男に二言はない
さて、夜の公園である。
先日タナスと戦った、広くて人通りのない、暴れてもそこまで問題ではない公園である。
明星は現在運動着に着替えて、これから始まる勝負に備えていた。
「あの……ジョカさん。こういうのって、よくあるんですか?」
「魔族同士の戦いなら、よくあることです」
殺してやろうか、などとは思っていない。
しかしぶちのめしてやろう、とは思っていた。
フォライほどではないが、明星もかなりいきり立っている。
魔界からわざわざバカにしに来たのだから、そりゃあ腹も立つ。
「ご存じだとは思いますが……魔族は核さえ無事なら、体の損傷は一瞬で治りますからね。骨を折られても腕をちぎられても、問題ないのですよ」
「……そりゃそうだ」
なるほど、体の傷がすぐ治るのなら、簡単にケンカをしても不思議ではない。
人間と魔族では、怪我に対する認識がまず違うのだ。
「とはいえ……逆に言って、核や角、翼、尻尾についてはそれは適用されません。そこへ傷つけないように、配慮なさるべきかと」
「……わかりました」
再生能力を持っている者同士が、急所を狙わずに戦う。
不毛に見える話だが、試合だと考えればむしろ気楽だろう。
「ねえ、聞いた? 配慮ですって……ジョカ様は、貴方へ配慮するべきとおっしゃっているわよ!」
「ははは! 次代の皇帝陛下から、そのような言葉をいただけるとは……いやあ、ありがたい!」
相対しているべロスとリウスは、実に楽しげであった。
これから勝負をするべロスは当然ながら、見ているリウスも嬉しそうである。
(ねえあの服……傑作だと思わない?)
(ああ……核が全く見えないのに、あんなに大きく胸をはだけるなんて……恥というものを知らないようだ!)
魔族の価値観において、核の大きさとそれに見合った服を着ることは重要である。
自分の『格』も考えずに、背伸びをして大きく露出するのは、大恥とされていた。
その意味で言えば、明星がどれだけ筋骨隆々たる大男でも、その胸板を大きく晒す服は恥ずかしいものである。
「明星様! 頑張ってくださいね!」
「ああ、任せとけ!」
フォライは明星を応援し、明星はそれに応える。
そのほほえましい姿も、新婚夫婦からすれば失笑ものだ。
「ねえナベル、本当に止めなくていいの? このままだと、大恥どころじゃすまないわよ?」
「何が?」
「皇太子殿下……次期皇帝陛下よ……べロスが強いことは、知っているでしょう?」
「は?」
「は? じゃなくて……どこからどう見てもただの人間に過ぎないあの人が、べロスに勝てるわけが……」
「……あ、そうか。リウスちゃんもべロス君も、アレ見てねえんだ」
さて、そのタイミングである。
明星は、胸元に手を当てて力を込めた。
「おおおおお!」
大きくはだけられた胸元に、惑星のごとき核が出現する。
金属の角、翼、尾が現れ、皇帝の血族であることを証明する。
父親の血、祖父の血を最大に現出させた彼は、変わらないその赤い目でべロスとリウスをにらんだ。
「こっちはいつでもいいぞ」
「ひぃ!」
年収一千万円でマウントを取っていたら、相手は年収数億円でした、みたいな状況である。
リウスは思わず腰を抜かして、体を震わせた。
今彼女の脳内では、自分がさっきまでしていた、暴言の数々がリフレインしている。
ある意味まっとうな価値観の持ち主だからこそ、格上に働いた暴挙を深く後悔するのだ。
「わああ! やっぱ格好いいなあ! オレの旦那さん!」
「!」
その一方で、激しい対抗心も覚えた。
ナベルの心無い言葉が、彼女のプライドを傷つけたのだ。
(こんな……親戚であることが恥みたいな、野蛮で下品で頭の悪いナベルが……こんないい男と結婚するなんて……!)
混血だから大したことがないと思っていて、だから皇帝の妻の座だと知ってもナベルに譲った。
それがこんな優良物件だったなんて、認められるものではない。
(そうよ……仮に皇帝陛下の血を継いでいても、所詮は混血……実際は大したことがないのかもしれないじゃない!)
