立派な大人の失態
明星に好かれないと、人生が悲惨なことになる。
文章にすると悲惨すぎるが、後宮に入るということはそういうことである。
よって、乳母のドゥキアが必死になるのは、なにもおかしなことではない。
むしろだからこそ、周囲も彼女を咎めにくいのだ。
これは明星が特にそうで、彼自身いろいろと悩んでしまう。
悩んだ彼がどうするのかと言えば、両親へ相談するのだ。
彼にとっての両親とは、故人である実の両親であり、育ててくれた大親友一と大親桜であった。
この件について相談がしやすいのは、同じ男である友一だった。
明星は彼へ、二人っきりで相談をすることにしたのである。
「もうどうしていいのかわからねえや……」
「そうだな……俺もそんなことを相談されてすごく困っているよ」
言葉通り、ものすごく困っている二人。
友一も割と失礼なことを言っているが、明星は嫌悪感を見せない。
なんでもそうだが、会話をすること自体が大事である。
友一が『うるせえ、そんな話を俺にするな!』とか言わない限り、明星は彼を嫌わないだろう。
むしろここで『ははは、そんなに大したことじゃないだろ?』とか受け流される方が嫌である。
「この間さあ、志夫が二十代後半の女性の方|(精いっぱいの表現)に囲まれて口説かれて、困ってたんだよ」
「……俺にとっては嬉しいだろうが、志夫にとっては辛いだろうな」
「そんなことはないと思う」
「……夢のない話だな、まあ察しはつくが」
「まあ……年齢差云々は置いといて……とか言うけど、実際フラロちゃんからしてもキツイじゃん」
フラロに限った話ではないが、婚約者が決まっていたら自由恋愛など望むべくもない。
彼女がそれを自覚したとき、どう思うだろうか。
「『十ぐらい年の離れているおっさんと結婚とかイヤ!』って言われそうで……というか『皇帝陛下に嫁げるなんてサイコー!』って喜ばれてても、それはそれで嫌だし」
「そうだな」
ネガティブでもポジティブでも、なんか嫌であった。
明星は、義父に愚痴る。
「ドゥキアさんとしては、俺とフラロちゃんが仲良くすればいいんだろうけど……したらしたでまずい気もするし……フォライさんやナベルちゃんと仲良くすることに目くじら立てそうだし……」
「まあそうだろうなあ……」
「どうすりゃいいんだろうね」
もういっそ、若いころのルキフェルや、あるいは冠者のような性格ならよかった|(二人とも親戚である)。
だが明星は比較的まともよりなので、この状況を真面目に悩んでいた。
「……なあ明星。お前と志夫は俺へ『親になる覚悟ができたのは何歳か』みたいなことを言っただろう?」
「ああ、言ったね」
「たまに考えていたんだが……」
現在三児の父である、大親友一。
彼が親の覚悟ができたのは、何歳と応えるのか。
「まだできてなかったわ」
「まだ?!」
「いやまあ、いろいろ考えてたんだが……そもそも覚悟って無意味だわ」
親になる覚悟そのものを否定する友一。
しかしそれは、精一杯考えた結果であった。
「考えても見ろ、親になったことのない奴が『親になる覚悟』なんて決められるか?」
「矛盾しているような気が……」
「そうかもな。でも少なくとも俺は、親になる覚悟、って言葉がしっくりこなかった」
理路整然としているわけではないし、ちょっとわかりにくいところもある。
ゆえに重箱の隅をつつかれれば論破されそうだが、そういう趣旨の会話ではなかった。
「辞書で引いたら違うかもしれないけど……覚悟って迷わないとか、後悔しないとかそういう意気込みだろ? 俺はしょっちゅう迷ってるし、後悔しているぞ」
「……」
「安寿と志夫が双子だってわかったときとか、お前を引き取るときとか……迷ってばっかりだったし、後悔することもしょっちゅうだ」
事実上養子である明星に対して、言ってはいけないことだったのかもしれない。
だがこれを受け止めても大丈夫だとわかっているからこそ、友一はあえて言葉を選ばなかった。
「ただ……桜と一緒に頑張ってきた。迷っても後悔しても、頑張ろうって思って投げ出さなかった。ずっとそうしてきただけで……覚悟と言えるものはなかったな。少なくとも俺はそうだ」
「……そっか」
しみじみと、明星はそれを受け止めた。
最近酷い大人|(ほぼ全員親戚)と話してばかりだったので、安心するほどのまともさだった。
「結局な、明星。どんな時だって、想像した以上の何かが来るんだ。最初に覚悟を決めたり方針を固めても、あんまり意味ないんだ」
「そっか……(ポジティブ)」
「都度ごと後悔して迷いながら頑張るしかないんだ」
「……そっか(ネガティブ)」
まともな人間ほど苦労をする、その真理を垣間見た明星である。
「まあそれにだ……そもそもお前がどう頑張っても無理、ということはある」
「……薄々そんな気はしてた」
「だからまあ、ここは桜に頼れ。きっとあいつなら、ドゥキアさんを何とかしてくれるだろう」
「おばさんは、そんなにすごいの?」
「いや……むしろ逆だな。すごくないから、何とかできるんだ」
※
大親桜。
言うまでもなく、明星の義母である。
養子縁組はしていないが、養育者として赤ん坊のころから面倒を見て来た。
その大親桜から『ちょっとお茶しましょうよ』と言われて、ドゥキアは緊張しつつ、フラロを連れて大親家へ訪れた。
友一は仕事で、明星や安寿、志夫は学校である。
その時間に、女同士の話をすることとなった。
(大親桜……明星様の義母であり、ジョカ様も一目を置く女性。この人間に取り入れば、フラロ様の地位は不動のものに……)
