教会3
二人は教会の隣にある建物へと向かった。三階が司教達の部屋、二階に来賓客用の部屋と執務室、一階が食堂や台所などだ。入り口付近で掃除をしていた若い司教に声を掛ける。
「ロドリック様から伺っております。ご案内いたしますのでこちらへ」
「あぁ、頼む。ところで執務室は二階のどこにある?」
「はい? 場所でございますか。二階の向かって左端から二つ目の部屋です」
男が左端の窓を指差す。窓が開いていて、ひらりと風になびくカーテンが見えた。
「一番端はなんの部屋だ? 木に隠れてよく見えないが」
「あちらは書庫や書類を置いているはずです。私は入ったことがないので、詳しくは知りませんが」
箒を持ったまま、若い司教は首を傾げ、どうしてそのようなことを聞くのかと不思議そうな顔をする。
イーサンがチラリとナディアを見れば、その視線を受け自信たっぷりに頷いた。
「……だろうな」
「「?」」
イーサンの独り言にナディアと若い司教は目をぱちぱちとした。
「ナディア、大司教達には俺が会う。子供達と遊んで疲れているだろう。馬車で休んでいればよい」
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
ナディアはにこりと笑い、馬車へと向かう。イーサンは、本当にこの方法でうまくいくのかと、頭を悩ませながら、若い司教の案内で執務室へと向かった。
二階へ上がる階段はギシギシとはならなかった。執務室に入ると、大司教は執務机に向かい何か書き物をしており、副司教がその隣に立っていたが、イーサンを見ると二人はソファーを勧めてきた。
「どうぞおかけください。すぐにお茶を用意させましょう」
「ああ、しかしその前に少しこの教会の資料や書庫を見せてくれないか? カーデラン国との違いもあるだろう目を通しておきたい」
「……資料室でしたら隣にございますが、国王が所持していた資料は全て公爵様の手元にあるはず。おそらく同じものが殆どかと思いますが」
「かまわん。とりあえず見せてくれ」
イーサンがやや語気を強めると、ロドリックは少し肩をびくつかせたあと、灰色の瞳に媚びを浮かべた。
「かしこまりました。すぐにご案内いたします」
執務机から鍵を取り出し、それを大司教に見せる。大司教はどこまで会話が聞こえていたのか分からないが、にこにこしながら頷いた。椅子から立ち上がる気はなさそうだ。
案内された資料兼書庫はさほど広くない部屋で、天井まで届く本棚がずらりと並んでいる。装飾といえば壁の聖女の絵ぐらい。
「右側が教会の歴史、真ん中が教会の運営に関わるもの、左が孤児院の資料になります」
「分かった」
イーサンは迷うことなく真ん中の棚に進み、そのうちの一冊を手に取る。
「そちらは二年前の帳簿。公爵様がお持ちのものと比較が必要でしたらお持ち帰り頂いてかまいません」
「その必要はないだろう」
次いで、孤児院の帳簿に目をやる。こちらも数字上は問題ない。支援金は全て子供達のために使われていることになっている。そして、屋根も修理されたことになっていた。
イーサンは、表情を変えず帳簿を閉じると本棚に戻す。しかし、一センチほど背表紙を出しておくことを忘れない。
「この部屋にはあまり光が入らないのだな」
窓に近づき外を見る。木々が生い茂り、小さなバルコニーにまで枝が伸びていた。外から見て予想はしていたが、都合がよい。
「そうですね。紙は日に当たると傷みますからあえて木の枝を切らずに伸ばしています」
「なるほど、それは良い案だな」
さりげなく鍵に手をかけながら言うと、イーサンは振り返った。
「では、ゆっくり話を聞こうか」
「はい、では先程の部屋へ。大司教もお待ちになっております」
再びロドリックが先に立ち扉を開ける。イーサンはもう一度木に目をやると、軽く痛む頭を押さえながら部屋を出た。
ナディアはイーサンとロドリックが部屋を出るのを確認すると、ぴょん、と枝からバルコニーに飛び移り、先程イーサンが鍵を開けた窓から中に入る。
(これかな)
サッと部屋を見渡し、僅かに背表紙が飛び出た冊子を手に取る。
(孤児院の帳簿ね。あと数冊ぐらい必要かな)
その隣の冊子も手に取り中身を見ると、先程のと一緒に左手に抱えた。次に絵を見る。明らかに怪しい。いくら教会だからといって、いや、教会だからこそ、こんな日の当たらない埃っぽい場所に聖女の絵は飾らないだろ。
絵を持ちくるりとひっくり返すと、果たして鍵があった。実に分かりやすい。
(では鍵穴はどこかしら)
壁は一面本棚。だとすれば天井か、床下。
(部屋に椅子や脚立はないから床下かな)
