星空を見上げて
角を折られ、心を折られたタナス。
ひたすら泣き続ける彼女を、明星とフォライはただ見ていた。
あまりにも哀れな彼女に対して、二人はなにもできない。
とどめを刺すことはできず、見捨てるに見捨てられず、さりとて手を差し伸べることもできない。
明星もフォライも、彼女に何もできなかった。
「おやおや……貴方でしたか、タナス」
どうしたものかと思っていると、にょろにょろとジョカが現れた。
ハッとしてそちらを向いた二人は、彼女の服が所々破れているところ、髪が乱れていることに気付いた。
「ジョカさん、貴女も襲われたんですか」
「ええ……下衆な輩に、集団で。少々手こずりましたが……このとおり」
彼女は、自分の核が無傷であることをアピールする。
体が再生する魔族にとって、そこが無事であることを示すことだけが、無傷であることのアピールなのだろう。
「それにしても……素晴らしい雄姿でございますね、明星様」
「あ、あ……あ、まあ」
魔族の姿になった明星は、今更褒められて慌てる。
普段人に見せない姿なので、恥ずかしくなってしまったのだ。
「ジョカ様は、明星様のお姿をご存じだったのですか?」
慌てた様子のフォライが、ジョカに質問をする。
魔族の姿を褒める一方で、驚いてはいない様子だった。
なのでジョカは知っている、と考えたのだろう。
「ええ、当然でしょう? いくら皇帝陛下の血を継いでいるとはいえ、ただの人間そのものなら、跡取りになってくださいとは頼みません」
「そ、それはそうですね……。明星様のお姿、お力は……伝説として語られる魔界統一皇帝そのものでした」
ごもっともすぎる返答に、フォライは納得せざるを得ない。
この圧倒的な強さこそ、魔界統一皇帝の資格なのだ。
「さて……それでは明星様。こちらのタナスは、私にお任せを」
「お任せって……まさか、その、殺すとか?」
「お望みなら。ですがフォライさんにとっては姉、貴方にとっては義理の姉です。必要もないのに殺すのは、夢見が悪いでしょう?」
大人の笑みを見せるジョカ。そしてその提案に、二人は頷く。
フォライの姉を殺す、これ以上傷つけるというのは、あんまり気分がよくなかった。
「ご安心ください、魔界に帰しておきますので。まあそれなりに罰は下るでしょうが……」
角を折られて泣くタナス。
その姿を見て、ジョカは残酷な顔をした。
「もうこの時点で、十分すぎるほどの罰なのかもしれませんね」
「……やりすぎたかな」
「まさか」
泣いている姿を見て、明星は弱音を漏らした。
「仮に誰から何を言われても、こう答えればいいでしょう。背中にフォライがいた、手加減できなかったと」
「そうだな……それならきっと、安寿も怒らない」
自分の家族から言われたことを思い出して、弱音を振り切る明星。
その名前が出たことで、ジョカはすこし羨ましそうに笑った。
「それでは私は、彼女を連れて行きます。では明星様、フォライさん……」
泣きわめくタナスを背負ったジョカは、二人が忘れかけていることを伝えた。
「あまり時間はないですから、楽しんだほうがいいですよ?」
「あ」
「そ、そうでした」
いきなり命が狙われていたので忘れていたが、もともと星空を見るために残っていたのだ。
見上げてみれば、雲一つない空にわずかな星が輝いていた。
明星にとっては、がっかりな空だ。
だがすぐ脇を見れば、嬉しそうなフォライがいる。
「……!」
今更ながら、すぐそばに女の子がいることに気付いた。
まったくもって不謹慎なことだが、互いの距離は一気に縮まっていた。
「……どうかな」
明星はあえて、気付かないふりをした。
脇に彼女がいるままで、空を見る。
「きれいです」
「そうか……」
当然ながら、二人の心は平静ではない。
今しがた、タナスに襲われたばかりだ。
この状況で、のんびり星をみることはできない。
「……タナス姉さんは、私のことをイジメていたんです」
二人は寄り添ったまま、空を見ていた。
その空に何を描くのか。
「妹の核が小さいから、姉の私まで恥をかく。お前はうまれなければよかった……なんて、よく言われました」
「それは……きついだろうな」
「はい……辛かったです」
素直な気持ちの吐露だった。
飾りなく吐き出す気持ちを、明星は静かに聞いていた。
「……その姉さんがお婿さんを亡くしたと聞いて、傷ついている姿を見て、少しすっきりしたと思うんです」
