子供を泣かせても楽しくはない
魔族たちの人間界ハウス。
明星のお嫁さんたちが暮らす家に、二人の女性が訪れた。
「ええ……こちらが四人目となるフラロさんと、その乳母のドゥキアです。これからこの家で、皆さんと一緒に生活しますので……ええ、仲良くしてあげてくださいね」
仲良くしてあげてくださいね、という割にジョカの顔は硬かった。
そしてそれ以上にフラロの顔は強張っていて……そのフラロを抱きしめているドゥキアの顔には殺気さえ宿っている。
(どうしよう……)
この状況に、フォライはとても困っていた。
普段の彼女なら逆に睨み返すか、あるいはひるんで泣きそうになるだろう。
だがそうならずに困っているのは、相手がドゥキアではなくフラロだからであった。
明星のお嫁さん四号、フラロ。
主な特徴、幼児。むしろそれが特徴のすべてであり、彼女は平均的な幼女と言える。
その彼女が人間界に来て、乳母と一緒に滞在するという。
それを聞いたフォライは、割と普通に困惑したのだ。
明星の年下が婚約者というのは、そこまでおかしくない。
むしろ年頃の女性はほとんど結婚しているはずなので、むしろ自然と言える。
問題なのは、乳母と一緒とはいえ家元を離れていることだろう。
普通なら婚約だけはすませても、ある程度の年齢になるまでは実家で過ごすはずだ。
そうではない子供にまで敵意を燃やすほど、彼女も愚かではない。
(これは、下手をすると私が批難されるのでは……)
泣く子と地頭には勝てぬ、などという古い言葉がある。
ただこれをひとくくりにしているのは、一種の言葉遊びだろう。
地頭というのは一種の権力者であり、戦っても勝てないという意味。
対して泣く子には、戦うこと自体が負けを意味している。
「……さあ、フラロ様! この人たちにも挨拶を!」
「え、えええええええええええ!」
「泣いていては駄目です! 弱みを見せたら付け込まれますよ!!」
(何を無茶なことを……)
意義はわからんでもないが、幼い子供に要求することではあるまい。
さてどうしたものかと思っていると……。
「へえ、フラロちゃんっていうんだ!」
ここで、バカ、もといナベルが出撃した。
「どうも初めまして! オレ、ナベルだよ!」
「な……フラロ様に何と失礼な!」
「え、おなじお嫁さんでしょ?」
「ま、まあそうですが! 同じだからこそ、競争相手なのでは?!」
「え、仲のいい後宮、なんじゃなかった?」
「それは建前で……」
ナベルもドゥキアも、どっちも正直に話している。
だがこの場合、どちらが『問題発言』かと言えば、聞くまでもないだろう。
「ごほん、ドゥキア?」
「じょ、ジョカ様……」
「過去の失敗を知ったうえで、皇帝陛下の勅令を建前などと……言っていいことと悪いことの区別がついていないのでは?」
よし、問題発言ゲット! と盛り上がるジョカ。
もうこの際、このまま押し切って帰ってもらおうかと思ったほどである。
「仲良くしようとしているナベルを無下にするなど……許されないことです」
「で、ですが!」
「もちろん、貴方にも立場があるのでしょう。ですが建前をたかが建前という人は、この場にふさわしくありません」
胸の内ではいろいろ思っていても、一応は仲良くしようとするべきだ。
それさえできなければ、それこそ前回のハーレムと同じ失敗をしてしまうだろう。
「……ぐぐぐ、な、ナベル様、お許しを……」
「ねえねえフラロ、オレと遊ばない?」
なお、ナベルはドゥキアの謝罪をガン無視していた。
「ん……」
「じゃあお手玉でもしようか! オレ、明星から習ったんだ! 結構面白いんだぜ!」
「おてだま?」
「手でやるビマリみたいなもんだぜ!」
(ナベルさんがいてよかったと思う日が来るなんて……)
(誰が何の役に立つかなんて、わからないものですね……)
ようやく雰囲気のやわらかくなったフラロを見て、安堵するジョカとフォライ。
なおその内心は、失礼極まりなかった模様。
「……あの、ドゥキア。貴方の気持ちは……わからなくもないというか、わかるつもりです。ですがいささか以上に、苛烈すぎるのでは?」
「何が悪いのですか! これはフラロ様のためですよ!」
「まあそうなのですが……押しを強くすればいいというものでも……」
「挨拶さえできなくて、押しもなにもありません!」
(いや、フラロさんの押しが強いのではなく、貴方の押しが強いという意味なのですが……)
フラロをナベルが請け負ったので、ドゥキアへ難しい話を始めるジョカ。
彼女としても追い返すのは最終手段なので、なるべく穏便に済ませようとしている。
「後宮に入るということは、明星様に気に入られるかどうかで全てが決まるのです!」
「皇帝陛下もおっしゃっていましたが、もう後宮内での序列云々で一族の命運を変えることはありませんよ」
仮に皇帝が『後宮のことは気にしないでね』と言っても、誰も真に受けないだろう。
だが今の皇帝は、それはもう意気消沈している。
世界は全部俺のもんじゃ~~! 世界は意のままじゃ~~!
