1-2.遭難……そして女の子に救助される
横浜市在住の49歳普通の中小企業勤務のサラリーマンが、なぜか突然知らないところに放り出されるところから物語は始まりました。
前回道があるので歩き回って誰にも会えず、体力が尽きたところからの話になります。
俺はいきなり遭難した。意味が分からない。
まず、気付いたら、まったく見覚えの無いところに居て、
服装も、持ち物も、見覚え無いものに変わっていた。
一日半歩いたが、家も無ければ、人にも会えなかった。
未舗装とは言え、ちょっとした道なのだが、誰にも会わなかった。
道から近くて風が少ないところを選んで、なるべく体力を温存して助けを待つ。
道はあるのだから、必ず誰かが通るはずだ。
それにしても意味が解らない。なんで、ろくな装備も無しにここに居るのか?
準備を怠って遭難したとしたら、自分が悪いと思えるだろう。
ところが、気付いたら見慣れない服装に、装備はナイフと手袋だけ。
ナイフはサバイバルでは極めて重要な装備ではありそうだが、ライターも無いので薪も必要無い。
特に何の使い道も無かった。
俺は、俺が何故ここに居るのかがわからない。
ここに来る前何をやっていたのかもわからない。
「…………」
俺はここに来る前何をやっていたのだろう?
自業自得なのかもしれない。
だが、何が起きたか覚えていないのであれば、それを反省する機会もない。
そんなことを考えながら人が通るのを待つ。
……………………
……………………
道から近い岩陰で過ごす。
……3日経っても誰も通らなかった。そろそろ死が現実味を帯びてくる。
俺は死ぬのだろうか?
まあ、正直なところ、俺は生きていて楽しいと思ったことはあまり無いし、そんなに詩を嫌っているわけではない。
ただ、もう少し納得して死にたい。
何が起きたのかさえもわからないまま、徐々に死んでいくのは嫌な死に方だと思う。
こんな状況で死にたくない。
……………………
幻聴。
栄養が足りなくなると出てくるのか、幻聴が増えてくる。
話し声が聞こえたり。
寝てるのか起きているのかの区別も無くなってくる。
生と死の境にいる。それが実感できる。
あと何日生きられるか……なんて考えてると、人の足音が聞こえるので、道を見るのだが誰も居ない。
そんなことが何度も続く。
今日は遭難して何日目だろうか、5日か6日か。
気候と水に恵まれて、なんとか生きてはいたが、もうそろそろ限界は近いのではないかと思う。
死ぬなら死ぬで、さっさと死にたい。この苦しみが長引くのは嫌だ。
だが、これだけ待っても誰も通らなかったのだから、普段は誰も使わない道なのだと思う。
……………………
何度も子どもの頃のことを思い出した。
こんなときだというのに、そんなに楽しそうな思い出では無かった。
俺は、型にはめられたような平凡な人生を歩んできた。そんな記憶がある。
死にかただけは平凡ではないものを体験できそうだが、わけもわからず死ぬのは嫌だ。
せめて死にかたくらいは自分で決めたかった……
自分の人生なのに、結局最期まで何も自由にならないのか……
時間があるので、そんなことを考えてしまう。
また足音が聞こえるが、もう道まで行く気力も無い。
どうせ幻聴だろう……そう思っていたら、砂利を踏む音がした。
怠くて動けない……頑張れば動けるが、動かない。
日に日に幻聴はレベルを上げ、何度も騙されてきたからだ。
が、”ザザっ”といういかにも道を外れて、こっちに向かってくるような音まで聞こえた気がすると、幻聴に騙されてると思いつつも、やはり見ずにはいられず、動こうとしたときに人影が見えた。
そして、その人影は振り返ると「男がいる」……と言った。
今度こそ幻覚ではない本物の人だ、人が居た!助かった。
「遭難しました、助けてください」……と言うつもりが、うまく口が動かず、ろくに声にならなかった。
その人が「大丈夫か……」の後続きを言いかけたが、人が居たことが嬉しすぎて思い切り手を握って……というか縋り付いてしまった。
凄い顔で、こちらを見ている。
その人は女の子だった。
もう、何日風呂に入ってないかもわからないような小汚いおっさんが、若い女の子に縋り付いてるのだから仕方がないが、このときは、どう思われてもかまわなかった。
良かった。人に会えただけじゃなく、日本語が通じている。
ここがどこかはわからないが、言葉の通じる相手に会えた。
涙が出た。
あまりにも情けないが、この森に来て初めて会った人間なのだ。
仕方がない。俺は、生きて人間に会うことはもう無いかもしれないと思っていたのだ。
手を握った女の子は、後から来たもう一人と顔を見合わせていた。
ガチャっと音がし、手を握った方の女の子が何かを落とした。
刃渡り60cmくらいの刃物だった。
よく見たら、あとから来た女の子もナイフにしては長すぎる刃物を持っていた。
目の前の女の子も、同じものを持っていて、それを落としたのだ。
いきなり縋り付いて、刺されなくて良かった。
これは短剣だろうか?
