呪われた父親のその後
アラリーラに全て知られていた事実に、ハガルはなかなか泣き止まなかった。あそこまで泣くとは、アラリーラも予想していなかった。
「言わなければよかった」
真実を口にしたことをアラリーラは後悔した。
ハガルは落ち着くも、もう、アラリーラの側には寄り付かなかった。アラリーラには、簡単な挨拶をして、ハガルは城に戻って行った。
残されたアラリーラは落ち込んでいた。巻き込まれた俺とウゲンは、完全に後味の悪い気分だ。どうしていつも、こう、俺の手に負えないような問題ばっかり、ハガルは置いてってくれるかな!!
後始末とは、アラリーラである。大魔法使いを引退したとはいえ、アラリーラは、帝国最強の男だ。この男が願ったことは全て叶うのだ。それほどの妖精の溺愛を受ける男を失意のまま、帰してしまったら、大変なこととなってしまう。
「アラリーラ様、お代わりをどうぞ」
「い、いえ、私は」
「ハガルほど、上手ではありませんが、エズル様は、私の淹れたお茶が一番おいしい、と言ってくださいます」
「いただきます」
そこまで言われると、アラリーラは断れない。ほら、そういう教育をアラリーラは受けている。
アラリーラは農家の息子である。最初は酷いものだった。それを帝国がしっかりと教育したのだ。アラリーラは上に立つ者としての教育を受けているのだ。それは、下で働く者たちに恥をかかせてはいけない、そういう機微も読み取れるように、ウゲンの言葉裏も感じたのだ。
ウゲンはハガルが先ほどまで座っていた席についた。
「ハガルからは、こうなることは聞いていました。ですが、まさか、ハガルが隠していた秘密をアラリーラ様がご存知だったのは、私もハガルも予想外でした」
「すみませんでした。あそこまで、ハガルが傷つくとは」
「ハガルはね、まだ、子どもなんです。しかも、まだまだ純粋な部分が残った子どもなんですよ」
「ですが、大人ですよね」
「ただの人にとっての年齢ではね。ですが、ハガルは妖精憑きの何倍も生きる、化け物です。長く生きる分、子どもの時が長いんですよ。だから、アラリーラ様には、汚れた部分を知られたくなかった、それだけです。まだまだ子どもです」
「そこまで、ハガルが望んでいるなんて、知りませんでした。私は、ハガルのことを本当にわかっていませんでした。あんなに、ずっと側にいたというのに、節穴でした」
どんどんと落ち込んでいくアラリーラ。アラリーラとハガルの付き合いなんて、ハガルがアラリーラの側仕えの頃だけだ。それより先は、離れていたのだから、ハガルの全てをアラリーラがわかっている、といっても、たかが知れている。
俺だって、ハガルの全てがわかるわけではない。今日みたいに泣き出すなんて、俺だって思ってもいなかった。俺はハガルが皇帝の娼夫であることを感じてわかっていた。直接、言われたわけではないが、感じた者は多いだろう。
だけど、今回はそういう、感じた、とか、そういう生易しい話ではない。アラリーラに言われ、ハガルが認めたのだ。これで、ハガルが皇帝ラインハルトの娼夫であったことが、はっきりしたわけである。
ハガルは、皇帝の娼夫だという立場を平然と受け止めていると思っていた。しかし、実際は違うのだ。アラリーラを拒絶したように、ハガルは、皇帝の娼夫である事実を恥だと思っていた。
考えれば考えるほど、大変なことになったな、なんて思ってしまう。私はお行儀悪く、椅子をギイギイと鳴らして揺らした。
「しかし、ハガルもまだまだ子どもですね。たかが皇帝の娼夫だということを知られたくらいで泣くなんて」
「それだけ、ハガルは隠したかったということですよ」
「私はエズル様の娼夫ですよ」
「そうなのですか!?」
「もう、公然の仲です」
「っ!?」
知らなかったんだな、アラリーラ。俺とウゲンを交互に見て、アラリーラは驚いた。
俺とウゲンが深い仲なのは、有名だ。ほら、ウゲン、隠さないから。帝国民の前でも、俺にべったりだよ。
ウゲンは容赦がない。ウゲンは見た目がいいから、よく、若いお嬢さんに告白されるんだ。しかも、告白の現場には、絶対に俺を立ち会わせる。そして、返事とばかりに、若いお嬢さんの前で俺と口づけだよ!! これで、若いお嬢さんは、あっけなく失恋し、俺を憎むわけである。
