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聖霊祭1


 ナディアが自室の扉を開けた瞬間、ヒュっと鋭い音がし、その艶やかな黒髪を掠めるようにナイフが壁に刺さった。


「……私を殺すつもり?」


 壁に刺さったナイフを抜き取ったナディアは、ポイっと窓際にいるラーナに投げる。


「だって、最近ナディア構ってくれないんだもん」


 へらっと笑いながらラーナがナイフを鞘に戻した。


「別に構ってないわけでは……」

「あら、イーサン様とばかり剣の稽古してるじゃない。あっ、気にしなくていいのよ。仲良きことは素晴らしい」


 ナディア達の「白い結婚」を知らない意味ありげにふふふと笑う。


 ラーナとの部屋での稽古に限界を感じたナディアが、イーサンに裏庭で剣を振りたいと頼んだところあっさりと許可が出た。

 ただ、予想外なのはイーサンも稽古をすると言い出したこと。「こっちにきてから体がなまっている」という至極まっとうな理由だったし、ナディアとしても相手が強い分には問題ない。


 そんな成り行きで始まったのが、婚約披露パーティーから数日後のこと。すでに三ヶ月が過ぎ夏の日差しが厳しくなってからは、涼しい早朝にするのが日課だ。


「今日はどっちが勝ったの?」

「……イーサン様」

「えっと、何勝何敗になるんだっけ?」

「知らない」


 ナディアはむすっとした顔で答えると、シャツの騎士服の襟元を緩める。色々試したけれど、着慣れたこれが一番動きやすかった。


 立派な体躯と路地裏で弓矢からナディアを庇った素早い動きで、それなりの腕前だと思っていたけれど、やはりイーサンは強かった。


 使うのはナディアが見たことがない東洋の剣。片刃で真ん中あたりの幅が広くやや湾曲している。厚みのある刃は、遠心力を利用し斬りつけることでさらに威力をあげる。イーサンの太い腕から繰り出される一撃は重く、受けているだけでも手が痺れ体力を奪われた。


 ナディアでは片手で持ち上げるのがやっとで、とてもではないが縦横無尽に振れない。もっともそれはナディアの感覚であり、イーサンが思わず目を見張るぐらいには操っていた。


 いつものように朝食前に湯浴みをしようすれば、やけに窓の向こうが賑やかだ。どうしたのだろう、と思いベランダに出れば、敷地内にある教会から幾人もの声が風に運ばれ聞こえてきた。


「朝からどうしたのかしら?」

「明日は精霊祭だから準備をしているんでしょう」


 隣に来たラーナが、バルコニーから身を乗り出すようにして教会のあたりをみる。


 カーデラン国と旧ルシアン国はかつては一つの国だった。それが数百年前に別れ現在また一つになったわけだが、元が同じなので言語と宗教は共通している。


 この国の信仰は、海に囲まれた帝国で語り継がれてきた聖女の物語に端を発する。


 かつて近海は化け物の巣窟だった。セイレーンはその声で船人を惑わし海に誘い込んむ。月と海を支配する魔物の目を見た者は石となり六本の腕に絡めとられ海底に引きずり込まれる。

 それら化け物を封じたのが可憐な容姿をした聖女だった。その瞳から零れ落ちた涙の雫が暗い海に吸い込まれた途端、海が真っ白に光り魔物たちは浄化され消え去った、と言われている。


 その聖女が産まれた日を祝うのが精霊祭だ。「聖女」ではなく「精霊」という名がついているのは、聖女の容姿が妖精のように可憐だったから。

 そのため教会にある聖女の像も、幼さの残る丸く愛らしい目にぷっくりとした唇、華奢な手足をしていて、それがそのまま美の基準ともなっている。


「カーデラン国ではお祭り騒ぎはしなくて、ミサが粛々と行われるらしいわよ」

 

 ラーナがバルコニーの柵に肘を突きながら話す。おそらくキャシーあたりから聞いたのだろう。


「じゃ、今年の精霊祭は露店も花火もないの?」

「あなた、何も聞いてないの? イーサン様が今まで通りの風習を尊重するっておっしゃったから露店も花火もあるわよ」


 毎年、港に立ち並ぶ露店を楽しみにしていまナディアはほっとする。


 根底となる宗教は同じでも、国が分かれ時代が流れれば信仰心や祭りの仕方は独自に変化していく。  

 カーデラン国は子供が生まれれば教会で祝福を受け、毎週末は家族でミサに出、精霊祭は親しい者で集まって聖女を称えながら食事をする。


 それに比べ旧ルシアナ国は教会に行くのは結婚式と葬式程度、精霊祭はお祭りだ。


「イーサン様はルシアナ風の精霊祭は初めてでしょう? 誘って出かけてみれば?」

「でも、いきなり公爵様が露店に現れたら皆びっくりするわよ?」


 祭りには貴族も顔を出す。イーサンが公爵となって五ヶ月、顔を知っている者も増えてきている。


「変装すればいいじゃない。それに公爵様だからこそこの街の風習を知っておく必要があるんじゃない?」


 そう言われればそんな気もしてくる。ナディアがどうしようかと迷っていると、ラーナがニンマリ笑いながら顔を覗き込んできた。


「朝食、今日も一緒に食べるんでしょ? そろそろ湯浴みしてきたら」

「……成り行きでそうなっただけよ?」


 成り行きで稽古をし、成り行きで朝食を摂るを主張する。でも、「成り行き」を強調する割にナディアの顔はどこか嬉しそうだ。


 白い結婚と言われ冷遇されるのかと思っていたけれど、大事にされている自覚はある。

 女性として扱われたことがないから、むず痒く感じることもあるけど、その度に胸があったかくなるのだ。


 結婚式まであと四ヶ月。結婚してから三年。

 その後、ナディアは自由になる。


 プリシラの我儘から解放され、自分らしく伸び伸び生きることができる。まるで、閉じられていた羽根が広がるような解放感。


 それなのに、胸が痛むのはどうしてだろう。

 ナディアは自分の気持ちを持て余していた。 


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