帰宅武
さて、である。
かくて一挙一動のことごとくが悪党であった、吉備冠者は成敗された。
左右に両断された彼の死体は、今も地面に転がっている。
「……魔族の死体は、この世に残らないはず。であれば、まだ生きているということ?」
「混血だから、じゃないかしら。吉備家の血も入っている分、この世になじんでいるのかも……」
「裏切り者の話を信じるのなら、だけどね。まあ……あれだけ自慢げに話しておいて、ウソってことはないでしょうけど」
三人の娘たちは、その『死体』について検証をしていた。
魔族も魔獣も、この世界にあるまじきもの。生きている間はともかく、死ねば何も残らないはず。
だからこそ、死体が残っていることがまずおかしいのだ。
「まあ……死体が残ってるんなら、逆に検死はできるだろうよ。魔族と人間の混血なんざ……俺たちにとって完全に未知の存在だ。調べる価値があるどころか、存在を知らしめるだけで意味があるだろうよ」
「人間と魔族の間に混血が生まれることを……吉備家は知らなかったんですか?」
「ああ、まったくな。知っていりゃあ、もうちょっと警戒したぜ」
桃次郎は立ち上がることもできずに座り込んでおり、明星は魔族の姿を維持していた。
傷ついた老人と、皇帝の血を継ぐ魔族。どちらが強いのかなど見るまでもなく……そして実際その通りだった。
むしろ、負傷するまで老人の方が強かった、という方が驚くだろう。
「もちろん、桃香が……桃一郎の娘が、魔界統一皇帝様の一族と子供を作っていたなんてな……びっくりどころの騒ぎじゃねえよ」
(知らないワードだらけだもんなあ……)
自分にうらみのある親戚だけど普通の人間だと思っていたら、実際には魔族の血が混じっていた。
その彼から『魔界には魔界統一皇帝という恐ろしい男がいる』ということを知らされた。
かと思ったら、占いで呼んだ男がその皇帝の血を継いでいるのだ。
情報が氾濫していて、もう何が何だかだろう。
「……それにしてもだ、兄ちゃん。アンタも人が悪いねえ、魔族について説明している俺らを、腹の底では笑ってたのかい」
「いやあ……バレたら殺されると思って、なんとかごまかそうと必死でした」
「……はっ、間抜けな話だぜ」
ともあれ、ここに温度差、情報差はある程度解消された。
少なくとも……情報差があるとわかった、という程度に下がった。
今までは「俺たちは何でも知っていて、こいつは何も知らねえだろ」という認識だったので、劇的な改善と言える。
「……しかしだ、いろいろと迷惑をかけたな」
「なにを今更……」
「少なくとも『人殺し』をさせるつもりはなかったさ」
明星は、改めて自分を見る。
なんとも見事に、血まみれだった。
これのほとんどが、同類の血というのが笑えない。
「俺のことを育ててくれた人は、とてもいい人です。それこそ、普通の人です」
明星は今回起きたことを、隠さずに話すつもりだった。
「でもだからこそ……女性を『腹』あつかいする奴を、殺したとしても怒らないと思います」
「……まあ武器もって暴れてたしな」
あるいは聖人君子ならば、それでも許せと言ったかもしれない。
きれいごとを並べる輩なら、他の手はなかったのかというだろう。
だが普通の人なら、まあそれなら仕方ないというに違いない。
「まあ少なくとも……俺まで死んだふりをして、自分だけやり過ごすなんて……それこそ、おじさんとおばさんに顔向けできない」
「そうか……」
桃次郎は、安心したような、寂しそうな顔をした。
それは森の中でもわかるほどに、否、夜の森の中だからこそわかる。
余計な物の混じらない、雰囲気だけが伝わってくる。
「お前には『親』がいるんだな」
「ええ……います」
そしてその会話を、三人の娘たちも聞いていた。
ここが別れ道だと、彼女たちも悟った様子である。
「……あの、皷さん」
「なに?」
「首の折れた人形のまま話さないでください」
「話せる人形、これしかないもの」
結局文字通りの意味で正体を見せなかった皷なのだが、彼女は相変わらず人形を操作してコミュニケーションをしてくる。
ある意味、リモートワークみたいなものかもしれない。
だが彼女の人形の首は冠者におられていたため、それはもう『ぽろり』状態である。
そのくせ人形の目や口はちゃんと動いているので、とんでもなく怖かった。
「せめて人間に見えないようにしてくださいよ……」
「この人形ね、人間のように思わせる術だけじゃなくて、写真とかで見てもばれないように、人間っぽく作ってあるの。だから人間のように見せる術とか、最初からかけていないのよね」
「すごいなあ……」
明星は素直に感心した。
感心したうえで、背を向けた。
「それじゃあ俺はこれで……」
「え、ちょっと待って! 気になってるところ、そこだけなの?! 視聴者目線で考えたら、私たちともコミュニケーションをとったほうがいいんじゃないの?!」
「もう、変なことを言わないでよ栞ちゃん! もっと普通に話をしてよ!」
「それじゃあ俺はこれで……」
「ほら! 呆れて帰っちゃうじゃん!」
無断外泊が二泊目に突入しそうなので、明星はさらりと帰ろうとする。
いままで明星が強引に帰ろうとしなかったのは、桃次郎が怖かったからだ。
その桃次郎が傷つき、かつ明星に対して攻撃の意志を失ったため、もはや残る意味がない。
「まあ正直……出会い方さえ違ったら、鯉さんとは仲良くなれそうな気がしたし……吉備家の仕事を侮辱するつもりもないけども……俺はやっぱり大親家に帰ります」
この帰るという言葉には、ただ『家』に帰るというだけではない。
母方の実家である吉備家にはいられない、という意味があった。
「誘拐云々は……まあ適当にごまかしますよ。こっちには『人殺し』という負い目もありますしね……それを黙ることで、お互い様ということで」
「……悪いな」
「いえいえ……でももう、俺をいきなり誘拐とかしないでください。マジで迷惑なんで……」
補償や対価を求めないのは、もう関わりたくないから。
明星は背中の翼と尾を揺らしながら、その場を後にした。
歩いていくその姿は、やはり、余りにも……人間から離れていた。
(今人間に戻ったら、パンツが破けたままに……!)
