麦フェッショナル 麦芽の流儀
その男の朝は、まずお湯を沸かすことから始まる。
水道水を満タンまで注いだ、使い古されたステンレスの笛吹きやかんを火にかける。ガスコンロの火は中火。男は、やかんがけたたましい音を奏でるまで、コンロの前から動こうとしない。
「この時間が至福なんです」
そう呟く男の顔は、子どもの成長を喜ぶ親のような温かみを湛えている。
『もはや麦茶ではない』
野生イノシシを見る会 名誉会長 里中春代
『究極の麦茶をいれる人だ』
おとうさんといっしょ! 初代歌のおにいさん ロドリゲス・ハインリヒ
『彼は麦茶の概念を変えた』
国民的自宅警備員 守屋鉄平
各界のビッグネームである彼らをも惹きつけてやまない男がいる。多くの人がその男のことを『史上最高の麦師』と呼び、男が入れる麦茶を一口飲もうと行列すら作る。
何よりも麦茶を愛し、誰よりも麦茶に愛された男、六条麦人。彼が一体何者なのか我々は密着取材を行うことにした。
毎朝、家族のため、大切な人のため、自分のためにお湯を沸かして麦茶を用意する者、麦師。日本全国に数多の麦師がいるが、そのトップに立つのが六条麦人だ。
「私は何も大したことはしていませんよ」
シワのない白シャツがよく似合う、一見メガネの優男にしか見えない六条は爽やかな笑顔で言う。しかし、彼がいれた麦茶を飲んだ人は口を揃えてこう言う。
『人生が変わった』
NPO法人 押しに弱い人からの脱却を応援する会 会長 小田信太郎は、初めて六条の麦茶を飲んだ日のことをこうブログに記している。
私が企画した、訪問販売の断り方セミナーの帰り道、変わった雰囲気の男に出会った。軽く飲んでから帰ろうと思い、たまたま立ち寄った居酒屋で出会った彼は、自分のことを麦師と言い、美味い麦茶を人に出すのが仕事だと言う。
「麦師なんてそこら中にいるし、麦茶なんて誰がいれたって変わらない」たしか私は彼にそう言った。いや、言ってしまった。今思えば失言でしかないのだが、彼は特に怒ることもなく、自分がいれる麦茶を飲んでくれないかと言ってきた。
最初は怪しいと思い断ったが、あんまり何度も頭を下げてくるので仕方なく彼が泊まるホテルについていきご馳走になることにした。
私は、あの時の自分の判断を後悔している。彼の麦茶は美味しかった。いや、美味し過ぎた。今後、私はもう普通の麦茶を飲むことはできないだろう。あの麦茶は私の人生を変えてしまった。
ああ、それにしてもあの麦茶、本当に美味しかったなあ……
「本当に特別なことは何もしていません。そうですね、強いて言うなら『私のお茶を飲んだ人が幸せになりますように』と、思いを込めてお茶をいれていることぐらいです」
水は水道水、やかんは市販のもの、麦茶のティーバッグもスーパーで売られるお買い得品。特別なものは何一つない。なのに麦茶で人を感動させることができる六条。取材二日目に秘訣を聞いてみたが、その詳細はわからなかった。
しかし、取材を続ける中で、我々は美味しさの秘訣を知ることになる。
連日の取材の中で、麦茶をいれる工程の微妙な変化に気づいた撮影スタッフが、六条に何をもとに調整しているのかを聞いた。
「麦の声に従う、ただそれだけです」
彼はそれ以上何も言わなかった。しかし、その言葉が全てを表していた。他の人なら何気なく行う工程の一つ一つを、六条は最適なタイミング、最適な方法で行っていたのだ。
部屋の温度、湿度に合わせて調整する火加減にお湯の沸騰時間。ティーバッグのコンディションを元に計算されたお湯への投入時間。やかんの錆びつき一つも見逃さず、季節によってはひとつまみの塩を入れるという。
彼の一挙手一投足が、麦茶を極上の味へと昇華させていた。
『飲む度に、口の中で味が変わるんです』
今回の取材を行うにあたり、どうしてもコメントを送りたいと名乗りを上げた人物がいる。ライブハウス後方彼氏面推進委員会 会長 赤井淳だ。
日本全国のライブハウスの後方で、アーティストの彼氏面、彼女面をするメンバー達の活動をバックアップしている赤井は、六条麦人の名が世間に広まる前から彼を応援していたと言う。
