家に帰れない
吉備家なる屋敷に誘拐された明星は、それこそカルチャーショックを受けていた。
まず家の中に電気がない。コンセントがないとか家電が無いとかではなく、まず照明からしてロウソクの類である。
映画のセットか、それでなければタイムスリップでもしたのかという心境である。
拉致手段が車じゃなければ、本当に異世界召喚を疑うところだった。
そして……一応トイレを聞いたところ、本当に古風なトイレに案内された。
そこでスマホを使ったところ、圏外となった。GPSもメールも、もちろん電話も使えなかった。
(妨害電波的なアレだな……)
やっぱりタイムスリップしたかも、と思ったが妨害電波の類はドラマでは見たことがあるのでわかる。
スマホをオフライン状態にするぐらいなら、そんなに難しくなかろう……と思っていた。
なお、それはそれで電機が必要だと思われる。
そしてトイレを終えた後の明星は、和服の女性たちに先導されながら中庭の見える廊下を歩き、大きな部屋に通された。
そこで待っていた男、老齢の男性をみた明星は、思いっきり面食らった。
「お、来たか……待ってたぜ」
(この爺さん、スマホいじってる!)
ここに来るまで徹底して文明を排除している感じだったのに、その主らしき人物が座布団の上で片膝を立てて座っていて、しかもスマホをいじっていた。
ホームセンターで売っていそうな甚兵衛を着ており、はっきり言ってかなり砕けている。
「で、お前さんが吉備、明星かい」
「え、ええ、まあ……はい」
「いいガタイしてるねえ、鍛えてると見えた」
「あ、いや、これは自然と……」
時代劇によく出てくる、お殿様が座っているような部屋だった。
その老人が座っているところだけ一段床が高くなっており、その分彼が偉いのだとわかりやすくしている。
にもかかわらず、彼は無礼な態度だった。
さすがにスマホから視線を切っているが、今でも手に握ったままである。
「おいおい……まさかこんな爺さんがスマホを使ってるなんて……とか言わねえよなあ? 俺ぐらいの親世代ならまだしも、俺の世代なら子供のころからアニメ、特撮、ゲームはあったんだぜ? 今ほど安くもなかったし、今ほど立派でもなかったけどよ」
「あ、いや……その……」
そして、明星が面食らったのはそれだけではない。
甚兵衛という薄手の服を着ている老人の体は、それこそ傷だらけだった。
そのうえで、体には老人と思えない筋肉もあった。
その体つき、表情から、明星は命の危機を感じたのである。
(ルキフェルさんと同じ感じだ……!)
生まれながらの強者である明星にとって、周囲の人間は誰もが弱者だった。
それこそ、犬の群れの中に熊として混じっているようなもの。よって周囲の者へ、危機感を覚えることはない。
彼が他人を自分より強いと思ったのは、祖父であるルキフェルに出会った際が初めてだった。
その時に似た感じを、目の前の老人に憶えたのである。
「ま、座りな」
「は、はい……」
畳の上に敷かれていた座布団の上に、明星は座る。
その間も、彼の眼はずっと老人を見ていた。
明星はルキフェルに対して覚えた危機感は、子熊が大人の熊に初めて遭遇したような、そんな格上との遭遇によるものだった。
だが今の明星がこの老人に感じたのは、子熊が自分を狙う狂犬に遭遇したようなものだった。
体重も体力も自分が上だが、相手には自分を殺しうる技術と、なによりも殺意をもっている。
うかつに隙を見せれば喉をかみちぎられるのではないか、そう思ってしまうものがあった。
「まずは自己紹介と行こうか、少年。俺は吉備、桃次郎……お前の大叔父……つまりお前の祖父の弟にあたるもんだ。今は吉備家の当主になっている」
「そ、そうですか……」
もしもお前の祖父だ、と言われたらどうしようかと……。
先日のことをフラッシュバックしつつ、ちょっとだけ縁が遠かったことに安堵した。
「今のご時世になんちゃら家の当主……なんて笑っちまうだろう? たまにネットに書き込んで笑いを取ってるんだぜ」
「そ、そうですか……」
「でだ……本当に笑っちまうのは、この吉備家が、このご時世に……」
桃次郎は、にっこりと笑っていった。
「魔族退治の専門家をやってるってことさ」
「へ、へえ~~」
「お、真に受けてねえな。本当にいるんだぜ、魔界に住まう魔族がな」
(知ってます……)
明星の背中に、大量の汗が噴き出してきた。
(何やってるんだよ、母さん……何で魔族退治の専門家の娘が、魔界統一皇帝の息子と結婚して子供を作ってるんだよ……そして教えておいてくれよ……!)
