第十三話 真野実言②
願いが叶うから幸せというわけではない。
一つ、欲が満たされる度に、一つ、大事なものが欠けていく。
僕は救いようのない人間だ。
花ちゃんが学校へ来なくなって、数日。
彼女のことなど忘れて、のうのうと笑いながら生活しているいじめっ子達が、どうしようもなく赦せなくて。
“階段でも踏み外して、大怪我をしてしまえばいいのに”。
そう呟いた瞬間、目の前で、そのいじめっ子達数人が、同時に階段から転がり落ちた。
また別の日には、彼女が大切に育てていたクラスの花を捨てた担任が、急に学校を辞めた。
“こんな奴教師失格だ”。“さっさと学校なんて辞めればいい”。
と僕が口にしたからだ。
あまりにもそういったことが立て続けに起こった為、自分には特殊な力があるのだと自覚した。そしてそれは、使い方によっては非常に危険な凶器にもなりうる、と知った。
僕に特別な力があると発覚してから、初めに僕自身を襲ってきた感覚は、“罪悪感”。
相手が相手でも、僕がこの力で傷つけたということに変わりはない。
そんな罪悪感が日に日に大きくなっていき、ある日、思ってしまった。
──僕は生きていてもいいのか? 彼女には何もせず、自分のことを棚に上げて、あいつらを酷い目に合わせて……僕に生きている価値はあるのか?
そして気付けば声に出していた。
“死にたい”
馬鹿だ。でももう遅い。一度言葉にしてしまえば、取り返しがつかない。
僕は、暴走して歩道に乗り上げた車に轢かれた。
意識が朦朧とする中、無意識に強く願った。血がむせ返ってきて、上手く呼吸ができなくて、それでも……今にも消え入りそうな掠れ声で、無意識に、
“死にたくない”
と発した。
それが叶ったのか、幸運なことに再び目を開けることができた。病院のベッドの上だった。
自分だけ“やっぱり生きたい”だなんて、都合が良すぎる。大人しく死ぬこともできない、弱い人間。
なんて中途半端なんだろう。
以来、僕は不用意に思ったことを口にすることをしなくなった。いつ、また誰かに害をなすか分からないから。
──けれども、「少しぐらいならいいだろう」と何度も魔が差してしまった。今まで欲しい物が容易に手に入っていたからか、その癖はなかなか直せなかった。
自分が痛い目に合っても尚、「気を付けていれば大丈夫」などと安直に考えていた。
僕が自身の力を自覚してから約一年、三年生の冬。
人の噂も七十五日なのか、立て続けに事件が起きたことも一年経てばすっかり誰もその話はしなくなっていた。受験シーズンで忙しいということもあったのだろう。
僕はなるべく知り合いのいない遠くの高校に行きたかったから、親に頼んで都心にある私立高校へ行かせてもらうことになった。元々父親が都心の方へ単身赴任していたこともあったので、引っ越すという形になった。
僕が晴れて第一志望の学校に合格したことを友人に伝えた時。
彼は僕と同じで地元を離れたがっていた。が、受験に失敗してしまったのだ。それを聞いたのは、伝えた後だった。
僕が嬉しそうに話している時、確かに彼の様子は少しぎこちなかった。
そんな友人に何て言ったのかはあまり覚えていないが、僕は上手くフォローできずに上辺だけの言葉で相手を傷つけてしまった。
『中身の無い同情なんていらねーよ』
かすかに顔を歪めまっすぐ自分を見てくる視線に、僕はドキリとした。脈が速くなった。
『な、中身が無いって…………どういう……こと?』
『そのままの意味だよ。──実言はさ、他人に興味が無いから人の気持ちが分かんねーだろ? ……昔からずっと』
──そう、彼は唯一の小学校からの友達だった。自分にとって、一番の親友。小五で席が隣になってから仲良くなって今まで、沢山いた友達の中で最も親しかった。
『いつだったか、“僕の願い事は、なんでかいつも叶うんだ”って、俺に言ってただろ。……あれ今でもそうなのか?』
『……え、いや……それは………………』
どう答えるべきか迷ったけれど、言うことにした。
『う、ん……そう……だね…………』
『……だろーな。つまりそれが実言の基準になってる。お前以外は、そんな運や力は無い。でもそれをお前は分かっていない』
『……!!』
心が見透かされたような気がした。心臓の音がドクン、ドクン、と耳に響いてきた。
言葉に詰まっている僕に、間を置いて彼は続けた。
『だから、お前にとって“すぐに手に入るもの”が、他人には“努力しても手に入れられないもの”だってこともある、っていうのが分からない。……そうだろ?』
『…………』
