結婚マウント
高校の休み時間。
明星は兄弟である志夫と安寿を誘って、校庭で遊んでいた。
普段は積極的に運動をしない明星だが、今回はリフティングに興じている。
志夫や安寿にボールを投げてもらって、それを胸で受け止めてから足でボールを弾ませていた。
「なんでアンタいきなりリフティングをやり始めたの? いやまあ、別にいいけどさ」
「漫画とか動画でも見たか?」
「いやそれがさあ、ナベルちゃんなんだけどさ、ビマリっていって、尻尾でのリフティングを見せてくれたんだよ。これが上手でさあ……」
上だけはジャージに着替えているが、足元は学校指定の革靴である。
もちろんボール遊びには向かないが、明星は器用にサッカーボールをけっていた。
「んで俺もなんかそういう芸を見せたいなあって思ってたら、動画でリフティングを見つけてさ。これが人間の文化だよって見せたら喜ぶかなって……」
「いや、それはいいけど……アンタ、ほぼ初心者よね?」
「なんかお前、普通に上手だぞ」
一度でもサッカーをしたことがある者なら、ただリフティングをするだけでも大変であると知っている。
なんなら十回リフティングする、サッカーボールを地面に落とさないようにする、という基本さえ練習が必要だ。
そして明星がリフティングを始めたのは、ついさっきである。それは兄弟である双子こそが、一番よくわかっている。
にもかかわらず、明星は既に足だけではなく、ヘディングや胸トラップなども始めている。もうすでに、初心者特有の危なっかしさはなかった。
サッカーのことをよく知らない双子をして、尋常ではない上達だとすぐわかった。
「え、じゃあもう見せても呆れさせないかな?」
「……まあいいんじゃないの?」
「ナベルちゃん次第じゃね?」
「そっか~~! 付き合ってくれてありがとうな!」
もう満足した明星は、サッカーボールを抱えて去っていった。
おそらく、借りていたボールを返しに行ったのだと思われる。
「……なあ安寿、俺サッカーやってなくてよかったって思ったわ」
「ま、私も同じだわ」
半分人間ではない明星を、天才と言っていいのかわからない。
どちらかと言えば、そのまんま『怪物』なのだろう。
その怪物性をまじまじと見せつけられた二人は、自分たちが彼と張り合う道を選ばなかったことに安堵していた。
「それにしてもあいつ、本当にスゲーんだなあ……ガタイだけでリフティングが上達するわけねえしな」
「まあその分頭は残念だけどね。勉強しても平均点だし、要領もそんなに良くないし」
羨ましいかどうかで言えば羨ましいが、だからと言って嫉妬を抱くほどではなかった。
突き詰めると女の子の前でいい格好をしたいだけだと知っているので、宝の持ち腐れだなあとか、有効活用すればいいのになあ、と呆れるほどである。
「おい、大親君……今のところ、見させてもらったよ!」
その二人に対して、声をかける生徒がいた。否、生徒が大勢いた。
全員体育会系の、ガチ系運動部員である。
「明星君が……あの明星君が、ついに運動に目覚めたんだね! それもサッカーに!」
「いや、サッカーに目覚めたとは限らない! 案外野球に転向するかも……」
「いやいや! バレーもいいんじゃないか!」
「あの体格だ、柔道をやればオリンピックだって……!」
たぐいまれなる体格とセンスをみて、大いに目を輝かせていた。
自分の部に勧誘すれば、それこそ全国が見えると思っている様子である。
血気盛んなスカウトマンたちを見て、双子は顔を引きつらせていた。
「あ、俺宿題忘れたんで失礼します」
「私ちょっとトイレ~~」
有名人の兄弟はつらいものだ。
二人は慣れた対応で、その場から逃げ出したのだった。
※
スポーツ万能少年(スポーツに興味ない)明星は、下校途中にお小遣いで購入した安めのゴムボールをもって、ちょっと学校で練習しただけのリフティングを披露することにした。
そういうと付け焼刃感が否めないが、学生なりに異文化コミュニケーションを頑張ろうとしている、というのならほほえましいだろう。
自分なりに一生懸命頑張ってきたことを出すべきだというのなら、何も頑張ってこなかった明星はなにもお出しできないわけだし……。
明星なりに頑張った結果である。
彼はナベルを近所の公園に誘っていた。
「ナベルちゃん! この間は俺がビマリを見せてもらったから、今日は俺がリフティングっていうのを見せてあげるよ!」
「え、どんなの?」
「足や頭、胸でやるビマリみたいなもんだよ!」
ビマリってなに? リフティングみたいなもの。
リフティングってなに? ビマリみたいなもの。
両方知らない人間には不親切な説明だが、とりあえずナベルには伝わっていた。
