凶星の妖精
ハガルの息子ラインハルトの生涯は思ったよりも短かった。妖精の女王は容赦なく、まだ、跡継ぎである子どもが腹に宿ったばかりだというのに、ラインハルトの残った寿命を奪ったのだ。えげつないな、妖精の女王。
眠るように死んだラインハルト。母親であるステラも、こうやって、眠っている間に死んだと言っていたな。
苦痛のない死は、妖精なりの優しさだろう。神の化け物じみた加護は死とともになくなった。それを確認して、ハガルは気狂いに飲まれそうになっていた。
「ハガル、少し休んだほうがいい」
皇帝ライオネルがハガルの体を支えた。ラインハルトが生きている時は、平然としていたのは、強がっていただけだ。ライオネルに体を支えられ、ハガルは私室に連れて行かれた。
ハガルが一日二日いなくても、帝国は回る。一週間いなくても、問題ない。ハガルはそういう仕組みを作ったからだ。だから、ゆっくり休めばいいのだ。
俺はラインハルトの遺体を状態保存した。生きているように見えるが、どんどんと顔色も悪くなり、体だって冷たい。
「何故、眠ったんだろう?」
ラインハルトの考えが理解出来ない。死にたくないと言っていた。だけど、妖精に全ての寿命を盗られたラインハルトは、眠ったら死ぬこととなっていた。逆に言えば、眠らなければ、それだけ、生きていけたのだ。
ラインハルトは眠るのが怖いと言っていた。いつ、起きられなくなるか、怖いと。だからではないが、ラインハルトは一か月は眠らなくても過ごしていられるという話だ。妖精憑きだって、それくらい出来る。ラインハルトはただの人だが、魔法使いの才能がある。一か月眠らなくても過ごせる能力を持っていてもおかしくない。
なのに、ラインハルトは、愛する女の側で眠った。
添い寝させられた側は気の毒だ。起きたら、隣りで眠っていたラインハルトが死んでいたのだ。お腹にはラインハルトの子がいるというのに、壊れたように泣いていた。それでも、化け物じみた神の加護があるから、子が流れることはないだろう。見ていればわかる。
ラインハルトの死は、ラインハルトの親しい者たちを泣かせた。それは、俺もだ。泣くしかない。ラインハルトは、俺の前では、悪ガキだった。弟みたいに感じていた。
途方に暮れていると、私室に連れて行かれたハガルが、再び、やってきた。
「ハガル、無理をするんじゃ」
素顔を晒すハガルは、俺の顔を鷲掴みした。その体躯ではありえない力で、俺は投げ飛ばされた。
「いっつぅ」
壁に叩きつけられ、痛みに、しばらく動けなくなる。だけど、咄嗟に防御をしたので、体が痛い程度だ。骨にも異常はない。
「ハガル、何をやってるんだ!?」
皇帝ライオネルが止めようとハガルの体に触れるが、見えない何かに弾かれ、吹き飛んだ。
恐怖で、動けなくなった。ハガルの本気を初めて受けた。ハガルは暗く笑い、俺の胸倉をつかむなり、軽々と持ち上げた。
「あはははははは!!! 死んだ、死んでしまった!!! 私の可愛い可愛い息子が、死んだ!!!!」
首を鷲掴みされて、苦しめられる。暴れても、まったく、緩むことはない。
「やめろ!!」
周囲の人間がハガルを止めようとするも、また、見えない力で吹き飛ばされる。
「あー、私が生き残るなんて、なんて、酷い親なんだ」
泣いて、笑って、俺を床に下ろすも、離さないハガル。そのまま、俺を引きずって、地下室へと連れていく。
こんな狂ったハガルは初めてだ。記録にもない。ハガルは皇帝ラインハルトが亡くなった時も、落ち着いていたという。泣きはしたが、筆頭魔法使いとしての役割である次の皇帝の指名をラインハルト死後すぐに行ったという話を皇帝アイオーン様から聞いていた。
あれほど冷静に事をこなすハガルが、息子ラインハルトの死に正気を保てなくなっていた。
無駄な抵抗はせず、俺はハガルに大人しく引きずられた。ハガルは時々、狂ったように笑うも、目的を持って歩いているようだった。