なお、本人の心中。
※
暗い森の中を、明星は歩いていた。
行く当てがあるわけでもなく、ただまっすぐ歩いているだけである。
今しがた殺人を犯した彼ではあるが、その心配のほとんどは尻がびりびりに破れていることだった。
(制服がびりびりだ……)
毎度のことではあるが、明星の尻尾は尋常ではないほど太いため、臀部のほとんどの布が抜ける。
よって繕うとかそういう段階ではなく、パンツごと買い替える必要があった。
そして……明星は学生のため、制服が破れるという事態に抵抗を覚える。
学校指定の制服は、高いこともさることながら簡単には買えない。
それを思うと、今から気に病んでいた。
(いやしかし……ベルトのある服でよかったのかもしれない。そういうのが無かったら、それこそズボンが脱げることを心配しながら戦う羽目になっていた……)
この夜の森の中である、場合によっては全裸で戦うこともやむを得ない。
いくら乙女たちの前とはいえ、それを恥じらうほど明星もアホではない。
だがその場合、いったん屋敷に行って着替えをもらってから「じゃあな」をしていたわけで……。
「そうすればよかった……」
そこまでかんがえたところで、明星は顔を押さえてうずくまった。
そう、よくよく考えれば、その程度のことで服は確保できたのである。
あの屋敷にあるのは和服だろうが、それでも魔族姿よりはマシだった。
「俺はなんで頭が悪いんだ……」
学校のテストがどうとかではなく、要領が悪かった。
あるいは格好をつけようとして、完全に失敗していた。
「ああ、くそ……この前もこんな感じだったよな……」
明星は頭を抱えて、過去を振り返っていた。
以前もタナスと戦ったときに、安寿から呆れられたのである。
『アンタ、女子に何させてるのよ。アンタは公園に隠れるとかして、フォライちゃんには家にズボンを取りに行ってもらうとかすればよかったじゃない』
その言葉を思い出して、なおへこむ明星。
当たり前だが、今彼の傍には誰もいない。
「今からでも戻って……って、道が分からねえ!」
パンツとズボンのことを考えながら歩いていたからか、戻る道が分からなくなっていた。
完全に遭難の予備軍である。いやさ、完全に遭難である。
「ああ……スマホが使えりゃあなあ……」
便利なものは空気のように、なくなって初めて大事さがわかるもの。
はあ、もう今日はここで寝ちまうか、と自暴自棄になった明星。
そこで時間を見ようと思って、つい癖でポケットのスマホに手を伸ばす。
「……ああ、そうだった。電源切ってたんだった……」
電波が通じなくても、現在の時刻ぐらいは見れる。
そう思った明星は電源を入れようとして……。
「……俺は馬鹿だ!」
夜の森で絶叫した。
「そうだよ! 戻る道が分かんねえってことは、ここはもう結界の外だ! じゃあ電波つながるじゃん!」
明星は喜び勇んで、スマホの電源を入れて……。
「……普通に圏外だった」
大騒ぎした自分が、とても切なくなった。
明星は電池があんまり残っていないことを確認して、破れかぶれになってごろりと横になる。
巨大な角、尻尾、翼が邪魔で寝にくいが、なんとか転がった。
「まあ……なんとかなるだろ。俺は桃一郎って人とルキフェルさんの孫なんだし……遭難して死ぬとかないだろう」
この窮地に対しても、血筋とスペックのごり押しで臨もうとしている明星。
悲観しても仕方ないので、ある意味正解かもしれない。
そして寝ころんだ明星の視界には、夜の空があった。
それを見て思い出すのは、他でもないタナスと戦った後のことだ。
「フォライさんに、これを見せたかったな……」
星空を見上げて、誰かを思い出す。
それは彼にとって、とても大きなことだった。
ここで何も思いつかなかったら、それこそ生きる気力も沸くまい。
「……連休、つぶれたなあ」
だがその生きる気力も、現実を思うとだいぶ萎えたのだった。