と思っていて、実際周囲もそう思っていたのだが、先日の大失敗のせいでそれは思い込みだったとわかった。
そのためルキフェルは、それはもう……それはもう、今までにないほど意気消沈している。
そんな彼の言葉だからこそ、信頼性が高いのだ。
「それをわかっているからこそ、フラロさんのご実家も急いていないのでは?」
「その通りです!」
言っては何だが、そもそも後宮入りさせる必要性さえ薄い。
まして寵愛を受けることに、どの程度の実利があるのか。
「ですがそれは、フラロ様の幸せになりません!」
「……それはそうですが」
ガルダも心配していたが、後宮入りしたのにないがしろにされたら、そのお嫁さんはものすごく惨めである。
ジョカはまだいいのだ。彼女には後宮の管理人としての仕事があるので、むしろ愛情を受けすぎる方に問題がある。
だが他は、まあ、そうでもないわけで。
「……あ、か、勘違いなさらないでください! フラロ様のご両親が、フラロ様をないがしろにしているわけではないのです!」
「え、ええ……それも存じています」
そんなに後宮入りさせなくてもいいよ、という皇帝の言葉だが……。
実際のところ、お詫びの意味も大きい。
フォライの姉もそうだったが、先日の跡目争いで大勢の未亡人と、子供を失った母親が出てしまった。
それについてもルキフェルは申し訳なく思っており、それに対するお詫びとして『もう無理しなくていい』と言っているのだ。
まあつまり……フラロの姉たちは、夫を失ってしまった未亡人なのである。
フォライの姉と違って、夫の死を悲しんでいた。
そのフォローもまた、親としての仕事であろう。
「それに……悲しんでいる姉の傍にいる、というのも教育に良くない気が……」
「……すみません、もう何も言いません」
後宮の管理人であるジョカは、自分が悪くないのに謝れる女であった。
(おいたわしや……)
フォライはそんな彼女を気にかけているのだった。
「ナベルおねえちゃん、上手~~! 私二個もできない~~!」
「オレは四つまでできるようになったよ! 明星はね、すごいんだよ。これ六個とかやっちゃうよ!」
ナベルは全然気にしていないのであった。
だがしかし、そういう鈍感さも重要なのだろう。
やはり敏感過ぎると、生きるのは大変である。
※
いまさらではあるが、魔族は魔界で生きている。
そこがどんな世界かは説明に苦労するが、とにかく人間界とは大きく違うことだけは確実だ。
どの魔族にしても遠い世界、別の星へ来たようなものなのだが、フラロはなおきついだろう。
なにせよくわからないうちによくわからん所に連れてこられて、よくわからん生き物に囲まれてしまったのだ。
そりゃあ怖いし、萎縮もするだろう。しかも自分の味方である乳母も、なんか怖くなっているし。
そこで明星はちょっと気を遣うことにした。
フラロを出歩かせるのではなく、自分から向かうことにしたのである。
周りが魔族だらけになれば、彼女もそこまで怖がらないだろう。
そう思ってのことであった。
(いやあ……よく考えたら、ここにあんまり来てねえなあ……)
よく考えたら頻繁に来ていないことが問題だった。
人間界の、大きめの一軒家に過ぎないが、それでも明星の後宮である。
明星がここに来ないのは、いろいろと問題があるのではなかろうか。
(……母さん関係で大変だったもんな)
父親の因果でハーレムの主をやっているのに、母親の因果でそれを妨害されている。
なんだかもう、親族の関係が混沌とし過ぎていた。
「失礼しま~す」
鍵をもらっているので、ノックをした後入る。
しかし一応ここの主なのだから、失礼しますは違う気がする。