筆頭魔法使いの屋敷の地下も、使用者に支配されている。ハガルの考えで形を変えるのだ。一つとして、同じ地下牢は存在しない。しかも、使っていない地下牢が不規則にある。そういうものを通り過ぎて、随分と豪勢な作りの地下牢に到達する。その地下牢の前に、俺はぽいっと投げ捨てられた。
「あんなに、大事になるなんて、思ってもいなかった」
ハガルは蹲って泣いた。
ハガルは本当に最低最悪な男だ。血のつながりのある息子ラインハルトでさえ、暇つぶしの存在として見ていたのだろう。
ステラを愛したことで、ハガルの計画は崩れた。ステラが死んだって、息子ラインハルトが死んだって、大したことにはならないとハガルは思っていた。
実際に失ってみれば、ハガルは絶望した。その絶望の怒りをハガルは何故か、俺にぶつけた。
どうして、こうなっているのか、俺はわからない。だけど、ハガルのことは恐ろしい。体が恐怖に震えて、動けない。無駄に抵抗することが危険だと、本能が訴えてきた。
泣いて、怒って、悔しがって、そうして、感情全てを吐き出して、吹っ切れたのだろう。ハガルは無表情に俺の前に立った。
「まさか、ここまでうまくいくとは思ってもいませんでした」
狂った笑顔を見せるハガル。
「何、が?」
声を発するだけで、歯がカチカチと鳴る。それほどの恐怖をハガルに感じていたのだろう。長い言葉を出せなかった。
「お前は、私を困らせるために、色々とやってくれました」
「何が!?」
思いつかない。ハガルを困らせることといえば、家出くらいだ。だけど、それだって、帰ってみれば、ハガルは怒ってもいない。子どもの独り立ち、と見ていたじゃないか!!
「貧民王を作り、見習い魔法使いに妖精の契約をさせ、城に妖精を呼び込みました」
「………は? そんなこと、俺はしていない!!」
とんだ濡れ衣だ。
「確かに、育てたが、貧民王になれと言わない!! むしろ、反対したんだ。説得だってした!!!」
俺は、あの妖精憑きの悪ガキだった男に、やめろと言ったのだ。説得したけど、無駄だった。
「妖精の契約は、ラインハルトに嫉妬した見習い魔法使いが勝手にやったことだろう!! 俺は知らない。だいたい、そんなこと俺は絶対にやらない。妖精との契約はどれほど危険か、教えたのはあんだろう!!」
妖精との契約は、妖精憑きといえども、危険なものだ。一度、体験のために簡単な契約を無理矢理、ハガルにやらされたのだ。たった一度の軽い契約だけど、酷い目にあった。
「ここに呼び込むのなんて、俺には無理だ!! そんな力、俺にはない!!!」
百年の才能の妖精憑きである俺でも、ここまで妖精封じと妖精除けをされた場所に、妖精を呼び出すことは不可能だ。俺自身が持つ妖精だって、力を削られるのだ。
とんだ言いがかりだ。そうとしか言えない。
ハガルはそんな俺の訴えを聞いても、暗く笑った。
「私の養女になったばかりの頃は、そうでしょう。ですが、あなたはルキエルの影武者になって、随分と経ちました。時間は十分です。お前は、ルキエルの偽物になったんだ」
「そりゃ、そうだろう。俺は、ルキエルが生きていると偽装するための影武者だ。ルキエルという男を知っている奴らはもういない。だから、今の俺がルキエルだと、帝国中の誰もが思っている」
「そうやって、帝国中を騙して、こんなにうまくいくとは、おかしい。ラインハルト、私は最低な親だ。お前を失って気づくなんて。こんなことやらないで、さっさと死ねば良かったんだ。帝国なんて、滅びべば良かったんだぁ。そうすれば、こんなに苦しい思いはしなかった。ステラを、ラインハルトを殺したのは私だぁ」
膝をついて、泣いて、そう言うハガル。
「違うだろう。殺したのは、妖精の女王だ!! あいつが、バカみたいな嫉妬で、ラインハルトの一族の寿命を盗ったから、死んだんだ」
