第九話 知明未來
──午前六時
【知明未來】
いつもより早く目が覚めた。
空は曇天、今にも雨が降り出しそうだ。
学校に行くわけじゃないのに、こんなにも早く起きてしまったらなんだか落ち着かない。
──大丈夫。家から出なければ、何の問題も無い。大丈夫。
大きく深呼吸をした。
リビングのドアを開け入ると、テーブルには『未來ちゃんへ 朝は冷蔵庫のサンドイッチを食べてください お昼は昨日のカレーを温めてね くれぐれもお家からは出ないように』と書かれたメモが置かれていた。
昨晩私は、母に次々とクラスメートが姿を消していることを話し、加えて体調があまり優れない、という理由で今日休ませてもらった。
事情を聞いた母は、雛子達が行方不明な事について心配はしていたものの半ば本気にしていなかったが、気分が悪いならと欠席することを了承してくれた。
──さて、どうするか。
母の帰宅まで、まだ半日以上もある。
夜はそこまで遅くないが朝が早い母は、片道一時間半かけて出勤する。父親は私が物心つく前に死んだ。よって父の記憶は無いので、写真でしか顔が分からない。つまり母は女手一つで私を育ててくれているのだ。
そんな母も、私の超能力は知らない。 ──いや、そんな母だからこそ、か。
“未来が視える”なんて話、普通に信じてもらえるわけがない。仕事が忙しいのに、『高校生の娘に急に“自分は未来を視ることができる”なんて言い出された』母の身を想像したら、迷惑はかけられない。余計な心配はさせられない。
ま、何にせよ家から一歩も出なれけばいいだけのことだ。何なら犯人が捕まるまで家に引きこもり続ける覚悟だってある。命には代えられない。
「大丈夫。大丈夫……」
声に出して唱え、自分自身に言い聞かせた。
──午前六時三十分
…………………………………………え?
なんで。なんで。なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!……なんで…………?
「なんでよ……!! どうして私……外にいるのよ……!?」
(さっきまで家にいたでしょ……!?いつ?いつ家を出た?)
「……分からない………………」
何故自分がここにいるのか。
部屋着にパーカーを羽織っただけの格好に、裸足でスニーカーを履いている。普段の私ならこんな姿で外出は絶対にしない。たとえ近場でも、もう少しまともな格好をする。すぐ外に出なければならないような急用でもあったのか。……全く分からない。
「と、とにかく……かえ、らなきゃ……」
訳が分からず困惑するも、とりあえず外は危険だ。
……この時間は学校だろうか?それともまだ登校時間?
梅葉は『E組の中に犯人がいる』とか言っていたが、協力者がいる可能性だってあるのでこの際もうそんな事どうでもいい。
ふらふらと歩きだすものの、周囲が見慣れない建物や道であることに気付いた。
「どこよここ……」
ケータイ──は持っていなかった。なんでこんな時に限って……。
そもそも(まだ少し肌寒いところからして)朝だからか人が全然通らない。これでは道を訊くこともできない。
(どうする………………)
少しの間その場で立ちつくしていたが、まずは大通りに、と思い立ってそれらしい道を歩いていく。
「せめて通行人のいるところまで…………って、『この先工事中』……? でも工事の人いないんですけど。早朝……だから?てか今何時……」
ため息をついて迂回する。
残念ながらこの気味の悪い路地裏を通るしかなさそうだ。
「路地裏とか一番ダメなやつじゃん……最っ悪……………………仕方ない、走るか」
顔をしかめながら路地へと足を踏み入れた、その時だった。
「!?」
突然、背後から手が伸びてきて、布のようなものを鼻と口に押し当てられた。甘くもなく、化学薬品のような独特の臭いというわけでもなく……不思議な香りがした。
そこで意識が途切れた。
気が付くと、自分が拘束されているのが分かった。
(やばい…………ウソでしょ……私拉致られた?)
自覚した途端、恐怖が襲ってきた。ややパニックに陥っていた。
視覚と身体の自由が奪われ、脳が得体の知れないものに対する恐怖で埋めつくされる中で、残った理性が最初に感じ取ったのは…………“後悔”だった。
──大人しく梅葉の言うことを聞いておけばよかった。
あの時、さすがに泊まられるのは……と拒否した梅葉の提案を、今になって初めて、受け入れればよかったのかもと後悔し始める。
なんで私は、外へ出てしまったんだ。
おまけにその理由が分からないときた。自分で自分が嫌になってくる。
(……誰でもいいから助けに来てくれないかな…………。それか、運良く逃げれたりとか……)
そういえば、実言や心亜もここに捕まってるのかな。そうだ、雛子もだ。雛子………………無事かな…………?