「……」
「それに、今さっき倒れていた姉さんを見て……かわいそうだなって思うだけじゃなくて、嬉しいと思わないでもないんです」
「そうか」
「私……酷いですよね」
「そうかもな」
明星は、フォライの自虐を肯定する。
「だけどな……多分その何倍も、あのお姉さんが酷いはずだ」
タナスの気持ちも、わからないでもない。
明星は最初から、彼女が自分たちに憤慨することだけは、『そりゃそうだ』と認めていた。
まったく労せずに、跡目争いに参加さえしていなかった者たちが、臨んでいた帝位を継ぐ。
それで憤らない方がどうかしている。
だがフォライが言っていたように、それをぶつけてくるのは間違っている。
ましてや殺すなんて、あってはならないことだ。
だから、愚痴を言うぐらいは、まあ許されるだろう。
「あのさ、フォライさん。俺は正直に言って、君に惚れたとか、そういうのはまだないんだ」
「……そう、ですよね」
「君のことをよく知らないのに、惚れる方が失礼だ、なんて思ってる」
いい子だとは、思っている。
だがまだ知り合ったばかりで、知らないことの方がずっと多い。
その状況で、好きだとかなんだとか、言えるわけがなかった。
「それに……俺のことだって、君に知ってもらっていない。この姿のことも、言わなかったくらいだしね」
明星は、フォライの肩に手を回した。
そしてゆっくりと、自分の方に寄せる。
「……君の昔のこと、君が思ったこと、これからゆっくり教えてほしい。俺について聞きたいこととか、少しずつ言ってくれ。もちろん言いたくないことがあるなら、それでもいいからさ」
「明星様……」
「そうやっていれば、きっと……俺たちは、仲良くなれると思う」
フォライは自分から、明星に体を寄せた。
星空を見たまま、二人の距離は近づいていた。
「それで、その……早速なんだけど、言葉にしてほしいんだけど」
「はい」
「嫌、かな?」
明星は、フォライの肩に当てている手から、力を緩めかけた。
「いいえ……嫌じゃありません」
フォライはその短い尻尾を、明星の体にしっとりと当てていた。
それに応えるように、明星はその太く長い尻尾で、彼女の腰を緩く巻いた。
「そうか……俺もなんだ」
二人は身を寄せ合った。
相変わらず、星だけを見ている。
体を寄せ合っているにも関わらず、二人は互いの顔を見る勇気がわかなかった。
だが二人とも、確信をしていた。
きっとこれから星を見るたびに、今この時のことを思い出すのだろうと。
※
二人はほんの少しだけ、星空を見ていた。
いつまでもそうしていたかったが、そういうわけにもいかない。
二人はやがて少し距離を取り、手を握り合うことも恥じらいながら、並んで大親家へ帰っていった。
もちろん、ジョカも一緒に。
そして家に帰った明星は、家族から何があったのかと質問をされることになる。
「なあ明星……お前何を漏らしたんだ?」
夕食が終わった後の志夫は、明星が履いていたデニムを見てそんなことを言った。
それは下品な推測をした顔ではない、純粋に困惑しているからこそ聞いていたのだ。
「なんか……お尻が破れているっていうか、穴が開いているっていうか……布が全部なくなってるんだけど……」
安寿はズボンではなく、同じように穴の開いたパンツを持っていて、何事かという顔をしていた。
開いている穴が大きすぎて、もうパンツの体を成していない。
「……いや、何を漏らしたって言うか……」
「ああ、明星……尻尾を出したのか」
「駄目じゃないの、ズボンを脱いでからにしないと……これはもう捨てるしかないわねえ」
その一方で、友一と桜は流石に理解していた。
幼少のころから彼を育てていた二人である、明星が尻尾や翼、角を出せることは知っていた。
「……え? 明星の尻尾? 明星の尻尾って、こんなにぶっといのか?」
「てっきり見えないぐらい小さいとか、短いとか、細いとか思ってたんだけど……」
(私と同じことを考えてる……)
一方で幼いころから一緒だった双子は、まったくそんなことを把握していなかった。
「ヘレルの奴は……というか純粋な魔族の人は、角とか翼は出しっぱなしだった。でも混血の明星は、出たりひっこめたりできるんだよ」
「赤ちゃんの時は大変だったわ~~……おむつしてるのに、そのおむつを尻尾が突き破るのよ? その上で漏らすのよ? 本当に大変だったわ……」