『………………お前はいいよな。なんでも手に入るんだからさ』
その台詞に、僕は全てを理解した。
……そしてきっと、これが僕と彼の“友達”でいられる最後のチャンスだったのだ。
皮肉っぽく笑う彼を前にして、言葉が詰まり何も言えなかった。
『何とか言えよ』
『えっ……と……』
『お前はいつもそうだよな』
『ごめん…………』
『なんで謝んだよ。俺が悪いみたいだろ』
『ごめ……あっ……』
『もういい。お前なんかと友達になんて……ならなきゃ良かった』
そう言って顔をしかめ、親友は背を向けてしまった。
最後の言葉を言った時、彼はどこか少し悲しそうな目をしていた。しかし当時の僕は、全く気付かなかった。
去っていく背中を、僕は見ているだけだった。
追いかけなかった。
また。
今更追いかけても、きっともう遅い、と自分に言い訳をして。頬が濡れていたのに、その意味を理解していなかった。自分で自分の本当の気持ちに気付きもせず。
一歩踏み出して、歩み寄ろうとはしなかった。
彼の言う通りだと思う。
いとも簡単に欲を満たしていた僕は、友達として──いや、人として大事なものを、いつしか失ってしまっていたんだ。
そんな単純なことを、仲間ができて初めて知った。
幼稚園や小学校で散々大人から言われた「他人を思いやる心を持て」という言葉の意味を、初めて理解した。
あの時の僕は一人の人間として、そういう大事なものが欠けていたのだ。
──それから、僕は自分を変えなきゃと本気で思った。真言に頼らず、“真野実言”として人と関わろう、と。
そして高校に入学して、自分と同じような“特殊な力”を持つ者が他にもいると知った。
最初は必要最低限のこと以外喋らないようにしようと思ったが、それでは以前と大して変わらない。だから、失敗を覚悟でできるだけ自分から話しかけて、相手に興味を持ち、相手を知ろうとした。
その結果、僕は最初に透という友達ができた。
薄井透。彼はどちらかといえば大人しい方だけど、意思は強く、それでいて素直で、ゲームが強くて……僕にはもったいないくらいの相手だ。
そして出席番号──つまり最初の席が近かった健治とも仲良くなった。
保波健治は、ちょっぴり方向音痴だが誰よりも優しくて、そこに健治がいるだけで空気が安らぐような、そんなあたたかい人だ。忍耐強く、誰かのために自分を犠牲にできるところは心から尊敬している。
僕にとっての透と健治は、眩しい存在。
二人は性格だけではなくて、上手く言えないけれどその人柄も良かった。
僕が中学の頃の話をした時、軽蔑するかと思ったのにむしろ真剣に聞いてくれて、僕の過ちをしっかり受け止めた上で、
『僕達は色々な人達を傷つけてしまった実言も、それを反省している実言も、いつものゲームが弱い実言も、辛い物が全然食べれない実言も……全部ひっくるめて、大好きな親友だと思ってるよ』
と言ってくれたのだ。
それがあまりにも優しくて、その暖かさに思わず涙が溢れて止まらなかった。
──ただの自己満足だとは思う。
けど、高校生になって初めてできた友達には、かつての彼や彼女のような思いはさせてはいけないと思った。だから……。
だから僕は、かつての自分が犯した“罪”を背負って、今度こそちゃんと生きようと決意した。
(……ははっ)
こうなったのも、自業自得なのかな。
何故か“恐怖”は感じなかった。
自分の身が危険に晒されているという自覚もある。
だが、少しも「怖い」という感情は無かった。
(このまま殺されるのかな)
どこか「それはそれで悪くないかもしれない」といった思いすらあった。
やっぱり神様は僕を赦していないってことなのかな。
“ちゃんと生きていく”、なんて言っておきながら、どうしてか“生きようとする確固たる意思”が湧いてこない。つまり僕はそこまで「生きたい」とは思っていないのかもしれない。
透に『たすけて』とメールも送ったのにね……。
──馬鹿らしいと分かっている。けれど、今僕は本当に全く何も感じていないのだ。
自分で自分が分からない。
(僕は何がしたいんだろ……)
【真野実言】
能力:真言
心から念じて口にした言葉が現実となる。
別の能力者及び能力が関与する時、人の命・記憶・感情等を脅す場合の2点においてのみ、能力を発動することが出来ない。
その原因ははっきりとは分かっていないが、生物──特に“人間”(の脳)の情報量は莫大なものであり、中でも対象の人物のデータを大幅に書き換える“死”は、超能力で作用させられる許容範囲をはるかに上回っているからであると考えられる。