祖父からの手紙
魔界。
異形の悪魔たちが跋扈する、四季も昼夜もない世界。
強酸の沼、活火山、地を這う雷雲、毒の霧。
様々な『環境』がある中で、一つの巨大な岩山が存在する。
内部には多くの鉱物や貴金属が眠る、巨大な山。
魔界に住まう怪物たちは、そこを玉座と呼んだ。
その地を制したものが、魔界すべてを治める者であると。
多くの『王』たちが覇権争いをしていたが、ついに統一者が現れた。
すなわち、統一皇帝ルキフェル。彼は『玉座』の勢力争いで完全勝利を収め、そのままさらに各地を平定していった。
もはや彼に歯向かう者はいない。
彼は完全に天下統一を果たし、魔界に散らばる種族の優勢は、ルキフェルに近いかどうかで決まるようになっていた。
およそ何も恐れることがない、栄華を極めた統一皇帝ルキフェル。
その彼の唯一の悩みは……。
「皇帝陛下……ご子息の一人であらせられる、ヘレル様の消息が明らかになりました」
皇帝の最側近、ベルゼヴュート。
若き日からルキフェルを支えた、最も信頼できる男。
共に老齢に至っているが、それでも壮健な様子で彼へ報告をしている。
「お前がそうして、私へ堅い報告をするということは……よくない報告なのだろうな」
「ええ……ヘレル様は既にお亡くなりになっておりました」
「……やはりか」
行方不明だった自分の子供が死んでいる。
それを聞いても、統一皇帝は残念そうにするばかりだった。
それは親子の情愛が薄いからか、元より諦めていたからか、あるいはもっと別の理由があるからか。
落ち込む彼に対して、せめてもの慰めが舞い降りる。
「しかし……ヘレル様のご子息は、生きておられました」
「まことか?」
「はい……ただし」
これを慰めというのは、大喜びで受け入れられる話ではないということ。
「人間との、混血児にございます」
※
吉備明星。
16歳、男子高校生。身長180cm、体重80kg。金色の髪に、赤い目。
およそ日本人離れした、壮健なる姿の男子である。
さほどトレーニングもしていないのに、筋骨隆々なる体躯をした彼は、ぶっちゃけ高校生に見えなかった。
とはいえ明らかに日本人離れした容姿だからこそ、年齢を言っても『ああ、ハーフだからだね』と納得してもらえるわけである。
見るからにフィジカルエリートであり、どんなスポーツをやっても一流になれるであろう。
顔もいいので、そのままモデルになっても売れるだろう。
誰もがそう言う中で、彼はそうしたことに手を出さず、日々帰宅部として過ごしていた。
とても派手な姿の彼だが、高校生生活はとてもつつましいものである。
周囲からすれば奇異に見えるが、彼が養父母のもとで生活していると聞けば、それなりに納得してもらえるだろう。
そう、彼の実両親は既に他界しており、その親友であった大親一家に預けられているのだ。
彼にとっての家族とは、保護者である大親夫妻と、その実子である同い年の双子ということになる。
この一家が悪党なら、それはそれでお話になるのだろうが……まあそんなこともなかったわけで。
金曜日の夕食時。
五人の一家は団らんでテーブルを囲んでいた。
二階建ての一軒家、その居間にあるテーブルで、椅子に座っている。
見るからに裕福なこの家の長男は、気安く明星へ話しかけていた。
「なあ明星、明日の合コンに出てくれよ~~」
大親志夫。
なかなかに立派な名前を持つ彼は、同い年の明星と比べて小柄であった。
彼が特別に背が低いというわけではなく、明星が大きすぎるからだろう。
「……嫌だよ」
「そんなこと言うなよ~~」
露骨に嫌がっている明星へ、志夫はなんどもねだっている。実子から養子へのパワハラならば、それこそ家庭内問題だ。
だがあいにくと、そうした壁は二人にはない。それも善し悪しではあるのだが。
「前に志夫がどうしてもって言うから合コンに出たら……女子が俺ばっかりに話しかけていて、男子が俺をにらんできたんだぞ……志夫が一番な」
「そうだけどさ~~! あれから俺も真面目に筋トレして、お前に見劣りしない体に……」
「鏡見てから言えよ」
志夫の体は、真面目に鍛えているように見えない。
おそらく彼の言う真面目とは、ちょっと頑張って汗を流した、ぐらいであろう。それも、数日で音を上げたものと思われる。
