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酒場2


「おいおい、大丈夫か?」


 ジルは慌てて酒を取り上げたけれど、もう一滴も残っていない。

 ナディアは本格的に酔っぱらってきたようで、頭がぐらぐら揺れ始めた。


「愚痴ならいっぱいあるわよ」

「そうか、例えば?」


 やや呂律の怪しい言葉を聞きながら、ジルはどうやってこの会話を終わらせようか考える。どうやら、踏んではいけないも物を踏み抜いたらしい。


「私、結婚することになったの。それも突然!」

「そりゃめでたいな。って、えっ? 私?」


 突然出てきた一人称に思わず片目を見開くも、ナディアはそんな様子に気づくはずもなく、ドンと勢いよくテーブルを叩いた。


「本当は妹がするはずだったんだけれど、相手が人でなしの碌でなしだという噂を聞いたとたん手のひら返して私に押し付けてきたのよ。」

「いもうと」 

「そう、い・も・う・と」


 一人称が変わっただけなら疑惑で終わることもできただろうが、妹が結婚を押し付けたとなれば。

 ジルはしばし眉間を揉み、なんとか事態を飲み込んだ。その瞳は、妙齢の女性相手に自分がとった言動を悔やんでいるようで。。


 対して、普段なら酔っ払ってもそこまで我を忘れないナディアだが、怒りと疲れからか、今日は遠慮なく感情をぶちまけている

 でも、暫く怪しい呂律で悪態をつくと、次第に勢いが弱まりテーブル上の空のグラスに視線を落とした。


「あの子はいつもそう。欲しいものは我先に手に入れ、面倒ごとは全て私に押し付ける。でも、周りの人はいつも妹の味方なの」


 そこまでいうとナディアは後ろで縛っていた髪をほどいた。黒髪がハラリと落ち、潤んだ瞳も相まってもうどう見ても女にしか見えない。 

 ジルは見た目と腕っぷしの良さに勘違いした自分を、殴ってやりたくなった。


「いつも私の声は誰にも届かない。別にいいけど」

「……バードン、随分酔っているな。やっぱり帰ったほうがいい。この酒を飲んだら店を出よう。送ってやるよ」

「やだ!! 今夜は思いっきり飲みたいの。付き合ってくれるっていったじゃない」


 ジルが手を払い除けると、ナディアは先程ジルが頼んだお酒を飲み始め、

 そして……記憶がなくなった。


 

 ナディアは馴染みのない寝台の上で目覚めた。重く痛む頭に手を当てながら目だけ動かすも、やはり見慣れぬ天井に薄汚れた壁。ベッドは硬く、シーツはごわごわしていた。


(ここはどこ? 昨晩は確か見知らぬ男と酒を飲んで……)


 そこまで思い出し、慌ててシーツを捲る。


 上着こそ脱いでいたが、シャツもズボンも身につけている。身体に異変も……感じない。

 そこまで確認すると、重い身体を起こした。すると部屋の片隅に、床に座ったまま背を丸めて壁に身体を預けるようにして眠るジルの姿が目に入った。見ようによっては、何かに怯えるように隅で丸くなっているようにも思える。


(私、何もしていないよね)


 酒乱の気はなかったはずだけれど、記憶がなくなるまで飲んだのは初めてだった。


 とりあえずベッドから降りる。女とバレたかな、と胸元を見ると何も遮る物がないので足元がはっきり見えた。ようは、出っ張りがない。


 複雑な気持ちで、これならバレていないかと思った時、肩からはらりと髪が一房溢れ落ちた。慌てて頭に手をやると帽子がない。見回すと、ベッドの片隅にジャケットと帽子が置かれていた。


 ナディアはもう一度部屋の片隅で丸まる男に目をやると、彼が紳士でいてくれた事に感謝した。


(ここまで羽目を外すつもりはなかったんだけど)


 ちょっと反省する。いや、かなり反省した。


 音を立てないようにジャケットと帽子を手に取り身につけると、男を起こすべきかどうか考える。


(紙とペンがあれば、礼のひとつでも書き残して、黙って立ち去れるのだけれど)


