第10話 「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する」
国道から脇道に入って二分ほど走ると、半端な高さのビルが見えてきた。
嶋谷はその駐車場に車を入れ、一番端の空きスペースを選ぶ。
そこそこ広い敷地に停められているのは十台前後で、黒のベンツと銀のコルベット、それと年季の入った2トントラックが目に付く。
やや横に広いビルは没個性な佇まいで、パッと見ではどういうテナントが入っているのかサッパリだ。
車内から看板を眺めても、『HST総合管理』『(有)ヒューマンアカデミー』といった社名では、業種の見当がつかない。
「ここの……何階だ?」
「三階と、四階がそうなります、ハイ。四階は事務所、みたいな感じで」
「一階と二階は無関係なのか」
「どうだったかな……ヒューマンなんたらは教材セットを売る会社で、一階は今カラだったような」
おそらくは、電話営業や訪問販売でクソ高い教材を売りつけるアレだろう。
あの手のインチキ商売ならば、何があろうと気にすることもないか。
「それで、『HST総合管理』ってのは、どういう会社なんだ」
「業務としては、物件の管理とか交渉の代理とか債権の回収、ですかね」
「占有屋にユスリタカリに借金取りか。思いっきりヤクザの下働きだな」
俺と嶋谷の会話を聞いて、瑠佳が少し疲れた顔で言う。
「元チチオヤの借金に絡んだ色々な権利とか、ヤクザに渡ったりしてるのかな」
「だとしても、それはもう瑠佳には関係ない。連中としては法律も常識も無視して要求をゴリ押しするだろうが、そんなのに付き合う義理はない」
「それはそう、だけど……」
「大丈夫だ。心配すんなって言っただろ」
そう答えると、少し表情を和らげて瑠佳は頷いた。
そんな瑠佳の肩をトントンと軽く叩いた後、運転席へと身を乗り出す。
それから、嶋谷の肩をバンッと叩いて、ツボを狙ってグリッ握る。
横目でチラチラと、生温かい視線を送ってきたのがムカついたから。
「あだだだだだだだっ!」
「さて、お前にはちょっとした演技をしてもらうが……覚悟はいいか?」
「えぇと……何の?」
「完全に裏切り者になる覚悟だ。まず、俺の立場は――」
嶋谷に任せたい演技プランを説明すると、予想より早く理解してもらえた。
「要するに、アンタは赤地蔵連合の新入りで、俺の仕事の手伝いでついてきた、って設定ですね」
「よし、それだけ覚えてりゃ上等だ。後はいつも通りでいい」
あまり細かい設定を作ると、設定から外れた時にテンパりかねない。
だから、基本設定だけ決めたら後はアバウトでいいだろう。
瑠佳が緊張でソワソワしている様子なので、こっちにも声を掛けておく。
「瑠佳はもっと気楽に……いや、緊張してた方がそれっぽいか」
「んぁー……そうだね。そうかもね」
若干マキバオーみたいな声が出ているが、大丈夫だろうか。
「まぁ、ディープな社会科見学だと思ってくれ」
「うん……うん?」
応答はしたが、納得できていない様子の瑠佳が首を傾げている。
ハイエースから降りた俺たちは、嶋谷を先頭に瑠佳を挟んで俺が殿という隊列で、ビルの入口へと向かう。
入ってすぐの所に、受付なのか管理人室なのか、狭いスペースが設えられている。
そこにいるのは制服の警備員や作業着の老人ではなく、ゴリゴリのパンチパーマで白いジャージ姿の人相が悪い男だ。
「おぅ、オメェか。その姉ちゃん、例のアレかぁ?」
「へへっ、例のソレっす。で、コイツが野々村んトコの新入りっすわ」
俺が中途半端に頭を下げると、パンチは値踏みするような視線を送ってくる。
しかし、すぐに興味を失くしたようで、瑠佳の方に粘ついた視線を移動させた。
「女子高生、ねぇ……ガキはあんま面白くねぇんだけど、何かブームだよなぁ」
