旦那様に初対面1
足音を忍ばせ、寄宿舎の自室に入ろうとドアノブに手を掛けた時、
「ナディア、どこ行ってたの!?」
耳元で怒鳴られ、キンと音がなった。
振り返った先にいたのは、腕を組みナディアを睨む同期のラーナ。
思わず目を瞬かせたのは、ラーナがいることよりその服装のせい。
紫色の双眸をパチパチさせて、ラーナの爪先から天辺を二往復。しかし、ラーナはそんな視線を無視して、腰に手を当てすごんでみせた。
「今日が公爵様との初対面って日に朝帰り? 独身最後を満喫する男か、あんたは。」
「!!」
はっと周りを見回し、ナディアは慌ててラーナを自室に引っ張り込んだ。机とベッドしかない殺風景な部屋の中で、改めてラーナの服に目をやる。
「どうしたの、その服。まるで侍女じゃない」
濃いグレーの膝下丈のワンピース、白いエプロンをつけ足元は茶色い編み上げブーツ。いつもの騎士服とは違う出立ちに唖然としているナディアの前で、ラーナは可憐に一回転した――もっとも鍛えたラーナの一回転だからキレがある。
シュッ、ピタッと止まり、キメのポーズも忘れない。
「まるで、じゃないわ。私、侍女になったの。ナディア専属の、ね」
「私、専属……」
詳しく聞けば、ラーナの叔父である騎士隊長はナディアの辞表を手にすると、慌ててオーランド辺境伯のタウンハウスに駆け付けたらしい。しかし、ナディアはすでに騎士団に戻った後。諸々の事情を聞きだし、騎士団の寮のナディアの部屋に駆け込めば、そこはもぬけの殻で。
仕方なく同じく寮にいるラーナと一晩中相談し、辺境伯の横暴に腹を立て、悪魔と言われる男に嫁ぐナディアを心配し、出した結論がラーナをナディアの侍女にすることだった。
脳筋二人で至った考え故、いろいろ思うところはありつつも(私を心配してくれてのことなら)とナディアはこの突拍子もない考えを受け入れることにした。
ところで、とラーナが腰に当てた手をそのままにナディアににじり寄る。
「で、昨晩どこにいたの?」
「飲んでいた。気づいたら知らない宿だった」
「まさか、隣に男がいたなんて言わないわよね」
「隣にはいなかったわ。部屋の隅で丸まっていたけれど」
「…………何したの?」
ラーナは胡乱な目でナディアを見ると矢継ぎ早に質問し、詳細を聞き出した。そして、ナディアにジャンプをさせ、元気に跳ねるのを見て安心したような、憐れむような顔をした。
一通り昨晩の話をしたあと、二人は今日、これからのことを確認することに。
ラーナがかき集めた情報によると、イーサンと面会した後はそのまま城に住むことになるらしい。当然荷物を纏める間などなく、謁見にふさわしいドレスはすでにお城に用意されたナディアの部屋にあると言う。それならば、ひとまず城に向かった方がよいだろうと二人は結論付けた。
通り慣れた道を早足で歩き、城に着くと、入り口にいる見知らぬ騎士に事情を話す。おそらくカーデラン国の騎士だろう彼は、えっと驚き疑わし気にナディアを見てくる。仕方なく、騎士団のバッジの裏に彫られたオーランド辺境伯の紋章を見せると、やっと納得したようで入場が許され、ナディアは部屋へと案内された。
当然ながら初めて入る未来の公爵夫人の部屋。百合の花が彫られた白い両開きの扉を開ければ、予想通り中はキラキラしい。高い天蓋付きのベッドは大人四人が寝られるほどで、壁際に置かれたドレッサーは大きくその横には衣裳部屋へとつながる扉。
しかし二人の目が釘付けになったのはそのどれでもない。
「凄いわね」
感嘆より呆れが勝る声でラーナが呟く。ナディアはピクリとこめかみを引きつらせた。
部屋の中央にあるのは、これでもかとピンクのフリルをあしらったドレス。それはもう、ふんわりフワフワデザインだ。
「ねぇ、ナディア、これ……き、着るの? ヒッ、ハハハッ」
耐えきれずラーナが笑いながら指差す。豪華な部屋に馴染んでいるように見えるも、なにやら異彩を放っている。
「ぜっ、ぜったい、似合わないわよ! ハハハハッ」
プリシラの好み全開で用意されたそれは、趣味もサイズも合っていない。
唯一裾丈だけは取って付けたようにーー実際数分前にお針子によって直されたばかりなのだが、フリルが二段増えナディアが着ても足が見えないようにはなっていた。
ナディアは笑い転げるラーナの背中をバシリと叩く。かなり強く叩いたが、彼女も騎士、いや元騎士。そして、女にして筋肉をこよなく愛する脳筋。痛がることもなく、笑い続ける。
「いいから着るのを手伝って。侍女でしょう?」
「はいはい、でもその前にシャワーを浴びて。貴女、凄く匂うわよ。酒臭い」
うっ、とナディアは言って自分の服を嗅ぐ。酒場に煙草はつきもの。アルコールと紫煙と汗の芳しい香りに思いっきり顔をしかめた。
シャワーを浴びて部屋に戻ると侍女が一人増えていた。白髪を後頭部で綺麗に纏めた、やけに姿勢のよい初老の女性だ。
「彼女はスザンヌ。我が子爵家で侍女をしていたの。昨年引退したのを呼び戻したのよ」
「来るのが遅くなり申し訳ありません。昨晩遅くにラーナ様……いえ、ラーナから話を聞きましたので」
「私だけじゃ、いろいろ不安でしょ? かつては叔父の侯爵邸で従姉妹の専属侍女として働いていたこともあるから、絶対頼りになると思って」
自慢気に胸張ったラーナからスザンヌを紹介され、ナディアは胸に手を当て騎士の礼をする。しかし、スザンヌは眉間に皺を寄せ首を横に振った。
「ナディア様、貴女は公爵夫人となられるのです。そのような礼の仕方はお辞めください」
するとどこからともなく出してきたのは長さ三十センチ程の細い棒。少々鷲鼻のスザンヌが持つと魔女の杖のように見える。いや、本当、どこから出した?
