鉱山2
畦道路と獣道の間のような道を三頭の馬が走る。先頭をフランク、間にナディアを挟んで一番後ろがイーサンだ。森は深く木が生い茂っていた。頭上を覆うように枝がはり、葉の隙間から微かに鈍色の空が見える。
薄暗いのは木々のせいだけではない。森の中の空気が湿りを帯びて、土の匂いが濃くなっている。雨が降る前触れだ。
「小屋が見えてきました」
前を行くフランクが声を上げると同時に大粒の雨が葉を叩く音がした。三人は馬の横腹を軽く蹴りさらにスピードを上げた。
「ギリギリでしたね」
宿の入口に立ち、ナディアが空を見ながらつぶやく。
雨は本格的に降り始め、地面に幾つもの水溜まりを作っていく。辿りついたのは二階建ての小さな小屋で、所々壁に蔦が絡まっている。玄関先の屋根が外に向かって飛び出していたので、その下で三人は軽く服を拭いた。少し濡れてはいるけれど、拭けばすぐ乾く程度で大したことはない。古びた扉を開けフランクが小屋の中に入っていく。
「こんばんは、泊まりたいが部屋はあるか?」
カラカラと扉についた鈴が鳴る。カウンターには六十歳ぐらいの好久爺然とした男が座っていた。おそらく宿主だろう。
「旅の人かい?……おっとすみません。貴族の方でしたか。申し訳ありませんが、私共が用意できるのは固いベッドに簡単な食事ぐらいでございます。それでもよろしいでしょうか?」
「構わない。どんな部屋でも良いので用意してくれ」
フランクの言葉に宿主はごそごそと引き出しを漁ると、鍵を二本取り出した。
「部屋は二部屋空いております。一部屋はダブルベッド、もう一部屋はシングルベッドです」
思わず顔を見合わせる三人。
「……ではナディアは一部屋使え。俺とフランクは同じ部屋に泊まる」
「男性二人で使うにはダブルベッドが小さいかもしれません」
ほっほっと軽く笑いながら宿主が言う。ここは庶民用の民宿だ。貴族が使うような大きなベッドがあるはずがない。
「イーサン様、どうしますか?」
「いや、そういわれても……」
イーサンはナディアをちらりと見る。ナディアは自分に視線が集まっているのを感じ、目をパチパチとさせる。
「私が野宿……」
「それは絶対だめだ!!」
言葉途中でイーサンが遮った。どうしてそうなると、額に手を置き息を吐く。
「そんなことさせるわけにはいかないだろう。そもそも外は大雨だ。まったく、ルシアナの騎士団はどうなっているんだ」
ドンッとカウンターを叩くと、カギが数センチ飛び跳ねた。その鍵の一つをフランクが手にする。
「でしたら、僭越ながら私が一部屋使いますからイーサン様とナディア様でもう一部屋を使ってください」
「ちょ、ちょっと待て。それはいろいろ問題が……」
「でしたら私がナディア様と泊まりましょうか?」
カウンターに残されたもう一方の鍵を見ながらフランクが言う。
「いや、ダメだ!」
思わずその鍵を手にしたイーサンに、フランクは目を細める。
「そうでしょう? とういうことで、私は一部屋使わせて頂きます。食事も一人で摂りますからどうぞごゆっくりしてください」
それだけ言うと、さっさと二階へ続く階段を上っていった。残されたイーサンは手のひらの鍵を困ったように見る。
「イーサン様、どうしたのですか? 部屋に行きませんか?」
「……状況を理解しているか?」
ナディアはこてんと首を傾げた。
「騎士団の皆で雑魚寝をしたことがあります」
「部屋には二人だけだし、雑魚寝でもない。というか、男と雑魚寝をしてたのか?」
「野宿とか、野営の練習とかはそんな感じです」
「……やはり一度騎士団長と話し合うべきだな」
騎士団の風紀はどうなっているんだと心の内で愚痴ると、グシャリと頭を掻いた。
「……分かった。では部屋に行こう」
カウチや椅子ぐらいはあるだろう。今夜、ベッドで寝るのは諦めた。
二人は階段を上り一番手間の部屋に入った。
年季の入った床板は所々ささくれだっている。壁には窓が一つ。それから上半身が映る程度の鏡が壁に打ち付けられている。手入れはされているけれど、ソファやカウチはなく、木製のシンプルな椅子が二つ壁側に置かれているだけだった。
部屋の隅に荷物をどさりと下ろすと、ナディアは床を手で撫でる。
「床がささくれていますね。これでは寝れそうにありません」
「……もしかして床で眠るつもりだったのか?」
「それも一つの手かと。でも椅子があるので問題ありません。イーサン様はどうぞベッドをお使いください」
淡々と話すナディアを横目で見ながら、やはりそうなるかとイーサンは思う。
イーサンが、「俺が椅子で……」と言いかけた時、トントンと扉が叩かれた。開ければ先程の宿主と同じくらいの歳の女性がいる。妻だろうか。小柄な体に細い目をしたその女性は食事の説明を始めた。
「一階のカウンターの奥に食堂があります。スープとパンを置いているので、冷めないうちにお召し上がりください」
「分かった。連れがいるがそいつには伝えたのか」
「はい。お皿を部屋に運んで召し上がるそうです」
イーサンは、どこまで気を回す気なのかと半ば呆れる。特に時間は決まっていないけれど、暖かいうちに食べた方がいいということなので、寝床の話は後にして二人は食堂に向かうことにした。
食堂と呼べるのか微妙なその空間には、四人用のテーブルと、二人用のテーブルが一つずつあった。二人用のテーブルには髭を生やした男が二人座っている。どちらもイーサン程ではないけれど背が高く太い腕を持っていた。
色あせたシャツやズボンから、渓流釣りに来た庶民のように見えるけれど、庶民にしてはやけに体格がいい。ナディアは注意深く彼らを見た。
部屋の隅に長テーブルが置かれていて、肉の固まりがゴロリと入ったビーフシチューと、魚の切り身をバターでソテーしたもの、それからサラダとバゲットが置かれている。
大きな皿にスープを並々と注ぐイーサンの隣で、ナディアは魚を皿に載せた。
(お肉はいいかな。それより魚や野菜を食べたい)
海の近い街で育ったナディアは肉より魚派だ。
二人が席に着くと、男達がジロリとナディアを見てくる。イーサンの眉間に力が入る。
「ナディア、部屋から出る時は帯剣した方がよい。いや、それより部屋から出ない方がいいか」
「分かりました。男装すれば良かったですね」
女性用の乗馬服であることが悔やまれる。
イーサンはパンをちぎり、スープに浸して食べた。テーブルマナーは身についているけれど、それを守らないことも多い。ナディアは魚を一口の大きさに切り口に運んだ。しかし、あまり美味しくない。
男達はナディア達が食事をしている間に部屋に戻っていった。
窓の外を見れば、バケツをひっくり返したような激しい雨が降っている。ナディアはなぜかざわつき始めた胸で警戒心を強めた。