ドゥキアの思惑は、たしかに正しい。
桜に気に入られれば、そのまま明星へいろいろ言ってもらえるだろう。
それだけでも、後宮の中から抜きんでることになる。
「実はね、今日は貴方とお話がしたくて、ここに来てもらったの」
「な、なんでしょうか?」
さて、何を言われるのか。
ドゥキアはリビングの机の前で、びくりと震えた。
身構える彼女から、桜は視線を切った。
「私とヘレル、それから桃香が会ったのは学生の頃よ」
「……ヘレル殿下、ですか」
ルキフェルの息子、そのうちの一人、ヘレル。
当時は数多いる息子たちうち一人にすぎなかった、ただの放蕩息子。
人間界に勝手に遊びに来て、人間の娘と恋をして、挙句勝手に死んだ男。
もちろんろくなものではないが、結果としてルキフェルの血を、力を、残すことができた唯一の男。
色々な意味で、重要な人物である。
「アイツねえ……それはもう、最悪だったわ」
「そうですか……」
「魔族だからって好き勝手にやってねえ……でも壊れたものが直るし、誰も覚えてないから突っ込みにくかったけど……まあ、正直最悪だったわね」
ヘレルが息子を預けるほどに、桜は信頼されていた友人だった。
そして実際明星を立派に育てたのだから、桜もヘレルを友人と思っていたのだろう。
そのうえで『最悪だった』というのだから、実際酷かったと思われる。
「明星はアレに似なくて、本当にいい子に育ったわ。私と友一の教育のたまものね……」
「は、はあ……」
「これねえ、ジョカさんの前では言いにくくて……でも言いたかったのよ。わかるでしょ?」
「自慢したい気持ちは、わかります……」
話の趣旨が、よくわからない。
まさかこのまま、世間話をしようというのか。
「……正直ねえ、押し付けられた時は、何言ってるんだこいつら、って気分だったわ」
「……」
「わかるでしょ? ただでさえ双子がお腹の中にいて、なんとか二人とも健康に産めて、さあこれから大変だぞって時に……あのバカップル、なんかすごいテンションで家に来て『この子を預かって!』『頼む……お前たちにしか頼めないのだ!』とかほざいて、大金と一緒に置いていったのよ?!」
「それは、大変でしょうね……」
「一人でも大変な赤ん坊が、三人よ?! 角とか尻尾とか生えてるから、ひっこめるようになるまで託児所とかにも預けられないし……職場に復帰する予定がぱあだったわ! 親戚からも何やってんだお前ってまっとうに説教されるし……」
長々と、愚痴が始まった。
それはとてもではないが、子供の前では言えないことだった。
「今だからこうしているけど、正直何度八つ当たりしそうになったことか……酷い女よねえ、まったく」
そしてそれを聞いているのは、乳母であるドゥキアだった。
「子供は可愛い、赤ちゃんは可愛い……でも辛いものは辛い……実の子でも、そうでなくてもねえ……」
彼女には、その気持ちがよくわかるのだ。
「これが幸せなのかなって、何度も思ったわ」
「そ、そうですね……」
ドゥキアは、合いの手ではなく本心から賛同した。
「わかります……」
ドゥキアは、乳母としての涙を流した。
「わかりますよ……本当に!」
二人とも、立派な大人である。
だからこそ、心に中に貯めこんでしまうものがあった。
「本当に……大変で、重荷で!」
「そうよねえ……軽く考える方がどうかと思うけど、負担よねえ……」
「この御役目を、何度投げようかと思ったことか……!」
二人とも、まっとうな大人である。
だからこそ、心底から子供を愛していて心に闇がない、なんてことはない。
かといって、きれいごとを言いつつ腹の底では権力者に取り入ってやろう、なんてこともない。
だがだからこそ、心に秘めるストレスがある。
「友一も結構気を使ってくれたけど……その分意見もぶつかってね。この家を買う時も、さんざん議論したわ。私も友一も、二人のお金を使った方がいいような気もしたし、使わないほうがいい気もしたし……」
「わかります……ええ、わかります…!」
大切な子供を預かる、その負担。
普通の子育てでも溜まる鬱憤に、さらなる負荷がのしかかる。
解決できる手段など、あるはずもない。
どこまで言っても、大変なものは大変だ。
だからこそ、ただ吐き出す。
別に、子供を捨てたいわけではない。
ただ大変だ大変だと、吐き出したくなるのだ。
「私も……私も! フラロ様のお幸せを祈る一方で、早く楽になりたい気持ちもあって……! 明星様に気に入ってもらえれば、それだけで解決だと……もう悩まずに済むのだと……そう思ってしまって……」
「わかるわ……ええ、言えないけどわかるわよ」
大人でも、母でも、泣きたくなる時はあるのだ。
※
ただそれは、二人でするべきではなかった。
※
さて、フラロである。
彼女が特別な子供かと言えば、そうでもなかった。
どこにでもいる、普通の子供である。
どこにでもいる普通の子供が、いきなりどこかに連れ出されて、そこで暮らすのよと言われて、そしてなんか連れていかれた家で保護者が話し込んでしまって……。
それで、おとなしくするだろうか。
「んん~~! えい!」
ばこんと、家の壁を角で破る。
そのままとことこと、壁の外に出る。
純血の魔族である彼女の攻撃は、速やかに修正されていく。
彼女が壊した壁は、何事もなかったかのように直っていった。
それはそのまま、彼女がどこから抜けたのか、家からいなくなったのか。
それさえもわからないということだった。
つまり、彼女は迷子になったということだった。