聖霊祭3
「……プリシラ、どうしてここに?」
ふわりと茶色髪を揺らし現れた妹は、相変わらず愛らしい微笑みを浮かべていた。
「お姉様は毎年このお祭りに来ていたから、会えると思ってきたの」
チラリとイーサンを見れば、手のひら大の白水晶を見ながら店主と話をしていた。ナディア達に背を向けている上にラフな服装、目深に被った帽子のお陰でプリシラはイーサンに気づいていない。
「お店の前で立ち話は失礼だからあちらに行きましょう」
夜会でのプリシラの行動を思い出せば、イーサンに合わせたくない。嫌な胸騒ぎを抑えつつ、ナディアは人混みをすり抜け、露店が立ち並ぶ通りから離れることに。
向かったのは倉庫が立ち並ぶ港の隅の一角。人影がまばらになったのを確認し、足を止め振り返る。
「それで用事って何?」
「お姉様が女性らしい格好をして外出するのを見るのはいつぶりかしら。そちらの服もイーサン様が買ってくださったの?」
ナディアの問いに答える気持ちはないようで、つま先から頭の天辺までじろじろと眺めてくる。
「庶民的な服しか買ってもらえないなんて、お姉様相手だと、着飾らせがいがないのかしら。となると、夜会で見た仲の良さは演技だったのね」
愛されるのは可憐な自分、可愛げのないナディアが見初められるはずがないと、プリシラは納得するように頷く。それを確かめるために来たのかとナディアは呆れつつもホッとした。
(気が済むまで言わせればいいわ)
傷つかないと言えば嘘になるけれど、聞き流す術は身につけている。ここは言い返さずに聞き役に徹しようと目線を下げ思っていたけれど、次の言葉にナディアは顔を上げた。
「それで、イーサン様のお相手にはやっぱり私の方が相応しいと思うの」
「えっ?」
ナディアは混乱する頭で目の前にいる妹を見る。
相変わらずにこにこと、聖女のような笑みを浮かべるプリシラ。事情を知らぬものが見れば無邪気で可憐な微笑みに頬を染めるだろう。しかし実際繰り出された言葉は酷く常識外れのもの。
パチパチと切れ長の瞳を瞬かせるナディアに、プリシラは優越感たっぷりに口角を上げる。そこに当然とばかりの圧が交じり、ナディアはさらに混乱した。
「何を言っているの? あなたがイーサン様に嫁ぐのが嫌だからって私が婚約者になったのよ」
「だって、イーサン様は悪魔のようだって皆言うのだもの。そんな方に嫁ぎたくないと思うのは当然でしょう?」
思うのは勝手だが、それを当たり前のように押し付けるのを世間では身勝手という。
プリシラはナディアにならどんな我儘も身勝手も許されると思っている。小さい時からそうやって育ったし、それを咎められたこともない。聖女の生まれ変わりと言われた自分の引き立て役であり、嫌なことは全部引き受けるのが彼女にとってのナディアだ。
「でも実際にお会いしてびっくりしたわ。確かにお顔は怖いし眼帯は不気味だけれど、耐えられないほどではないし。なんて言っても公爵様ですもの。イーサン様もお姉様より私の方がいいって言うに決まっているわ」
イーサンを悪く言われ「そんなことない」と言いかけたナディアだったが、プリシラの方が相応しいという言葉に口をつぐんだ。
(確かに私なんかより、プリシラの方が相応しいかも知れないけれど)
嫌だ、と思った。今まで、プリシラに大好きなぬいぐるみを取られても、宿題を押し付けられても、花瓶を割ったのをナディアのせいにされても、どうせ誰も自分の言葉に耳を貸さないと諦めていたけれど。
(イーサン様の隣は譲りたくない)
今まで感じたことのない、強い拒否の気持ちが胸を締める。
でも、勝ち誇ったようなプリシラの顔を見れば何も言えない。それは昔から染み込んだ条件反射のようなもので、いくら戦場で剣を握り振っても消えることはなかった。
見上げるほどの大男に剣を向けられても怯まないのに、小柄な妹相手に言葉が出ない。
黙ったナディアを肯定の意と捉えたのだろう。
「お姉様の口からイーサン様にお話してね。お父様もお母様も婚約披露パーティーをした後で婚約者を変えることなんてできないって言うの。でも、元々の婚約者は私なのだし、お姉様が説明すればきっとイーサン様もが納得されるわ。それに、イーサン様も妻にするならお姉様より私の方が良いに決まっているもの」
「……随分と貴女は俺のことを知っているようだな」
低い声に振り返れば、黄色い目を眇めこちらを見るイーサンと目があった。
「イーサン様!」
どうしてここにいるのか、どこから話を聞いていたのか気になるけれど、一番に頭に浮かんだのは
(やっぱり、イーサン様もプリシラを選ぶのでしょうね)
諦めに似た感情。
思わず俯いたナディアだけれど、肩に優しく手を置かれ顔を上げれば、間近に優しく細められた金色の瞳がある。視線が絡むのを待っていたかのようにイーサンは回した腕に力をこめナディアを引き寄せた。
「突然いなくなるから驚いた」
耳元で囁かれた甘い声音にナディアは目を見開く。普段どこか不器用さすら感じるイーサンの意外な一面に言葉を失いつつ、勝手に頬は赤くなる。洗いざらしのイーサンのシャツから香るウッド系の香水の香りがやけに強く感じられた。どうすれば良いのかと視線を彷徨わせるナディアに構うことなくイーサンはプリシラに話かける。
「当初、俺の婚約者が貴女だったということは知ってる」