「力の強い妖精憑きといえども、まだまだ、人の倫理感に縛られる子どもですね。欲しいものは欲しい、と手段を選ばず手に入れるほど、なりふり構ったことがないから、そんな甘っちょろいこと言うのですよ」
「ウゲン!!」
「私はエズル様を手に入れるために、魔法使いを捨て、神殿落ちをしました。それを後悔していません。公の場でも、私はエズル様の娼夫だと言い切ってみせます。あなたは私の物です。誰にも渡しません」
言われた俺のほうが赤くなってくる。ついでに、見ているアラリーラも顔真っ赤だ。ほら、告白を見ているようなものだからな。
ウゲンは年上だ。だから、ハガルは子ども扱いである。ハガルは時と場合によっては、妖精寄りに感情を振り回される。
だが、アラリーラに対しては、人としての感情に振り回されていた。それは、ハガルが捨てられない感情だ。
「アラリーラ、ハガルのことは、普通に接してやってほしい。ハガルは、力が強すぎる妖精憑きであるがゆえに、欲しいものが多いんだ。皇帝ラインハルトが欲しい、アラリーラとの同情のない平穏が欲しい、そういうものだ」
「っ!?」
「力が強いから、全てを手に入れられる。確かに子どもだな。欲張り過ぎだ。大人だったら、そこから、順序をつけて、数を減らしていく。しかし、ハガルは子どもだから、順序関係なく、全てを欲しがった。その結果だ。ウゲン、ハガルを呼んでくれ。もう、落ち着いただろう」
「はいはい」
もう終わったものとして処理したいウゲンだが、俺のお願いには面倒臭そうな返事をしながら従ってくれる。
しばらくして、妖精を使って呼ばれたハガルが戻ってきた。俯いて、まだ、立ち直っていないな。アラリーラに目を合わせないようにしている。それが、アラリーラを傷つけている。
ハガルはわざわざ私の横に立った。
「何か御用ですか、エズル」
「アラリーラが、せっかく、ここまで来たんだ。外で食事でもしてきなさい。このまま帰すのは、失礼だろう」
「………わかり、ました」
「そんな顔をするんじゃない。お前と違って、我々は、すぐ死ぬんだぞ。笑いなさい」
「え、アラリーラ様、死んじゃう?」
「死にませんよ!! もっと生きます。変なこと言わないでください、エズル!!!」
叱られちゃった。ハガルが泣きそうな顔になるから、アラリーラは抱きしめて、俺に怒った。よくハガルが使う手法なんだが。
「ほら、一緒に食事をしましょう。ついでに、お土産も見立ててください」
「わかりました」
「ハガルは、私にとって、ずっと、可愛い弟のような子です。それだけは、変わりませんから」
「………はい」
やっと、ハガルは笑顔を見せた。
アラリーラが亡くなったのは、それは数年後のことだった。アラリーラは象徴的存在であるため、アラリーラの死は隠された。どちらにしても、ハガルがアラリーラに偽装して、年に一度は民衆の前に立っているのだ。誰も、アラリーラが死んだことに気づかない。
そうして、ハガルは、アラリーラの死を隠し、アラリーラの姿で表舞台に立ち続けた。それは、俺が死んだ後もずっとだろう。
ハガルが毎日のように神殿に足を運んで来る。こういうのは、だいたい、何かあるのだ。
「何かあったのか?」
そう俺から訊ねてやれば、ハガルは迷いながらも、口を開く。
「親父が死んだ」
「長生きだな!!」
驚いた。まだ生きていたんだ。てっきり、もう死んでいるものと思っていた。
妖精金貨を発生させたハガルの父親は、呪いの根源となった。本来であれば、城の奥深くに封じられるべきだったが、ハガルの執着が強すぎて、一度、帝国のどこかに隠されたのだ。ハガルは、父親の存在を人質にされたようなものである。
ハガルの父親が関係した妖精金貨の被害者がかなり多かった。なかなか呪いが解けないなー、なんて見ていた所に、ハガルの父親をハガルに戻すこととなった。それからしばらくして、呪いがどんどんと解けていったのだ。そこでやっと、呪いの根源がハガルの父親であったことが発覚したのである。本当に、親子そろって、とんでもないものを振り撒いてくれたな!!