相当にシュールな現状である。
魔族との混血児に向かって、魔族は本当にいるんだぜ、信じろよと説明してるのだ。
「魔族どもはな、普通の人間に見えない……わけじゃない。それどころか、動画にも写真にも写る。そのくせまったく目撃情報が出ないのは、奴らを見ても一般人は忘れちまうし、デジタルデータからも消えちまうからなのさ」
(知ってる……)
「便利な設定だと思ってるだろう? 実際便利なんだよ、悪事をするにはな」
(それも知ってる……父さんはいろいろやってたらしい)
明星が今一番心配してるのは、自分の安全だった。
(マジで殺されるんじゃ……こんなことなら、車の中で暴れて脱出すればよかった……!)
なんか飄々としていて大物感をバリバリにだしている桃次郎翁なのだが、さすがに自分の姪っ子が魔界統一皇帝の息子と結婚していたとは思っていないらしい。
その前提が抜けているので、大物感が空回りしている。
「だからこそ、退治する人間が必要なのさ……特別な才能を持ち、特別な鍛錬を積んだ人間がな。それが吉備家ってわけ」
(すみません、貴方が呼んだ男はどちらかというと退治対象です……)
初めて母方の親族に会えたのに、考えているのは殺されるかどうかだった。
そしてそれが杞憂ではない感じである。
「魔界からの侵略者を守る一族、吉備家。だが俺の兄、君の祖父である桃一郎は……ある日その吉備家を抜けた」
(俺の爺さん、桃太郎ではなかったんだな……)
「才能こそすげえもんだったが、気質が合わなかった。まあ魔族って言っても、精神的には人間と同じだ。ぶっ殺してすっきりするクズもいれば、殺したら嫌な気分になるかわいそうな奴もいる。だがどっちも殺すのが俺たちの仕事なんでな」
(じゃあ俺も殺されるじゃん……)
「だから桃一郎は、妻子を連れて吉備家を抜けた。特に引き留めることもなかったんだが……それからほどなくして『とんでもないこと』が始まった」
明星の表情は曇る一方だが、桃次郎はここからが本番だと言わんばかりに表情が張り詰めたものになる。
「魔界の方で大規模な騒乱が起こったらしくてな、大量の魔族がこの世界に侵入し始めた。いや、人間の世界に逃げて来た……と言った方が正しいか」
(……多分魔界統一戦争だな)
別方向からの話を聞いたばかりだったので、下手をすればこの大物お爺さんよりも情報に精通している明星。
「そいつらもかわいそうと言えばかわいそうだが、結局は不法侵入者だ。人間世界の法律を守る気なんざない、結局殺すしかねえ。だが普段よりも数が多い上に、数段強い魔族も混じっていた。処理しきれず、無理を言って、桃一郎にも復帰を願ったほどだ」
(これ……ルキフェルさんが悪いのか? 高校生にはわからねえ……)
当時のルキフェルが暴れてこいと命令したわけでもないだろうし、意図して人間界に追いやったわけでもないだろう。
ルキフェルとの戦争に敗れた者たちが、人間世界に逃げてきて暴れただけだと思われる。
だけ、というにはあまりにも大変だったようだが……。
「言いたくねえが、ずいぶん被害が出た」
(次期魔界統一皇帝って、こういう問題も解決しないといけないんだろうか。俺全然わかんないんだけど……)
前任者がやったことなのでわかりません(ガチ)。
今からすでに、政治家の言い訳を心の中で唱え始める明星である。
「まあもうだいぶ前から、騒乱以前ぐらいに落ち着いているんだがな。でだ……戦力回復のために、若い奴らに子作りに励んでもらおうって話になったんだが……」
(あ、結局そこにいきつくんだ……)
ここまでくれば、明星はデジャヴを禁じえない。
「俺の親世代が、ゲン担ぎを兼ねて古式ゆかしい占いをやってな、それでお前が一番だって話になったんだよ。まあお前って言うか、桃一郎の孫を呼べってことになって、それでようやくお前の存在を知ったんだが……」
「あ、そ、そうなんですか……」
「でだ……アホな話だとは思うが、まあ聞いてくれ」
ここで桃次郎は、下品な顔をした。