リウスは、自分の夫であるべロスを見た。
腰を抜かしている自分と違って、彼は決然と立っている。
「ふふふ……さすがは皇帝陛下のお孫様、皇太子殿下……素晴らしいお姿です」
「おっ、まさか引き下がるとか?」
「それこそ、まさか。男に二言はありません、ましてや愛する妻の前では」
相手の正体を見ても、べロスは下がらない。
その雄姿を見て、リウスは思わず感動していた。
「では勝負と行きましょうか……ビマリで!」
なお、べロスの顔はすっかり青ざめていた模様。
「え、ええ?! なぜビマリで?!」
「確かに何で勝負とは言っていないので、二言ではありませんね……」
「おいおい……まあいいけども」
男と男の勝負というからには、雄々しく戦うのかと思っていた。
正直拍子抜けするフォライ、ジョカ、明星だが、まあ頷けなくもなかった。
確かに何で戦うとも言っていなかったし、そもそも殴り合うほど憎いわけでもないし。
「あ、ビビってる? ビビってるからビマリで戦うの?」
(お前は黙ってろ!)
なお、ナベルはものすごく失礼で、しかも真実を言い当てていた。
むしろこの場合、真実だから失礼と言えた。
(こいつと結婚しなくてよかったぜ……!)
べロスはナベルと結婚しなくてよかったと、心の底から思っていた。
「ビマリで戦うってことは……演技で得点を競うんですか?」
「そういう形式もありますが……この場合は、リフティングでドッチボールのような形式になるでしょう」
「……なるほど、なんとなくわかりました」
一方で明星はルールをジョカに確認する。
それにリフティングでドッチボール、というのもお互いに上手なら成立しそうな競技であった。
(まあ演技で得点勝負って言われたら、さすがに『おいおい』だしな……)
ケンカで勝ち目がなさそうだから新体操で勝負だ! というのは相当にダサい。
それよりはドッチボールで勝負だ、の方がまだ男らしいだろう。
あくまでも、相対的にだが。
「べロス……」
「リウス、君の言いたいことはわかる。でも……僕は勝つよ!」
「ええ、お願い!」
べロスもバカではない。
ケンカで勝てそうにないからドッチボールで勝負だ、と言い出した時点で男としての株は下がっている。
リウスが自分をどう見ているのか、見たくもない。
だが、だからこそ、せめて勝たなければならないのだ。
勝っても特にいいことはないが、負けたら恥の上塗りである。
(せめて勝って!)
リウスとしても、とりあえず勝ってほしかった。
勝ってもナベルを悔しがらせることはできないだろうが、それでも一応は勝って体面を保ちたかった。
保てるかどうかは怪しいが。
「では……お相手願います!」
今更のように、一応の礼をとるべロス。
彼は自分の胸元、石炭のような核から力を発する。
それは赤く淡い炎を放ち、エネルギーを彼の尻尾に送り込んでいく。
そしてべロスは持っていたマイマリを空に放り投げると、まるでバレーのサーブのように走り出して、空中で回転しながら尻尾でマイマリを打つ。
「おおおお! いけええええ!」
どごおん、と勢いよく発射されるマイマリ。
まさに兵器のような威力を秘めるそれは、明星に向かって突っ込んでいく。
(えっと……いや、待て。よく考えたら、コレ勝ち目ないぞ)
場の流れでつい勝負を受けてしまった明星だが、ビマリは初心者もいいところである。
相手が受け止めやすいように放ってきたならともかく、全力で打ち込んできたなら尻尾で弾いて受け止めるなんてことはできない。
(えい、くそ!)
しかし負けそうだからと言って、何もしないのは気分が良くなかった。
明星は苦し紛れに、自分の金属の尻尾を振るう。
正直、相手の放ったマイマリに当てるだけの自信さえなかったのだが……。
明星の尻尾が太く大きいからか、適当に振るっただけなのにマイマリに見事に当てていた。
「おおっ!?」
ばかあん、という音とともに、マイマリは砕け散っていた。
その破片は飛び散り、そのほとんどが明星自身にぶつかってくる。
思わぬ事態に、明星は思わず悲鳴を上げていた。
「いだだだ……まさか割れるなんて……」
中身が空気だったならともかく、マイマリは中までみっしりと繊維質だった。
ヤシの実の中に液体がなくて、硬くてでっかい種が詰まっている……という具合である。
それが破裂したのだから、近くにいた明星はたまったものではない。
だが、いちばんたまったものではないのは、べロスの方であった。
(こ、これが皇帝の血族……!)