 見たところ安宿だ。そんな気の利いた物はない。ポケットに何か入っていないかと手をつっこむと固い物を指先に感じた。


 取り出してみると、赤い口紅。

 後輩に頼まれるまま男装したナディアに、たまには口紅ぐらいつけなさいと同じ女騎士のラーナが苦笑いしながらくれた物だった。


 ナディアは口紅を見て考える。


(クレヨン代わりに使って壁に書くのはだめ……よね)


 ナディアは寝起きで頭がぼぅっとしていた。酒もまだ残っている。だから、それはちょっとした判断ミスと悪戯心だった。


 赤い口紅を鏡を見ることなく唇にひくと、ジルの前に跪く。騎士らしくジルの大きな手を掬い上げると、その手の甲にキスをした。


 真っ赤な唇の跡が残ったのを見て、ナディアはふわりと微笑んだ。もともと整った顔をしている。紅を塗り色香を足せば充分魅惑的になる。


 でも、この部屋の中は鏡がない。ナディアは親指で口紅を拭い取ると、帽子を深くかぶり部屋を後にした。




――バタン――


 ドアが閉まる音がして、俺は目を開けた。もちろん、今起きた訳ではない。


 はぁ、とため息をつき曲げていた足を投げ出す。


 すれ違った時、やけに綺麗な少年だと思った。飢えた船乗りが、この際男でも良いかと思ってもおかしくないような容姿で颯爽と歩いている。


(危なっかしいな)


 妙に気になり振り返ると、女を助けるために路地裏に向かう後ろ姿が見えた。自分も向かうべきかと考えているうちに路地から女だけが逃げだしてくる。


(あの少年はどうした?)

 

 胸騒ぎを感じ路地裏を覗き込めば、ちょうど麦酒瓶を持った男が殴りかかろうとしている。考えるよりも先に身体が動き、男の首に手刀を食らわせ気絶をさせた。

その後はなんとなく放っておけず、迷っている振りをして声をかけ、流れで一緒に飲んだ。


 酒も強く、聞き上手。頭の回転も早く、初めて聞くだろう異国の話をすぐ理解する。こんなに楽しく飲むのは久しぶりだ。気の合うヤツには会えそうで中々会えない。


 ついつい、いつも以上に飲んでしまい気付くのが遅くなった。


 途中から違和感はあったが、妹に結婚を押し付けられたと聞きそれが確信に変わる。


(こいつ、女だ)


 帰るように促すも、腰を上げようとしない。酔い潰れた女を残して帰るわけにはいかず、途方に暮れる羽目になった。


 周りを見ると、隣の男が視界に入った。女の方をじっと見ている。これはまずいと、強引に店を出ようとしたら、パタリと机に突っ伏して寝はじめた。


(おいおい、どうすんだ、これ)


 まさか、そのままにも出来ず、女の腕を肩にかけ引き摺るようにして店を出た。いっそ抱き上げた方が歩きやすいぐらいだが、側から見たら男が男を抱き抱えているように見える。 


 今日を厄日とするか、美人を拾った幸運な日とするか。酔った頭で紳士の決断をした俺にはきっといいことがある筈だ。


 そのまま引きずり、女を近くの宿に放り込んだ。このまま帰るかと思ったが、女は寝ているので鍵がかけられない。どうすべきかと考えていたら、女がムクッと起き上がった。


 良かったと思ったのも束の間、いきなり帽子を床に投げ捨てると、今度は上着を脱ぎ出す。


 おいおい、ちょっと待て。

 こっちも酒が回っていて、ぎりぎりなんだ。

 いろいろと。


 胸のボタンに手を掛ける女を慌ててとめると、トロンとした目で見上げてきた。思わずゴクンと生唾を飲む。


 気づけば、細い女の肩に手を置いていた。そのままゆっくり女をベッドに沈めると、


 ありったけの理性を総動員して、布団をかけた。


 よくやった、俺。


 そんな訳で、当然寝れるわけもなく朝を迎えた。


 目覚めた女は、騎士らしく俺の手を取ると、ご褒美を手の甲に残して消えていった。


 くそっ、嬉しいのか悔しいのかよく分からない。


 赤い紅の跡がついた右手で前髪をかき上げる。頭を後ろの壁につけ天井を仰ぎ見る。


 何で、このタイミングで出会うんだ。

 胸に宿った熱は消えそうに無かった。

 


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