「妖精の女王を滅ぼす方法はあったんだ。私が死ねば、私の持つ妖精が解放される。そうすれば、私の妖精の誰かが、妖精の女王を王座から落としてくれるかもしれない。だけど、私は死ぬわけにはいかなかった。だから、別の方法を使うしかなかった。それが、ルキエルです」
ずっと、疑問だった。ハガルは随分とルキエルにこだわっていた。
俺が筆頭魔法使いの儀式をやって、契約紋を受けることをハガルは大反対した。その時、言ったんだ。俺はハガルの敵でないといけない、と。
言われた時は、言い間違いかと思っていた。だけど、そうじゃない。ハガルは、俺を敵となるように育てていたのだ。
だが、俺自身は、ハガルを憎むようなことはない。だって、ハガルには恩がある。可愛がって育てられた。憎悪なんて、ハガルには抱けない。
「ルキエル、記憶がぽっかり抜ける時がありませんでしたか?」
「? さあ、わからない」
言われても、思いつかない。俺もまた、長く生きていて、記憶だって朧げになることだってある。
「ルキエルも、時々、操られたように行動することがあったと報告を受けています。ルキエル自身は覚えていません。ですが、私の妖精が逐一、見ていました」
「まさか、俺にも」
「あなたには憑けていません。あなたには必要ありませんでしたからね。ですが、記憶の改ざんはされている形跡があります。私が、思い出させてあげます」
薄暗い地下に、とんでもない高い格の妖精が顕現した。それは一体二体ではない。とんでもない数の妖精に、俺は恐怖に震える。
「妖精憑きには生まれ持っての格があります。生涯、自分が持つ格より上の妖精を見ることは出来ません。ですが、こうやって、格の高い妖精を無理矢理、見せてやると、妖精憑きの格は上がるのですよ。さあ、ルキエル、後ろを見なさい」
言われて、俺は後ろを見て、違い恐怖を抱いた。
ハガルが顕現させた妖精は、清浄な空気を持っていた。ところが、俺の後ろに断つ妖精たちは、禍々しい存在だった。ハガルに向かって、憎しみを向けているのだ。
「なんだ、これは!?」
「ルキエルが持っていた妖精ですよ。ルキエルは、帝国を滅ぼすために誕生した、凶星の申し子です」
「それって、おとぎ話じゃ」
一応、俺はハガルから聞いていた。
ハガルは千年に一人、必ず誕生する化け物だ。それと対局に存在するのは、凶星の申し子だ。凶星の申し子は、何千年に一人誕生するかどうかの破滅の妖精憑きだ。
千年に一人、必ず誕生する化け物は、ちょっとした天災だ。上手におだてれば、帝国を守ってくれる存在である。凶星の申し子はその逆だ。関わった者たち全ての運命を悪い方向へと狂わせ、悪事を働いて格を上げるという、とんでもない存在だ。凶星の申し子は、神から与えられた試練だと言われている。
そんなものが誕生していたなんて、知らなかった。しかも、それがルキエルという男だ。だけど、貧民のルキエルが行った偉業は、凶星の申し子の役割とは逆だ。格を落とすことだ。矛盾がある。
「さあ、思い出しなさい。あなたが仕出かしたことを」
ハガルが顕現された妖精が、俺の頭に触れる。それだけで、何かが呼び覚まされた。
偽装を解いた俺が、妖精憑きの悪ガキだった男を誘惑していた。
偽装を解いた俺が、ラインハルトに悪意を持つ見習い魔法使いを聖域に連れて行き、妖精の契約を施していた。
偽装を解いた俺が、屋敷の外に、格の高い野良の妖精を呼び出していた。
他にも、吐きたくなるようなことまで、記憶を呼び覚まされた。悍ましい自らの行為に、俺は吐いた。
「俺は、どうして、身売りなんて」
偽装を解いて、俺は身売りして、金を稼いでいたこともあった。その金で、あの貧民のガキどもを養っていたのだ。
そんなことした記憶すらない。だけど、どうやって金を稼いだのか、深く考えれば、そこだけ霞がかっていたのだ。
真実を知って、俺は絶望した。そんな俺をハガルは哀れみをこめて見下ろした。
「長い時間をかけて、お前をルキエルに仕立て上げたんだ。そうして、お前に、私を攻撃出来る力を宿させた」
ハガルは狂った笑みを浮かべて、俺に、妖精殺しの短剣を握らせた。