「……ごめんなさい」
胎児の記憶をわずかに持つ明星だが、何から何まで憶えているわけではない。
赤ん坊のころにやっていた粗相など、憶えているわけもなく……。
今まさに知ったので、申し訳なさそうであった。
「いや、いいんだ。別に明星が悪いわけじゃないし……それにすぐ終わったからなあ……」
「明星は割と早くおむつが取れたし、おもらしも早く終わったものね。尻尾とか翼で服を駄目にしたのも……幼稚園に入る前には終わっていたような……」
「へ~……じゃあ俺たちが憶えてるわけねえなあ」
「父さんと母さん、大変だったんだねえ~~」
混血児を育てる苦悩……というのはあったようだが、そんなに大したことがなかった模様。
なにやらアットホームな会話になっていた。
「……あのさ、明星。魔族の人って、この世界の物を壊せないっていうか、壊しても元に戻っちゃうんじゃなかったっけ? なんでアンタの魔族の尻尾で、この世界のパンツが破けてるの?」
「俺は混血だからなのか、そういうルールが適用されないみたいなんだよな。ジョカさんからその話を聞くまで、『魔族が物を壊しても戻る』なんて知らなかったぐらいだし」
安寿の疑問に、明星は素直に答える。
そもそも壊したものが直らないのは普通なのだから、『なんで直らないんだろう』なんて思う方がどうかしている。
「んじゃあ、明星は魔族の姿になっても、普通に周囲の人にバレるんだよね?」
「おいおい……お前尻丸出しで帰ってきたのかよ……」
「わ、私が後ろについて、隠しながら帰ってきたので大丈夫です!」
(それは言わないでほしかったなあ……)
お嫁さん二号との、初めての共同作業。
それはお尻に開いた大きな穴を見られないように、隠しながら歩いて帰ってくることだった。
尻が丸出しなのに、女子を後ろに立たせたのである。明星は、顔を赤くして恥じらった。
「アンタ、女子に何させてるのよ。アンタは公園に隠れるとかして、フォライちゃんには家にズボンを取りに行ってもらうとかすればよかったじゃない」
「……その手があったか!」
「お前やっぱり結構馬鹿だよな……」
双子に呆れられるぐらい、まぬけな明星。
こんな低レベルな機転も利かせられないとか、魔界統一皇帝を任せるのが不安なほどである。
「フォライちゃんも大変だよね、こんなのと結婚しないといけないとか……」
「俺に乗り換えちゃう~~?」
「いえ……いえ! 明星様は、皇太子にふさわしい、格好のいい殿方です!」
双子はフォライが明星を嫌っていないか気になったようだが、そんなことは全くなかった。
フォライは初めて会ったときと比べ物にならないぐらい、ものすごくはきはきとしゃべっている。
「あの角、あの翼、あの尾、あの核、あの雄姿……最高に、素敵でした」
「全部見た目じゃない……やっぱり明星って、見た目だけが取り柄なのね」
「ギャップ萌えみたいなもんじゃねえの? 実は胸が大きかったですとか、眼鏡をとったら可愛かったとか……」
(俺って、その程度の存在だったのか……)
フォライの評価を聞いても、双子は相変わらず辛らつだった。
まあタナスの襲撃について話をしていないので、戦う姿が格好良かった、と言えないので仕方ない。
「まあまあ、お二人とも。良いじゃありませんか、見た目は大事ですよ」
(フォローになってねえ……)
ジョカは笑顔でとりなそうとするが、明星は傷ついていた。
「確かに……見た目は大事だな!」
「アンタは黙ってなさい」
同意する志夫だが、安寿はそれをどつく。
「ふふふ……とはいえ、です。安寿さん、どうですか?」
「何がよ」
「フォライさん、幸せそうでしょう?」
ジョカがやや悪戯っぽく問う。
そしてそこを突かれると、安寿は弱い。
「……明星、初デートうまくいったみたいね」
「……ああ」
「やるじゃない」
「ああ!」
「尻丸出しで帰ってきたくせに」
「……うん、次は着替え持ってく」
注意する安寿と、うなだれる明星、それを見て笑う志夫。
そんな三人を見て、ジョカは儚そうに笑った。
「友一様、桜様。やはりお二人は、最高の親ですよ」
「……いや、普通さ。どこにでもいる、平凡な親さ」
「普通に大変だったわ。平凡な私たちにとってはね」
「……それができなかったのですよ、私も陛下も」
あるいはフォライが明星を好きになったこと以上に……。
この大親一家が円満であることに、ジョカは安堵を憶えていた。