー」
「ああ、下浦は一階で転がしてある……で、アリス」
「う、ひゃいっ」
肩をビクッと跳ねさせ、拘束されたアルジェントが見上げてくる。
ルックスがガキだし、犬猫コンビみたいな猛々しさもないんで、どうにも自分が悪人になった気がしてならんな。
謎の罪悪感はさて措き、ここからどうするかの判断のため質問を投げた。
「お前がSATのボスだな。『はーるーま』の編集長も兼任か?」
「SAT、はボクの運営だけど、はーるーまの方はプロデューサー、みたいな立場なん、だな。作るのは編プロに任せて、るんだ」
落ち着かない様子のアルジェントは、変なところで言葉を切りながら答える。
雑誌作りは編集プロダクションに丸投げで、コンセプト決めやらネタ集めやらは自分らでやっている、といった感じか。
「お前の手下、SATのメンバーは何人いる。全員が佐久真珠萌を探ってんのか」
「正式メンバーは十五人か、そこら……今現在デルタの、佐久真の取材してんのは七人、だと思う」
「ここの四人と飴降、あと二人かー」
一人は俺が飴降を撃退した後、車内に回収した背広のおっさん。
もう一人は、車内からパチンコを撃ってきたヤツだろうか。
もしかすると、ここでダウンさせた三人に混ざっているかもしれんが。
その三人の財布を抜いて、免許証や保険証を回収しながら更に問う。
「佐久真をターゲットにしたのは、誰の発案だ」
「しっ、下浦からの持ち込み、だよ。アイツが、色々とネタを、持ってくるから……面白い、じゃんかって盛り上がって、それで……」
「ストーキングで追い込みました、か」
「死ねばいいのになー、マジでなー」
奥戸が俺の代弁をするかのように吐き捨て、意識を回復して動き出したアバタ面のデブの脇腹を蹴って再停止させる。
目の前で展開された生々しい暴力に、自分が置かれた状況をリマインドされたらしいアルジェントは、ガチガチに硬い笑顔を作りながら言う。
「とっ、とにかくボクは無条件、降伏だからっ! こうなりゃもう、抵抗しないし、できない……全部に答えるし全部に、従うって」
「そういう素直さは嫌いじゃない。で、下浦が言ってた次の予定、ってのは何だ」
「詳しくは聞いてない、けど……夜に特別な、撮影をするとか、何とか」
ここまでビビり散らかしてるアルジェントに、嘘を吐く余裕はなさそうだ。
それに、下浦には聞きたいことが色々とあるし、そのついでに確かめるか。
「コイツらは、どの程度まで非合法に手を染めてる」
「基本的には、ただのアイドルオタク、だし……もし捕まるとしたら、窃盗と不法侵入と脅迫、それと名誉棄損……あとは迷惑防止条例、くらいかな」
この頃のストーカーは、決定的な犯行に及ぶまで野放しだった。
そんな問題に改めて直面するハメになり、思わず舌打ちが出る。
警察沙汰にしてもダメージ少ないだろうから、まずは今回の件を終わらせた後で、SATの連中には地獄を見てもらうとしよう。
「それはそうとー、どれが『フェニックス一揆』で、どれが『カンパリ入道』だー?」
「あ、あんたが蹴ったのが、入道。窓際で倒れてるのが、一揆。そこで潰れてるのは、ナメさん――『おおなめくぢ』」
「あー、そんなPNのもいたなー」
「どうでもいい答え合わせは、そのへんにしとけ。次は下浦からの事情聴取だ」
「あいよー……アリスはどうすんだー?」
「連れてく。言っとくが、拒否権はない」
わかってるよ、と言いたげに苦み走った顔で頷くアルジェント。
階下に向かおうと歩き出した俺の背後で、「あのっ」と声を上げる。
「クソ重いパソコン、ホントに残ってるんだ……下まで運んでくんないかな」




