第105話 「五秒で出てこないと、お前はそこで地縛霊になる」
ハデなTシャツを着た男が、四角い箱のようなものを投げてくる。
その動作の途中でアバタデブから手を放し、屈んで飛来物を回避。
大雑把な狙いの投擲だったようで、白っぽい箱は五十センチほど左にズレて襖にぶつかり、鈍い音を発して畳で跳ねた。
「ンダァ、テメォルァッ!」
言葉の意味はわからんが、ハデTは殺る気に満ち溢れたセリフを喚く。
ガランとした八畳ほどの部屋には、三十前後と思われる男が二人いた。
左手のメタルラック前に、原色の幾何学模様を意味不明なセンスで配置したTシャツと古着っぽいジーンズの、短髪でピアス大量なチンピラ風味。
左手の窓際には、緑ベースのペイズリー柄シャツとベージュのチノパンで、似合わない茶髪と口髭の二十年後ならIT企業で下っ端をやってそうな奴。
「右は任せるっ!」
振り返らず奥戸に告げ、窓の桟に腰かけて煙草を吸っているヒゲに突進。
ヒゲは逃げるでも構えるでもなく、ボサッとした表情で立ち上がる。
両手を挙げて降参のジェスチャーをするか、と予想したがそれもない。
なので遠慮なく距離を詰め、無防備な腹を狙って前蹴りを突き刺す。
「ぱぐっ――」
犬種っぽい呻き声を漏らし、よろけたヒゲは窓から落ちかける。
バサバサの茶髪を掴んで落下を阻止し、傍らの窓用エアコンに側頭部を叩きつけた。
奥戸はどうした――と見れば、入口前で廃棄したアバタデブの両足を抱え、勢い任せのジャイアントスイングを展開中。
今の俺の筋力だと、こういう無茶はできないんだよな。
「ちょっ、まっ、おいっ!」
焦った様子のハデTが、これから起きる状況を予想して止めようとするが、当然ながら奥戸は止まらずに回転数を上げていく。
「おらよーっ!」
アバタデブの体が床と水平になったところで、奥戸が手を放す。
「んぎらっ――」
「ふぁおんっ!?」
肉弾はハデTに命中し、ほぼ空のメタルラックを巻き込み一塊になった。
衝突と倒壊とで結構な騒音が発生した直後、悲鳴のような奇声が上がる。
俺と奥戸は揃って、隣の部屋に続いているらしい襖へと視線を注ぐ。
左右に一枚ずつ、デザインが違う綾子――佐久真珠萌のB2ポスターが貼られている。
その先からは、バタバタと何者かが動いている気配が伝わってきた。
「靴は四足あったな」
「そうだなー」
「……どうする?」
とりあえずは降伏勧告か、と考えつつ確認すると、奥戸はキャスター付きの椅子を手にして、襖に向かってサイドスローでブン投げた。
「ひょぇあっ!?」
ボキャ、とかゴシャッ、とかの音と共にまた高めの奇声が聞こえる。
キラキラ衣装でポーズをキメた綾子が引き裂かれ、襖に大穴が穿たれた。
「行動に毎度ゴリラ感が滲んでんだよなぁ……」
「道具使ってんだしチンパンジー感を見出せー」
「……お前がそれでいいなら、いいけどさ」
二手に分かれよう、とのジェスチャーを伝えて左から進む。
飛び道具を用意していた場合に備え、床に転がる何かを拾っておく。
ハデTが投げてきた白っぽい箱――これはゲームボーイだったか。
電源の入ったままの画面には、デカデカと「ゲームオーバー」の文字が。
結構な衝撃を受けたハズなのに頑丈すぎるだろ、と思いつつ電源を切る。
奥戸はどこで拾ったのか、小さめなブラウン管モニターを手にしていた。
「くっ、くんなぁっ!」
震えの混じった声で、警告なのか懇願なのか不明な言葉を発せられた。
凄味などはまるでなく、ただただ怯えと困惑だけが伝わってくる。
強行突入しても問題なさそうだが、一応は安全策を選んでおくか。
「五秒で出てこないと、お前はそこで地縛霊になる」
「あんー、どぅー、とろわー……次なんだっけー?」
俺の脅迫に合わせて奥戸がカウントを開始するが、途中でつっかえる。
「カトルな。てか何でフランス語だよ」
「オレらのインテリヤクザぶり、わからせねーとよー」
「おフランス出てきちゃう時点で、だいぶ馬鹿っぽいぞ」
そんな話をしていると、破れた襖を内側から更に破って人影が転がり出た。
肩くらいの黒髪を雑にまとめた、全体的にぷにっとした性別不明の人物。