真面目に筋トレして、というのは『三日ぐらい』という文字が抜けているのだ。
「ていうかさ、明星がいないと女子が来ないって言うなら、もうその時点でアンタ眼中にないじゃん」
「うっ」
双子の兄弟へ辛らつなことを言うのは、大親安寿。
当然ながら志夫によく似ているが、もう女子高生ということで区別はつく。
「明星って目立つからさ~~、それこそ勝負になんないでしょ。私だって大変なんだからね~~? 明星君と一つ屋根の下なの?! 小さい頃は一緒にお風呂入ってたの?! 家に遊びに行ってもいいよね?! なんか盗んできて! とか言われるもん」
「おい、まさかとは思うけど……」
「盗むわけないじゃん。小学生の時それやったら、お父さんとお母さんに家から追い出されかけたもん」
「やったことはあるのか……」
「まあそれにさあ……」
安寿はやや引いた顔で、明星の体を見た。主に、下半身を。
「文房具とか靴下とかはともかくさ、下着とか欲しがるんだよ? ……ドン引きでしょ」
「それを聞かされる俺もドン引きなんだけど……」
「あのねえ……私は、毎日、本人たちから、直接言われてるの……鼻息荒くて、顔を真っ赤にして、鼻の下を伸ばしている女子からね」
女子の生々しい話を聞いて、思わず明星はドン引きする。
何が生々しいのかと言えば、うんざりしている安寿の顔が真に迫るものだったからだろう。
脅しでも冗談でもなく、本気で嫌な思いをしているのだろう。
「もし一回でもアンタの物を売りさばこうものなら……多分私のところに今以上の女子生徒が……!」
「そりゃヤバいな……」
安寿の懸念を聞いて、志夫もドン引きしている。
もちろん、明星本人もドン引きである。
正直、食事中に聞きたいことではない。
「ははは! やっぱり明星はモテるなあ! まあお父さんも女子だったら、お前にキャーキャー言っていただろうな」
それを笑い飛ばすのは、この家の大黒柱たる大親友一。
明星の保護者であり、志夫と安寿の実父である。
どこにでもいる顔の志夫や安寿の父らしく、特に特徴のない顔をしている男性。
だが真面目に働いており、理不尽に暴力を振るうこともない。三人の子供にとって、尊敬できる父である。
「珍しがって、集まってきているだけだよ……多分実際に付き合ったら、俺がつまんない奴だと知って、幻滅するさ」
自分という男をよく知っている明星は、謙遜を通り越して卑屈になっていた。
筋骨隆々としていて、金髪で赤い目。そんな派手な明星だが、趣味は普通に漫画やゲームである。
女子を楽しませるような要素など、一切持ち合わせていない。
「あらあら……そんなことないわよ。貴方のことを本当に好きになってくれる子が、きっと現れるわ」
笑ってフォローするのは、友一の妻、大親桜。
やはり特に目立った特徴のない女性だが、それでもだからこそ、三人にとって満点の母であった。
「そうかなあ……」
そんな二人に育てられた明星である。
やはり『平凡』な人間こそが、幸せに近いのだと思っていた。
「ていうかさ、明星は普通にスポーツやればいいじゃん。俺体育の先生から、明星をどっかの運動部にひっぱってこい、ってよく言われるんだぜ?」
「そうだよね~~……スポーツしたら絶対強くなるし、面白い男になるじゃん」
「いや……俺勉強で忙しいから……」
明星は体格に恵まれ、顔もいい。だが頭の出来は、さほどでもなかった。
この家の子供三人の中では一番真面目に勉強しているのだが、それでも平均ぐらいしかとれていない。
もちろん平均がとれることはいいことだし、何なら真面目に勉強していることがすでにえらいのだが、それでも本人にとってはちょっとしたコンプレックスである。
「まあそれにさあ、俺がスポーツするのは、ちょっとズルい気がするし……」
「……スポーツは、いやいややらせるものじゃないだろう?」
「そうよ、一生懸命勉強しているんだから、それでいいじゃない」
見るからに『スポーツをするために生まれてきました』という姿の明星なので、周囲はとにかくスポーツを進めてくる。だが本人はとても嫌がっていて、しかも友一と桜はそれを積極的にフォローしている。
毎度のそれをみて、志夫と安寿は互いの顔を見るのだ。