こんな”刃渡りの長い刃物”を実用しているのを見たのは、はじめて……では無いな。
マグロ解体用の包丁はこれより長かった。
でも、俺が知る限り、こんな刃物を武器として持ち歩く人は居ない。
しかも、小さな女の子が。
ここは、俺の住んでいた場所とは違う常識で動いている土地なのかもしれないと思った。
……………………
女の子たちは、杏子のようなドライフルーツと、少し酸っぱい葉っぱをくれた。
ドライフルーツは、今まで食べたどんなものより美味しかった。
酸っぱい葉っぱは何だろう?
甘いものを食べると途端に頭が回る……とは言っても朦朧としていた意識が、やっとなんとかまとまり、頭が回り始めた程度だが、とりあえずお礼を言う。
「助けてくれてありがとうございます」とお礼を言うと、
「いえ、これが仕事ですから」後から来た方の女の子が言った。
いかにも慣れてて、いつも通りのことですみたいな感じだけど、これが仕事ってどんな仕事なのだろうか?
ここは、俺の他にも迷い人が度々現れる場所なのだろうか?
「ずいぶん軽装ですが、どこから来たのですか?」
先に来た方の女の子が言う。
きっと、こんなカバン一つで、ここに居るのはおかしなことなのだろう。
俺も、俺がこんなところに居るのは、おかしなことだと言う自覚はある。
だが、なんでここに居るのかは、自分でもわからない。
「それが、さっぱり思い出せないのです。ここはどこなのでしょう?」
自分でも、間抜けな答えだとは思うものの、俺は、”ここがどこ”で、”どうしてここに居るのか”が、わからないのだ。
遭難してる間、直前まで何をしていたのかをずっと思い出そうとしたのだが、さっぱり思い出せない。
49歳 横浜市在住……までは、わかるのだが、その先……一番肝心な自分の名前が分からない。
都合よく、部分的に忘れてしまう記憶喪失ってのは、実際に有るんだな……と思った。
「どこから来たか、わからない?」
と後から来た方の女の子が言うと、二人で顔を合わせ、それ以上は聞かれなかった。
どこから……元は横浜に居たはずだが、その後どうやって、ここまで来たのかがわからない。
ここはどこなのだろうか?
日本語は通じるけれど、この子達は日本人では無いように見える。
人種もそうだが、こんな野性味溢れる若い女の子は日本には居ないと思う。
ここがどこだか聞いてみる。
「ここは、どこなのでしょうか?」
「この森のこと?」
「はい。この森はどこの」 言いかけたところで回答が返ってくる。
「トート森、トートの森」
この場所はトートの森だそうだ。
"東都の森"なのだろうか? "東都民の森"? 都民? 奥多摩? 奥多摩なら西では?
確かに東京都の西の果てみたいなことろに都民の森があったと思うが、東とか西は付けずに単に”都民の森”と呼んでいたように思う。
俺的には、森自体にはあまり馴染みは無く、奥多摩周遊道路の付近がそうだったと記憶している。
ここは、奥多摩周遊道路の近くでは無いと思う。
「ところであなたは、どこから?」
答えられることを話していく。
自分の名前が分からないこと、横浜市民であること、気付いたら草むらに倒れてたこと、そして、俺が歩いて来た方向を話した。
「横浜に住んでたはずなのですが、
どうやってここまで来たのかがわかりません」
「ヨコハマ?」
「聞いたこと無いわ」
「どこの国だ?」
「え? に、日本……ジャパン」
日本語が通じているのに、わざわざジャパンとか言ってしまう。
「ヨコハマシミンと言うのは?」
ここまでくると、説明しても通じないだろうとは思った。
「日本という国の、神奈川県というという地域に有る、
横浜という都市……街に住んでる人間のことです」
「知らない」、「全く聞いたこと無い」
この時点で説明しても無駄な気はしていたが、伝える努力はする。
横浜市民とは何かと言うので、日本の神奈川県 横浜市の住民だと説明したが、うまく伝わらなかった。
日本で2番目に人口の多い都市、【横浜】を知らない日本人は居ないはずだ。
言葉が通じているのに、この女の子たちは【横浜】を知らない。
本当に、ここはいったいどこなのだろうか?