オースティン辺境伯の事情
数話投稿します
プリシラの母アナベルは平民の生まれ。
一七歳からオーランド辺境伯の領地でメイドとして働いていた。
年若く美しいメイドと、辺境伯の令息フロックが恋に落ちたのは過ちとも必須とも言える。
しかし、身分差ある恋がまかり通るほど貴族の社会は甘くなく、メイドとの恋仲を知った辺境伯は息子に、隣の領地を治める伯爵家の次女との婚約を命じた。
黒髪で地味な顔立ちではあるが気立てのしっかりした娘で、辺境伯は二人の結婚を半ば強引に進めると、メイドは王都にあるタウンハウスで働かせることにした。
それから一年半、仕事で久々にタウンハウスを訪れたフロックの傍らには、おくるみに包まれた赤ちゃんを抱く妻が寄り添っていた。アナベルはよそよそしい態度を見せるフロックに悲しみを感じるとともに、妻を憎んだ。
しかし、帰りにフロックから渡された手紙をきっかけに二人は再び逢瀬を重ねる仲に戻る。
フロックが、人脈を作るためと父親を説得しお城での役職についたのは、アナベルとの時間を作るため。
父親が生きているうちはそれでも頻繁に領地へ戻っていたが、死んでからは執事に領地経営を任せ大半を王都で過ごすように。さらに、ナディアの母が病に臥せったあとは、帰ることすらしなかった。
アナベルが後妻に入り、産んだ子供は聖女のように可憐な娘だった。
かつてこの国を救った聖女、その絵や銅像は町中に溢れている。大きな瞳につぶらなく唇。陶器のように透き通る肌にふわりとゆれる茶色い髪。
それに比べ前妻そっくりの可愛げのないナディア。アナベルにしてみれば愛する男を奪った女に似た娘を大切にできるはずもなく、執拗につらく当たった。その一方で、自分の娘を溺愛しなんでも言うことを聞いた。
そんな環境で育ったプリシラは、生まれた時から持て囃され、我儘は無条件で聞き入れられた。
「聖女の生まれ変わり」と初めに言ったのは誰だったろう。いつしかそれが二つ名となり、プリシラは清楚で清廉潔白、淑女の鏡のように思われるようになる。
屋敷では、我儘を言っても、ナディアのおもちゃを取っても、宿題や片づけを押し付けてもそれを咎める者はいない。
「ナディアがいらないといったから」「頼んでもないのにナディアが勝手にしたの」と言えば、誰もがプリシラの言葉を信じた。
自分が欲しいと思ったなら奪えばいいし、面倒ことは全部ナディアに押し付ければいい。母親がナディアを冷遇するのを見るうちにプリシラの中ではそれが当たり前となった。
そしてナディアは家に居場所が無くなった。
※※
婚約披露パーティーが終わり会場から出ると、プリシラは頬を膨らませた。
(どこが悪魔だっていうの? 確かに眼帯はしていたし強面ではあるけれど、お姉様にはとても優しく接していたわ)
二人で楽しそうに踊る姿を思い出し、プリシラはぎゅっと奥歯を噛む。
(本来ならあそこで称賛をあび注目されるのは私だったのに。聖女の生まれ変わりともいわれる私こそイーサン様の隣に相応しいわ)
お姉さまばかり、ずるいと繰り返しながらプリシラは足音を響かせながら馬車までの道を歩く。特にナディアが着ていたドレスは、カーデラン国で人気のデザイナーのもの。プリシラも父親にねだったけれど、高価すぎて買って貰えなかった品だ。
(どうして私の引き立て役だった姉が主役然として振る舞っているの)
考えれば考えるほど納得がいかない。
「お父様。やっぱり私がイーサン様と結婚します」
突然立ち止まり後ろを歩く父親を振り返ると、プリシラは頬を上気させそう告げた。
「しっ、静かにプリシラ。周りに人がいるのにそんな発言をしてはいけない」
父親が慌てて諫めるも、普段怒られることのないプリシラは不満げにさらに頬を膨らませた。
「だって、お父さまもお姉さまを見たでしょう? あんなに沢山の人に注目されて綺麗なドレスを着て。それにイーサン様は噂とは違ってお優しそうだし、あれなら私だって嫁げるわ」
とんでない上から目線の発言に、辺境伯夫妻の顔は真っ青に。
このまましゃべらせては何を話すか分からぬと、強引に腕を引き馬車に押し込んだ。
「プリシラ、下手なことを言うもんじゃない。どこで誰が聞いているか分からないのだから。それからナディアはプリシラが嫌がったから代わりに結婚するんだ。しかあれだけ堂々と婚約披露パーティーまでされては、もうどうやっても覆ることはない」
いつもプリシラに甘い父親にしては、冷たい言葉。
決して間違ったことを言ってはいないが、父親の頭はさっきとある人物から聞いたことでいっぱいになっていて、プリシラを気遣う余裕なんてない。
「あのことが明るみに出たら我が家は取り潰しになるやもしれん」
誰にも聞こえない声でぶつぶつ言う父親に対し、プリシラはまだ公爵夫人の座を諦めきれないらしく、口やかましく叫んでいる。そこに母親までどうにかならないかと言いだした。
己のことばかり考える人間を乗せ、馬車は重たげに岐路についた。