「スザンヌの叔父上、騎士隊長様よりビシバシと淑女教育をするよう頼まれておりますので、覚悟なさってください」
(隊長!!)
ナディアは眼力で人を殺せるんじゃないかと囁かれるぐらい鋭い目をした男を思い出したあと、鞭の撓り具合を確かめるスザンヌに目をやる。今怖いのは間違いなく後者だろう。
「いろいろ言いたいことはありますが、謁見まで時間がありません。ここは歩き方とカーテシーだけでも身につけてください。それなりに。ええ、完璧になんて言いませんから」
妥協を含む物言いに、意外と融通が聞くとほっとするも五分後、ナディアは自分の考えが甘かったと、半泣きになりながら呟いた。
指定された部屋の前で、スザンヌはもう一度ナディアのドレスを確認した。肩と胸が大きく開いているので、貧相な胸周りが露わになり心許ない。それに対し、腰から下はオーガンジーのフリルが幾重にも重ねられていてボリュームがある。
(今すぐ脱ぎたい)
鏡でみた自分の姿を思い出してうんざりした気分になる。
スザンヌは髪を巻こうとしたけれどそれは全力で拒否し、ハーフアップに髪留めを付けるだけのシンプルなものにした。
渋い顔をしていたスザンヌも、濡れたような艶を持つナディアの黒髪の美しさが引き立つと思い直したのか、最終的には満足気に頷いた。
扉を叩き中に入ると、ソファに座っていた男が立ち上がる。茶色の髪は撫で付けるように後ろに流され、形のよい額と凛々しい左目が見えた。金色に近い黄色い瞳が眩しそうに細められているのは、ナディアの後ろから日が差し込んでいるからだろうか。
ナディアは数歩進むと先程覚えたばかりのカーテシーをする。足がちょっとプルプルしているけれど、ドレスに隠れているからスザンヌ以外は気づいていないだろう。
「イーサン・オズ・カーデランだ」
「オーランド辺境伯、長女ナディアと申します」
ナディアの自己紹介に男が首を傾げた。
「……ナディア? 確かプリシラと聞いていたが」
低く太い声だ。ナディアは頭を下げたまま答える。
「はい、少々手違いがございまして、長女の私が来る事になりました」
「……なるほど。手違いか。それにしても連絡がないとは妙な話だな。まるで、取ってつけたような……代役、のような感じだな」
察しの良い言葉に思わずナディアの肩がピクンと揺れた。
(だから、連絡は必要だって!!)
冷や汗が背中を伝う。先程見た、冷たい月の光のような瞳が自分に向けられているかと思うと、緊張が走った。
「顔をあげろ。別に妹から姉に代わっても大差ない」
(可憐なプリシラから、私みたいなきつい顔つきの女に代わったのに、大差ない?)
イーサンの言葉に首を傾げながら顔を上げれば、自然と右目の眼帯に目がいく。黒い三角形の布は、凛々しく猛々しい顔半分を覆い暗い影を落としていた。左目の鋭い眼光と、眉間に深く刻まれた皺も合わさり、周囲に無言の圧力をかけている。
もし、これが深窓の令嬢であれば、その容姿と険しい表情に恐れをなす所だが、戦場で血走った目で歯を剥き出しにして剣を向けてくる男を知っているナディアは、それぐらいでは動じない。
(私に切り掛かってきた男の顔のほうがよっぽど悪魔だわ)
剣で切り裂こうとしてくるわけではない。確かに顔や雰囲気は怖いけれど、声や仕草は紳士的ですらある。
冷静にイーサンを見るナディアに対し、イーサンは、顔色ひとつ変えないナディアが珍しいのか、やや呆然としているようでもあった。
しかし、女としての自己評価が限りなく低いナディアはそれを落胆の表情と解釈する。
(やっぱりがっかりするわよね。きっとプリシラの姿絵ぐらいは見ているでしょうし。先程は妹でも姉でも大差ないと言っていたけれど、実際目にしたら雲泥の差だもの)
幼い時から母に言われ続けた「可愛くない」「男のような顔つき」という言葉を思い出し、ナディアは小さく息を吐く。
「……イーサン様」
たまりかねたように側近と思わしき男が、イーサンを肘で突く。突かれた方は、ハッとしたような顔をしたあと、体裁を整えるかのようにコホンと咳をした。
「二人で少し話をしたい」
その頬が少し赤くなっているのだが、ナディアが気づくことはなかった。