だが、あの最低最悪な、どうしようもない父親でも、ハガルにとっては、大事なんだ。筆頭魔法使いの地下牢に封じ込め、父親を独占したのだ。
実際に見た者は、あのハガルの父親を欲しいなんて思わない。しかし、妖精の感性が強いハガルは、異形となった父親でも、欲しいのだ。見るからに、呪いまで振り撒く存在となったハガルの父親を抱きしめるハガルに、狂気を見た。やっぱ、子どもじゃないよ、あいつは!!
実は、どうしても気になって、俺はハガルの父親のその後を見せてもらった。見なければよかった、と物凄く後悔したよ。
皇帝アイオーンに頼んで、こっそりと筆頭魔法使いの屋敷の地下牢に連れて行ってもらった。
「うわ、ハガル、いたんだ」
「まずいか?」
「う、うん、気にしないなら、いいけど」
見てはいけない、何からしい。
俺が最後に見た、ハガルの父親は異形化して、呪いを振り撒いていた。あんなのにくっつくハガルの気持ち、これっぽっちも理解出来ないよ。本当に、おかしい。
地下牢でも、ハガルは、あんな狂気の抱擁をしているものと思っていた。見たくないな、あんなの。
ところが、実際はそうではない。ハガルの父親、普通に戻っている。しかも、地下牢は生活が出来るように、色々と物が揃っていた。
ハガルの父親はベッドで上体だけ起こしていた。ハガルは、父親の膝を枕にして、体を丸くして眠っていた。
これはこれで狂気だ。ハガル、偽装を外して、あの誰もが魅了し、気狂いを起こさせる美貌を晒しているのだ。ただ、眠っているだけで、ハガルの父親は何か感じるだろう。
「ハガル、ほら、ちゅーしよう」
欲望の目でハガルの父親はいう。うわ、気持ち悪っ!! 見ていて、心底、そう思う。
だけど、ハガルはそうではない。目を開いて、嬉しそうに笑っている。
「ちゅーだけですよ。不埒なことはしていけません。私とあなたは、親子です」
「そうだけど、お前は、捨て子だから、い、いいだろう」
ハガルに絶対、言ってはならないことをハガルの父親は言った。それを聞いて、ハガルは笑顔を消して、泣き出す。
「私は、親子でいたいというのに、そんなこと言うなんて」
「わ、悪かった!! もう、言わないから、ほら、泣くんじゃない。よしよししてやる」
ハガルの父親がハガルの頭を撫でるも、ハガルはなかなか泣き止まない。ぐすぐすと泣いて、恐る恐ると父親を見上げる。
「あなたは、私の父です。そう決めています」
「そうだ、俺はハガルの父親だ。ちゅーしよう」
「はい」
ハガルは父親の口づけを受け入れる。小さい子どもが親から愛情としての口づけをするようなものなのだろう。
ハガルはそうだ。親の愛情としての口づけだ。しかし、父親はそうではない。ハガルに対して、それ以上のものを求めて、長い口づけをしていた。あれだ、舌までいれたんだな。
だが、ハガルは平然としている。こんな気持ち悪い事を要求する父親を、父親として愛しているのだ。嬉しそうに笑う。
「これ以上は、親子だから、いけません」
「わかったわかった。ほら、着替えよう」
「それは、使用人の仕事です。とってはいけません」
「俺がやりたい」
「あなたは、こうやって、私を甘やかしてくれればいいんです」
ハガルは父親の胸に飛び込んで、甘える。父親は欲望で喉を鳴らすが、ハガルは子どものように甘えている。
ここまで温度差のある光景は、見たことがない。見ているだけで、気持ち悪くなってくる。
本当は、ハガルの父親と話したかった。しかし、この光景を見て、俺は地下牢を出た。
「大丈夫ですか?」
「狂気だな、あれは」
アイオーンに心配されるが、もう、そういうしかない。
「ハガルの父親、もう、呪いを解けてるじゃないか」
「解けていませんよ」
「そうなのか!?」
俺から見ても、呪いが解けているように見えるのに、ウゲンはそうではないという。
「とんでもないですね。あの地下牢自体に、何かあります。ハガルの父親の中にある呪いを抑え込んでいます。ですが、地下牢から出れば、あの父親は異形化しますよ」
「あれか、古の魔法の効果か」
「違います。何か、神がかったものを感じます」
「妖精封じとか、色々とされているだろう、この地下も」
城の地下牢もそうだが、筆頭魔法使いの屋敷の地下牢も、妖精を封じる何かをされている。それは、今では再現出来ない、古の魔法である。