およそ平凡なこの両親が、なぜこの点だけは頑固になるのか。
特別な理由でもあるのかと、邪推しない方が無理である。
「……あ、なんか玄関の方で郵便物が届いた音がしたわ!」
「そうだな! 何か大事な郵便物かもしれない! 今すぐ取りに行ってくれ!」
既に反抗期が来てもおかしくないお年頃の、双子の姉弟。その疑惑の視線を振り切るように、桜は席を立った。
話題をそらすためではなく、実際に何かが投かんされた音がしたので、それを確認しに行ったのだ。
もちろん、夕食を食べているこのタイミングで、わざわざ席を立って確認に行く必要はまったくない。
「ねえ父さん……なんか理由でもあるの?」
「もう怪しんでくれって言わんばかりだぜ?」
「むう……」
当然、疑惑の視線は父親である友一に集まる。
困る友一の姿は、それこそ根拠があるようにしか見えない。
スポーツをさせない理由と言えば、何かの病気を想像するだろう。だがもしもそうなら、普通にそう話すはずだった。
兄弟同然であるふたりは、親から『明星は体が弱いから、走らせちゃだめよ』なんて言われたことがない。
「……」
「いや、それはなあ……」
明星は不安げな顔をしつつ、友一が説明に窮していた、その時である。
「ああああ!」
玄関の方から、悲鳴が上がった。
今しがた玄関へ行ったばかりの、この家の母である桜の絶叫である。
疑惑やらなにやらを全部忘れて、四人は慌てて玄関へ向かった。
なにせ玄関である、暴漢が押し入ってきているかもしれないのだ。
慌てて走っていくと、そこには……腰を抜かしている桜が一人いるだけだった。
幸いにも、ドア自体が開いていない。
万に一つも、この家に誰かが侵入した可能性はないのだ。
それを見て、志夫と安寿は胸をなでおろす。
「なんだよ母さん……いきなり大声出すから、何事かと思ったよ。俺バット持ってきちゃったんだぜ? 馬鹿みたいじゃん」
「そうだよもう……私なんて包丁だよ? なに、虫でもいたの?」
手に凶器を持っている双子は、ただへたり込んでいる母親を見て安心していた。
実母がこうも取り乱す姿を見るのは初めてだが、誰かに襲われているわけでもないのなら驚くに値しない。
「二人とも、それ早くしまって来いよ? おばさん、立てる?」
明星もおおむね同じような気持ちだったが、腰を抜かしている桜を気にかけていた。
案外尻を強く打って、それで悲鳴を上げたのかと思ったのだ。
「おばさん?」
明星は桜の脇に立って立たせようとするが、彼女はまるで動かない。
腰を抜かして座り込んだまま、何かをつかんで動いていないのだ。
「桜、いったいどうしたんだ? この夜中に大きな声を出すなんて……」
びっくりした様子の友一が、妻の正面に回り込む。
彼女が何かを持っているので、それを確認して……。
「ああああ!」
今度は彼が大声を出して、腰を抜かしていた。
桜が手に持っているものを見て、彼も驚いたのだ。
「おじさん、どうしたの? ……!」
すぐそばにいた明星も、それを確認しようとする。
そして彼は、声を出さないまま驚いた。
「もうなんだよ、父さんまで……でっかいゴキブリが群れでも作ってたのか?」
「やだもう、気持ち悪い……何か郵便物でも届いたの?」
友一と桜、明星が一つの『郵便物』を凝視している。
それを見た双子は、何事かとのぞき込んだ。
桜が持っている郵便物は、やや古めかしい封筒だった。
なんとも本格的なことに封蝋までしているが、それでもそこまでおかしなものではない。
玄関の郵便受けにこれが届いていただけだというのなら、不審げに思うことはあっても悲鳴を上げるには及ぶまい。
「……二人とも、よく聞くんだ」
引きつった顔の友一は、何も知らない双子に教える。
「この手紙は……明星の、父方のおじいさんからの手紙だ……!」
知る者が見れば、一目瞭然である。
封蝋に刻まれている紋章は、『統一皇帝の角』をそのまま使ったものだったのだ。
「……今更、なんで」
そうつぶやいたのは、明星である。
今の暮らしになんの不満も抱いていない彼は、突然の手紙に不安を隠せずにいた。
統一皇帝の息子ヘレルと、吉備桃香の間に生まれた吉備明星。
彼は、実の祖父と出会う。