「もう、機は十分に熟していた。腐ってしまったが、それでも、今、やろう」
「これで、俺が死ねばいいのか?」
死にたかった。操られていたと言われたって、生きていたくない。
誰もが見惚れる笑みを浮かべるハガルは、首を横に振った。
「これで、私を刺すんです」
「は? バカか!! 死ぬために俺を育てたのいうのか!?」
「筆頭魔法使いは、自殺すら出来ません。それを防ぐための契約紋です。あれには、様々な制約が組み込まれています。私の生が絶対なのです。命の危機となった時、皇族を守る妖精すら、戻すようになっています。私の命が第一なのですよ。さらに、私は化け物です。こんな武器でも、私は傷つけられない。だけど、凶星の申し子は、私を傷つけられます。そのために、帝国中に信じさせたのですよ。あなたがルキエルだと」
「それで、俺が凶星の申し子になれるわけがないだろう!?」
「私も、無茶苦茶だと思っていました。ですが、あなたはなりました。だって、あなたには、凶星の申し子が持っていた妖精が憑いている」
ハガルは俺の後ろを指さす。確かに、禍々しい空気を持つ妖精たちが、ぴったりと俺にくっついていた。
『ハガルを殺せ』
『やっと機会が巡ってきた』
『今度こそ、凶星の申し子としての役割を果たせ』
『千年を許すな』
『帝国を滅ぼせ』
『滅茶苦茶にしろ』
恨みの声を俺の耳に囁く。それには、俺は恐怖するも、聞き覚えがある。
俺はいつの間にか、こんな呪いの言葉を聞いて眠っていたのだ。聞いていたことすら、俺は忘れていたのだ。
妖精が俺の手に握られた短剣がハガルに向けるように操作してくる。
「や、やめろ」
『これで、ハガルを殺せる!!』
『どうして、お前だけが生きている!!』
『ルキエルは死んだというのに!?』
『どうして、いつもルキエルはハガルを求める!?』
『ずっと我々は、ルキエルの側にいたというのに!!』
この禍々しい妖精たちも、おかしくなっていた。ルキエルが死んだと言いながら、俺をルキエルと呼ぶのだ。
ハガルは上の衣服を脱いで、背中を晒した。背中には、火傷によって施された契約紋がはっきりと映っていた。
「さあ、やりなさい。お前たちであれば、少しぐらいは傷がつけられるでしょう」
「い、いやだっ」
「やりなさい。命令です!!」
何か強い力が働く。俺が望んでもいないというのに、体は勝手に動いた。やりたくない、と心では拒否している。だけど、体は別に何かに動かされる。
『やれ!!』
『お前だけは、生かしてなるものか!?』
『お前もルキエルと同じ、死ね!!』
禍々しい妖精たちは大喜びで、俺の体を動かす。
握っている短剣もただの妖精殺しの短剣ではない。何か力が宿っている。ただの魔道具ではない。
俺は長年、鍛えていたのだ。体は覚えている。意志力という抵抗がなくなったのだ。真っすぐ、ハガルの背中に短剣を振り落とした。
だけど、見えない壁が短剣の切っ先を弾いた。それだけでなく、禍々しい妖精ごと俺を吹き飛ばしたのだ。
離れた地下牢の鉄格子に背中をぶつけることとなった。一瞬、息が止まるほどの苦痛だ。それも、妖精憑きらしい回復力と、禍々しい妖精たちが助けてくれたことで。
ハガルを見れば、忌々しい、とどこかを睨んでいる。普段、か弱い感じのハガルではない。初めて、ハガルを男だと感じた。本当の姿を晒しても、ハガルは力の強い男だ。
ハガルは容赦なく、俺の首根っこをつかんで、引きずった。禍々しい妖精たちは、どうにかハガルに手を出そうとするが、出来ないので、悔しがるばかりだ。
『くそ、神の契約か!!』
『契約紋のせいで、傷一つつけられないとは!?』
『まだ、ハガルの力に到達出来ないというのか!!』
『悪事が足りなかったのか』
俺の体を使って、散々なことをしたというのに、足りないと悔しがる。最初から、ハガルに勝てるはずがないのだ。俺が悪事を働いたって、偽物のルキエルなんだから、格なんて上がらない。