神殿の地下にも、呪いを封じる魔法が施されているが、そこまで厳しくはない。だから、軽度の呪いを受けた者たちを神殿が受け入れるのだ。重篤の呪いを受けた者たちは、城の地下牢行である。呪いが解けずに死んだ者は、即時、魔法使いによって消し炭にされる。死体だけでも、呪いを振り撒くのだ。
妖精に呪われた者たちは全て、異形化する。ハガルの父親は、全身を異形化していた。もう、手の施しようがないと、誰もが見て、そう思ったのだ。
ところが、地下牢にいたハガルの父親は、普通に人の形をとっていた。ハガルが何かしたのは確かだ。
そして、ハガルは二度と、父親が悪さ出来ないように、素顔を晒して、父親を魅了し、地下牢から出る意思すら封じた。あれほどの美貌の息子が、父親というだけで甘えてくるのだ。もう二度と、外に出たいなんて思わないだろう。
しかし、ハガルもなりふり構ってられないんだな。どうにか父親を束縛したくて、とうとう、その素顔まで使ったか。
「もう二度と、ハガルの父親には会いたくない」
「そう言ってくれて、助かります」
俺は心底、決意した。あの父親には関わるものか。
皇帝アイオーンは気の毒だな。皇帝ゆえに、ハガルの父親には、どうしても関わらないといけないから。ついつい、同情した目で見てしまった。それが、ウゲンの勘に障ったようで、容赦なく蹴られた。
「そうかー、父親、死んだのかー」
「寂しくなります」
俺は、やっと死んだかー、という気持ちだが、ハガルは死んで残念がっている。ここでも温度差が出ているよ。
「俺さ、地下牢にいるハガルの父親を見に行ったんだよな。お前がいたから、退散したけど」
「恥ずかしい所を見られてしまったわけですね」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるハガル。そうか、恥ずかしいことをしている、という自覚はあったわけだな。だけど、見ている側にとっては、気持ち悪いだけだったな。
「お前、父親とは一線越えるようなことはしてないよな?」
心配になって、今更、聞いてみた。父親が死んだ後に聞くことではないな、これ。
今更なことだけど、ハガルは平然としている。
「親子ですよ。そんなことしません。甘えさせてもらいました」
「どんなふうに?」
「膝枕してもらったり、ぎゅーと抱きしめてもらったり、ちゅーもしてもらいましたね」
「お前、いい歳して、ちゅーはやめろ」
「ラインハルト様の教育ですよ。あの男、閨事を学ぶまで、それが普通だと私に言い続けましたからね」
過去に怒るハガル。ラインハルト、ハガルが子どもなのをいいことに、色々と悪さしたんだな。
「だいたい、どう見たって、あの親父、お前のこと、子どもと見てなかったぞ!!」
「私は親と見ているからいいんです。父がどう思っているかなんて、どうだっていい。父親であれば、触れることも、抱きしめることも、ちゅーだって許します。お風呂だって一緒に入りました」
「入ったのか!?」
うわ、大変なことまでしてたんだ。あの父親、ハガルの裸体を見て、冷静でいられるはずがないだろうに。
「そんな、驚くことではないでしょう。年寄でしたから、介護の一環ですよ、介護の」
「え、ああ、そうか、介護、ね」
俺も腐った大人だな。変な想像しちゃったよ。
ハガルはというと、父親との爛れてはいないが、気持ち悪い感じの思い出に耽っていた。
「もうちょっとだけ、許してあげれば良かったかなー」
「ハガル!!!」
「冗談ですよ、冗談。親子なんですから、そんなことしませんから」
「もう二度と、そんなこと言わない!!」
「エズルは、なんか、私の父親みたいですね。ウゲンは私の母親みたいですし」
「………」
「ありがとうございます」
俺が羞恥で真っ赤になって黙り込んでいるんというのに、ウゲンは嬉しそうに笑ってお礼なんて言った。
ハガルが頻繁に来る理由は別にあった。ウゲンもその理由に気づいていながら、無言である。俺だけが、知らなかった。ハガルは、父親の死で誤魔化したのだ。
俺の寿命がもうすぐ尽きることをハガルは気づいていた。だから、ハガルは神殿に毎日のように訪れて、俺と他愛無い会話をしていたにすぎない。死んだ父親を使って、誤魔化されていたのだ。
だから、俺は、その後のハガルのことを知らない。あの最低最悪で、自らも周囲も狂気に巻き込む魔法使いハガルは、最後まで、何を考え、企んでいるのか、よくわからない男だった。




