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マルシェ3


 ナディアは左腰のナイフに手をかけやめた。前を走る男は、足こそ早いが腕っ節は弱そうだ。これなら素手で大丈夫だと判断した。


(走るスピードが落ちてきた)


 男のスタミナも大したことはない。それに対しナディアは息ひとつに出さず余裕だ。


 男の背中が角の向こうに消えたと同時に


「うわっ!!」


 低い叫び声が路地に響いた。曲がった先で突然目の前に現れたラーナにびっくりした男は、慌てて踵を返す。しかし、細い通路の真ん中では、ナディアが仁王立ちし男を待っていた。


 普段なら大抵の悪党はここまでと、降参するのだが、今日のナディアは騎士服を着ていない。ぱっと見、背の高い平民の女だ。


 だから男が逃げ切れると思うのも当然のこと。体当たりすれば吹き飛ぶだろうと、ナディア目掛け突進してきた。勢いよく左肩からドンとぶつかってやろうと男が身構えたその瞬間。


 男の腹にナディアの足がめり込んだ。


 勢いよく突き出された足。そこに全力疾走の男の勢いが加算され低くいい音がした。


「うっっ…………」


 痛みと衝撃で声も出ない男を背後からラーナが押さえつける。男は地面に這いつくばった状態で、手を捻りあげられ、背中を膝で押さえつけられ身動きがれない態勢に。


「ねぇ、ナディア、縄持ってない?」

「持ってない。ラーナ持ってきてないの?」

「どうする?」

「どうしよっか」


 汗も掻いていなければ、呼吸の乱れもない。

 平然と交わされてる二人の会話には、緊張感は微塵も感じとれない。

 

 令嬢風に言うなら「あら、お茶がなくなったわ」「私もよ。おかわりは必要?」ぐらい、軽いノリで会話は交わされている。


 それを聞いた男は迂闊にも逃げれると考えた。


 普通に考えればただの令嬢でないことは分かりそうなもの。ただ、男は頭上で交わされる穏やかな声音に何故かそう思い、掴まれていない手と足に力を込め、強引に身体を起こそうとした。しかし、腕力だけはあるラーナがさらに強く腕を捻り上げると、うっと苦しそうな声を出し、頬を地面にこすりつける羽目に。実に苦しそうだ。


「そうだ! ナディア、足、折っちゃう?」

「あら、いい考えね。右足かな」

「一本でいい?」


 令嬢風に言うなら「クッキーいかが?」「一枚頂くわ」「一枚でいいの?」だ。


 さすがに男も気がついた。

 このままでは、「じゃ、もう一本。フフッ」のノリで四肢を折られると思い青ざめ叫び出す。


「ち、違うんだ! 俺は頼まれただけなんだ!!」



「…………」

「…………」


 ナディア達は顔を見合わせると


「「はい、はい。話はあとで聞くからね〜」」


「い、いや! 本当なんだって! 信じてくれよ! そんな目で見ない…………あっ、お願い。右足掴まないで。逃げないから。ね? ……右足から手を離してください。おねがいしますぅ」


 最後には涙交じりに懇願する男。ナディアは呆れ顔でラーナを見ると、その目は「あなたに任せるわ」と言っている。


 ふぅーと息を吐き出すと、不承不承男に問いかけた。


「誰に頼まれたの?」

「帽子を目深に被った男だ。いっ、痛い! 本当だって。あんた達をこの路地に誘い込んで、男達から引き離せって!!」


 ナディアは目を大きくあけた。


(まずい!)


 頭の中で警報が響く。


「ラーナ!」

「分かった!!」


 ボキッと言う鈍い音と、男の悲鳴が狭い路地に反響した。


「これで逃げられないわ。あとで衛兵を呼びましょう。それより謀られちゃった。どうする?」


 ラーナは手をパンパンと叩き立ち上がる。二回音がした気がしたけれど、ナディアは気にしない事にした。


「多分、まだこの路地にいるはず。ラーナ、思うままに走って。着いて行くから」

「いいの?」

「私、あなたの第六感だけは(・・・)信じているから。あなたならイーサン様に辿り着けるはず」


 ナディアが唇の片端だけ上げて笑うと、ラーナはふんっと鼻で笑い返した。


「じゃ、行くわよ」


 言葉と同時に走り出したラーナの後を追いナディアも走り出す。



 その頃、イーサン達はナディアを見失い立ち往生していた。


「イーサン様、ナディア様は何処に行かれたのでしょうか?」

「すっかり見失ってしまったようだ。男を追っていったからな。早く見つけて加勢してやりたい」


「……ところでここ、どこか分かりますか?」

「分からん」

「どっちから来たかは?」

「分からん」


 二人はお互いを見つめる。次いでぐるりと周りを見る。細い道の端に小さな男の子が一人、道路に絵を描いているだけで人通りがない。


「これってもしかして」

「あぁ、俺達が迷子になっているようだな」


「あの子に聞きますか?」

「聞くならフランクが聞け。俺の姿を見た途端、かなりの確率で逃げる」

「ええ、俺もそう思います」


 イーサンは横目でフランクを睨んだあと、さてどうするものかと考えた。その時だ、バタバタと走る足音がこだましてきた。


 二人は耳を澄まし、音が聞こえる方向を探す。


 (あの男が二人を振りきって走って来たのか?)