黒のタンクトップの上に空色のパーカーを羽織り、下はポケットのいっぱい付いたサンドベージュのハーフパンツ。
身長は百五十ないくらい、不細工ではないが地味な顔の作り、脛毛や腕毛は目立たず髭の剃り跡も見えない。
ルックスの印象としては、身嗜みに多少気を使っているオタク中学生だ。
「まままっ、まぁまぁ! まぁまぁまぁっ! おお、おおおちつけぇ!」
「まずそっちが落ち着けー?」
「お前は誰で、どうしてここにいる。手短に答えろ」
盛大に声を引っくり返らせたオタクは、俺と奥戸の顔を交互に見上げてカクカクと小刻みに頷く。
それから部屋を見回して、アバタとハデTとヒゲが行動不能状態なのを確認し、食い縛った歯から吐息を漏らした。
そして震える指先で、飛び出した時に落としたらしい眼鏡を拾って言う。
「どう、してっ……ココがわかった? どどっ、どこの指示で、うごっ、動いてるっ? もしネオンやポンプロ、だっ、だったら、とっくに話がつい、ついて――」
「質問してるのはコッチだ。それと、俺は嘘とクドい話が嫌いでな」
「いぃんっ!」
自己紹介がてら、耳血を流して転がっているヒゲの顔に足裏を落とせば、変な雑音と鼻血を漏らして更にグッタリとした。
ノールックで人の顔を踏んだ俺の威嚇に、オタクは「ヒュッ」と息を詰めて縮こまり、五秒ほど固まった後で項垂れながら語り始る。
「ボクは……あ、アルジェント。アリスティド・アルジェント」
「あー、出身はイタリア? フランス?」
「いたっ、イタリア系の日本人……フルネームだと、アリスティド・ケンタ・アルジェントにっ、なる」
「あんまヨーロピアン感ねーなー……お、目の色がちょい珍しいかー」
「やっ、やめいっ――」
奥戸が雑に眼鏡を持ち上げ、至近から覗き込んで観察している。
黒髪だし肌の色も多少白いくらいだが、よく見れば瞳が琥珀色だ。
名前からすると男性らしいが、この子供も『はーるーま』経由でSATの仲間に入ったんだろうか。
「それで、えぇと……名前長ぇな。何て呼べばいい」
「す、好きに呼んでくれぃ」
「その場合『チビ』か『小デブ』か『メガネ』の三択になるが」
「できれば、み、見た目から離れて……」
「だったら『アリス』か『ケンケンピ』だなー」
俺の提案を拒否した結果、奥戸がまぁまぁキツい二択を持ち出す。
最期が「パ」ならわかるけど、「ピ」はどこからやって来たのか。
アルジェントは少し悩んでいるが、面倒なので話を先に進めてしまおうと、転がっている三人をパパッと指差して訊く。
「じゃあ、アリス。お前はコイツらの仲間か」
「仲間っていうか……ボクが雇い主っていうか」
「ボーイ、大人をからかっちゃいけないぜー」
奥戸は笑うが、俺としては大輔の例もあるんで笑えない。
ヒネた金持ちのガキは、正気を疑う悪行でも平然とやる。
無言でアルジェントの目を見据えていると、どこかのポケットから二つ折りの財布を取り出し、俺にポンと投げてきた。
中を見てみると、五万数千円の現金、クレカやテレカやキャッシュカード、よくわからん店の会員証が数枚、それと普通免許証。
「んん? 今年で三十五!?」
「ああ。お若いですね、ってよく言われる」
「若いってレベルじゃねえよ! どこで歳とるの忘れたんだ」
「ここ二十年くらいは、あんま変わってない」
「お呼びじゃない衝撃の事実だわー」
奥戸の言う通り、驚きはしたがその話は今どうでもいい。
どう見てもローティーンな三十五歳児には色々と苦労もあっただろうが、そこを慮っている場合じゃない。
雇い主、ってことはアルジェントがSATの主催なのか。
資金や人脈はどうやって用意して、綾子の件はどこ経由で来た話だ。
確認事項は色々あるので、どこから訊こうか考えていると――
「おぉい、いつまでチンタラしてんだぁ? サボってんなよ、ったくよぉ!」
階下から、何者かが大声で呼び掛けてくる。
「下浦……ボクらと取引ある、カメラマン」
来たのは誰だ、と目顔でアルジェントに問えば、小声で答えてくる。
桐子か綾子にアポを取ってもらう手間が省けたな。
ここで仕掛けるタイミングを間違えて、逃げられるのも厄介だ。
一階の様子に耳を澄ませ、下浦がどう動くかを静かに窺う。




