第101話 「健康のため毎日紅茶キノコを飲んでる」
突発的に始まった米丸との会談は、先方が警戒心を高めてガードを固めたのもあって、実のある話に発展しないまま終わる。
近い内に改めて綾子を交えた会合を、と提案されたが確約はせずにおいた。
蓼下が用意したこの対面も、俺を舌先三寸で丸め込んで事務所寄りのスタンスにさせるのが目的だったのだろう。
人生経験の浅いガキなら楽に落とせる、と踏んだに違いない。
だが、残念ながらコチラは人生二周目の真っ最中だ。
「しかし、ココからどうするかね……」
米丸を置いて『縁』を出て、自宅まで戻る道程で頭の中を整頓する。
手詰まりと言うほどでもないが、閉塞状況の突破口には乏しい。
米丸の上役である栃南や、テールラリウムのメンバー守鶴には、綾子を経由すれば渡りを付けられそうだ。
だが、友好的な空気で話せる可能性は低いし、綾子との間に変な拗れを生じさせる虞もある。
カメラマンの下浦は、桐子の人脈で押さえられるだろうか。
「問題は、接触した相手が犯人サイドだった場合だ」
迂闊な発言で弱点を晒す危険もあれば、欺瞞情報を仕込んでくる罠への注意も必要になる。
かといって不信感の滲んだ態度で臨めば、相手が純粋な協力者だった場合は交渉を打ち切られかねない。
となると犯人一味と判明している奴を狙うべきなんだろうが、富田からはもう何も出てこないし、飴降は行方不明だ。
「だからって、仕掛けてくるのを待つのもな」
俺がいれば綾子と姉さんは守れるし、芦名が一緒の時もまぁ大丈夫だろう。
だが、大学の敷地内で襲撃するような、形振り構わない行動に出られたら。
そんな無茶はしないはず、的な常識が通じる相手かどうかは既に怪しい。
実際、金で雇われ綾子を拉致ろうとした、プリンと坊主のコンビもいた。
あいつらのように、犯罪に加担してる自覚もなくやらかしてくる連中が、また現れる確率もまぁまぁある。
「後回しにしてたが、アレを調べてみるか」
飴降の家から回収してきた、ビデオやネガフィルムやその他諸々。
ただ、店で現像してヤバいのが写ってたら、困ったことになりかねん。
瑠佳か奥戸の伝手で、写真部から暗室を借りられると助かるが。
何にせよ、今日は朝からイベントが盛り沢山で、流石に疲れ果てた。
まずは家に戻って、一休みしてから次の動き方を検討するかな、と――
「思ってたのに、このパターンが来るのかよ」
ウンザリしながらの呟きは、耳障りな排気音で掻き消される。
最寄り駅へと到着し、数分歩けば帰宅できる辺りで、二台の単車に挟まれた。
両方カワサキのようだが、イジられすぎでパッと見じゃ車種がわからない。
無駄に改造した集合管からは、ド派手な雑音が延々と垂れ流されている。
これは綾子の絡みではなく、俺に用があると判断していいだろうな。
雪枩の手下にしては、ちょっと毛色が違う気もするが……何だこいつらは。
「テメェが薮上だなぁ!?」
「だったら何だぁ!」
エンジンを切らずに訊いてくるんで、怒鳴り合いの会話となってしまう。
声をかけてきたのは、同世代か数歳ほど上に見える、金髪に細かいウェーブをかけた男。
目鼻立ちがハッキリしていて、雰囲気的にハーフかクォーターかもしれない。
その上で暴力的な雰囲気を漂わせているので、不良に憧れるタイプの女子にウケが良さそうだ。
容姿が一目でわかる理由は「ノーヘルだから」という暴走族に特有の理由。
もう一人は赤茶けたリーゼントで、レンズが丸いサングラスを着用していた。
二人とも戦闘服と呼ばれる類の、変なアレンジが入った作業着風の装いだ。
いつの間にか滅んでた文化なんでよく覚えてないが、刺繡がビッチリ入ってるような特攻服は、特別な日にしか着ないんだっけか。
「話あっからよぉ、ちょっと来いって!」
「悪いけど、お前らと違って忙しいんだ。また今度な!」
朗らかな笑顔で断り、ゴテゴテした単車の横を通り抜けようとする。
しかし、当然のようにターンして回り込まれ、すぐさま進路を塞がれた。
コチラの態度にキレる様子もなく、薄笑いで俺を見据えてくる金髪。
煽られても感情的にならないヤツは、総じて敵に回すのが面倒だ。
仕方ないから、話とやらに付き合うべきか――しかし、厄介事が待ってる確率200%の状況に飛び込むのも、本能が拒絶してくるな。
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねーよ! テメェは『ハイ』と『わかりました』って返事だけしてりゃいんだよ!」
