泣いている子供
明星はある程度真面目ではある。
頭が悪いことを自覚しているので、授業中は真面目に話を聞いている。
だが今日という日は、珍しく上の空だった。
最近誘拐されて行方不明になったことも含めて、何かあったのだろうか。
周囲の生徒、および教員が気にするのも当たり前である。
なお、双子は当然、それを把握している。
(ドゥキアさんのことだな……。あの人も悪いわけじゃないけど、逆効果だよな……)
(フラロちゃんも大変よねえ……あんな乳母さんといっしょなんだもの……)
今回ばかりは色恋沙汰とはまた別なので、双子そろって同情していた。
正直もう、高校生がどうにかできる問題を越えていた。
(おじさんはおばさんに任せろとか言ってたけど……俺にはわからねえなあ……大人はやっぱりすげえんだなあ。というか、おじさんとおばさんが凄いのか……他が酷いのか)
憂う明星だが、その顔はほどなくして崩れた。
彼のポケットに入っているスマホが、わずかに揺れたのである。
授業中なのでマナーモードであり、もちろん明星はそれを見ない。
だが何度も何度も揺れるので、明星は教師に見えないようにスマホを確認する。
もちろん教師もプロなので、ああ見ているなあ、と思っていた。
周囲のクラスメイトも、珍しいことがあるものだ、と眺めている。
「……!!」
スマホの画面を軽く操作した明星は、一気に顔色を変えた。
そのまま無言で一気に立ち上がる。
「みょ、明星君?!」
なにせ明星は背が高く、筋肉も多い。
彼が立ち上がるだけで、周囲の面々は全員彼を見た。
魔族にならずとも、そのオーラは吹き上がっている。
「……先生、早退します。あとで保護者から連絡がいくと思いますので」
「あ、そ、そうですか……」
「それから……栞さん、鯉さん、皷さん。ちょっと協力してください、大急ぎで家に帰らないといけなくなったんで」
「……わかったわ! お任せね!」
「や、やだけど行きます!」
「穏やかじゃないわねえ……急ぎましょうか」
その姿を見るクラスの面々は、その緊迫感に慄いた。
(学校に通うヒーローが、授業中に呼び出されたみたいだ……!)
あながち間違ってもいない想像だが、さすがに声には出せない。
「どうした、明星?! なんかあったのか?」
「おばさんから呼ばれた、急いで戻る」
「……私も戻るわ! 志夫も行くわよ!」
一緒に暮らしている双子も、何かを察して帰ろうとする。
なんかもう、一周回って事情を聞きたくなっていた。
「明星君、大親君! な、なにがあったんだ?! 地球がピンチなのか?!」
思わず教師は、ヒーローみたいなことを聞いた。
だがそうでもなければ、クラスメイトへ協力を要請したりしないだろう。
かばんも持たずに帰ろうとする明星は、いたって真剣な目で答える。
「子供が泣いているかもしれないんです」
その言葉は、まさにヒーローだった。
「俺が、助けに行かないと!」
※
人間界において、魔族は異物。
魔族がそこに居ても、人間は気づけない。
気づいたとしても、すぐに忘れてしまう。
仮に車で撥ねられても、車は戻り、撥ねられた本人の傷も消える。
考えようによっては、メリットと言えるだろう。
少なくとも混血の明星は、周囲の被害を気にしながら生きている。
一方でジョカのような純血の魔族は、何も気にせず暴れられるのだ。
だがそれが、迷子になった幼子にとってどれだけ怖いだろうか。
周囲には、魔族に似て、しかし明らかに違ういきものばかり。
道を行っても、知らぬものばかり。
なにより、勇気を出して声を出しても、誰もが去っていくのだ。
泣いてしまっても、決して泣き虫ではないだろう。
そして、そんな遠い国の中で……。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