なにがいいのか、彼はわからなかった。
「ようこそ、明星様! 皆さんがお待ちですよ!」
にょろにょろと玄関まで迎えに来てくれるジョカ。
足音はないが、這う音がするのでちょっと違和感がある。
「それでは、これをお渡ししますので、お好きな部屋でお着換えを」
「あ、はい」
ジョカは明星へ『尻が丸出しになる服』を渡した。
正直人間的にはあんまり格好が良くないし、尻丸出しで幼女に会っていいのか不安だった。
だが魔族になっちまえばいいや、と、ジョカが戻った後の玄関で着替え始める。
(玄関で着替えているのは俺の意志だが……後宮の玄関で着替える皇太子ってなんだろう……)
ぶっちゃけどっかの部屋でラッキースケベぐらいあっても問題ない(ドゥキア除く)のだが、それは何か嫌なので玄関で着替えている。
しかしそれは皇太子としてどうなのか、明星は悩んだ。
「まあいいや……父さん……!」
己の中の父に呼びかけて、魔族へと変身する。
ぶっちゃけ寝たままでも魔族の姿を維持できるので、どちらが本当の姿というわけでもないのだが、明星の認識だと変身であった。
「これなら問題ないだろう……うん」
母親由来の太い手足を除けば、魔族そのものである。
強大な姿になった明星は、周囲を壊さないように気を使いながらリビングへと向かった。
「どうも~~」
「ああ、明星様! よくぞいらっしゃってくださいま………ま……皇帝陛下?」
「あ、いや、明星です」
「……し、失礼しました!」
明星の魔族の姿を見て、ドゥキアは一瞬固まった。
これは一種テンプレみたいなものなので、明星も今更驚かない。
「そ、そうですよね! 皇太子さまですものね! お強くて当然!」
(この人もフォライさんと同じで、俺が強いことを知ってなかったのか……)
フラロのことで頭がいっぱいだったのか、明星が強いことにちょっとびっくりしているドゥキア。
彼女は慌てて取り繕うと、ナベルと一緒に遊んでいるフラロを呼びに行った。
「フラロ様! 明星様がフラロ様に会いに来ましたよ!」
(それはそうだけど、フラロちゃんのためだけって言うのは角が立つような……)
「ご挨拶をしましょうね! 今日は魔族のお姿ですから、怖くないでしょう?」
フラロは明星を見た。
再三いうが、彼女は人間というものをよく知らないので、『なんで角も翼も核も尻尾もないの?』と怖がるだろう。
それなら魔族になった明星は怖くないはずだが……。
「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああ!」
今までになくギャン泣きして、そのまま部屋を出ていった。
核をあらわにしている明星は、人間でいうと十メートル以上ある筋肉ムキムキの巨人みたいなものなので、とんでもなく怖かったのだと思われる。
「ふ、フラロ様?! し、失礼ですよ?! いや、というか、不味いですよ?!」
明星が人間の姿の時に人見知りするのは、まあいい。よくはないが、ドゥキア的には問題ない。
だが魔族の姿の明星を怖がったら、ものすごく不味い。それこそ、今後に差し障る。
「……これは俺が悪いんだろうか」
「いえ、悪くはないですよ! 威光にびっくりしてしまっただけで!」
「子供に嫌われるって、ダメージデカいな……」
そして実際、明星を落ち込ませていた。
フォライがフォローしているが、子供を泣かせた罪悪感はそうはいかず……。
「まずい……どうにかしなければ!」
ドゥキアは、いよいよ焦るのだった。
(これは、桜さんに指示を仰いだほうがいいのかしら……)
ジョカは、信頼できる女性に頼むことにしていた。