「私は以前から、世界はもっと彼のことを評価すべきだと発信してきました。私を含めて皆んな同じ条件で麦茶をいれることができるのに、誰も彼の味を越せないんです。越すどころか肩を並べることすらできない。
彼は偉大です。地域ごとに変わる水道水の性質、浄水器の性能にすら即座に対応するんです。とても人間業とは考えられません。
口に含む度に広がる大地の香り。そして、舌の上で弾けるような軽やかな味。それらが湯呑みに注がれてからの時間の経過とともに、刻一刻と深みが増していくのです。
彼は最高の麦師です。今後、彼以上の麦師が出てくることは無いでしょう。私が保証します。
わかりますか? 私たちは今、歴史が塗り替えられていくのを目の当たりにしているんです。彼の出現はそれほどのことなんです。
私は断言できます。遠くない未来、世界が彼から目を離せなくなるでしょう。私はそうなると確信しています」
富山県のある小さな街で生まれ育った六条。彼はどこにでもいる普通の子どもだったと、当時を知る人は言う。彼が才能を発揮し始めたのは大学受験に失敗し、何の当てもなく東京に出た頃だと言われている。
生活のために、たまたま仕方なく始めた小さな食堂のアルバイトの業務で、彼は客に出す麦茶を作る担当になった。担当になったばかりの頃は特に何もなかったが、麦茶を作り始めて半年が経った頃、突然麦の声が聞こえるようになったそうだ。
「それからですね、麦茶を飲んだお客様の反応が日に日に変わっていき、気がつけば私の麦茶を飲むためだけに来る人が出始めたんです」
彼は当時のことをそう語る。
時を同じくして、日本政府が国内の麦の消費量を増加させる施作として、麦茶をいれる人を『麦師』と認定し、支援金を支給する法案が出された。
一部関係者の間では、ある大麦農家がひょんなことから大物政治家の弱みを握ることになり、いつも通り金で解決するはずがちょっとしたボタンの掛け違いが起きてしまった。そして、雪だるま式に事が大きくなってしまい、気がつけば意味不明な法案を提出する事態になってしまったと言われているが、未だ詳細は定かではない。
麦茶のティーバッグが安く買えるクーポン券と、全世帯に一律で二万円を配布するという謎の法案は、当然ながら野党からの猛烈な反対を受けたのだが、圧倒的多数の与党が押し切る形で施行された。その結果、政権交代という代償の代わりに、前年比120%の麦茶の消費量と麦師という新たな日本語が市民権を得ることとなった。
こうした特殊な時代背景によって生まれた新しい言葉と六条は、まるでそうなることが昔から決まっていたかのように巡り合い、そして一躍有名人となった。
「今後の活動ですか? そうですね、誰でも簡単に美味しい麦茶が飲めるようにするために、商品開発や通販事業を計画しています。私は一人でも多くの方に美味しい麦茶を、幸せを届けたいんです」
今後の展望について聞かれると、撮影スタッフの人数分の麦茶を用意しながら六条は答えた。
「試飲してもらえませんか?」彼がそう言ってスタッフ全員に配ったのは、彼が近々販売を予定している麦茶の試作品だった。
「美味しい!」
全スタッフが感動の声を上げた。それを見ていた六条は少し照れくさそうに、笑った。
『あなたにとって麦茶とはなんですか?』
スタッフに聞かれた六条は、真剣な顔で三秒ほど黙り込んでから、よく通る声でこう答えた。
「世界中の人に愛を、幸せを届けるためのツールですかね。麦茶で世界を平和にする。それが私の夢なんです」
カメラに向かって熱く語った白シャツを着た男は、はっと我に返ると慌てて俯き、顔を赤らめた。
『麦フェッショナル 麦芽の流儀』
このドキュメンタリー番組が、国営放送により放映されてから二年経った今、六条麦人は以前よりも遥かに有名になった。
『既婚者でありながらそれを隠して複数名の女性と……』
『販売中の商品に産地偽装の疑惑が……』
『脱税疑惑について本人が近いうちに記者会見を……』
日々新たな疑惑が浮上し、世間を騒がせている六条。メディア関係者によると、週刊誌が六条とある大物海外アーティストとのスキャンダルを掴んだという話すら出ている。
彼が麦茶で世界を平和にできるかどうかは不明瞭だが、世界が彼から目が離せなくなる未来は、そう遠くないのかもしれない。