見知らぬ大人に出会ってしまっても、同種というだけでついて行ってしまうだろう。
「ここじゃあなんだ、おじさんたちのお友達の所へ連れて行ってあげよう」
※
人間界に逃れた魔族の多くは、犯罪者である。
まず人間界へみだりに出かけること自体が、魔界の掟に反している。
そのうえで、人間がそうであるように、国外へ逃げる者のほとんどは犯罪者である。
とはいえ……たいていの犯罪者は、底辺である。
魔界から食料を買うほどのコネクションも、財力もない。
だからこそただでさえやせている手足がさらにやせ、胴体までも細っている。
まさに底辺、まさに犯罪者。
落ちぶれるところまで落ちぶれた、明日も知れぬ命である。
だがそれでも、十人ほども集まれば、子供にとっては巨悪の集団となる。
まだ世界の悪意を知らぬフラロであっても、これから自分が酷い目にあわされると、乱暴をされると理解してしまった。
「おいおい、ずいぶんと身なりのいい子供だなあ……」
「惜しいぜ、もうちょっと大きければな……」
「いいじゃねえか、久しぶりに『女』だ」
「誰からやる? 俺は早いほうがいいなあ、反応が楽しめる」
「まてよ、ここに連れてきたのは俺だぜ? それならさあ……な?」
迷子になった子供にできることは、泣き叫ぶことだけ。
それを周囲の誰かに、助けてもらうことを願うしかない。
元より悲鳴とは……アラート。
人のいない、目のつかない、荒れたビル。
如何に人に気付かれないとはいえ『秘め事』をするのだからと集まった男の魔族たち。
彼らはそのアラートを聞いても、楽し気に笑うだけだった。
「はあ……純血の魔族、暴漢か。クズ率が高いのは、私に男運がないからかね」
そこに、一人の女性が現れる。
角もなく、翼もなく、尾もない。
人間の姿をしていて、人間の服を着ている。
おそらく、胸に核もないのだろう。
本来なら気にすることもないのだが、彼女が自分たちをみて声をかけたことに、男たちはいぶかしげな顔をする。
なぜ自分たちを認識し、記憶できるのか。いやそもそも、なぜ魔族を知っているのか。
「あ、事情の説明とかいいから。『先走り』の臭いが酷いもんねえ……風呂に入ってない体臭で紛れないって、どんだけ先走ってるのさ。この臭いの中で、よく興奮できるもんだよ」
彼女は、極めて女性らしい反応をしていた。
暴漢たちに対して、心底に軽蔑を向ける。
「その子が明星の言ってた『フラロちゃん』かどうかも、どうでもいいや。ここで逃げるのは、ほら……夢見が最悪だ。ぶっ殺してスカッとして、いい夢を見たいもんねえ」
そこまで言うと、彼女は着ていたジャージを脱ぎ始める。
魔族にあるまじき、筋肉に覆われた四肢。実に人間らしい姿をさらす彼女は、そこで胸に手を当てた。
「はあ……はああああ!」
フラロを含めた純血の魔族たち、その前で彼女は変身を遂げる。
人間の特徴と魔族の特徴を併せ持つ、混血の少女、吉備オンラ。
父である冠者とまったく同じ特徴を引き継いだ彼女は、淡々と間合いを詰めていく。
「あ、アモンの一族か?! 胸の核も結構デカいぞ?!」
「人間に化ける術でも使えるのか……いや、そんなことはどうでもいい!」
「あれぐらいの核なら、俺たち全員でかかれば……」
魔族の男たちは、オンラが接近してもまったく警戒しなかった。
それは彼女の核がそこまで大きくないということもあるが、それ以上に彼女が核をかがやかせていないということだろう。
魔族にとって、核を光らせることが戦闘体勢へ移行した証。
それをしていないのだから、無警戒になるのは当然だ。
だがそれは、明星やオンラにとっては、奇襲のきっかけになる。
「出な」
彼女の掌から、切っ先が伸びた。