「十年前は女子大生ブームっすからね。段々と年齢下がってんじゃないすか」
「次は中学生とか小学生かぁ? カンベンしてくれよ、まったく……ちゃんと育ってからじゃねぇと、オレのサイズじゃ入んねぇし!」
ジョークにもなってない下ネタだが、一人で笑うパンチに合わせて嶋谷も笑う。
俺も乗っておいた方がいい気がして、曖昧な愛想笑いをしておく。
「そういやあのオヤジ、小学生っぽいのを連れてきてたけど、もしかしてブームの先取りなのかよ」
「さぁ……どうなんすかね」
パンチの言葉に反応して、瑠佳が余計な動きをしそうな気配が膨らむ。
汐璃の安否について、全力で食って掛かりそうな勢いだ。
ここで必要以上に揉めるのは拙い、と判断した俺は誤魔化すための小芝居を繰り出す。
素早く瑠佳の膝裏を爪先で突いてバランスを崩させ、体を強引に方向転換させる。
傍から見れば、外に逃げ出そうと身を翻したような絵面だ。
そして、転びかけた瑠佳の両脇に腕を入れて立たせ、恰も羽交い絞めにしている姿勢へと変化。
「おっと……ここまで来て逃げるとか、そりゃないだろ」
「ちょっ――なっ、にっ――」
「あーあー、まぁビビっちまうのはしょうがねぇけど、開き直って楽しんじまえばいいって。そう悪いモンじゃねえぞ、なぁ?」
「まぁ、そうっすね。慣れっすね、慣れ……ホラ、グズグズしてねぇで行くぞ」
嶋谷がパンチにはヘラヘラと手を振り、瑠佳にはドスを効かせた声で脅しをかける。
中々に見事な切り替えの演技だ――と感心したが、すぐに達者な理由に気付く。
強きを助け弱きを挫くムーブは、単なるこいつの日常的な振る舞いだ。
押しながら急かすフリをして、瑠佳の背中をそっと撫でる。
同時に小声で「落ち着け」と告げると、無言で頷いた。
暴れても騒いでもどうにもならないくらい、瑠佳も頭ではわかっているのだろう。
「それで……二人は三階と四階、どっちにいるんだ」
「たぶん、三階じゃないかと……」
狭いエレベーターの中で訊くと、店員は自信なさげに答えてくる。
瑠佳は緊張が酷いのか、額に季節外れの汗を滲ませていた。
あまり思い詰めるとまた暴発しそうなので、話しかけて気を散らしておく。
「そんなに心配するな。人質みたいな扱いだったら、何もされてないハズだ」
「うん、だよね……だと、いいけど……あのクソ親父……っ!」
「まぁ一通り片付いたら、気が済むまでダメ親父をボコればいい」
「ホント、五回くらいはブン殴りたい……でも汐璃の前だと、ちょっとね」
ブチキレながらも、お姉ちゃんであるのを忘れてない。
胸の前で握り締められた瑠佳の手に、同じく握った俺の手の甲を当てて言う。
「その時は、俺が代わりにブッ飛ばす。とにかく、まずはプチサメ子の安全確保だ」
「うん……だけどケイちゃん、何ていうかこう、汐璃を助けるための作戦とか計画とか、そういうのは考えてるの?」
「それはまぁ……高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する」
「よくわかんないけど、大丈夫そうだね」
まったく大丈夫じゃない発言だと、瑠佳には伝わらなかったようだ。
ともあれ、組の事務所でもないし、銃や刀が出てくる可能性は低いだろう。
嶋谷の話では、事務所に詰めているのは大体いつも三人か四人らしいし、そこまでの警戒も必要なさそうだ。
「そろそろ、着くね……」
瑠佳の言葉に応じるように、鈍いエレベーターがガコッと揺れる。
「じゃあオッサン、また案内役を頼むぞ」
「わかってる、けど……オレはこれが終わった後、どうすりゃいいんだ?」
「知らん。お前らの言う上の連中が、裏切り者をどう扱うか次第だな」
突き放した俺の返事に、嶋谷は重たい溜息を吐いて天を仰ぐ。
そんなやり取りをしている内に、チーンという間抜けな音が鳴り、エレベーターのドアが必要以上にゆっくりと開いた。