尖った性格で“仲が良い”と呼べる友達がいなかった私に、初めて心からの「友達」ができたのは、一年前──高校に入学して五ヶ月経った夏休み明けのことだった。
夏休み前に、光空が青い顔をして『浮いてるとこ見られたどうしよう』と教室に飛び込んできたのをよく覚えている。その時は『ああ、ついにやったか』と呆れたが、直後の『しかも相手の子も浮いた』という光空の台詞には驚いた。初めは同じ能力を持っているのかとクラス内で話題になったのだが、あのクソ校長が彼女をE組に入れた後色々試したところ、「複瀬雛子はコピー能力者である」という事が分かった。
急にクラスが変わったことで馴染めずにいた雛子は、皆とは微妙な距離感だった。それも納得だ。皆が自分だけのオリジナルだと思っていたはずの能力を、雛子も使えてしまうのだから。キツい言い方をするならば、雛子のそれは皆からしたら「正直面白くない」だろう。…………本当にそう感じていた人間が果たして何人いたのかは心亜ぐらいしか知り得ないだろうけれど。
しかしながら、このクラスの超能力者達は“超能力”という普通の人間とは違う特別なものを持っているのに、傲慢な者がいない。それもまぁ……各々が経てきた過去を見れば傲慢にもなり難いのは分かる。超能力があるから苦労してきたのは皆同じ。私はこの性格もあるけど。
とにかく、簡単に言えば皆良い人しかいないのだ。だから自分で言っておいてなんだが雛子をよく思っていない・気に入らない者がいたとはぶっちゃけ思えない。
話がズレたが、お互い突然のことに動揺してどんな風に接すればいいか分からずにいた状態が何日か続いていたわけだ。
そんなある日、私は雛子と下校時に下駄箱でたまたま一緒になった。
目が合って軽く……どこがぎこちなく、会釈をした。ふと、彼女のイヤホンから音が漏れていたことに気付き言おうとした。が、自分の好きなアーティストの曲だったので『複瀬さん○○好きなの?』と尋ねた。
──「好きなの?」「うん」「そうなんだ、いいよね」「うん」だけで終わると思った。
だが彼女は、興奮し目をキラキラさせて詰め寄ってきたと思えば、いつから好きなのかとかどこが好きとかどの曲がお気に入りかとか、次から次へと質問攻めをしてきた。
そのあまりの勢いに圧倒的されつつ、なんだかんだで一つ一つ引き気味に答えていく私の困惑した様子に気付いた彼女が、我に返ったように顔を赤くして『ごめんなさい……』と謝ったのを見て思わず吹き出してしまった。
その日から、そのアーティストの話をちょくちょくするようになり、気が付けば一緒に帰ったり休日に遊びに行ったりしていた。
雛子と仲良くなってから、他のクラスメート達ともよく話すようになった。雛子もすっかりクラスに馴染んだ様子だった。私は毎日が楽しかった。
素直で、面白くて、少し抜けてて……そんな彼女といると、自然と笑顔になった。てまりに『未來、ちょっと丸くなったよね』と言われたりもした。確かに、自分でもちょっと思う。
「目つきが悪い」とよく言われた吊り上がった目と、人と話す時、どこかとげとげしくなってしまう私の口調は、無意識に周囲との間に壁を作っていた。しかし、雛子と一緒にいることで、それも少し和らいだ。
雛子のおかげで、自分の世界が変わった。学校を“楽しい”と思えた。
それなのに。
(それなのに…………!!)
段々と腹が立ってきた。
どうしてあんな良い子が誘拐なんてされなくちゃいけないんだ。
赦さない。こいつは、絶対に…………。
ふつふつと湧き上がってくる怒りが一瞬にして散っていったのは、足音が聞こえてきたからであった。
カツン、カツン、と徐々に誰かがこちらへと近づいてくる。
その瞬間、突如映像が頭の中になだれ込んできた。目隠しで何も見えないはずの視界がスクリーンと化して、再生される。
予知だ。
何か考える暇も無く、それは淡々と流れる。
視えたのは…………。
(え?)
自分が紅い──紅い液体にまみれている……ペンキ?
否。
胸のあたりからから噴き出しているこれは────血だ。
周りにはE組のみんなの姿。
そして私の前に立つ人影。黒いマントのようなものを羽織り、フードを深く被っている。そのせいで顔が見えない。
しかし顔が見えなくても、確信があった。
恐らく奴だ。こいつこそが、犯人……誘拐犯だ、と。
スローで再生された映像は、私が地面にゆっくりと倒れこんだところで終わった。
──そう、これは未来。そして未来は変えようとしない限り絶対である。
このままじゃ私は、確実に………………!
(殺される──────!!!!)
【知明未來】
能力︰プレコグニション(未来視)
未来を視ることが出来る。
予知する未来がいつのものかは分からないが、長くて二週間程度先、平均して数日後に起こる出来事を視られる。
能力は突然発動するので、自らの意思で意図して未来を視ることは(ほとんどの場合において)出来ない。
未来の映像は能力者本人視点の時もあれば、別の人物あるいは第三の視点から視た時の状況とがある(比率は約七対三)。