「それ……いくぞ!」
運動に興味がないわりに筋肉ムキムキで運動神経抜群な明星は、華麗にリフティングを始めた。
さすがに本職とは比べ物にならないが、付け焼刃とは思えないボールさばきである。
「おおおお! そっか、人間は尻尾がないから、足でやるのか……それに角が無いから、額とかでもやれるんだ……」
「そうだよな~~、角とかあったらヘディングとかできないよな~~」
魔族の少女は、初めて見るリフティングに興奮気味である。とはいえ周囲の人間から見れば、明星がサッカーの一人遊びをしているようにしか見えないだろう。
まあリフティングしているだけなので、そうみられても全く問題はないのだが……。
「ああ……明星様、私にもアレを見せてほしかったのですが……私の為に」
「まあそういわずに。貴方も何かを見せれば、きっと返礼をいただけますよ」
「そうでしょうけども……」
一緒に見ているフォライは、ご機嫌ななめであった。
隣にいるジョカに諫められているが、それでも不機嫌は治らない。
何一つ色気のない文化交流ではあるが、恋敵が楽しそうにしているとそれだけで妬ましいものである。
(これは後で明星様に釘を刺した方がよさそうね……まあナベルちゃんが落ち着いたようで、それはいいことだけど……)
子供を作ろう、という直球宣言は控えめになったナベル。
どうやら彼女も実物を見て、少々怖気づいた様子であった。
もしも見て興味津々だったら、いよいよ手の打ちようがなかった。
(……あら?)
そんなことを思っていたジョカだが、ナベルの視線が一点に集中していることに気付いた。
それは男子中学生や男子高校生と同じ、異性へ興味津々という顔であり……。
その視線は、ズボンに隠れている場所に向いていた。
(明星様……無防備すぎます……いや、これはこっちが悪いような気も……)
健康な女子、なのかもしれない。でも健全ではなかった、このままでは危険である。
彼女は無知シチュに入りかけている二人を、ここで食い止めることにした。
「ごほん……明星様、失礼します。実は今度、魔族が二人ここへ来ることになりました。お嫁さんではありません」
やや食い気味に、お嫁さんではない、ということを強調して。
「あ、来ないんですか」
「ええ、ナベルさんがいきなり来たので、その分三人目との期間は空きますから」
「……じゃあ何しに来るんですか? まさか……」
明星の顔は、やや引きつっていった。
「ルキフェルさんと、その奥さん……俺のおばあちゃんが来るとか……?」
「あ、いえ……違いますので、ご安心を」
そのうち会わなければならないとは思うのだが、やや萎縮してしまう明星。
新しいお嫁さんよりも祖母に会う方が緊張するというのは、ある意味リアルなことかもしれない。
「リウスさんという女性と、べロスさんという男性です。最近結婚した、新婚カップルですよ」
「え、リウスちゃんとべロス君?」
さっきまで明星の一部を見ていたナベルだが、知っている名前を聞いてジョカの方を向いた。
「ナベルさん、ご存じなんですか?」
「うん、二人ともオレの親戚! それで二人とも友達なんだ!」
(親戚同士の結婚……まあ親戚って言っても広いだろうしな……)
フォライの問いに対して、ナベルは快活に答える。
そしてそこまで聞けば、なぜ来るのかわかるというものだ。
「二人とも結婚の挨拶として、ナベルさんに会いに来るのですよ。その関係で、明星様にもお会いしたいとのことです」
「へえ……まあナベルちゃんの親戚なら、俺にとっても親戚みたいなものか……」
話を聞く限り、ナベルと年齢も近いのだろう。
それなら堅苦しいことにはなるまい、明星は一気に気を楽にしていた。
(うう、なにかナベルさんのイベントだけ進んでいく……)
一方でフォライは、自分が置いてけぼりにされている気がしていた。
さりとて受動的なフォライは、自分から何かを進められる気もしなかったわけで……。
(いけないことだけど……なんか台無しになってくれないかしら……)
仕方ないことかもしれないが、フォライはライバルの不幸を願ってしまうのであった。
※
さて、ナベルの親戚カップルが来日する当日となった。
いままで魔界から魔族が来るときには、大親家も一緒に迎えていた。
だが今回はナベルの親戚が来るだけなので、魔族の三人と明星だけでのお迎えである。
場所も大親家ではなく、魔族たちの生活する大きめの家でのことだった。
家具の種類はともかく、その形が魔族に合った形や大きさになっており、少々面食らう趣があった。
具体的に言うと、角や翼、尻尾の邪魔にならない配置や造形になっている。
(こういうのって、どこで売ってるんだろう……魔界か?)