キャッチボールで例えるのなら、野球のボールを握りつぶされたようなものだ。
そんな怪力漢の初心者と、キャッチボールなどできるわけもない。
「ふっ……さすがは次期皇帝陛下……私の負けですね」
べロスは素直に、見事に負けを認めていた。
「は? いや、まだ何も……」
「男に二言はありません!」
果たしてこれは勝ったと言えるのだろうか。
キャッチボールで野球のボールを握りつぶして、それで相手が降参したとして、それは勝ちだろうか。キャッチボールの趣旨からすれば、負けのような気もする。
今一釈然としないが、それでもこのまま続行は無理だろう。むしろ、べロスの方が続行されると困る。
「……だ、そうだ」
「流石は明星様! お見事です!」
「ええ、格の違いを分からせたかと」
「うわ~、ダサいな~~」
なお、女性陣は勝ちを受け入れた模様。
「……べロス」
「リウス、私に失望したか?」
「ええ、がっかり」
リウスもまた、露骨にがっかりしていた。
「ふっ……返す言葉もないよ」
格好をつけるべロスだったが、ある意味潔かった。
「明星様……先ほどまでの無礼、どうぞお許しください」
そしてリウスもまた、ある意味潔かった。
物凄く高速で、手のひらを返していた。
「ところでその……他人の女を奪う趣味はおありで?」
「ないです」
「では好みのタイプは?」
「とりあえず、簡単に相手を変える人は無しですね」
「そうですか……」
一応チャレンジした彼女は、涙を流した。
一応、失恋の涙であった。
そして高速で振り返ると、さっきがっかりした、と言ったべロスの元へ向かう。
「べロス……ごめんなさい、私を許して!」
「いいんだ……君の気持は、よくわかるから」
「べロス……!」
「リウス……!」
愛を確認しあって、二人は抱擁する。
それこそ、新婚夫婦そのものだった。
(コントみてえだ……)
ダイジェストのような復縁劇をみた明星は……。
「な、二人ともお似合いのカップルだろ?」
「そうだな」
ナベルの評価に、頷くしかなかった。
※
二人は非礼を詫びた後帰っていった。
新婚夫婦の関係にひびが入ったような気もするが、二人ともフィーリングが合うのでその亀裂を無視しあうのだろう。
ある意味、強い絆なのかもしれない。
その二人が去った後、明星は改めて自分の尻尾を見た。
ただがむしゃらに振るっただけなのに、マイマリなるボールを砕いていた。
そして、尻尾に痛みはなかった。
「……もしかして俺の尻尾って、めちゃくちゃ危険なんじゃ」
自分の体の一部としか思ってこなかった明星は、それが危険物なのだと初めて体感していた。
今も軽く動かしているが、それが怖く見えてくる。
「ええ、おっしゃる通りです。先ほどのべロスは核から尻尾へ力を込めてマイマリを打ちましたが、それでも割れることはありません。それに対して貴方様は、核を使わずともこの通り……まさに段違いの強さです」
自らも下半身が蛇、尻尾そのものであるジョカは、それでもなお明星を称賛する。
「一応申し上げておきますが……核を使うことはお控えください。我ら純血の魔族なら、人畜に被害を及ぼしませんが……貴方の場合はそうではないのですから」
「……わかった」
あえて、わかってる、とは言わなかった。
まさかここまでヤバいとは、思ってもいなかったのだ。
(これ、下手したら家とかビルとか吹っ飛ぶんじゃねえか?)
「ええ、やってみようぜ~~!」
「やめましょうよ……」
「そうです」
ナベルは乗り気のようだが、明星は嫌だった。もちろん他の面々も止めている。
「あのさ、ルキフェルさん……俺のお爺ちゃんも、同じぐらい強いんだよな?」
「いえ……今の貴方様とは、比べ物にならないほど強いです。もちろん全盛期ではありませんが、それでも使い方のわからない貴方より、数段上ですね」
「……どうりで魔界を統一できたわけだ」
「ええ……そして、その力を継ぐ者がいなければ、魔界は乱れるのですよ」
リウスやべロスは、魔界において一般的な価値観を持っている。
ならば議論の余地がない最強の存在だけが、争いを平定できるのだろう。
(でも、あんな奴ら支配したくねえなあ……)
明星は一般的な純血魔族を見て、少し後悔するのであった。