「吉備家に戻れだとか、一生ここに居ろなんて馬鹿なことは言わねえ。一晩か二晩、三人の女を抱いてくれねえか? 色々な意味で責任をとれなんて言わねえよ、外れたらそれこそ占いもハズレってことになるしなあ」
まあ、夢みたいな話である。
口にしている桃次郎自身、頭の悪い話だと思っているようだった。
「で、受けてくれるか? 終われば帰してやるからよ」
「嫌だ」
明星はしっかりと、嫌悪を顔に出して断った。
「ほう、なんでだ?」
「俺には、父さんも母さんもいない。でもおじさんとおばさんに育ててもらった。その二人から、そんなことをしていいなんて教わってない」
大親家では、無責任な行為は許されない。
「あんたの言うように、複数の女性と子供ができそうなことをして、後のことは知らねえっていって別れたら……俺は大親家に帰れない!」
一般的なモラルを強弁する明星。
たとえ吉備家がそれを許しても、大親家が許さぬと、大親家で育った明星は言い切る。
これは明星がこの話を聞き終えた時、最初に脳にあふれた結論だった。
「……まあ確かに、気分のいい話じゃねえなあ。なるほどなるほど、よくしつけられている。桃香の奴、預ける相手は間違えなかったな」
吉備家の当主である桃次郎は、しかし笑っていた。
まともに育った男なら、断ってしかるべき馬鹿話だ。
とはいえ、はいそうですかと帰すわけがない。もしもそうなら、そもそも車で浚ったりしない。
「だがこっちも、じゃあしょうがないってわけにはいかねえんだ」
「知ったことじゃない!」
「お前が一般人ならそれもそうだが、お前も一応は吉備家の人間だ。そういうわけにもいかない」
桃次郎は、意地の悪い笑みを見せた。
「実際、桃香がお前の養父に持たせたカネ……アレは吉備家のもんだしな。縁を切りたかったらアレを全部返せ、使った分も補填しろって言ったらどうする?」
明星も先日存在を知った、大親家に託されていた教育資金。
それを返せというのは、子供である明星には無理難題だった。
「返すさ」
だがそれでも、明星はにらんでいた。
「おいおい、お年玉じゃないんだ。バイトして返せる額じゃねえぞ」
「でも何億もじゃない、せいぜい数千万ぐらいだろ」
「それでも大金だ」
「全部は使ってない、半分以上は残ってるはずだ」
できるかどうか、どれだけ時間がかかるかはともかく、明星は既に結論を出していた。
「それなら、今から死ぬ気で働けば、十年か二十年で返せる。それで済むんなら、安いもんだ」
「……へえ、ガキのくせに言うじゃねえか」
明星も無茶を言っているが、現実的に不可能ではない。
それをきいて、桃次郎は笑っていた。
「が……今の話にすんなり乗るような馬鹿よりはいい。いきなり連れて来たあげく、バカ見てえなことに巻きこんじまって悪かったな。とりあえず、一旦さがってくれや」
「帰してくれないのか?」
「悪いなあ……これでも一応、こっちも本気ではあるんだよ。なにせ俺の親世代は今でも迷信深いし、俺の同世代どもも戦力を回復させろってほざいてやがる」
憤慨している明星に対して、桃次郎は好意的だった。
だがそれは個人の振る舞いであって、家の決定を覆すものではなかった。
「部屋に案内させるから、しばらく考えてくれや。まあお茶ぐらいは出すからよ」
「……ふん」
部屋を出ていく明星に対して、桃次郎は相変わらず笑っていた。
その桃次郎の背後から、女性の声が出てくる。
「よろしいのですか、当主様。あのように無礼な真似をして……」
「あん? あの兄ちゃんの言う通り、吉備を名乗っているだけの部外者だぜ? それに対して家長を敬えなんて言うのかよ」
「……ですが、年長者ではあります」
「いきなり浚って連れてきて、お年寄りを敬えってか? 人として大事な事が抜けてるのはどっちだよ」
「……」
不満そうに黙る女性の声。
しかしながら、桃次郎は笑っていた。
「確かに馬鹿の方が話は早かったかもしれねえが……俺としてはこっちの方が好きだねえ」