明星はそれに対して少し疑問を持つが、よく考えれば最初にルキフェルが豪華ホテルの最上階を借り切っていたと思い出す。
金があるなら、特注すれば済む話だろう。デザイン以外は、特に変わったところもないのだし。
「そろそろいらっしゃいますよ」
「そ、そうですか……」
「わあああ! 久しぶりで楽しみだなあ!」
他の面々と違って、ナベルだけは大いに興奮していた。普段からこうだとも言うが、彼女にとって友人の再会なのだから当然である。まして二人が結婚しているのだから、普段以上に興奮しても不思議ではない。
「もともとね、オレの親戚で結婚してない女子って、オレとリウスだけだったんだ! で、リウスはオレに明星と結婚していいって言ってくれたんだ!」
「へ~~……それは、いい話……って俺が言っていいんだろうか」
自分と結婚するのがいい話だ、というのは自画自賛な気がしてくる明星。
少なくとも彼本人としては、結婚した相手を幸せにする自信がない。
彼自身、外見以外に褒めるところがないと思っているのだ。
「いい話ですよ! 明星様と結婚するということは、次期皇帝と結婚するということ……それに、その……明星様は、強くてたくましくて、四つの部位のすべてが特大ですし……私みたいな貧相な娘にも優しいですし……!」
「あ、そう? あ、ありがとう……なんかごめんな、誘い受けみたいなこと言って……」
「いいえ! 思ったことを伝えたかっただけですから!」
(積極的になるのはいいことね……ただまあ、口でああだこうだいうだけだと、そのうち刺激が足りなくなるわよ……油断しないことね!)
二人の姿を見て、ジョカは心の中で採点する。
こういう小さな積み重ねは馬鹿にできない、さりとて小さいことに変わりはないのだ。
なにかしら、フォライといえば、コレ! というものが大事である。
後宮でも複数ヒロインでも、キャラが立っていないとダメなのだ。
「ああ、そろそろいらっしゃいますよ……」
室内の空間に、ずずずず、と青い闇が現れる。
青いのに闇とは如何にだが、その青が現れると室内が暗くなったのだ。
まるで光を吸い寄せるように、闇が現れる。いや、光を吸い寄せているので、結果として闇のように見えるだけなのかもしれないが。
その闇の向こうから、二人の影が現れる。
ナベルと同じ、犬歯の角、カラスの尾と翼、そして石炭のような核。
一目見れば親戚とわかる、男女の魔族だった。
「お初にお目にかかりま……」
「おおお! リウスちゃん、べロス君、元気~~!」
その男女が挨拶しようとしたところで、食い気味にナベルが抱き着いた。
物凄く躾がなっていないが、彼女の親族なので文句は言いにくいだろう。
そしてこちら側も、罪悪感を抱きにくかった。
「……貴方は、かわらないわね」
「おう!」
「……ジョカ様、ナベルがお世話になっております」
「ええ、お世話をしています」
新キャラが立つより先に、ナベルの暴挙が再確認されていた。
そして、ひと呼吸おいてから現れた二人は挨拶をする。
「リウスと申します」
「べロスです」
「ナベルだ!」
「いや、ナベルさんは黙っていなさい」
親戚三人が並んで挨拶をしていた。
ある意味そろっているが、しかし不適切なのでジョカが下がらせた。
そして横並びになると、全員の部位の大きさが比べやすい。
つまり、それだけ大きさに差がなかった。
ナベルは尻尾と翼がやや大きめで、リウスは角が一番大きく他はやや小さい、そしてべロスは尻尾が大きく他はやや小さい。