衛兵と一緒に悪党の屋敷に乗り込んで、いろいろ家探しした経験がこんなところで役に立つなんて、と思いつつナディアは四つん這いになる。端から順に見て行くと、入り口からみて左奥の棚のすぐ下あたりに小さな鍵穴があった。ご丁寧に粘土で隠している。
粘土を取り鍵を入れ回した状態で垂直に上げると、三十センチ四方の床板が鍵と一緒に持ち上がった。それほど深さはないが、それでも二十冊ほどの帳簿が入っている。
「さすがに全部は無理ね」
十冊ほどを取り出し、再び床板を閉じて鍵を元の位置に戻す。時間として十五分ほどだろうか、思ったより順調だったとナディアはほくそ笑む。
最後に部屋をもう一度見てバルコニーに出ると、ひらりと飛び降りた。
二人は公爵邸に戻ると、真っ直ぐにイーサンの執務室へと向かった。帳簿をローテーブルに置き、ソファに横並びに座ると手分けして帳簿を読み解き始める。
一見まともに見える帳簿だったけれど、お金の流れを追っていけば矛盾が出てきた。教会に孤児院支援金として渡された金額に対し孤児院に回されたのはその半分ほど。さらに、屋根や床を修理したことにしているから、実際に子供達に使われた費用はもっと少ない。
「これはひどいな。教会ぐるみか」
「全員が絡んでいるわけではないと思います。子供達は明るく笑顔がありましたし、部屋も質素ですが整理され清潔でした。孤児院で働いている司教やシスターは子供達を大切に愛情を持って育てていると思います」
「だとすると、この裏帳簿をつけた人物が金を着服しているということか」
二人の頭には同じ人物が浮かんでいた。そしてもう一つ。ナディアの父親は教会に関わる仕事をしていた。
「イーサン様、この件に父が関わっている可能性があります。ですが今は真実を明らかにすることを一番に考えてください」
「分かった。フランクに教会について調べさせよう」
そこでイーサンは言葉を止めた。もしナディアの実家が不正に関わっていたら、結婚はどうなるのだろうか。以前なら白紙も厭わなかったし、今だって三年の付き合いだと思っている。それなのに、手放したくないと思う気持ちをどう解釈すればよいか。
複雑な胸中で考えこむイーサンにナディアが勤めて明るい声を出した。
「調べなければ分からないことを今から悩んでも仕方ありません、それよりお腹が空きませんか?」
テーブルに横づけされたワゴンには、夕食代わりのサンドイッチが乗っている。
ナディアはテーブルの書類を片付け、サンドイッチをイーサンの前に置いた。その間にイーサンは酒を用意する。組み合わせがどうとか気にする者はここにいない。
「こんな時間に食べると太るんですけれど」
短針が差すのは十時。ナディアはどうしようかと恨めしそうにサンドイッチを見る。イーサンは苦笑いを抑えながら一つを手にとりナディアに渡した。
「階段の音を気にしているのか? あれは修理がされていないからだろう」
「帳簿上はされてました」
「では階段の修理については、念入りに調べさせよう。ただ、持ち上げた感じでは大したことなかったぞ」
思い出したのかイーサンはクツクツと喉を鳴らして笑う。ナディアはひと睨みしてからサンドイッチを頬張り、こちらも何かを思い出したようにふふっと笑った。
「子供達に随分懐かれていましたね」
「あれは懐かれているのとは違うだろ。しかし、至近距離で泣かれなかったのはいつぶりだろか」
宙を睨みながら洋酒を口にするイーサンに、ナディアは食事もとるようにとサンドイッチを勧めた。
「子供だけでなく、女性にも怖がられるからな」
渋顔で強面の顔をつるりと撫でる。確かに眉間に皺を寄せれば、気の弱い女性なら青ざめ震えるだろう。
「皆、本当の怖さを知らないのです。人を斬ろうとする時の人間の顔はその造形関係なく恐ろしいものです」
「……そうだな」
「きっとその時の私の顔は、イーサン様より恐ろしかったと思います」
自重気味に笑うナディアにイーサンはかける言葉を探したけれど、どれも薄っぺらく響く気がして、代わりにサンドイッチを口に運んだ。
ナディアは洋酒の入ったグラスを両手で持ち、敢えて独り言のように話す。
「三年間の白い結婚と言われた時は、殺伐とした関係になるのだと思っていましたが、結構楽しいです。例え一緒に居られる期間が限られていたとしても、良い関係でいれればと思っています」
「…………そうだな」
「ですが、時がくればちゃんと目の前から居なくなります。約束はきちんと守りますからご安心ください」
「……あぁ、分かった。分かっている」
どこか晴れやかな顔をしてグラスを傾けるナディアに対して、イーサンの表情は少し暗かった。
※※
その後、フランクの調べにより、教会で財務を担当していた男が捕まった。ところが、詳しい取り調べが始まる前に、男は牢で毒を飲みそれ以上の追求は不可能となった。