単車から離れたリーゼントが、木刀を提げてヨタヨタ近付いてきた。
刀身を斑に黒ずませているのは、殴られてきた被害者らの血痕だろう。
そんな呪いのアイテムを自慢げに使っているなら、コイツの方は底が知れる。
眉根を寄せてガンを飛ばしながら、無造作に距離を詰めてくるリーゼント。
「ハイッ!」
こちらからもトトッと素早く二歩を詰め、いい返事をしながら隙だらけの顔面へ掌打を撃ち放つ。
「んぴぁ――」
手首にかかる衝撃の中に、鼻骨の砕ける感触が混ざっている。
鼻血を散らし、仰け反って膝から崩れるリーゼントの横腹に、二度目の返事と共に左のミドルを蹴り込んだ。
「わかりまし、たっ!」
ノーガードでの一撃を食らい、文字通り吹き飛ぶリーゼント。
ブロック塀に側頭部から衝突し、血染めの木刀はアスファルトに転がった。
それを爪先で跳ね上げ、空中で掴むと切先を金髪に向けながら問う。
「で、お前はどうすんだ!?」
訊かれた金髪は、僅かに迷った様子を見せてから、単車のエンジンを切る。
これは、まともに対話しようとの意思表示だろうな――
そう判断した俺は、リーゼントの乗っていた方のキーを回し、騒音を止めた。
タンクに貼ったステッカーには、ケバい金色で『嶷災同盟』の文字が。
「噂よりヤベーな、薮上サンよ」
「その噂の火元はどこなんだ」
金髪は答えず、ジタンの青箱から一本抜いて銜え、スリ傷だらけのジッポで火を点ける。
自分の語られ方も気になるが、それよりも問題なのは、どのラインから情報が出回っているのか、だな。
野々村たちの『赤地蔵連合』、貞包の『HST総合管理』、そこのケツモチだったヤクザ『洪知会』、雪枩親子の手下や関係者――指折り数えてみれば、思ったより敵が多い。
俺の名前や住所だけなら、芦名でも突き止められる程度の難易度だ。
ただ、それ以上の詳細をどこまで握られているのかは気になる。
今回の綾子の件に噛もうとしてるなら、本気の面倒が避けられない。
何にせよ、これまでに嶷災同盟ってのと接点はなかったはず。
なので、こいつらを送り込んできたヤツが存在している。
そいつらの正体と目的を知るには、もう一手間が必要になりそうだ。
「大人しくついて来ねぇなら、やり方を変えさせてもらうわ」
「力ずくを試した結果なら、そこに転がってるぞ」
木刀の先で「?」を反転させた形で気絶しているリーゼントを指し示す。
金髪はそれをチラ見して、鼻から盛大に煙を吹いてから歩み寄ってきた。
「そっちでも構わんけど、もっとラクな方を選ぶぜ」
煙草の灰を落としながら、スッと左ポケットに手を入れる金髪。
どんな得物が出てくるかで、突っ込むか飛び退くか選択肢が変わる。
緊張しつつ次の動作を注視していたが、出てきたのは長方形の紙片だ。
名刺サイズの――いや、普通に名刺だな、これは。
指の間に挟んで差し出されたそれには『ラクド商会 相談役 夜部兵馬』の文字が浮き出しで刷られ、見覚えのある金色の代紋が添えられていた。
「へぇ、『泗水会』の関連会社ね。アンタが夜部さん?」
「まさか。話が通じない時はそれを渡せ、って言われてんだよ」
「それはそうと、アンタは何者なんだ」
「……嶷災同盟の副長、コスタだ」
たぶんブラジル系だろうな、と思いつつ名刺に視線を落とす。
こいつは、ヤクザが俺を呼び出してるってメッセージか。
クソ忙しい時に、予期せぬタイプの厄介事が出てきたな。
芦名が揉めたとか言ってたから、その絡みの可能性もある。
或いは、俺が潰してきた連中の残党が、組に潜り込んで報復に出たか。
何にしても、関わっても損するだけなのは目に見えてる。
「さっきも言ったが、お前らと違って忙しいんだ。また今度な」
「おいおい……夜部さんの名刺を受け取ってその態度って、マジかお前」
「何の用だか知らんが、コッチは本格的にゴタゴタしてんだよ。近い内に連絡する、と夜部さんとやらに伝えといてくれ」
俺の返事を聞いたコスタは、煙草を勢いよく地面に投げ捨て火種を散らす。
そして、安全靴で念入りに踏み躙りながら、コチラの目を見て言ってきた。
「一つ忠告しとくとな……夜部さんみてぇな人らは、ナメられるのが許せねぇ。それに、待たされるのが我慢ならねぇ」
「二つじゃねえか。算数が苦手なのか」
「ふぬっ――そんな性格じゃ長生きできねぇぞ、薮上ぃ」
「心配すんな、健康のため毎日紅茶キノコを飲んでる」
この場での説得を諦めたのか、渋面のコスタは長い溜息を吐き、「行っちまえ」という感じに手を払う。
俺は小汚い木刀を放り捨て、さっきより倍増した疲労を背負って家路に就いた。