核の大きさは、全員一緒に見える。核の形がごわごわしているので、メジャーで詳しく測って面積を正しく求めなければわからない。
つまり……明星の視点からすれば、全員が同格、同じということになる。
(こっちのリウスって子は……割と普通そうだな……こっちがよかった……)
とはいえ、明星にとってそんなことは重要ではない。
魔族はそういうものだ、と知ったのでちょっと気になっただけである。
彼にとって、そこは重要ではない。
(人も魔族も、大事なのは中身だよな……うん)
少なくとも、ナベルよりだいぶまとも。
それが第一印象だった。
まあ、ナベルと比べれば、大抵の人はまともである。
「ナベル、久しぶりね……ごほん。ここでも迷惑をかけているようね、まったく」
「そんなことないぞ!」
「……改めて、ジョカ様、申し訳ありません」
「もっと躾けてからよこしてほしかったわ」
「ええ……返す言葉もありません」
リウスはナベルとジョカに挨拶をした。
そのうえで……フォライと明星を見る。
「……ああ、貴方がフォライさん? 噂は聞いていましたが……ええ、お可愛い姿ですね」
「貴方が明星様ですね。いやあ……混血とは聞いていましたが……人間の血が濃いようで……」
(……駄目だこいつら、普通に嫌な奴だ)
リウスとべロスは、露骨に明星とフォライを見下していた。
フォライが露骨に傷つき、明星は少し面食らった。
「ナベル……今だから言うけどね、私は貴方に次期皇帝の妻を譲ったわけじゃないの。私はね、幼馴染のべロスを愛していた」
リウスはそういって、自分と同格の、立派な核を持っているべロスにしなだれかかった。
それに対して、べロスは得意げである。
「皇帝陛下よりも、べロスのほうがずっと素敵でしょう?」
幼馴染の方が(混血の)皇帝陛下よりも立派。
そういってくる彼女は、その奇麗な顔を歪ませていた。
それはまさに、優越感そのものだ。
「へ~、そんなに好きだったんだ~~」
おそらくナベルへマウントを取ろうとしたのだろう。
だがナベルは、まったく気づかなかった。
相手がそれに気づかなければ、マウントにならない。
マウントの失敗で、リウスの顔はさらに歪んだ。
また、べロスの方も歪んでいる。
(そうか、ナベルにはマウントが通じない……馬鹿だからな……)
「ふふふ……」
リウスとべロスの悔しそうな顔を見て、フォライは少しうれしそうである。
失礼ではあるが、相手も大概であった。
「でもさ、明星様も素敵だぜ? それに一緒に遊んでくれるし……」
「べロスの方が素敵に決まっているじゃない!」
(言葉だけ切り取ると可愛い喧嘩だな……)
混血を見下して、優越感に浸ろうとしていた。
そのためにわざわざ人間界まで出向いたのに、それが失敗した。
それはもう、とんでもなく悔しいだろう。
しかしながら、直接文句を言えば、それはそれで問題なわけで。
「リウス、いい加減にしないか。次期皇帝陛下の前だぞ」
(おお、べロスさんは少し冷静だな……)
興奮する妻を、べロスは諫めていた。
確かにこのままだと、差別的発言が飛び出しかねない。
「で、でもべロス……」
「ああ、わかっている……皇帝陛下、ここはいかがでしょうか」
諫めたべロスだが、マウントへの執念は消えていないらしい。
「互いの愛する妻のため……名誉をかけて、勝負をするというのは?」
「望むところです!」
(なぜ君が返事を……)
なぜか、喧嘩を売られ、なぜかフォライが力強く返事をするのだった。