 それなら丁度良いとばかりに身構えたところに、ラーナが姿を現した。ラーナは二人を見るとスピードを落とし安堵の表情を浮かべながら手を振る。それに答えるようフランクが軽く手を挙げた、その時だ


「イーサン様、危ない!!」


 ナディアの声が路地裏に響く。


 ラーナから数秒遅れて来たナディアは、そのままスピードを落とすことなくイーサンに向かって飛びつき地面に倒れこむと、まるで庇うように巨体に被さった。


 それとほぼ同時にシュッと空気を切る音。


 細長い影がナディアの背中をかすめ近くの地面に突き刺さった。

 鋭い刃が路地に差し込む日の光でギラりと光る。


 石畳みの隙間から覗く地面に深く突き刺さったそれは、弓矢。


 飛んできた位置を確認しようと、全員が見上げた時もう一本が飛んできた。


 イーサンは素早く身体を起こすと、自身に被さるようにしていたナディアを、今度はその腕の中に庇うように抱きしめた。

 細い路地で四人団子状態となってしまっているために逃げるスペースがない。急所に当たらないことを願うしかないか……そう考えた時、小さなナイフが弓矢に向かって投げられ、その軌道をそらせた。はじかれた弓矢は壁に突き刺さり、ナイフは石畳の上に転がる。


 ナイフが飛んできた先を見ればラーナが立っている。


「ナディア!!」


 ラーナに名前を呼ばれるまでもなく、ナディアはイーサンの身体を押しのけた。


 そして左腰と右太もものナイフに手を伸ばすと鞘から抜き宙に放り投げる。


 ラーナは空宙でそれを受け取った。そして、屋根の上めがけて投げつける。


 二本の刃がまっすぐに屋根の上にいる人影に向かって飛んでいく。三階建ての建物で距離もある。でもナイフはスピードを緩めることなく男に迫る。刺さる! と思った瞬間、男がかろうじて身をかがめそれをよけた。そしてそのまま屋根伝いに走り去って行く。


 細い路地だ。屋根から屋根へ飛び移ることも階下の部屋に飛び込むこともできる。これ以上の追跡は不可能だった。


「逃げられたわね」


 呟くナディアの隣でイーサンが顔を赤める。視線の先には露になった太ももが。茶色い革のベルトと無骨な鞘がその白さと柔らかさをさらに際立てるようでなんとも艶めかしい。


「ナディア! スカートを」


 思わず声に出し、気が付いたらイーサン自ら捲れたスカートをもとに戻していた。


「あ、申し訳ありません。お見苦しい物を」


 ナディアとて、これは流石に恥ずかしかったようで頬を染めスカートを直しながら立ち上がる。

 照れを誤魔化すかのように先程男がいた場所を見上げれば、その背中を見た残りの三人が「あっ」と小さく声を上げた。


「ナディア大丈夫か? 背中が切れている」


 イーサンを庇った時に矢が背をかすめたのだろう。ジャケットとシャツを切り裂き、透けるような肌がその間から見えていた。うっすらと赤い血が滲んでいる。


 ラーナは慌てて弓矢を手に取る。イーサンは背中に顔を近づけ傷口が変色していないかを確認した。白い肌に思わず照れを感じるがそれどころではないと、軽く頭を振る。


「弓に毒は塗られていないようです」

「ああ、傷口も変色していない。大丈夫だろう」


 傷はたいして深くない。薄皮一枚切ったぐらいなのですぐに血は止まるだろうし、数日後には傷も消える。でも、イーサンの視線は背中に注がれたままだ。正確には右の肩甲骨の下から左脇腹に向けてできた刀傷を見ていた。


「味方を守り、できた傷です」


 正面から受けた傷は戦士の勲章だが、背に出来た傷は恥だ。ナディアは逃げる時に出来た傷ではないと言いたかった。


 イーサンは困ったように眉を下げる。


 女性の身体に大きく出来た傷。それを恥ずべき傷ではないと勇ましく主張され、どう返答するのが正解かと考える。


「そうか、それなら名誉の勲章だな」


 あえて明るい声を出す。そして、その大きな手でナディアの頭を優しく撫でた。


「立派な騎士だ。そして命が無事でよかった。傷など気にすることはない」


 その言葉にナディアは紫色の瞳を大きく見開いた。


 傷跡がどれだけ醜いかは知っている。切られて出血が止まらず火で熱した剣を押し当て止血したから火傷もひどい。

 気丈に振る舞ってはいるけれど、人に絶対見られないようにしていた。


 それなのに、出会ってすぐのイーサンは、その傷を明るい口調で受け止め、立派な騎士だと言った。

 

 ナディアは胸がじわりと暖かくなるのを感じる。その意味は分からないまま、そっと自分の胸に手を当てた。


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