「そうなのです! ちょとした手違いがあって……姉が私に黙ってイーサン様に会いに行ってしまったのです。申し訳ありません。姉は昔からそのように自分勝手なところがあって。夜会でお会いした時に詳しくご説明したかったのですが、それすらできず」
瞳を潤ませイーサンを見上げるプリシラを見て、ナディアの心が再び沈む。今までにこの流れは何度も見て来た。誰もが無条件にプリシラの言葉を信じる。きっとイーサンも。そう思うと胸が鉛を飲み込んだように重くなった。
しかし、イーサンの手はナディアから離れはない。
「それは嘘だ。ナディアはそんな人間じゃない。この数か月一緒にいればそれぐらい分かる。周りを思いやる優しさも、気遣いも、正義感が強いところも俺は好ましく思っている」
ナディアは自分の目頭が熱くなるのを感じ慌てて下を向いた。
(イーサン様は私を信じてくれた。プリシラの言葉ではなく、私を……)
胸に手を当て必死で涙をこらえるも、熱くこみ上げてくるものは抑えられない。
今まで、どれだけ言葉を尽くしても信じて貰えなかった。でも、イーサンからの信頼は全く揺らがない。
「お姉さまのことが好ましい?」
「そうだ、ナディアほど素晴らしい女性に会ったことはない。そして俺に触れられただけで頬を染める姿はとても愛らしく、誰にも見せたくないほどだ」
イーサンはナディアの髪を掬い口づけをする。突然のことにナディアの思考はとまり、次いで頬がかぁっと熱くなった。
「~~!! もういいわ。私よりお姉様を選ぶなんて、異国育ちの方は変わったご趣味をお持ちなのね」
「プリシラ!」
非礼な言葉にナディアが声を上げるも、イーサンは隣でクツクツと笑う。
「この国の価値観など分からん。だが、自分の婚約者を好ましいと言うことに何か問題でも?」
ナディアの頭に頬を寄せ目を細めるイーサンに、プリシラはぎゅっと口を歪ませると、踵を返し去っていった。
その後ろ姿が人込みに消え、やっとイーサンの手が肩から離れた。
「イーサン様、申し訳ありません。妹が失礼なことを」
「気にするな、それより謝るのは俺の方だ。ナディアに対する傍若無人な態度に腹が立ちつい出過ぎた真似をしてしまった。その……勝手に触れてすまない。気を悪くしただろうが、許してほしい」
さっきまでの甘い声はどこへやら、すっかり萎んでしまったイーサンが頭を下げる。巨体をしょぼんとさせ何やら哀愁すら漂わせている。ナディアは、目の前の旋毛を眺めながら、なんと声を掛けようかと迷う。
「気を悪くなんてしていません。私を信じてくださりありがとうございます。ただ、いつもと雰囲気が違ってびっくりしました」
「申し訳ない」
「随分手馴れていらっしゃったのですね」
あんな甘い声に熱を帯びた視線、今まで経験したことがないナディアの心臓は今もばくばくとうるさい。まだ赤い頬に手を当てていると、イーサンが先程までとは打って変わって余裕のない顔で頭を横に振る。
「違う! あれは異国の友人を参考にしただけで。実際にしたのは初めてだ。慣れないことをしたせいで、背中はあせびっしょりだよ」
照れくさそうに頬を掻く姿を見て、ナディアはなんだか安心した。イーサンはちょっと不器用なぐらいが丁度よい。
「では、全て私のための演技だったのですか。ありがとうございます」
「いや、演技ではなく。その、したことはアレだが言ったことは本心で……」
珍しく言いよどむイーサンにナディアが首を傾げところで、背後から小さな声が聞こえてきた。
「ラブラブね」
「見ていてむず痒くなりますね」
聞き覚えのある声。倉庫からぴょこんと顔だけ出しこちらを観察しているのは。
「ラーナ!」
「キャシー!!」
あら見つかったと二人は顔を見合わせると、いっさい悪びれる様子無く姿を現した。
「……何しているの?」
「もちろん、ナディアの護衛よ」
「私より弱い護衛はいらないわ」
ポップコーン片手に覗き見に興じているラーナの手から、袋ごとポップコーンを奪い取る。「ひゃっ」と小さい叫びが聞こえたが無視だ。
「お前は何をしてるんだ?」
「港の外れに立ち入り禁止の看板を沢山立てておきました。少し距離はありますが、花火が綺麗に見える穴場です」
「……勝手に看板を立てても良いのか? 今日の護衛も含め、頼んだ覚えはないぞ」
「婚約中ですので最低限の自重はしてください」
「…………俺の話は聞く気もないのだな」
イーサンの問いかけを無視して、キャシーは一方的にその場所を説明する。イーサンは何か言いかけ諦めたように口を閉じた。いったところで意味がないのは経験上百も承知だ。
「帰りは遅くなると衛兵に伝えておきます」
「勝手なことはするな」
「朝帰りの方が良いですか?」
「~~今日中に帰る!!」
そうですか、とキャシーは残念そうな顔をしたあと、「別に気が変わってもいいですが自重は忘れずに」と手をふりラーナと一緒に人込みに消えていった。
最後にラーナが小さく拳を握っていたけれど、ナディアは気づかない振りを決め込む。
「……お互い、侍女に苦労するな」
「……はい」
残された二人は、深いため息をついた。
精霊祭はあと一話あります。推敲間に合えば今日中にします。
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