それは完全な奇襲となって、魔族の男を串刺しにする。
「は? あ?」
こともあろうに、魔族が、人間がつくったであろう武器で、自分を攻撃した。
底辺魔族たちは、その意味が分からなかった。
如何に急所とはいえ、いかに魔族が使うとはいえ、人間の作ったもので自分たちが死ぬわけがないのだ。
だがその常識は、彼らがビギナーであるからに他ならない。
どうせ治るだろうと思って抵抗もしていなかった、胸を貫かれた魔族。
その彼は、一瞬で気絶し、そのまま絶命した。
「あ、あああ?! な、なんで武器で、俺たちを殺せるんだよ!?」
「おかしいだろ、こんなのは……」
「1、2、3、4っと」
困惑している男たちを、待つことなどしない。
オンラは手にしていた武器で、男たちを貫いていく。
彼女のそれは、冠者の鬼ノ城とは余りにもデザインが異なっている。
雄々しい金棒とは違い、脆くも美しい、細い刀剣だった。
鍔も柄もなく、刃も峰もない。
フェイシングのレイピアにも似ているが、もっと似ているものがある。
それは、針だ。彼女は巨大な針を、武器として使っている。
「これが私の真金の利器……一寸法師だ」
畳針でもここまで長くないだろう、という長さだった。
武器として使えるほど長い針をつかって、彼女は魔族たちを手際よく殺していく。
すさまじい切れ味と精密性を発揮して、魔族たちの小さな核を逃さず貫いていく。
「よ、よくわからねえが、殺しちまえ! 全員でかかれば、すぐ済む!」
「いや、角と翼と尻尾をぶっちぎれ! そのまま使ってやろうじゃねえか!」
「仲間が死んだ、獲物が増えた! 取り分が増えるなあ!」
だがそれでも、仲間意識さえ薄いクズたちは、死を悲しむことも恐れることもなく核を光らせる。
もう何も失うものはないのだと、その恐ろしさを教えてやると言わんばかりに威嚇した。
「鯉さんの……いえ、楽々森家の結界術は素晴らしいですね。探知結界とやらを貼れば、ある程度場所をつかめるとは。さすが魔族退治の家系ですね」
だがその威嚇を、床や壁、柱ごと粉砕する蛇が現れた。
場所が分かるや否や、魔族の特性をフル活用。建造物も人も車も、何もかも粉砕しながら直進してきた、胸を輝かせる大蛇。
魔界統一皇帝から大任を仰せつかるほどの女傑、ジョカであった。
ただでさえ巨大な彼女の尾は、核から注がれる膨大なエネルギーによって超巨大化。
もはや怪獣の域に達した太さと長さ、力強さをいかんなく発揮して、ミサイルのように突入してきた。
「おや、オンラさん。先に来ていたのですね、ありがとうございます」
「……豪快だね、半分じゃない人は好きにできて羨ましい。まあもっとも……そこまでできるのは、親父ぐらいだったけど」
うねるジョカは、その魔族たちを包囲し始めた。
オンラに話しかけつつも、魔族の男たちを逃がさない構えである。
「こ、この女……大物だ! なんでこんなのが、人間界にいるんだ?!」
「まずい、この子の保護者だな?! 子供一人で人間界にいるわけねえもんな……!」
「くそ、厄ネタだ! 美味い話だと思って損したぜ!」
「そうだ、あのガキを人質に……」
魔族たちはジョカに対抗するため、フラロを人質にしようとした。
安易な手だが、他にないともいえる。
だがそれはかなわなかった。
既にフラロのところへ、『最も強い生き物』がたどりついていた。
泣きじゃくる幼児を抱きしめて、彼は務めて冷静に話を切り出す。
「わかってるさ、ああ、わかってる。よくあることだもんな、迷子に声をかけたら通報されたなんて」
どんな底辺でも、魔族なら聞いたことのある姿。
最大最強の魔族、ルキフェルとその血族。
その証明である金属の部位を見せつけつつ、吉備明星は笑いながら話しかけた。