人を使って、帝国を混乱させ、ハガルの息子を殺し、身売りまでさせられていたが、俺は百年の才能持ちの妖精憑きでしかない。凶星の申し子のようにはなれない。
ルキエルは、あの豪勢な地下牢に俺を引きずっていく。そして、ベッドに放り投げた。
「ハガル、まさか、頭おかしくなったのか!?」
正気の俺は、絶対にハガル相手に衝動なんか起こさない。俺がそう言ってやると、ハガルは気持ち悪い物でも見るように俺を見下ろした。
「私だって、選ぶ権利があります。お前は好みではない」
「俺だってだよ!!」
「なんだ、気が合いますね。だったら、次の段階です」
ハガルはベッドから離れ、部屋には場違いな作業机をなでた。そこだけ、違っていた。
よくよく見れば、俺が転がされたベッドも、作りは良くない。置かれた家具などは豪勢なのに、ベッドと作業机だけは、平民が使うものだ。
「昔、ルキエルを捕縛した時、ここに閉じ込めました。ここは、凶星の申し子の痕跡が色濃く残った場所です。ここだけは、あらゆる妖精の呪いも無効化される。その中で、ルキエルの生涯でもっとも使ったものは、そのベッドと、この机です。ルキエルは生涯のほぼ半分を眠っていました。そして、この机で、帝国中にあった壊れた道具を修理したのですよ。ベッドと机は、矛盾した存在です。ベッドでは、凶星の申し子としての業が染み付いています。ですが、机には、凶星の申し子の格を落とす善行がしみ込んでいます。ルキエルが触れた物は全て、私の手で処理しました。ルキエルの生家すら、私が消し炭にしました。死んだルキエルも私が燃やしました。ですが、この二つは、地下牢に封印するしかありませんでした」
執念のようなものを感じた。地下に作られたルキエルを拘束するための牢。そこは、誰もが過ごしやすいように物に溢れていた。だけど、ただの人は大人しく閉じ込められない。いつかは外に出たい、というだろう。そんな場所に、ハガルはルキエルを死ぬまで閉じ込めるつもりだったのだろう。
無理に見えた。俺だって、こんな場所にいつまでも閉じ込められたくない。
「可哀想だと思いましたか?」
顔に出てしまったのだろう。俺の考えをハガルに読まれた。俺は素直に頷いてから、おかしなことに気づいた。
この地下牢に入ってから、ハガルはまともになった。これまでのハガルとは違う。これは、俺の知らないハガルだ。
「ハガル?」
「はい」
「俺の知ってるハガルじゃない」
「ああ、そういうことですか。ここでは、私の力が随分と抑え込まれてしまいますから、楽なんですよ。あまりに辛い時は、ここに逃げていました」
知らなかった。確かに、俺の力も随分と抑え込まれている。
だけど、俺の側にいる禍々しい妖精たちは逆だ。喜び、力を強くしていっている。
『ルキエルを感じる』
『ここにいたのか、ルキエル』
『やはり、死んでいなかったんだ!!』
喜んで、俺にすり寄る。また、妖精たちは誤魔化され、俺をルキエルと思い込んだ。この地下牢に残る凶星の力がそうさせるのだ。
ハガルは俺の手の中にある、握ったまま離れない妖精殺しの短剣に手を添えてきた。
「ここならば、私の契約紋に隙が出来るでしょう」
「バカなこというな!? もう、俺はお前のいう通りになんかしない!!」
妖精殺しの短剣を放り投げたい。だけど、それを禍々しい妖精たちが許さない。俺の後ろから、左右から、と俺の手に妖精の手が添えられた。わざわざ、顕現までして、俺の手に触れた。
『今度こそ、ハガルを殺そう!!』
『ルキエルも一人では寂しいだろう』
『ルキエル、もう一人ではない』
『ずっと一緒だ!!』
「そうですね」
ハガルは嫣然と微笑み、また、俺に背中を晒す。痛々しい契約紋があるだけの背中。完璧な美に、唯一の欠点の契約紋。それでも、ハガルは美しい、と俺は思った。
ハガルは作業机を見て、微笑む。
「ルキエルがいう通り、会いに行けばよかったな」
俺の体の自由なんてなかった。