「この子が人間界をふらふらしていたんで、声をかけたんだろう? どうしようか迷って、仲間と相談しようとしたんだろう?」
だが魔族たちは、魔族になった明星の姿を見て、返事をするどころではなかった。
「まあ、後ろめたいことはあるかもしれないな。でも気にしなくていい、どんな事情で人間界にいたって、子供を助けたんだからそれだけで価値がある人だ。あんまりいいことじゃないかもしれないが、ちゃんとお礼をさせてもらうよ」
自分たちが、誰の女に手を出したのか、理解してしまったのだ。
「だから逃げずに、話をしましょうよ……何も怖がることはない」
冷静であろうとして、冷静になれていない。
そんな彼は、何とか笑った。
「こんな小さい子によってたかって乱暴する大人なんて、いるわけがないんだからなあぁ!」
死ぬ、殺される。
自分たちが何をしようとしていたのか知られれば、その瞬間に惨い死が待っている。
そうだ、どうせ相手は幼児だ。
全員で口裏を合わせれば、助かるはずで……。
「明星、そいつらテント張ってたよ」
「あらあら、臭いわねえ。雄の臭いがするわ」
だがしかし、それは叶わなかったわけで。
「そうか……そんな奴は、生きてなくていいよなあ!」
明星はまだ、彼女をお嫁さんと見れていない。
だがしかし、そんなことはどうでもいい。
明星は、もう殺した。
※
「フラロ様~~!」
「ドゥキア~~!」
実際迷子になったのは、一時間あったかどうか。
その短い間に、とんでもない不運を引き当てたフラロ。
彼女は大親家へ連れてこられると、乳母であるドゥキアの元へ走りよった。
ドゥキアもまた、泣きながらフラロを抱きしめていた。
その温かい光景を、今回の人探しに関わった面々は暖かく見守っている。
混血のコミュニティも、吉備家の魔族退治陣も、フォライもナベルも、安寿や志夫も笑ってみていた。
一方で、笑えない者もいた。
「ごめんなさい……フラロちゃん、何かあった?」
「大したことは、何もなかったよ。怖くて泣いていたけどね」
自信満々にドゥキアのことを請け負って、さも先人気取りで愚痴を言いあった桜。
彼女は合わせる顔もないと、家の中に隠れていた。
そのすぐ隣には、夫である友一もいた。
「だ、そうだぞ。お前も二人に会いに行きなさい」
「でも……私が話し込んだせいで、あの子は……」
「ちゃんと謝れるのがいい子だって、お前は散々教えて来ただろう。行きなさい」
「でも……」
「行くんだ」
夫に厳しく言いつけられて、桜もまた頷いて歩いていく。
彼女がドゥキアとフラロに何と謝るのかはわからないが、きっと許してもらえるだろう。
「……なあ明星、子供が迷子になるのは保護者の責任だよな?」
「そうだね」
「俺たちは立派な大人のつもりだが……それでも、子供は迷子になるんだ。それは仕方ないんだ」
「そうだね」
友一は、明星に謝っていた。
「本当に、申し訳なくなるよ。立派な大人であろうとしても、こんなものなんだ」
彼もまた、妻の不始末を子供に謝れる、いい大人であった。
だがそれが、何の慰めにもならないと、ほかならぬ明星は知っている。
「おじさん……俺さあ、人殺しなんだよ」
その友一へ、明星は罪を明かした。
「つい、かっとなっちゃってさ……駄目な子供で申し明けないよ。完璧な子供になれたら、そんな気持ちにさせなくてもよかったかもしれないのに」
「……そうか」
「俺がこんなんだからさ……おじさんもおばさんも、完ぺきじゃなくていいよ。俺は、おじさんとおばさんがいいんだ」
明星は、未来を心配した。
心配したうえで、前向きだった。
「だからさ……これからもよろしくね」
「ああ」
友一は、情けなかった。
なんといい子に育ったのか、なんと不甲斐ない親なのか、と。